Nights.

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  TOMOSHIBI  

 病院の自動ドアを抜けると、粉雪が降っていた。灰色の空から落ちてくる白い雪のかけらを思わず上げたてのひらに受ける。冷たい風の温度と合わさって区別が付かないほどの淡雪だったが、それでも否応なしに季節の変化を感じさせてくれる。
 十二月二十日。予定より一週間早い退院だ。医者が身体の仕組みを調べたそうな顔をしていたのが印象深い。
「雪か」
 後ろから出てきた笹原が白い息を漏らしながら呟いた。相変わらずの仏頂面で、キャリーバッグを片手に虚空を見上げている。
「このままいくと、ホワイトクリスマスになりそう。……少し楽しみ」
 その傍らには澄嶋さん――ユガラと呼べと言われている――が寄り添い、笹原の荷物の余りを手にしていた。羨ましい話だね。二人でホワイトクリスマスを祝ってろ。
 ぼやきがちになるのも許してほしい。今日は火曜日。平日だ。もちろんおれに迎えなんか来ていない。おかげで溜まった着替えだとかそういう荷物をまとめて背中に背負う羽目になっている。
「今日から分室のほうに顔出すのか?」
「当然だ。レポートの類は済ませてある、問題ない」
 笹原に問いかけると、なんとも優等生然とした返答が帰ってくる。日中、談話室でカチャカチャとキーボードを叩いてたのはそのためか。
「そりゃなんともご苦労なことで……大学生ってのはゴロ寝して昼ドラ見てられるような優雅なもんだと思ってたけどな」
「人によるだろう。結論、どこにいっても楽はできる。楽で終わらせるか突き詰めるかは当人次第だ」
「笹原はいつもこうだから。私は、時々だらけてしまうけれど」
 ユガラさんがなぜか自分を誇るような顔でそんなことを言う。この生真面目男のどの辺がいいのか、一度問い詰めてみたいところだ。溜息をつけば、十二月の空に届く前に白く散る。
「おれは楽する側で十分だよ……それじゃ、また夜にな」
「ああ」
「またね、厚木君」
 仏頂面と微笑みに見送られ、おれはクソ重い荷物を担いで歩き出した。バックパックにドラムバッグ、大谷から差し入れの紙袋、病院で消費し切れなかった諸々の嗜好品……一人で持って歩くには無理のあるこの重量。病み上がりには堪える。後ろの二人を軽く振り返ると、ぎこちなく会話しながら西門のほうに歩いていくのが見えた。孤独感が煽られた気がする。
 正門に出るあたりで既に息が上がり始めていた。早くも休憩したくなりつつ、俯きがちに家の方面に足を向ける。と、その瞬間に左右の腕が軽くなった。
 目を瞬いて左右を見ると、見知った顔が二つ、笑っていた。
「宅配サービス、今なら安いぜ」
「僕が持ってったジュースとか、まだ余ってるよね?」
 大谷と字坂がにっかり笑って、そこにいた。
「……おまえら、学校どうしたんだよ」
「サボった」
「授業受けてるよりは退屈しなくて済むと思ってね」
 簡潔明瞭な大谷の言葉を追いかけるように、字坂が憎まれ口を叩く。大谷は紙袋に続いておれの肩からドラムバッグを取り上げると、ジャケットの襟をかき寄せた。
 ちょっとした坂道に差し掛かる頃、大谷がまた口を開く。
「ノロノロ歩いて家に着くまでに風邪ひいて二次災害なんてことになったら、また面倒だろ。……つーのも、お前の妹さんの受け売りだけどな」
「佳奈の?」
「競技会じゃなかったら迎えに行くんだけどってさ、済まなさそうに電話がかかってきたんだ。まあこれは男として行ってあげなきゃ嘘かなぁと」
「陸上部のホープなんだろ、佳奈ちゃん。オマエのことだから『おれのことはいい』だとか何とか言ってなおさら心配させたとか、そういうオチじゃね?」
 へらへらと笑いながら喋る字坂に空いた右手でチョップを入れてやるのもそこそこに、おれは言葉を飲み込んで押し黙った。
 大谷の言葉が核心を突く。確かに『競技会なんだから自分の心配だけしてろ』と言った覚えがあった。
