-Ex-

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  フリップ・フロップ  

 リューグが物も言わずに人垣へ向かって歩き始めた。背中を見ているだけで怒っているとわかる。それに一歩遅れて、ザイルもまた足を進めた。
 人垣がまるでモーゼを前にした海のように開き、奥から数人の男女が姿を現す。
「おい、腰抜け野郎。眼ェ覚めたか? 覚めたんなら謝ってみろよ。今ならもう一発くらいで許してやってもいいんだぜ」
 背の高い、リーダー格と思しき男が言う。目測で百九十センチオーバー、ザイルよりもまだ上背がある。シキは、男に対して毅然とした眼を向けると、唇を動かした。
「……僕は君たちに謝らなきゃいけないようなことをした覚えはない」
「よく言いやがるぜ! シーバとジェノに水をひっかけておいて、よくてめえのせいじゃないと言い張れるもんだなあ!」
 背の高い男の横に侍る小男が、訛りのある口調で喚いた。
 見れば、リーダー格の男は髪から水を滴らせ、後ろの女は派手にシャツを濡らしている。
 ──喧嘩を吹っかけた? あいつが?
 穏やかさが服を着て歩いているような彼が、そんなことをする理由が判らない。ザイルがわずかな思案に足を止めるその間にも、リューグはずんずんと歩き続ける。
 しかし、その足も次の瞬間には、ザイルと同じように止まった。
「君たちは、言っちゃいけないことを僕の前で言ったんだ。僕は自分が笑われるのには耐えられるけど、彼らを嘲られるのにだけは我慢がならない」
 シキはよろめく足を叱咤するように靴の踵を鳴らし、言い放つ。
「僕の仲間を、笑うな。ザイルも、リューグも、臆病者なんかじゃない」
 それは、年代もののヒロイック・サーガでも使い古されて疎まれるような、在り来たりな台詞だった。
 一時期は──いや、もしかしたら今でも──仲間という存在を誇張するために、物語の主人公が叫ぶ台詞だ。以前までの自分ならそう感じたことだろう。
 そして、つまらないジョークを聞いたように笑う、あの巨漢と同じ顔をしたことだろう。
「雑魚に雑魚って言ったってなあ、本当のことを言ってるだけなんだぜ。そこらの情報屋──特にリーヴスラシルの奴が話を大きくしてるが、結局ァサイボーグ相手にボロ負けしてこの企業の連中に命を拾ってもらったような腰抜けどもだろ。トライアルもまともにこなさなかったって言うじゃあねえか。雑魚の上に腰抜けときた、あきれた話だぜ」
 長広舌をぶりながら、ジェノという名前らしい巨漢が肩を竦める。
 その横で、煽るような金切り声。不健康なほどに白い肌の女が、にやにやと唇に笑みを張り付けて言った。
「アリカだっけェ、あの女の名前。死んで正解よね、こんな暑苦しいのがそばにいたんだから。アタシなら死んでもゴメンね、こんなの」
「シーバの言う通りだぜ、ウザいんだよそういうの。仲間仲間ってな、殺し屋は仲良しクラブじゃねえんだ。偽善っぽくて鼻に」
「──偽善なんかじゃない!」
 シキは、すべての嘲りを切り裂くように、血も混じらんかという激しさで叫んだ。直前まで皮肉っぽくシキを揶揄していた小男が一歩下がる。
「誰にも偽善だなんて言わせるもんか。僕は信じた! 彼らが今、自分の隣にいてくれるって信じたんだ! それに答えてくれた彼らを、僕は誰にも笑わせはしない!!」
 張り裂けそうな声だった。
 それは、この場にいる人垣や、ついに色濃い怒りの表情を浮かべた巨漢らの胸の内には届かなかったろう。
 だが、確実に一箇所には届いたはずだった。
 ──認めたくはないが、もう一箇所にも。
「……うるっせえんだよ、クソが!」
 ──その瞬間、ザイルが認識した現実で、三つ確かなことがある。
 一つは、巨漢がシキに殴りかかったこと。
 二つ目、リューグが地面を蹴ったこと。
 最後にもう一つ。
 自分の体が、弾けるように前に出たことだった。

