-Ex-

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  手を伸ばす先  

「それで? 結局、何が言いたいの?」
 声が、ザイルを思考の渦から引きずり出した。
 レンがこちらを空色の目で見つめている。片目を閉じて問うさまは、先ほどのザイルの意趣返しを狙ったかのようだった。ザイルは思考を散らすように軽く首を左右に振り、自分の話をまとめるために口を開いた。
「俺は、いつ殺されるか判らないようなあの狭苦しい牢獄から抜け出そうと思った。最も単純で合理的な方法を使ってな。親父が俺で遊んで、俺が持っているはずの権利を残さず持っていくなら、奪い返せばいいと思ったんだ。その結果、親父は首筋からアイスピックを生やし、痙攣しながら糞尿垂れ流すことになった訳だ。初めて口にスターム・ルガーを突っ込まれてトリガーを引かれたときの俺みたいに。俺と親父の違いはたった一つだった。死んだか、そうでないか。……それに気付いた時に、世の中がシンプルに見えてきてね」
 ザイルは目を閉じ、父親の顔を思い出そうとした。出てくるのは、どれもこれも、自分をいたぶっている時の楽しそうな顔と、苛立ち紛れに物や自分に当り散らす時の憤怒の形相ばかりだった。……それすらも、少しずつ霞みつつある。
「……ネジが外れたみたいだったよ。俺の一番冷静で凶暴な部分を押さえるネジが。一人目を殺したら、あとは何人でも同じだった。周りの人間を見る基準はあっという間に絞られて、四つしか残らなかった。さしあたって無害なもの、自分の障害になるもの、障害にはならないが殺すと金になるもの、障害になり、かつ、殺すと儲かるもの。……殺したよ。沢山な。おまえが言ったのより、きっともっと多く殺してる。数えてもいないけど。ろくでなしの息子は、超弩級のろくでなしだった、って訳さ。……随分長く話したな。喋り過ぎだって位に」
 ザイルは息をつくと、締めくくるように呟いた。
「感情の起伏は人の命に引っかかる。殺しがやりにくくなるってことだ。だから俺はフラットにならなくちゃいけなかった。親父に殴られ続けて薄っぺらくなった感情を、親父を殺すことでナイフみたいに研いだのさ。……これが答えになってるか? レン」
 ザイルは自分の過去を辿るのをやめ、目を敷地の外れから離してレンに戻した。
 レンは感情の読みづらい無表情をして、ザイルを見ていた。
「……ええ。私の参考にならないことだけはよく判ったわ」
「そうかい」
 レンは一つ息を吸って、僅かな時間だけ目を閉じると、下唇を控えめに食んで湿らせ、「けれど、少しだけ印象と違う、とも思った」と呟く。
「どういう風に?」
 急かすでもなく問い返すと、レンは言葉を捜すように頬を掻いた。ザイルに軽く視線を寄せながら、あいまいな語調で言う。
「私はね、もっとあなたが殺人を楽しんでいるような人間だと思ってたのよ」
 心外な言葉に、ザイルは眉を寄せた。
「……確かに金になる殺しはやるが、そうでないのは滅多にやらない。憂さ晴らしに殺しなんて真っ平だしな。快楽殺人者は長続きしない。スラムじゃ淘汰されるし、市街地なら警察に見つかってお終いだ。計算して、冷静に殺せるやつだけが、初めて殺人を仕事にできる」
 殺人行為には常にリスクが付いて回る。前後の安全保障がある殺しなど、それこそ稀だ。殺せば殺すだけ、周りに敵が増えていく。職業殺人者ジョブキラーの基本原則だ。
「そうでないときって、具体的にどういう時なの?」
 レンが首をかしげて問う。簡単さ、とザイルは肩を竦めた。
