Nights.

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  Scarlet Sword  

 その瞬間、石棺が木っ端微塵に吹き飛ぶ。槍に溜まっていたカミラの魔力が、突き立つのをきっかけに炸裂したのだ。瀑布と呼んでも生温い、圧倒的な破壊力がそこにはある。その威力の前では、先ほど繰り出した群青弾幕バラージネイビ−ですら霞んで見える。
 ロスト・グングニルは対象に突き立った瞬間に、全ての魔力を前方に集中させて『二撃目』の刺突を行う。そしてその魔力の奔流の前には、何者も耐える事叶わず貫かれるのみ。彼女がこの一撃を放つのは、実に四十年ぶりのことであった。
 石の棺が砕かれ、魔力の余波で砂塵と化し、視界を埋め尽くす。
 肩で息をしながら、手を前方に出してランセズロードを呼び戻そうとした瞬間、カミラはぞくりと背中に走る寒気を覚えた。
 抵抗感、、、がある――?
 手元に引き戻そうと思えばいつでもすぐに戻ってくるはずの槍が、虚空越しに、何かに突き立っているかのような感覚を返してくる。
 石の棺は砕けたはずだ。天幕のように宙を覆う、この砂塵と化したはずだった。ならば何に突き刺さっていると言うのだ?
「……」
 口の中がからからに乾く。ジョウも、セティも、少し離れた場所で凍りついたように動かない。
 その静寂を破るかのように、密やかな笑い声が響いた。
「大したものだね」
 たっぷりの余裕と笑みを含んだ、優しげな声が響く。
 不意に、腐臭を孕んだ風が吹いた。滞留していた砂塵が散らされ、石棺のあった場所が露になる。
 そこに、女がいた。
 美しく長い、腰までの緋色の髪を持っている。右目は瞳のありかを見失うような黒色、左目は金の瞳と異様な彩色をしていた。それが奇矯に見えないのは、その女が異様なまでに端正な外見をしていたからに他ならない。整った鼻梁に尖った顎、白磁の肌と形の良い耳、精緻に描いたかのような眉に、アーモンド形の目。裸身を隠すこともなく晒した女は、前にかざした手を開き、指先に挟んだを離した。
 瞬間、カミラの手に槍が戻ってくる。手だけが反射的に動き、ランセズロードを掴み取る。しかし、カミラの思考は凍り付いていた。馬鹿な、有り得ない、自分の渾身の一撃を受けて立っているあの女は何だ。――何だ? 何者かなど判りきっていることだ。ただただそのわかりきった結論を認めたくないだけで。
「まさか手を動かすこと、、、、、、、になるとはね」
 女は笑う。恐ろしいほど妖艶に、それでいて、何者も触れること叶わぬと思わせるほど威圧的に。
「あんた、……一体」
 渇いて張り付いたようになった喉の奥を擦りあわせ、カミラは声を絞り出した。ランセズロードを握る手がかすかに震える。いかなる時も、その数々の華麗なる技と無双を誇る突きの一撃が、敵に生存を許さなかった。だというのに、眼前に立つ脅威はそれをものともしなかったのだ。プライドが鑢で削られたような気分。自信がぐらつく。
「見て判らないかね? それとも、認めたくないのかな、この現実を。無理もないね、君が過ごした四百年を私は今の一瞬で否定したのだから。そうだろう、カミラ=ネイビーコフィン?」
 女が一歩踏み出す。カミラは、自分の足がじり、と後退しているのに、一瞬遅れて気がついた。
 ――気圧されてる? このアタシが?