 乾いた、柏手のような音が響いた。
 巨漢が目を剥き、人垣がざわめく。
 巨漢の拳とシキの間には、絶対的な隔たりがあった。たった一つの手のひらが、男の拳を止めている。
 構図としては決して巨漢とシキは離れてはいない。しかし、ザイルには判る。今この瞬間に、あのデカブツは二度とシキに触れられなくなったのだと。
「──聞きましたよ」
 優しい響きをした中性的な声が響く。
「リューグ……?」
 シキが驚きを滲ませて、自分と巨漢の間に割り込んだ少年の名を呼んだ。応えるように笑ったリューグが男の腕をひねり上げる。芸術的な間節技サブミッションだ。
「なんっ、」
 瞬く間もなく後ろ手を取られた状態になり、ジェノは目を白黒させた。彼が上げる間抜けな声を一顧だにせず、ザイルは行動を封じられた巨漢の元へ跳ぶ。
 低空を伸び上がるように滑り、上昇の頂点で空中で体をひねる。左脚を畳むと同時に右足を突き出した。
 肉を打つ重い音、空中へ飛び、照明に照らされて光る歯。巨漢がもんどり打って後ろに倒れ込むときには、リューグは当然手を離している。
 その様子をよそに、ザイルは羽が落ちるような軽やかさで着地した。左拳を握ってリューグに軽く振る。
 答えるようなリューグの右拳が噛み合い、小気味良い衝撃が返る。巨漢はそのまま地面を転がり、観葉植物を薙ぎ倒して止まった。
「ジェノ?!」
 スピーカーのハウリングのような声が響く。吹っ飛んだ男へ、女が駆け寄った。
 巨漢が地面に転がったまま低い声でうめくのを前に、ザイルは首を軽く回した。
「強がりやがって、アホめ。殴られ損だ」
 ザイルはシキに顔を向けないままで呟いた。
「そう思っている割には、行動が早かったようですが」
 言葉もない様子のシキの代わりに、リューグが笑みを含んだ声で返してくる。
「腰抜け呼ばわりされたのが気に食わねえだけだ」
 注釈を入れるように声を返すと、リューグは肩を竦めた。そうですかと、常の微笑を少しだけ深めて答えを返す様子は、言葉通りにに受け止めていないことの証座だった。
「大演説でしたよ。下がっていてください、シキ」
「で、でも──」
 ザイルは、珍しく食い下がる様子を見せるシキを振り返り、おもむろにその額を小突いた。
「わっ」
 牧歌的な驚きの声とともによろけるシキから目を背け、ザイルは唇を動かした。
「一度しか言わない。よく聞けよ」
 ザイルはぐらぐらと頭を振りながら巨漢がゆっくりと立ち上がりつつあるのを見て、前に視線を戻した。
「あいつらは、てめえとアリカをバカにした。腹が立ってんのはな、おまえだけじゃねえんだよ」
「──!」
「あの台風みたいな女も、おまえのことも、そこで我が意を得たりと笑ってやがるニヤけ面も……どうやら俺は、嫌いじゃないらしいんでね」
 リューグが軽く手を出した。言葉を失ったシキの前を守るような立ち位置。ザイルはポケットに手を突っ込んで、その右方に立つ。視線の向こうで、巨漢が立ち上がり、近くにあった瀟洒な椅子を手にとって、曲げて捻る。
 巨漢の手の中にあった椅子は、ものの数秒で奇怪なオブジェとなり、次の何秒かで棍棒になり果てた。
「てめぇら……いきなりやってくれるじゃねぇか、命要らねえらしいなア」
「やっちゃいなよ、ジェノ!」
「ここの所殺しがが御法度だから溜まってんだよ、俺もさあ!」
 立ち上がって凄む男と、その小脇ではしゃぐ女。そして調子に乗る小柄な少年。
「どうするよ」
 ザイルは肩を竦めてリューグに問いかけた。
 リューグは笑顔のまま答える。
「周りに第一印象を与えておくのもいいでしょうね。あなた風に言えば『ナメられたら終わり』ということで」
「……全く、おまえらと組むようになってからこんなのばっかりだ。退屈する暇もねえ」
「良いことではないですか」
 リューグは飄々と笑い、いつもの通りの声を返す。その声が余りに平静すぎたのが悪いのか、ザイルの視線の先で巨漢の顔が怒りに紅潮した。
「ふざけてんじゃあねえぞ、クソガキども!!」
 サイボーグ特有の瞬発力。蹴飛ばされたようにジェノの身体が前進する。狙う先はリューグだ。地を切り欠いて縮めたような速度は、人間にはあり得ないものである。
「死ねァ!!」
 野卑な叫びとともに、巨漢は大降りに右腕をバックスイングする。鉄とプラスチックで出来たいびつな棍棒が、渾身の力を持って振り下ろされた。
