Nights.

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  They said, "Goodbye, love."  

 いつもの場所だった。広いドームのような空間の中、赤々と燃える互いの炎が眩しい。だがそれに気をとられている暇もありはしなかった。
 ばきん、と横っ面を細い足に蹴り飛ばされる。踏み込んだところの出鼻をくじく感じの、カウンター気味の一撃だった。仰け反ったところにもう一発、今度は重たいのが来る。冗談みたいに吹っ飛ばされて、宙を舞う。
 ああ、畜生。ケリはおれの専売特許だっていうのに、あの女は平気な顔でおれより早く足を出す。
 そのまま吸い込まれるように壁に叩きつけられて、おれはずるずる沈み込んで尻餅をついた。溜息をついたつもりだったが、実際にはそれより先に弱気を吹き散らすような咳がでた。ちょっとだけ滲んだ涙を右手で拭い去って前を見る。
 臙脂色のダッフルコートを纏った小柄な影が、ひゅんひゅんとフックを振り回しながら靴底で地面を叩いている。
 にこやかに笑う彼女の名前は、サクラコザトと言うらしい。漢字は知らない。ひまわりを思い出させるような柔らかい笑顔とをしているくせ、手には赤い紐で繋がれた大振りなフックを持っている。黙っていればショートカットの可愛らしいお嬢さんで通るのだが、こう見えてこの女、灼けた鎖バーンドチェインの元マスターにして、霊結等級Wエーテルゲイン・フォースの実力者である。
 ――正確には、バーンドチェインの使用記録ログを元に当時の彼女を模して、クロさんが造った幻影、なのだが――
「ほらほら、だらしないですよ? 厚木さん。大分こなれてきましたけど、このくらいじゃまだまだです。それとも今日はもう終わりにします?」
 揺れる花のように笑うその表情や、細やかな仕草からは、作り物めいた感じがまるでしない。黒さんがディティールに凝るのはいつものことだったが、何もここまで再現せんでもとは思う。
「ばかやろ、まだまだやるに決まってんだろッ」
 地面を叩いて立ち上がる。鼻から息をゆっくり吐いて、大きく肺を膨らませるように吸った。息を整えるのに時間はかからない。
「あは、そう言うと思ってました。……いいですか? ずっと全力でいないとダメですよ? 緊張しないで戦わなきゃいけないのは本番だけです。練習の間はいつも死ぬ気で限界の力を出してください。そしてそのたび、一回一回その限界をぎゅーって広げてあげなきゃいけません。そうしないと強くならないんですよ。――受け売りですけど」
「どこのスパルタ野郎の受け売りだよ、ちくしょう」
「えと……恋人ですけど」
「よしブッ蹴り殺す」
「えー?!」
「こちとら二十四日が近いのにここで明け方まで訓練してんだよこん畜生ォーッ!!」
 ――今日は十二月二十二日。いや、もう明けたか?
