Nights.

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  They said, "Goodbye, love."  

「うっわあ」
 十三番分室拠点『ねじれの位置』スパイラルタイムに、間延びした声が響いた。
 声を上げたのは黒髪の女である。きつめの、だが愛嬌のある顔立ちを歪めて、痛そう、と続ける。語尾を濁すように紅茶を一口含むのは、霊結等級Wエーテルゲイン・フォースを誇る才女、リリーナ=スクラッドであった。暗めの青をしたフレアスカートと白レースのカーディガン、黒のインナーを着ている。いつもながらこの少女は何を着ても似合う。ゴシック・ロリータ以外は。
 六牟黒はカウンターの内側で、グラスを磨きながらテレビの画面を見つめた。
 康哉が今まさに、その意志力の全てを断たれて光と散るその瞬間のことである。
「派手にやられたなあ。バラバラ殺人事件やんか」
 その状況を端的に評した声がある。イントネーションは関西弁で、ややハスキーな、よく通る声色だ。
 その声の主は、リリーナの隣のスツールで、煎餅と緑茶という渋い取り合わせを嗜んでいる。
 名は長谷部神海。今日もいつもの通りのジーンズルックで、タイトなハイネックがよく似合っていた。リリーナと同じくエーテルゲイン・フォースの位階を戴く女性である。顔は街中で二人に一人が振り返る、どこにでもいるありふれた美人、という風情であったが、彼女の髪の色でその二人に一人の割合は十人に九人までに跳ね上がる。ポニーテールでまとめた長い髪は人工的な色彩だ。真っ青に染めた長い髪とくれば、目立たないわけもない。高い位置で結った髪は侍の髷に少し似ていた。不良剣道女、というレッテルが簡単に浮かぶと、六牟黒は近頃とみにそう思う。
 もともと少数精鋭で回っているこの十三番分室、現在詰めているのは以上の二名である。ジークは既に哨戒に出ているし、光莉は今日は休むとあらかじめ連絡を入れて来ていた。黒は古ぼけた真空管テレビの電源を切った。神海の希望で流していた厚木康哉の訓練風景がぶつんと掻き消える。
「それでも上達したものだ。彼は学ばぬ少年ではないよ。事実、すでにあのサクラコザトに一撃加えることに成功している。早くても一月半ば、と俺は踏んでいたのだが」
 彼がこの訓練を始めて、まだ四日目だ。驚異的な上達だ、と思う。何度も今日のようなひどい敗北を喫しながらも、折れず曲がらず、何がいけなかったのかを分析する能力が彼にはある。
「……一週間も経ってないじゃない? ワケわかんないくらいの成長っぷりね、あいつ。アタシたちが父さんに一撃入れるまで、どのくらいかかったっけ」
「二人がかりで半年だ。まったくあの頃の君たち――特に君と来たら無鉄砲かつ無闇矢鱈と突っ込むから、片方ずつ釣瓶撃ちで終いだった。そこに来ると際立つな、彼は」
「……薮蛇だったわ」
 げんなりした風にリリーナは肩を竦める。表情に苦味がある辺り、当時のことを思い出しているのだろう。
 十三番分室にジークとリリーナが来た時、彼らの危うげな面を監督してくれと上層部から依頼されたのは他ならぬ黒である。かなりの実戦経験があったジークと比べ、兄に並んで強くなりたいと急く少女を宥めすかすのは大変に骨が折れた。それも気付けば、もう四年も前の話になるのだ。
「あのじゃじゃ馬が押しも押されぬエースの一人となるとは俺も想像できなかったものだよ。どうだね、神海」
「せやかてウチが来たころにはもうリリーナは立派にやっとったやんか。兄貴を尻に敷いとったんもあのころから変わらへん。同じ質問、みつりんに投げたったらよかったなあ」
 パリ、と音を立てて煎餅を一口。茶を啜り、神海は続ける。
「女の子にじゃじゃ馬扱いはちぃとデリカシー足りひんのと違う? 黒ちゃん」
 流し目くれながら笑う神海に、黒は先ほど思い浮かべた、彼女を表す端的な一言を口にしていなかったことを幸運に思った。他人を評す言葉にさえ耳敏いこの女性が、自分のこととなったら機関銃のごとく喋りだすのを黒はよく知っている。