「まーなんだ、最初からオレたちに頼めば妹さんが気ィ揉むこともねェんだからよ、もっと気軽に言ってこいや」
「公然とサボれる理由にもなるしねー」
 ピアスを光らせて笑む大谷と、一言多い字坂。もう一発チョップを入れてやろうとしたら、字坂はひらりと身をかわして肩を竦めた。
「それだけ元気が余ってるんだったら、早く道場にも顔出してね。僕たちにばっかり負担がかかるんだから」
「師範、厚木がお気に入りだからよ……オマエがいないとオレたちが死ぬほど磨り減るんだわ」
 げっそりとした表情で大谷が呟く。
「そりゃ悪いことしたな」
 けどお前らがあんまり練習に出ないのも一因だと思うぞ、とは言わなかった。言っても多分聞かないだろう。
「ま、なんにしろ五体満足みたいだし、すぐに練習にも戻ってこれそうだ。何よりだよ。家、上がっていってもいいかい?」
 字坂が首を傾げて聞いてくる。軽くうなずきを返した。
「ああ、別にいい。大して面白いもんもねぇけどな」
「そういや厚木の家にはしばらく寄ってねェな。いつもオレんちかゲーセンとかで遊ぶし」
「大地のとこは一人暮らしだし、気兼ねないんだよね。うちは姉貴がいるからさぁ」
 字坂は苦笑がちに頬を掻く。おれと大谷は顔を見合わせた。なんだかんだで、字坂の家に寄ったことは今までで一度もない。というより、家の話になるといつも字坂がはぐらかしてしまうので、突っ込んで聞くこともできず今日に至る。
「ま、うちの話はどうでもいいんだ。退院祝いってことで、コンビニでなんか買い足して行こうか」
 今日も例外ではなかったようだ。強制的に家の話を打ち切る字坂を横目に、おれと大谷は目を細めてひそひそと言葉を交わす。
「前から思ってたけど、怪しいな」
「怪しいねェ」
「今度、尾けるか」
「得意分野だぜ」
「……ふ、二人ともー? おーい?」
 慌て始める字坂を尻目に、尾行の計画なんぞを丸聞こえの距離でぼそぼそと練る大谷とおれ。
 食って掛かる字坂をかわし、大谷と失敗確定の計画を大声で喋りながら歩いていく。坂道は、もう終わっていた。


「来たな」
 午後九時三十七分、歪んだ時計の針が時間を刻んでいる。靴の裏に触れる木床の感触に目を開けたおれを出迎えたのは、どこか懐かしく感じられる黒さんの声だった。
「遅いぞ、厚木」
 今朝分かれたばかりの硬い声が、黒さんの言葉に続く。
 カウンターには笹原の姿があった。黒いジャケットとジーンズを纏い、ごついウォレットチェーンを腰から垂らすといったいでたちだ。
「悪いね、ちょっとヤボ用でさ」
 肩を竦めて応答すると、笹原は手元の湯飲みに手を伸ばして一息に飲み干し、席を立った。置いた湯飲みが鈍い音を立てる。
「茶を一杯嗜む時間になったと思えば、悪くもないが」
「おれには紅茶なしかよ?」
「オレより遅く来た不幸を呪え」
 飄々と言ってのける笹原を睨むが、まるで堪えた様子もない。溜息混じりにカウンターに歩み寄る。
 黒さんがエプロンのポケットを探りながら、カウンターの内側から出てきた。
「さて。まずは退院おめでとう。病院生活はどうだったかね?」
 言葉と共にポケットから取り出したのは、二つの魔具――灼けた鎖バーンドチェイン迫撃手甲インパクトグラブだった。ここ二週間と少し、身に着けていなかったおれたちの武器である。
「まあ、休暇になったと思えば悪くない二週間だったと思うけど」
「……それでもフラストレーションは溜まりました」
 おれの言葉を継いだ笹原が、溜息混じりに言う。まったく同感だった。
 合わせるように頷いてみせると、黒さんは嘆息して肩を竦めた。やや目を細めて、静かに、しかし強く語り始める。
「経験の浅い猟人だけで談合して結論を出し、独断専行をした結果だ。重く考えて欲しいものだな。一人ないし二人の先行で、組織が崩壊することも十分にありえる。そこの所をよく考えて、もう一度これを手に取りたまえ」
 黒さんが二つの魔具をカウンターに置く。重みのある言葉が静寂を呼んだ。すぐには魔具に手を伸ばせない。