 二十二日深夜か、二十三日未明ってところだ。どっちにしても大差はない。
 明確な恋人なんていないから、今のところは予定はない。よくつるむ友人二人は今年もそれぞれ彼女としっぽりやるらしいので(しかも大谷のヤツときたら去年と違う娘らしい)、『呪われろ』とメールを送っておいた。返信はまだない。
 とにかくそういう散々なザマだったので、おれはヒートアップしながら地面を蹴った。ああそうさ、今年も彼女なんていねえよ。
「僻みは醜いですよ、憎しみは何も生みませんー!」
「黙れクソッたれ呪われろァァーッ!!」
 コザトに向けてまっすぐに踏み込む。冗談交じりの怒りに任せてとはいえ、これは訓練だ。下手に動けば手痛い指導を受け取ることになる。距離が最初の半分になった瞬間、右前に向けて地面を蹴った。切り返すように左、鋭角的な挙動で狙いを絞らせないようにする。
 コザトが小さく笑った。
「ああ、そっか。外ではそろそろクリスマスなんですね」
「おれの前でその単語を口にするなバカ野郎っ!」
 フックを繰り出す暇を与えず、ダッシュから蹴りを繰り出す。右足をまっすぐに突き出すような蹴り込みをコザトはステップ一つで横にかわした。即座にフックを投げつけてくる。
 身体を回し、軸足をスイッチ。左の後ろ回し蹴りでフックを弾き飛ばす。同時に紅炎爪翼バーストファングを発動し、飾り帯を手に巻きつけて踏み込んだ。
 空手で培った基本どおりの突きで畳み掛ける。左二発右一発のコンビネーションは、しかしコザトの防御の前に逸らされた。弾くような動きではなく、一発一発を逸らす動きだ。撫でるように拳に触れて、ほんの僅かに左右に軌道を変える。それだけでおれの拳が次々に空を切る。燃える拳の熱を意にも介さず、コザトは後ろ手にフックを投げた。遠い後ろの壁にフックが突き刺さる。コザトの腕の動き一つで、彼女が手に握るバーンドチェインが収縮した。
 一瞬で距離が開く。即座に追走を掛けた。しかし、再びコザトを射程距離に収めるよりも、彼女が着地して壁からフックを引き抜くほうが早い。
「そんな寂しいこと言っていないで、誰かを誘ってみればいいんじゃないですか? ――それっ、砲戦火ホウセンカ!」
 コザトが手からいくつも炎の弾を生み、立て続けに連射してくる。即座に突撃を止めて、おれは右へほぼ直角に跳んだ。しかし、避けたはずの炎の弾が軌道を変え、こちらを追いかけてくる。舌打ちしながら、おれは足を止めて迎撃の態勢をとった。
「うるっせえ、相手がいねえんだ――」
 よ、と言い切ろうとしてふと気付いた。――普段あまり意識しないが、そういえば、香坂のヤツとはよく喋るし、それより何より蜷川ニナガワもいる。誘おうと思えば誘えるんじゃあないだろうか。今日は既に二十三日、学校は祝日で休みで、明日は終業式。誘おうと思えばいくらでも誘えるけれど、どう切り出したもんか――
「……集中途切れてますよー」
 言葉とともに、目の前が焦がされそうな熱に満ちた。
「どあああっちゃあッ熱ッちいッ!? 今パーンって弾けたパーンって!!」
「そりゃもう、ホウセンカですから弾けますよー」
「物騒な花だなあオイ!!」
 花と言うより花火か。ふっと意識を別のところに飛ばした瞬間、おれの目の前で炎の弾が散弾のように飛び散ったのだ。振り払いながら後方に飛ぶが、依然としてコザトは炎の弾を放ち続けている。いつまでも逃げは効かず、増してやまともに受ければそう長くは持たないだろう。
 考え事は後だ。集中しなければいけない。
「このままだとジリ貧です。さて、どうしますか?」
「――」
 ステップを踏みながら後ろに逃げて、おれはバーストファングを解いた。飾り帯は元通りに縮み、背中に翼のように垂れ下がる。コザトが意外そうな顔をするのが見えた。
 言葉もなく、動く。脚に、自分の最も信頼できる武器に力を注ぎこみ、地面を蹴った。背中が壁に当たる前に、上に跳躍して、壁を登るように蹴り飛ばす。炎弾がおれを追いかけて上昇軌道にシフトしてくるのを確認して、壁から離れるように跳ぶ。
 ――信じろ。おれを焼けるものなんて、どこにもない。
「行くぜ……!!」
 空気の壁を蹴り飛ばし、音を越える。地面に向けて急降下しながら、炎を身に纏った。自分の中からあふれ出る、衝動にさえ似た熱を鎧とし、殺到する炎の弾の群れを真正面から突っ切る。顔のすぐ傍で弾けた炎が肌を焦がす。しかし、信じる心が現実を捻じ曲げる。魔具を持つものの信念が、常識を叩き壊す。
 ただ強く信じるのだ。おれはこの炎では焼かれない。この程度ではおれを傷つけられないと!