「そういう時代もあったということだ。光莉に聞いてみるといいだろう」
「なによ、ジークいじめられないからってアタシの昔持ってきていじんなくてもいいじゃない」
「俺は押し並べて全てのことに対して平等な男だよ、リリーナ。ジークを扱き下ろすこともあれば君をあげつらう事もあろう。そういう日だったと諦めたまえ」
 涼しげな声に、リリーナは暫く頬を膨らませていたが、左手の時計を見て軽く目を瞠った。
 カウンター越しに人の時計を覗くのはもう既に特技の一つだ。小さな銀時計は午前二時を示している。
「うっわ、もうこんな時間。クロ、今、ジークどのへん?」
「町内の哨戒を終えたようだな。近郊には発生しかけの昏闇が五体ばかりいたようだ。全て結実する前に吹き散らしている。今は駅前で煙草を吸っているよ」
「悠長なことしてないでとっとと戻ってこい、って伝言お願い。アタシ、明日も朝早いのよ。アイツのごはん作ってあげないと」
「なんや、朝からデートかいな?」
 神海がからかうように笑って口を挟むのに、リリーナは肩を竦めて首を振った。
「そんなんじゃないわ。……クリスマスシーズンでしょ、高校生とかよく来るのよ、うちの店」
「あや、バイトまた初めたん?」
 神海の意外そうな声がカウンターにぶつかって跳ね返る。リリーナは小さく笑い、軽く頷いた。どこか嬉しそうにも見える。
「やめて半年だけどちゃんと席残しといてくれたの、店長がね。由里ユリちゃんなら大歓迎さあ、って」
「いい店長ではないか。その偽名のセンスはともかくとして」
 リリーナ→リリィ→百合→由里。
 緩ーく笑った黒を一睨みして、リリーナは腕を組んだ。
 彼女には猟人としての働きで得られる収入だけで日々を十二分に賄える――兄の分を含めればかなり裕福に暮らせるだけの余裕があるのだが、堕落したくない≠ニいう一念によって、飲食店でのアルバイトに精を出している。どこかの煙草大好き酒大好き睡眠大好き男とは天と地ほどの差があった。
 同じ親から生まれて何故にこうも違うのか。片方が勤勉だと片方が堕落するのか。働きアリと怠けアリの原理と同じなのか。黒の疑問の種は尽きない。
「別にいいでしょ、可愛いじゃない。アタシは日本語が好きなの」
「よくもまあここまで流暢に話すようになったものだと思うがね。……それより、時間を気にしていたが、ここで悠長に喋っている余裕はあるのかね?」
「……なんか今日のクロ感じ悪いーホント感じ悪いー。言われなくたって退散するわよ」
 歯をむき出して「いーっだ」とやるその仕草も、どことなく可愛げがあるから憎めない。同じことをジークにやられたら飛び切り苦いコーヒーを淹れてやるのに、と黒は苦笑した。
「コウミ、時間空いたらウチ、来なよ。クリスマスフェアは二十七日まで開催中! 今年はシングルベルかしら?」
「アホ、適当な男連れまわすに決まっとるやろ。ま、イブを外すンやったらみつりんと一緒でもええなあ。明日にでも言ってみるわ」
「はいはい。妥当なオトコが見つからなかったらイブにもいらっしゃい。自己申告があったらパフェくらい出してあげるから。そんじゃ、お先ね」
「誰が言うかそんなん!」
 あはは、と弾むような笑い声を残してひらっとリリーナが手を振る。スツールを立って彼女は『外』に繋がるドアへ歩き、その向こう側へ姿を消した。その扉の向こう側は、彼らにとっての『帰るべき場所』である。リリーナは今頃、慣れたアパートの部屋に入り、何を作ろうか思案しているころだろう。兄のために。
 最後のグラスを磨き終えた黒の前に、だん、と音を立てて神海が湯飲みを置いた。
「……あーまったく、あのバカが逃げんでおれば好き勝手言わさんですんだっちゅーに」
 その話には覚えがある。先頃彼女は出向先で一人の年下の猟人を捕まえ、あっという間にカップル成立、それから間もなく二人共々真怨との遭遇戦に入って、怖気た男が逃げ出して、神海は一人で真怨を斬った。除隊届けと、複雑な顔の出向先室長、呆然とした顔の神海。想像するだに愉快な光景だったが、口に出せば衝雷槍ゼファーが飛んでくるのは間違いない。賢明にも黒は口を閉じ、かける言葉を考えた。