「極端にハイなときだよ。俺の場合は腕を試したいと思ったときだな。……今までにそうなったのは二回。一回目のニューロ・ブーストと、ついこの間の全身の強化手術のあとだ。一回目は依頼を探すまで我慢したが、二回目はすぐだったな。眼が覚めてからすぐ、火薬の匂いのする場所に行く機会があったんだ。……で、俺はそこで喉から血を垂れ流して死んでるサイボーグと、鉈の二刀流なんてホラー映画みたいな真似をしてる殺人狂に出会ったのさ」
「殺人狂……リューグ=ムーンフリークのこと?」
 冗談めかしたザイルの言葉に、レンは目を瞬きながら返した。ザイルは軽く頷き、肘を太腿について頬杖を突く。うんざりしたような口調を作って呟いた。
「丁度、見られたからには生かしておけぬ、みたいなニュアンスの言葉を言ってきたんでね。渡りに船だし殺ってやろうと思ったんだ。ところが蓋を開けてみれば、ヤツは二回目の加速手術をした俺の動きにきっちり付いてきやがった。それどころか、向こうのほうが速いくらいだったよ。血で錆びた鉈で、九ミリの拳銃弾を自分に当たる前に弾きやがるんだ」
 思い出しても口の中が苦くなる。何とか引き分けに持ち込んだのは幸運だったが、一歩間違えばこちらが死んでいた。
 レンが神妙な顔で聞いているのを見て、ザイルは顔の前で軽く手をひらつかせる。
「そんなの当たり前だ、って顔をするなよ。おまえらと違って、俺たちは弾が当たれば死ぬんだぜ」
 ザイルの軽い口調に、レンはかすかに瞼を上げ、首を左右に振った。
「別に、そんな風に思ったわけじゃないわ。続けて」
 レンは唇の端をかすかに持ち上げながら、穏やかな口調で言う。毒気を抜かれるような微笑に少しだけ戸惑いを覚えるが、それを押し流すようにしてザイルは再び口を開く。
「とにかく、……それで俺たちは鉈と銃で戦って、結局お互い死なないまま膠着状態になったんだ。どうにか戦いを終えたあと、俺は壊れた銃を弁償しろってあいつに詰め寄った。あいつはいつものニヤケ面のまま、俺をアジトに連れて行ったよ。そこで俺はアリカに会い、クソ不味いコーヒーを飲まされた。リューグの野郎が淹れるコーヒーは最悪でな、インスタントの粉をしこたま溶かして、どろどろになった代物を持ってきやがるんだ。まったく、シキに少しは教えを請えって話なんだがな。アリカもあれは毛嫌いしてたよ。……そうこうしてるうちにリューグとアリカを狙ってきたキラーハウスのボンクラとその取り巻きに囲まれて、なし崩し的に奴らに協力して……今に至るって訳さ。このあたりの話は大体知ってるんだろ?」
 問いかけると、レンはゆっくりと頷いて、くすりと笑った。
「……ええ、知ってるわ。けど変な話、あなたの口から聞いているほうが頭に入る気がする」
 レンはベンチから立ち、小さく伸びをしてからもう一度口を開く。
「やっていることは認めたくないし、決して道徳的に褒められることではないけど……あなた、随分、人間臭いのね。彼らのことが大好きでしょ」
 レンが発した言葉にザイルは目を数度瞬いた。ストレートな言葉には一切の装飾がなく、思考に真っ直ぐに突き刺さる。
 皮肉が出てくるまで、数秒の時間を要した。
「冗談だろ。出だしから終わりまで引っ張りまわされっぱなしだ。俺が連中のことを大好き≠ネんてプラスの感情で見てると思うのかよ?」
「思うわ。だって――」
 レンは透き通るような笑みの上に手を添え、高くなりつつある日差しから遮ると、形のいい唇を滑らかに動かした。
「さっきまで、この世の終わりみたいな顔で話をしていたのに、今はなんだか友達を自慢する学生みたい」
「……」
 ザイルは思わず頬杖を解き、自分の頬に手を当てて幾度か表情を確かめるようにした。レンは大きく伸びをすると、長い髪をさらりと流して、腰に軽く手を当てる。
「あなたの事が少しわかった気がするわ」