 地面に降り立つと同時に、重心を滑らかに前に移す。そのまま、勢いに任せて地面を蹴り飛ばした。落下の勢いを前進の速度へ転化する。
兵器戦術マニューバ・ウェポン!!」
 叫ぶと同時に、足から溢れた炎が飛行機雲のように尾を引いた。ジェット・エンジンさながらの加速を見せ、コザトに向けて肉薄する。
『破壊』の空対地弾道弾デストロイド・マーベリックッ!!」
 距離が爆発的に縮み、瞬く間もなく射程距離に入る。空中を蹴り、さらに加速した。コンマ数秒もなく体を回し、叩き付けるように上から蹴り下ろす。
 轟音と同時に、派手に炎が飛び散った。
 だが、足に手ごたえはない。蹴り下ろしの一瞬前にコザトが空中に逃れたのを、おれは見ている。デストロイド・マーベリックの爆風を足がかりに、跳び上がった。
 爆風を蹴り飛ばした瞬間、煤煙が弾け散る。急熱された空気の中を跳び、上を目指す。コザトの驚いたような顔が見えた。
 デストロイド・マーベリックは囮だ。正し本物の殺意を込めた囮。回避に入らなければ手痛いダメージを食らわせると思わせるだけの破壊力を見せたつもりだ。しかし本命は別にある。急上昇しながら、コザトに追いすがった。
殺し≠フキラーズ――」
 相手はフックを伸ばしてもいない。回避行動に入る準備はない。その証拠に、彼女は腕をクロスして防御の姿勢を見せた。
 ――そのガード、貰った。
地対空弾道弾パトリオットォッ!!」
 上昇の勢いを載せ、回転しながらバネを生かす。凪ぐような蹴り足を、彼女のガードの上から叩きつけた。息を詰める声が聞こえる。クリーンヒットではないが、骨を軋ませる威力を持った打撃だ。加えて、バーンドチェインの炎が焼き尽くさんばかりに相手を包み込む。空中で咲いた紅蓮の大輪が、コザトの姿を覆い隠した。
「……当ててやったぜ」
 ――恥ずかしい話をすると、これまでは、ガードの上から当てることさえままならなかった。
 それが今の一撃は、相当な手ごたえがあった。並の昏闇なんざ、当たった瞬間に燃え尽きるくらいの炎を叩きつけてやったのだ。いかに霊結等級Wエーテルゲイン・フォースの相手とて、ただでは済むまい――
 そう思っていた瞬間、爆炎が割れた。
 炎が風に煽られる曇った音が耳に届いた瞬間、おれの胸の中心を何かが叩く。
「――ッ!?」
 息が止まり、後ろに吹っ飛ばされた。かは、と掠れた咳を出した瞬間には、赤く灼熱したフックが空中を走る。
 ジグザグに空を切り裂いて延びる軌跡は、正確におれのあとを追いかけてくる。脇腹が削られ、頭を掠め、必死に上げたガードを弾き飛ばしたかと思えば脇腹に食い込み、明らかに質量では上のはずのおれの身体を引っ掛けたまま、空中に跳ね上がった。
 熱い。
 そう思った瞬間、脇腹が燃え上がるように痛む。フックの暴虐は、喰らってもダメージを追わないと信じられる限界を、あっさりと超えた。
屠刑奏トケイソウ
 声が下から聞こえる。見れば、コザトは焼け跡の残るダッフルコートを軽く叩いていた。
 ――それも植物の名前かよ、と突っ込む前にフックが灼熱し、伸びたバーンドチェインがおれの身体にひとりでに絡みつき、溶鉱炉を思わせる熱を放つ。それは炎を上げて炎上させるのではなく、絡みついたところを焼ききるために発露した熱なのだと、一瞬遅れて気がついた。
 口から迸る叫びを、耳で他人事のように聞きながら思う。
 今度という今度はよくやったと思ったんだけどな……
 届かない壁の高さに愚痴ったところで、目は閉じておこうと何の気なしに思った。
 これが訓練だって、ばらばらになった自分の身体なんざ、見たくないだろ?

 意識は一瞬で真っ白になった。
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