Nights.

| next | index

  TOMOSHIBI U  

 下に光が見えたとき、おれはバーンドチェインの出力を上げて空気を蹴った。小爆発を起こし、落下速を徐々に弱める。五度ほど繰り返すと、なんとか危なげなく着地できるレベルにまでスピードが落ちた。
 身体をひねって姿勢を整え、石畳の上に降り立つ。ゆっくりと顔を上げると、そこはドームの中だった。ざっと見て半径二十メートルほどの開けた空間だ。おれが落ちてきたはずの真上の穴は、見上げたときには既に閉じていた。
 しばらく周りを見回していると、不意にオレンジ色の光が目の端を焦がす。感じた熱に振り向くと、空中に光が集まっていくのが見えた。
 光は徐々に人の形へと変わっていき、一際強い輝きと共に弾ける。思わず目を庇ってしまうほどの光量だった。
 光が収まるのを待ってから、ゆっくりと目を向けなおすと、そこには――
 少女がいた。年は多分おれより下だろう。小柄で、かすかにシャギーのかかったショートカット。えんじ色のダッフルコートを身に纏っている。手には重そうなフックを結びつけた赤い紐――バーンドチェインが握られている。幼いながらに凛々しい感じで唇を引き結び、焦げ茶色の瞳でこちらを見つめている。
 だが、その、なんというか。
 正直、威圧感などまるでなかった。
「……子供?」
 視線の先で、少女がコケた。
「こ、子供……って。いきなり子供はないと思います。あたし、これでも高三なんですから」
「マジで?! ……おれ高二だ……」
「じゃあ、少なくともここではあたしのほうが年上ですねっ」
 えっへん、とばかり胸を張るちんまいの。身長一五〇センチをちょっと越えたあたり。
 思わず頭を撫でてやりたくなるのだが、多分やると怒られる上にそんなことをしている場合でもない。
「……あんたがおれの練習相手?」
「はい。バーンドチェインのユーザーでした。三年間くらいかな……一九九四年から九七年までです。名前は……コザト。そう呼んでください」
 コザトと名乗った少女は、ダッフルコートの前を軽くはだけて、とんとん、と数度ステップを踏んで、確かめるように頷いた。
「……あなたの名前は?」
「康哉。アツギコウヤってんだ。短い付き合いになるか長い付き合いになるかどうか解らんけど、よろしく頼む」
 よどみなく答えると、コザトは花の咲くように微笑んだ。
「こちらこそ。……でもらくらく上達できると思わないでくださいね。一生懸命やらないと、怒っちゃいますから」
 言うと、コザトはフックを宙に放ち、振り回し始めた。フックが赤熱し、虚空に軌跡を描く。おれとはまったく違う、バーンドチェインの使い方。
 こくり、喉が鳴った。心音が高まる。
霊結等級エーテルゲインWフォース焔輪レッドブロッサム――サクラコザト。行きます」
「エーテルゲイン・セカンドプラス……」
 復唱気味に自分のレベルを述べて名乗ろうとして、通り名なんて持っていないことに気付く。しかしなんとも、名無しの康哉と名乗るのは収まりが悪い。
 引っ込みが付かなくなって、おれは思いついた名前をそのまま叫んだ。
全弾装填ホットローダー! アツギコウヤだ、行くぜ!」
 視線の先で、コザトが大人びた笑みを漏らすのが見えた。