「さいで」
 ザイルは肩をひょいと竦めて、レンに続いて立ち上がった。
 ……この後どうすればいいか、という答えを誰も教えてはくれない。レンはその話題には触れなかった。メルトマテリアルから目を背けるにせよ向き合うにせよ、それを教唆することを禁じられているのかもしれない。
 決定権はあくまで自分たちだけにある。誰にも、それを左右できない。
「ぶっきらぼうで皮肉屋だけど、すごく不器用で、自分の感情を認めたがらないタイプよね」
「……セラピストかよおまえ。残念だけど的外れの大外れだぜ」
「本当にそうかしら? ……さ、休憩はおしまいよ。私、シャワーを浴びて休みたいから」
 レンは底意地の悪い表情を見せると、付いて来い、とも言わず歩き出した。
 ザイルが後に続くことを疑ってもいないという調子――或いは妙なことをすれば即座に鎮圧できるという自信の表れか――である。
 黙ってレンの後ろに続いて歩き出しながら、ザイルは顎に軽く手を当てた。
 誰も答えの所在を教えてくれない。けれども、それはもしかしたらものすごく簡単なものかもしれなくて、自分の足元を見てみたら、拾い上げられそうなくらいの距離にあるのかもしれない。
 長谷川四季。リューグ=ムーンフリーク。
 そして、今はもういない逸彼在処。
 彼らと過ごした時間は、酷く短時間で、決断を下す根拠とするにはひどく曖昧なものだ。
 自分にはまだ、この狭き門に背を向けて今まで通りに生きていく道が残されている。今まで通り一人で殺して一人で生き、ずっと孤独に過ごしていく事だって出来るはずだ。
 自分を生かすのは自分だけという、懐かしいあの孤独に戻っていくことが出来るのだ。
 ――それでもいいんじゃないか。
 今から不確実な未来に自分を投げ込むよりも、既知の領域で静かに、慎ましく殺して生きていくほうがよほどマシに道を選べるのではないだろうか。
 ザイルは考えた。
 そうなった自分を思い浮かべた。何も変わらない、今まで通りの殺人鬼の姿を思い浮かべた。とても簡単なことだ。暗い部屋の中で、一人で銃を握り、煙草をくゆらせている光景だ。

 ……そこにはいない。
 彼以外の、誰もいない。
 
「……広いよな」
 ザイルはポツリと呟いた。
「何が?」
 肩越しに振り返ったレンが不思議そうな目を向けてくるが、ザイルは口元に諦めたような笑みを浮かべて首を横に振った。
「なんでもない。……付き合ってもらって、悪いな」
 呟いた矢先、レンが意外そうに口を開けて、隠すように手を当てた。さも驚いた、とでも言いたげな演技過剰な仕草だ。
「喋ってる時にそのくらい殊勝だったら、私の顰め面がもう少し減ったのに」
「気まぐれだから、いつもこうだとは思わないでおいてくれ」
 ザイルは歩きながら、少しだけ目を閉じる。陽光に透ける瞼が、視界を赤く閉ざした。
 決意というには曖昧すぎて、気まぐれと呼び捨てるには重過ぎる。ザイルの中で凝り固まったのはそういう思いだった。
 この凍京の地面は、一人で這いずるには……
 ほんの少しだけ、寒くて広すぎるのだ。
 ザイルは目を開き、揺れる眼前の赤髪を眺めながら、そそり立つ巨大なビルの方へと歩いていった。
 太陽はアスファルトを焼き始め、空は透き通り、千切れ雲が流れていく。
 陽光を浴びて、殺人鬼は薄く笑った。
 出した回答の答え合わせは、時間が勝手にしてくれることだ。ポケットに手を突っ込みなおし、歩調を速めてレンと並ぶ。
 二言三言の言い合いを交え、彼らの背中はゆっくりと、天を突くコンクリートの塔の中に吸い込まれていった。
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