 しかし、である。
 ザイルは思うのだ。その程度のスピードが、武器になるとでも思っているのだろうかと。
 振り下ろされる棍棒を前にしたリューグは、恐ろしいほどゆっくりと、なめらかに動いた。半歩だけ右足を下げ、相手の振り下ろしてくる棍棒の動きに、自分の右手を合わせる。ザイルには辛うじて、リューグがジェノの体躯が持つ運動エネルギーの方向性を狂わせたのが理解できた。
 ジェノの巨躯が、まるでギャグコミックのように宙を吹っ飛んだ。
 周りの連中には、それが魔法のように見えたに違いない。極限まで練磨された感覚と肉体のみが行使することを許される格闘能力は、それを持たざるものに取っては魔的に見えるだろう。
 放り投げられたジェノが、柱に叩きつけられ、地面に落ちる。地面に伏す巨漢に向け、リューグは微笑のまま唇を動かす。
「そのクソガキに触れられないあなたは、それこそクソ以下の存在ということになりますがいかがでしょうか。過ぎたる弁舌はいつでも人の身を滅ぼしますよ。注意された方がよろしいのでは?」
 言葉を浴びながら、巨漢がゆっくりと立ち上がる。彼の目は闘志を失うどころか、ますます燃え上がっているように見えた。唾を床に吐き捨て、片手の指の骨をボキボキと鳴らす。
「おい、ロブ、てめえそっちの黒尽くめ殺れ。オレァこのガキ殺す」
「あいよぉッ、久しぶりだぜェッ!!」
 ジェノの命令一下、小柄な男が走り出てくる。ザイルを前にして舌なめずりをしながら、軽く拳を作って手首をひねった。指の付け根、拳のごつごつとした節のあるはずの場所から、鋭い四本の棘が飛び出る。
「へへへ……切り刻んでやるぜ、黒尽くめ」
 挨拶代わりの一言に、ザイルはポケットから手を出し、その少年に向き合った。
 その刹那、後ろからスパーク音が聞こえて、軽く振り返る。見れば巨漢の右腕はバチバチと音を立ててスパークし、握った棍棒が赤熱しているのがわかる。
「小悪党の使いそうな武器だ」
「同感ですね」
 呟きに帰ってくる横合いからの声。リューグがうっすらと笑い、ゆるく構えを取った。
 今にも火花がはじけそうな戦闘前の膠着の中、シキが小さく声をあげる。
「き……危険だよ、彼らだってストリートにいたはずだ、僕らと同じ世界に。君たちには今武器がないのに――」
「それで?」
 ザイルは、軽い口調で問い返した。何の問題がある、とでも言いたげに。
「そ、それで……って」
 あまりにも漠然とした一音節の問い返しにシキが言葉を失った瞬間、ザイルは畳み掛けるように唇を動かした。
「おまえ一人だけ前に出て殴られて事を収めようってか? 御免だぜ、面白くもねえ。それに、俺達も手を出してる。連中はすっかり熱くなっちまってるのさ。こうなりゃ殴りあわなきゃ気が済まない」
 ザイルは軽く首を回した。左の手のひらで右の拳を受け止め、小気味良い音を鳴らしてから呟く。
「見ていてください、シキ。今はただ」
 リューグが軽く呟き、耳障りなスパークを上げる男の棍棒に目を移した。深く腰を落とし、左手を前に出して右手を引く。ザイルにはその構えに見覚えがある。リューグがが最もよく使う構えだった。
「もう、二度と敗けはしません」
「そういうこった」
 ――危険で、傷つくかもしれない。リスキーで、勝ったって割に合わない。そんなことにはもう慣れていた。一人でも、そういう局面を乗り越えてここまで歩いてきた。
 今は、傍に二人がいる。もう一人はいなくなってしまったけれど、自分たちの心の中に、はっきりと、彼女がいた証が残っている。
 こういう奴らと一緒なら、危険で一杯の毎日でもそんなに悪くはないものだと、少し前、自分に割り当てられた部屋のベッドの上で思ったのだ。

 それなら、理由なんてそれだけでいいんじゃないか。

「リューグ、シキ」
 ザイルは二人の名を呼ぶ。一触即発の戦闘前、眼前の敵が足幅を僅かに変える。一瞬後に飛び込んでくるな、という確信めいた予想が脳裏で弾けた瞬間、ザイルは言い放った。
「俺をこれからも楽しませろよ」
 ……一緒に行ってやるんだ、安いもんだろ?
 付け加えるはずだった呟きは、次の瞬間に始まった戦闘に飲み込まれた。
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