 ありったけの力で地面を蹴り、トップスピードまで加速、肉薄する。
 速度に驚いたのか、コザトは眼を丸くしたがそれも一瞬。手に持ったバーンドチェインを器用に操って、フックを叩きつけるようにこちらに向けて振るう。回転の勢いを殺さない、重みの乗った一撃だ。
 身をかがめながら左前に向けて地面を蹴り、フックを回避する。耳元が異質な火に焼かれてちりりと熱い。左に回り込んでステップの流れを整え、左足で回し蹴りを繰り出そうとした瞬間、衝撃が後ろから来た。
「……ッ!?」
 バランスが崩れた。そのまま相手とすれ違うように前に跳ぶ。空中で一転、身をひねってコザトに向き直った瞬間、おれは目を見張った。
 フックが、追いかけてくる。顔面直撃のコースで直進してくるのだ。
 着地した瞬間に顎をそらして避ける。顔の横を赤熱した鉤爪が通り過ぎた瞬間、コザトは硬い声で言った。
「これで、一回」
 ぐん、と彼女がバーンドチェインを持つ手を自らの手元に引き寄せた瞬間、またもフックが軌道を変える。逃れようと地面を蹴るが、それよりも早く相手のバーンドチェインがおれの首に巻きついた。
「がっ……!」
 電熱線を首に回されたような感覚が走り、思わず首に手をやるが、固く巻きついた紐はおれの首から離れようとしない。前向きに痛烈な力がかかり、おれは地面に引き倒された。
 ……なるほど。
 これで、一回死亡、、、、か。
「動きが直線的で、いちいち派手です。予備動作が多いし、その速度に特別気を払ってるようにも見えません」
 ぶっ倒れた姿勢から見上げると、コザトは訥々とおれの問題点を語る。彼女が右手を軽く揺らすと、赤い紐はまるで生きているかのようにうねり、首からほどけていった。
「気付いてると思いますけど、バーンドチェインの特性はその速さにあります。少なくとも、あたしはそうでした。厚木さんは、その速度をむだな動きで潰してしまっていると思います」
 コザトはこちらに歩みより、屈みこんだ。左手の人差し指をピッと立てる。
「スピードは、武器です。攻撃の軽さは速度で補えます。コンパクトに動いて、トリッキーな動きをそれに取り混ぜる……まず、それを心がけてみてください。ステップのお手本は、厚木さんが頑張ったら、そのうちイヤでも見せることになると思いますから」
 フックを引き寄せて、コザトがゆっくりと立ち上がる。
 おれは首元をさすりながら、それに続いて立ち上がった。軽く地面を蹴って後ろに跳ぶ。最初と同じ間合いを取り、構えを取り直す。
「肝に銘じとくよ。……もう一回だ。マジで行くぜ」
「何度でもどーぞ」
 にっこりと笑顔を浮かべるこの少女に、一泡吹かせたくなってくる。自分の内側から湧き上がる衝動のままに、背中の飾り帯を伸ばし、自分の手にきつく巻きつけた。
紅炎爪翼バーストファングッ!」
 名を叫ぶ。飾り帯が高熱を発すると同時に、再び前に向けて駆け出した。コザトが腕を振るう。右側から、フックが顔面目掛けて襲い掛かるのを、帯を巻いた拳でアッパー気味に打ち上げ、潜り抜けることで回避する。
 さらに前進、相手がフックを引き戻すよりも速く、踏み込む。コザトの顔が僅かな驚きに染まった瞬間には、もう射程内だ。
「飛べッ!」
 地を這うほどに身を沈め、速度と脚のバネを活かして膝蹴りを繰り出す。
 コザトはバーンドチェインを巻いた手でそれを受け止めるが、その程度で止められるヤワな衝撃じゃない。スピードとおれの跳躍力を全て活かした一撃だ。コザトの足が地面から離れ、吹っ飛ぶような勢いで身体が宙に舞い上がる。
兵器戦術マニューバ・ウェポン!!」
 叫びと同時に、吹っ飛んだコザトを追って宙に飛ぶ。いまだ上昇を続ける敵に追いつくほどの速度で跳び、全力を右足に込めた。
"殺し"のキラーズ――」
 相対距離一メートル。捉えたと確信した瞬間、姿勢制御を交えて右足を振るう。理想的な角度から、真っ二つにするような勢いで、