 金と黒の瞳が笑う。
「四百年――四百年か。積み重ねた時は相当のもの、積んだ修練も塗り重ねた憎悪も、溜め込んだ悪意も評価に値するよ。しかしね、カミラ」
 女は鮮やかな緋色の髪をばさりと乱し、白い肌の上を躍らせる。生きているかのような緋色の髪が、彼女の裸身を隠すように波打った。
「この緋色の悪夢ダスク・イメージを、天に至る七番セブンス・ヘブンに成る身として生まれた魔術工学ミスティックエンジニアリングの結晶たる極神ヘイズルを――そう、この私、ジェイル=クリムゾンメモリーを傷つけるのには、何もかもが足りなすぎる」
 髪がざわめき、緋色の陽炎を上らせる。濃い赤は、血と憎悪の色だ。周囲の気温が増し、濃密な魔力の気配が立ち込める。
「……やめて、ジェイル」
 呻くような声がした。白銀の甲冑の下から漏れた声、セティだ。セティを抱えるジョウもまた、青白い顔をして事の成り行きを見守っている。
「下がっておいで、ジョウ、セティ。愚か者には教育が必要だ。私に手を上げるということがどれほどの事か、身を持って味あわせるとしよう」
 ジェイルが虚空に手を伸ばすと、立ち込めた魔力が彼女の手の中に収束し、赤き剣を形作る。刃渡り九十センチ、長剣だ。質素な装飾と血塗られたかのような刀身が特徴の剣である。
「――打ちかかってきたまえ。私を楽しませるがいい。一撃入れられたら、今回の件は不問に付すよ」
「……舐めんじゃないわよ!!」
 カミラは自らの弱気を全て声とともに吐き出し、全ての力を戦闘の為に転化する。放出し、空中に漂っている魔力の全てを引き戻し、槍に注ぎ込む。油断はない。あらゆる敵を千殺せしめると謳われた魔槍、塵殺葬列ランセズロードが悲鳴を上げるほどの魔力量である。ジェイルはそれを前に、尚も笑った。
「そう、それだ。油断なく私を殺しに来ると決め、恐怖も迷いも捨てた、その状態――」
 不意にジェイルは仮面をはずすように、優しい笑みを表情から消した。
 滲み出るのは、歯列を剥き出した、獣のような狂った笑い。血も凍るかのようなその表情のまま、彼女は赤い剣をカミラに差し向ける。
「その強気の殻を砕き、奥の奥の柔らかいところを蹂躙して凌辱して貪りつくした時、君は私に屈服する。……想像するだけで震えてしまうね?」
 カミラはもはや何も言わなかった。己以外の一切を置き去りにする速度で踏み込む。足下に魔力を溜め、一歩ごとに炸裂させるその歩法は、一定レベル以上の猟人や真怨ならば誰しもが使用する高速移動術だが、彼女の魔力のコントロールは完全であった。
 基礎的な技術を当たり前に行使し、己が手足として扱うことこそ基礎にして要。それが出来ぬものは生き残れずに消えていく。――そして彼女は、カミラ=ネイビーコフィンは、四百年の長きを生きた真怨である。
 全力を尽くした歩法、三歩の後に最高速で槍の間合いに入る。もはや視界にはジェイルただ一人のみ。突き出された槍には、大技のような圧倒的な破壊力は無い。しかしそこには、単純に命を奪いに行くという決定的な意思がある。ゆえに速く、そして比類なく鋭い。
 ジェイルが初撃を剣の腹で叩き、逸らす。だが弾かれた槍はすぐさま引き戻され、そのまま機関銃のような怒涛の連続突きへ変化していく。弾けあうたび、群青と赤の火花が飛び散り、腐臭漂う赤き空間を照らし上げた。
 飛沫のように火花が飛び散る中を、ジェイルが舞うように回る。赤き剣を優雅に振るい、その刀身よりもなおのこと輝く紅蓮の髪を虚空に絡ませる。
 彼女は謳うように言った。
「無駄が消えたね。先ほどよりもずっとすばらしい動きだ」
 口ぶりの余裕が消えない。カミラは目を見開き、全力で地面を蹴った。横への薙ぎ払いが身を引いてかわされると見るや、身体ごと回転して石突を繰り出す。それがジェイルの剣の腹と、背面に触れた手でブロックされたと見るや、身体をねじりながら石突を跳ね上げ槍を百八十度回転、地面すれすれを擦りながらの刃での切り上げへ切り替える。
 しかしそれがジェイルの身を捉えることは一度としてない。彼女は常に群青の軌道の一歩先を行き、カミラの攻撃を紙一重で避け続ける。
 まるで、遊んでいるかのようだ。
「――しかし聊か興に欠けるね。君は確かに予想以上だったが、想像以上ではなかったということかな。どれを取っても一級ではあれど、超一級ではない。君程度の真怨ならば、探せば見つからないこともないだろう」
「ふ……ッざけるなアッ!!」
 カミラは吼えた。吼えて、瀑布と呼んでなお余る、神速の連携を見せる。槍を十本、同時に操れたとして、果たしてこの連撃を超えられるものか。
 隙間など無いはずなのだ。いつしか槍の一撃には、常に虚空から発生する偽の槍=\―魔力を固めた群青の円錐が数発同時に付き従っている。それをジェイルは剣で払い、時折指先でいなし、華麗に回避してのける。
 その技は既に理解を超えた位置にあった。何故ジェイルが連撃を回避できるのか、カミラには理解できない。
「ふざけてなどいないよ。厳粛たる事実だ。……まあそれでも、あの神の槍を語る一撃には気概を感じたがね。一つ間違えれば串刺しだったかもしれない、恐ろしいことだ」