 病院の屋上でジークが語った過去が脳裏に浮かぶ。今回のおれの行動は、一歩間違えばああいった状況に繋がっていたのだと思うと、寒気がする。
 横にいる笹原も、沈黙を保ったまま瞑目している。眉間によった皺が、今回の失策を悔いているようにも見えた。
 肉体を持つ真怨は日の下を歩けるが、光を浴びながら戦うことはできない。闇の下でなければ、彼らは本来の力を使えない。一部の例外を除けば、だが。
 そして黒さんの見立てでは、ユイ=アイボリーパペットはその例外に値するほど高位の真怨ではない、とのことだった。脅しに屈さず連絡をしていれば、態勢を整えることもできただろう。後悔が募る。
 もしもあの時こうしていれば、とIFの話が頭の中で堂々巡りを始める頃、黒さんが静かに口を開いた。
「重要なのは後悔することではなく、反省することだ。同じ過ちを繰り返さぬようにできるなら、それだけで人は前に進んでいける。ジークも、俺も、そして君たちも、皆生きている。過剰な自責に囚われることはない、ただ自戒したまえ。説教は、これで終わりだ」
 静寂を断ち切る、凛とした声が響く。
 すぐに後悔を無かったことにできるほどおれは図太くはないし、笹原だってそうだろう。けれど、黒さんの言葉は厳しくも優しかった。遠くにあるように見えた魔具が、手元に戻ってきたような感じがする。
「……了解っす」
「……肝に銘じておきます」
 しばしの逡巡のあと、愛用の魔具に手を伸ばした。二本の赤い紐を掴むと、今まで失くしていた半身を取り戻したような安堵感がある。屈んで、足首にほどけないように結び付けた。
 立ち上がると、隣ではインパクトグラブをはめた笹原が、確かめるように数度手を握り、開きとしている。
「よろしい」
 黒さんがゆっくりと身を翻し、カウンターの向こう側へ戻る。口元に余裕ある笑みを浮かべ、唇を開いた。
「さて、小言も終わったことだ。本来なら復帰を喜びつつ転送を始めるところなのだが、今日は君たちを仕事へ送るわけにはいかない」
 出てきた言葉に面食らったように笹原が目を瞬かせる。
 真意を確かめるように黒さんに視線を絞ると、茶葉の質を見定めているときのような目で見つめ返された。
「今回の襲撃で実感したことだが、我々のような少数精鋭の分室のメンバーには、いざという時に個人で難敵を撃破ないし沈黙させることができる実力がなければならない」
 黒さんは腕を組み直すと、左の二の腕を人差し指でタップした。もったいぶるような、ゆっくりとしたペースで。
「そこでだ。原理の説明は省くが、君たちから魔具を預かっている間に、俺は君たちの魔具の過去をさらった。これから君たちには、その『過去』と戦い、実力を磨いてもらう」
 黒さんの目には底意地の悪い光があった。
 反射的に悟る。本当の反省会はこれから行なわれるらしい。
「すみません。意味がよくわからないのですが」
「理解するよりも感じたまえ。Don't think, feel、だ。過去の偉人の言葉だよ」
 笹原の抗弁にも黒さんは涼しい顔のままだ。
 おれがその偉人とやらが誰だったかを考え始めた瞬間、黒さんは意地の悪い笑顔を崩さず、右手を挙げる。
「長い戦いになるか否かは君たち次第だ。考え、動き、己を磨きたまえ。健闘を祈る」
 黒さんはスナップを効かせ、小気味よく細い指を鳴らした。それと同時――タイムラグなしに、床の感触が失せた。
「うおっ?!」
「なッ?!」
 最後に見たのはひらひらと手を振る黒さんと、珍しく焦った表情の笹原だった。
 重力に吸い寄せられて落ちる。すぐに視界は真っ暗な闇に支配された。遥か上に、数秒前までいた分室の光が星明りのように光るのが見える。
 落下速が飽和して浮遊感になる頃に、思い出した。
 ああ――そうだ。
 ブルース=リーだったっけ。
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