 見ての通り、恋多き女である。黒は慨嘆するように溜息をつくと、湯飲みに新しい茶を注ぐ。
「恋愛とはままならぬものだよ。それでも多少は好き勝手に出来るだけの容姿を持っているのだから、贅沢を言うものではない。それにな、そういうときはこう思うものだ。『共にした危機から逃げ出す男に自分の貴重な時間をこれ以上浪費しなくてよかった』と」
「わァーっとるわそんなん。……あぁもうほんまにみつりん口説いてあっちの道ひた走ったろか」
 湯飲みを引き寄せて豪快に茶を啜る女に、黒は少し苦目に笑って見せた。
「生産性のない恋愛だな。個人の自由だが」
「ええやん、不毛な愛。本人が満たされとりゃそれが一番ええねん、こういうんは」
 戯言を転がすような恋愛観に付いての意見のやり取り。お互いあまり考えていないことが明らかな言葉が四度五度飛び交うころ、神海は不意に、思い出したように呟いた。
「そういや、志縞どう? 一応アレここに引っ張ってきたんウチやし、ちょっと経過が知りたいんやけど」
「……ああ、そういえば話していなかったか。いや、改めて思うがね、逸材だよ。君といい光莉といい、人材探しのコツを教えて欲しいほどだ」
 まだ続いているが、見るかね? と続けてやると、神海は一も二もなく頷いた。
 黒が真空管テレビを点ける。無音のテレビから、白黒の映像が流れ出す。
「黒、色つけたって。音はいらへん」
 先ほど、康哉のときは言わなかったような言葉を紡ぐ神海に、黒は小さく笑った。……気になって気になって仕方がなかったのに、今まで後回しにしていた志縞の成長振り。それを見たがる目は、あのころ――三年前までここにいた、彼女の前任者イチノセ・アリスによく似ている。
 黒が指を弾き鳴らすと、真空管テレビの映像に色が宿った。種も仕掛けもあるが、まるで魔法のようだ。
「……へえ」
 神海は、目を細めて少しだけ笑う。
 画面の中で乱打戦が繰り広げられている。ゼロ距離でのラッシュの応酬だ。白髪のオールバック、アイスブルーのコートを纏った大柄な青年が、一発いい拳をもらって後ろに吹っ飛ぶ。空中で身を捻って着地し、同時に彼は何事か呟いた。
 ――爆撃空域肆式デストラクトエア・デルタ
 青年はその右腕を後方へ、何かを掴み取るように伸ばした。黒には――そして神海には見える。彼の右手に、無数の透明な砕片が連なるのが。
「――爆裂空刃クルードセイバーかい。完成したんやな、あれ」
「射程は絞っているようだがな。コンパクトな戦い方をするようになった。構成速度、威力、全てが以前より上昇している」
 透明な剣を振りかざし、志縞は鋭く相手へと跳んだ。相対する赤い髪をした青年は、軽い笑みを浮かべて腰を低く落とす。
 拳と剣がぶつかり合い、同時に透明な剣が爆発的な衝撃を巻き起こした。ぶつけた刃から垂直方向にある全てを、衝撃と応力で破断する究極の一撃を、敵の拳が迎撃する。
 画面が白い衝撃で一瞬ホワイトアウトする。すぐに復元された映像の中では、黒が目を瞠るような光景が広がっていた。
 クルードセイバーを真っ向から受け止めた赤い髪の男――志縞の訓練役、渚輪篝ナギサワ・カガリが驚きの表情を浮かべている。弾けとんだ衝撃の剣、その力が篝の体勢を崩していた。今まで、一度として篝が体勢を崩したことはなかったと言うのにだ。
「重心操作と衝撃の威力制御、単純な威力で押したんとちゃう、……あれ、計算やで」
 冷静な言葉を漏らす神海の顔は、後進の成長を喜ぶと共に、脅威を覚えているような表情だ。――それもそのはずだろう。彼の上達は彼女よりも明らかに早い。地位を気にするような女ではないが、それとプライドはまた別の話だ。
 こちらのことはお構いなしに志縞は左手をバックスイングする。その目は、まるで刃だ。翻した左手の先に、瞬間的に無色の破壊力が渦を巻く。
 ――槍撃鉄拳ウォードストライカーッ!!
 画面の中で、志縞が無音の咆哮をあげた。
 相対距離、実に踏み込み一歩の間合いで志縞は迷わず前に出る。足下で衝撃≠ェ炸裂し、その一歩の間合いを一瞬で埋め、左の拳で相手の胸をしたたかに打つ。――そして、発破!