地対空弾道弾パトリオットォッ!!」
 爆炎を撒き散らしながら足を振るう……瞬間、目の前からコザトの姿が消えた。空中に炎の花が咲く。しかし、足には何の反動も帰ってこない。
 避けられた? あの態勢から?
 反射的に下方を見ると、どんな芸当を使ったのか、コザトはフックを地面に打ち込み、それを足がかりに急激に地面へ身体を引き戻していた。
 舌打ちをする間も無く、空中で身をひねって追撃にかかる。空中を蹴り、足下で爆発を引き起こしながら空を駆け下りる。加速と同時に身の回りに高熱を生み、赤い飛行機雲ヴェイパートレイルを曳きながら。
 コザトが地面につき、こちらを決然とした瞳で見据える。地面にめり込んだフックを引き抜くように力を込めるのが見えた。
 ――抜く前に叩く!
"破壊"のデストロイドッ――」
 さらに二歩分、宙を蹴る。空気が破裂音を立てる。身体を振り、空気抵抗を利用して身を翻した。右足を力いっぱい突き出せば、跳び蹴りの態勢が完成する。
 真怨――ユイ=アイボリーパペットの防御を叩き壊した技の名を、叫んだ。
空対地弾道弾マーベリックッ!!!」
 ヴェイパートレイルの全てが、速力の全てが、足先に集中するイメージを感じる。咆哮するままに、おれはコザトへと急降下した。
 自分の持てる最強の力を、ここに結実させる。その瞬間だけ、おれは弾丸になる。誰にも止められない、一発の弾丸になる。そう、固く信じていた。
 ――その時までは。
「……それくらいじゃ、なんにも壊せませんよ」
 その声を聞いた瞬間、喩えようのない怖気が背筋を這い登った。視線の先で、フックが突き刺さった石畳が光沢を帯びる。刹那の後には、湯煎されたチョコレートが溶けるように、石畳があっけなく融解した。フックが赤く煌いて顔を出す。
"火廻"ヒマワリ
 聞き逃してしまいそうなほど密やかな声で、コザトは囁いた。
 フックが空中で一転する。まるでおれとは違う時の流れの中で生きているかのように、彼女はおれの視線の先で三度、、、フックを大きく振り回した。軌跡はさながら夏の太陽に照り映える向日葵のよう。赤というよりもより黄に近い、白熱した金の炎が渦を巻く。
 最大加速のデストロイド・マーベリックを前に、なおもコザトは動いた。自分の速度が鈍ったかのような錯覚を覚える。――そう感じてしまうほどに、彼女は速い。
 コザトはフックの遠心力を活かし、流麗なダンスめいたステップワークで身を引いた。それだけの動作で、おれという弾丸の射線上には何もなくなった。
 ――衝撃!!
 地面に踵を叩きつけた瞬間、石畳が砕けてまくれ上がり、巨石が落ちるような轟音が響き渡る。
 全身全霊を込めたこの一撃が、行き場を失うとはどうして考えられようか。止まることなど、最初から考えていなかった。弾丸は何かにぶち当たるまで、直進するしかないのだから。
 無数と宙に舞い上がる石畳の砕片。その石くれのカーテンの向こう側で、温度のあまり赤熱したフックが血の色の輝きを放った。
「――二、回、目ぇっ!」
 石粒など何の盾にもならない。舞い上がった細片を溶かし、大きなものは溶断し、フックがおれに迫る。
 デストロイド・マーベリックを使った直後には、ほんの一瞬だけ隙ができる。加速して溜め込んだ運動エネルギーをすべて相手に叩きつけた後の硬直だ。逃れようと地面を蹴る暇さえない。
 ――情けない話だが、俺はフックが迫ってくるのを目を開けて見ていることさえできなかった。
 頭を庇うようにあげたガードの下をすり抜け、左脇腹にフックがめり込むのだけを感じた。体が真っ二つに折れてしまいそうな衝撃を最後に、意識が吹っ飛んだ。

 ブラックアウトする感覚の中で、コザトの溜息を聞いた気が、した。
| next | index
Copyright (c) 2007 TAKA All rights reserved.