 片時も手を休めず剣で受けながら、ジェイルは笑い――
「しかしね、神を名乗るならばもう少しの力が欲しいところだ。――このようにね」
 その瞬間、カミラの前で群青の破片が飛び散った。
 瞬きほどの時間も無いうちに、現実を認識する。槍を繰り出して、砕かれた。ただそれだけの呆れるほどにシンプルな現実だ。目で見るまでもなく、手ごたえだけで理解できた。ランセズロードを扱う前、魔力を固めただけの槍を使っていた時分に、何度も体験した――
「な」
 に、と唇を動かす前に、ジェイルが手の先で柄をくるくると持ち替え、剣を振りかぶった体勢で止める。
「君に倣って名前をつけよう。そうだな……」
 輝くような笑顔で、ジェイルは笑い、
熾天炎剣レーヴァテインとでも」
 剣を薙ぎ払った。
 紅蓮が視界を埋め尽くし、カミラは呪詛で保護された自分の半身が、抵抗なく焼失する感触を覚える。右腕が――ない。左手に握った、砕けた槍が零れ落ちる。
 絶叫を上げようとした矢先、たおやかな手のひらがカミラの唇を覆う。絶叫が塞き止められ、ジェイルの手のひらの内側でくぐもった声となって爆ぜる。
「……君は私の怨みを超えられないのさ。この鮮烈な赤を見たまえよ、私は未練と怨念の集合体だ。光も闇も、炎も水も、風もこの身の内にある。私は足りない地≠ニ、その全てを記録する原書≠今も求め続けている。カミラ、知っているよ? 君の憎しみは一度は消えているのさ。自分に愛を語った――否、騙った男を殺した時にね。覚えておきたまえ、退色した憎悪ではね、鮮烈に燃える憎しみを超えることなど出来はしない」
 ぞぶり、と刃が身体に突き立つ感触に、カミラは身体を跳ねさせた。忘れたはずの涙が、目の端から、血を伴ってこぼれ始める。寄り代となる身体から、しかしそれでも血が吹き出ることは無い。血管が、全て焼き潰されているのだ。必定、そこから血が漏れ出ることは無い。
 焼けるような苦痛と喪失感、しかし強靭な精神は狂うことを、死に至ることを許さない。
「……ァ……!」
 右手に魔力の塊を作り、槍として叩きつけようとした。しかしその刹那、身体から引き抜かれた剣が閃く。右腕が焼失し、カミラはその喪失感と痛みに狂ったような叫びを上げる。だが、喉から出て行こうとした声は閉じた口蓋で反響し、彼女の頬と唇を震わせただけだった。白魚のような指先が、みしみしと音を立ててカミラの顎を、唇を封じている。
 カミラは、忘れていた恐怖を感じた。身と精神ココロを侵すのは、ジェイルが持つ底知れぬ力とその悪意である。芸術品のように整った美しい顔が、愉悦と嗜虐心に満ち満ちた微笑で見つめてくるこの戦慄など、いくら言葉を尽くしたとて語りきれる物ではない。
「さあ――」
 ジェイルはカミラの口を封じていた手を離し、手の形に鬱血したカミラの細い顎を指先で、恍惚としたように撫でた。
「教育の時間だよ、カミラ。君が許してくださいと叫んで、私に服従を誓うまでのごく短い時間だが」
 引きつらせた唇を震わせるカミラの目の前で、ジェイルは唇の端を吊り上げた。引き裂けるほどに高く口角をゆがめた。
い声で泣いておくれ……?」


 ジョウ=リードベロシティは、動くことも出来ずに遠くから、寸刻みに切り裂かれていくカミラ=ネイビーコフィンの姿を見つめていた。
 腕の中のセティが、小刻みに震えている。彼はそれを抱きしめることで、止めようとした。
 しかし震えが止まることはない。何故なら、ジョウも震えていたからだ。
 潰される声。金切り声。呪うために上げていた、カミラの声――
 それが徐々に、苦痛から救われたいがために上げる、許しを請う叫びになっていくのが、よく判った。
「ジョウ」
 腕の中から、小さな声が聞こえた。
「僕は」
 ごつい手甲に覆われた小さな手が、服の胸元を掴む。細い声が、絞り上げるようなカミラの叫びの中で、ジョウの耳に届いた。
「僕は、彼女をああしたくなかった。僕はやり方を間違ったんだろうか、止めても、結局こうなってしまった」
「間違ってねえよ」
 ジョウは、地面に膝をついた。
 いくら言葉を尽くしたとて、カミラがこうなることを止められるものはいなかっただろう。彼女はプライドが高かったし、この戦闘――否、蹂躙が始まる前では、おまえではジェイルには勝てないといったところで、彼女の憤怒を買うのが関の山だ。現実、セティは強かに槍に打ち据えられた。
 耳をふさいでも染み込んできそうなカミラの絶叫が、ネバーエンドダーティの赤き闇に吸い込まれていく。
 ジョウはセティの小柄な身体を包むように抱いた。
 セティも、ジョウも、知っている。
 止めに入れば、次は自分の番になることを。そして、止めに入るだけの力など自分達には無いことを。

 カミラが声を出せないほど小さくなって、、、、、、しまうまでには、それから更に十分間の時間が必要だった――。
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