 篝の目の焦点がぶれ、その身体が後ろに飛ぶ。会心の一撃と言って差し支えあるまい。
 志縞の能力は爆撃空域デストラクト・エア
 彼の拳は触れた全てのものを、無色の衝撃≠ノよって発破、分解し、微塵と化す。
 しかし、志縞の表情は険しい。彼の視線の先、篝は空中で体を捻り、地面に足を叩きつけた。廻る身もそのままに、左手で地面を突き放す。そのまま華麗な片手バック転を三度、足を撓めて勢いを殺し、綺麗に着地した。黒から見ても今の一撃は理想的だったが、それだけではまだ足りない。
 篝の右手から、ふわりと煙が舞い散った。直撃必至のあの一撃を、彼は寸前で受け止めていたのである。
 エーテルゲイン・フォースプラスと、サードプラスの差は、聳え立つ絶壁のように大きい。
 幾度か軽く咳をするように体を揺らすと、赤い髪を一度掻き回し、篝はモスグリーンのジャケットから煙草のパッケージを取り出した。キャスター・マイルドだ。
 ――褒めてやるよ。
 煙草を咥えた唇が、囁くように動く。生徒を褒めるような顔をして、右手をゆっくりと握り、開く。
 男の右手が、テレビの画面越しにちかちかと光った。志縞があからさまに身構える。本能的に、何が起きるのかを悟ったかのようだ。
 震撼グランドスラム、渚輪篝。その能力の名は「固着衝撃ブロークン・エア」。
 彼の手の内で空気は捩れて破壊され、ただ一発の爆弾と化す。
「卑怯な言い方だが、安心したまえ、神海」
 黒は呟いた。神海が動揺したように彼を振り仰ぐ。
「……君も、リリーナも、フィフスにほど近い位置にいる。承認があれば、プラスを一段抜かしにして認められるほどにな。――サードプラスからの壁は厚い。笹原も、そろそろ判りかけて来たはずだ」
 黒が静かに呟いた瞬間、篝が地面を蹴った。彼の腕の周りに、弾けて散るばかりだった衝撃が円環のように連なる。
 志縞が回避行動に入ろうとした瞬間にはもう遅い。避けられないことを悟って彼が繰り出した拳の下に潜り込み、篝は左前方に踏み込む――と言うよりは、ほとんど足を投げ出すようなストライドを取る。獣のごとき低姿勢で篝は唇を動かした。黒にはその動きが、よく見て取れる。
 ――爆甲円環ニトロエクスプレス=B
 残した右足のバネを解放した瞬間、右腕を巻くように連なる円環が、繰り出された拳を締め付けるように収斂する。
 直撃した瞬間、志縞の身体が半分以上、光に呑まれて吹き飛んだ。残った半身も、驚愕の表情を残しながらその衝撃の中に消える。
 ――光? 否。
 それは可視化するまでに圧縮された、魔力の衝撃だ。
 超低空からの、伸び上がるような突き上げの一打。単純すぎるその一撃は、しかして凶器を通り越し、兵器と言っても差し支えない。志縞の意識が途切れたことで、黒が作っていたその幻想も終わりを告げる。徐々に掠れ、砂嵐を映し出し始めたテレビの電源を、黒はゆっくりとした所作で落とした。
「彼はエーテルゲイン・フォースプラス。俺の見込みでは君は彼と対等かそれ以上だ、雷渦ヴォルテックス。……前と後ろばかり見て揺れ続けるよりは、少し自信を持ったほうがいい。背中を追うのはけっこうなことだが、アリスが君の到達点ではあるまい」
 あえて彼女を示す代名詞で呼ぶと、言葉が刺さったかのように、神海は唇を引き結んだ。憂いを含んだ彼女の顔を、他のメンバーは――少なくとも光莉以外は、見たことがあるまい。
 一之瀬アリス、そして芝崎十夜。
 彼女、そして光莉に鎖を掛けつづける二人の存在を、黒もまた覚えている。
「……わかっとるがな、そんなん」
 がたん、と音を立てて神海は立ち上がった。大きく息を吐き、軽く首を回す。
「あかんあかん、しんみりしてもうた。愚痴っぽくなる前に行くわ」
「最初の二時間、前の彼氏の愚痴を垂れ流し続けた女の台詞とは思えんな」
「ええやろ。メンタルケアも室長の役目や。――ほなな」
 ごちそうさん、と黒の側に空の煎餅の器と湯飲みを置くと、神海はそのまま振り返らずに外へ繋がるドアに手を掛け、僅かな逡巡もなく潜り抜けていった。
 風のように現れて嵐のように去る、いつもどおりの幕切れに、黒は小さく笑ってから目を閉じる。
「……メンタルケア、か」
 耳に痛い言葉だ。
 彼女らが喪った大きな欠片。三年前の空洞を、自分は未だに埋め合わせられずにいる。代用物などどこにもない。手を尽くそうとも虚しいだけ。それが判っているから、歯痒くも手を出せずにいるのだ。
「因果だな」
 一人語散ると、蹴り開けるような勢いで仮眠室に繋がるドアが開いた。
 顔を出すのは、二時間睡眠で学校に行くときのような顔の少年と、仏頂面に更なる磨きがかかった青年である。
 黒は息を零すように笑った。
 思索はひとまず横へ置こう。放り出さずに、優しく、傷つけないように。
「――茶を淹れよう。玉露とフォートナム・メイソンを分けてもらったから」
 この若き才能たちに、一時の安らぎを分け与えるために。
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