Nights.

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  Navy Rance  

  ――その空間は赤茶けた色をして歪んでいた。
 地面が汚泥のように歪んでいて、歩くたびに不快な感触を靴の裏に帰してくる。エナメルレザーのボンテージ・ファッションに身を包んだ女――カミラ=ネイビーコフィンは、殺気も露に道なき道を歩いていた。藍色の瞳が爛々と輝き、彼女の怒りを表している。その後ろを歩く二つの影のうち、長身のほうが肩を竦めた。
「賛成しねえよ、俺はさあ。だってよ、お前、ジェイルの旦那怒らせていい事あると思うか? 曲者ぞろいの色彩闇洞を、なんだかんだでまとめてんのはあの人じゃねーの。周りから見たら、お前ばっかりが突っかかってるように見えるんだよ、確かにお前に取っちゃ腹の立つ仕草も台詞も多いかも知れないが――」
 言葉が止まる。
 長身の影――男だ――その目の前に、飢えを語るように光る槍の穂先がある。藍色の槍を手にしたまま、カミラはゆっくりと向き直って呟いた。
「うるさいわよ、グズ。大体、あたしはアイツのことをリーダーだなんて認めちゃいない。好き勝手なことばかり言って、ゲームで遊んでる子供みたいなことばかりする。あいつの身勝手さがほとほと許せないのよ。大体ね、なんであたしについてくるわけ? その減らず口をグダグダとあたしの耳元に吹き込むため? それとも聞くに堪えない軽口を叩くため? それ以外の理由があるなら言ってみなさいよ。面白かったら槍を引いてやるわ」
 尖らせた藍色の瞳は、危険な光を放っていた。導火線に火のついた爆弾のようだ。
 男がテンガロン・ハットを軽く押し上げて、鉛色の瞳を彼女に向けたとき、横合いから白い甲冑を纏った小柄な影が割り込んだ。フルフェイスの兜で顔を隠した、少女とも少年ともつかない体躯の鎧姿が、槍から男を守るように立ちふさがる。
「……」
「どいてなさいよ鈍色メタル。庇い立てするとあんたごと狩るわ」
 メタルと呼ばれた鎧姿――セティ=メタルカラミティは、ハスキーな声で呟くように言った。
「ジョウは君を守ろうとしているだけだ。ジェイルは、君が独りで行けば遊ぶように君の首を落とすだろう。それを懸念して――」
 セティの無感情な声が終わる前に遮られる。
「あたしとあのふざけた野郎にやられるって考えたわけ? ――それより自分の心配したら?」
 大きな、金属のひしゃげる音が響いた。
 目にも止まらぬスピードで回転した槍の石突が、鎧姿の脇腹をしたたかに殴ったのである。小柄な体が、鞠か何かのように横に吹き飛んだ。鎧のなる音を立てて転がり、彼――あるいは彼女は、動きを止める。
「あたしはね、どいてなさい、っつったのよ。聞こえない?」
「セティ!!」
 血相を変えて名を呼び、駆け寄ろうとした青年――長身にテンガロン・ハット、ウェスタンルックを決めた伊達男、ジョウ=リードヴェロシティの行く手を、またしても槍が遮る。
 カミラが据わった目で、ジョウを睨んでいた。
「言ってみなさいよ。下んない理由じゃないことを神に祈りながら、一言一句ハッキリとね」
「お前ッ……!!」
 剥き出しにした歯を噛み締め、ジョウがカミラを睨みつけたその瞬間、ふいに周囲の空気が重くなった。
 カミラは反射的に槍を引き、重苦しい気配の出所を探って視線を送る。
 向き直ったその先で、赤黒い地面がぞろりとざわめいた。倒れたセティのそばで、ぬるりと気配がわだかまる。地面から盛り上がるように集った汚泥は、瞬く間にのっぺらぼうな人の形を取った。絶えず体が汚泥として循環しているかのように、その赤黒い人型の表面の光沢は一定しない。人型はゆっくりと体を折り、倒れた白銀の甲冑姿に手を差し伸べた。
「マッタく、ウルサいとオモえばまたキミかい、カミラ。そのフタリはキミをタスけようとしてここまでついてキたとイうのに」
 倒れたままだった白銀の甲冑の内側から、喘ぐような声が響いた。
「……ジェイル」
 その声には、かすかな揺れが含まれている。早すぎる遭遇を危惧するような、不安が的中してしまったような、形容しがたい声音だ。
「あたしはそんなこと頼んでない。あたしがここにきたのはね、アンタをいい加減許しておけなくなったからよ」
 槍の切っ先がジョウからジェイルに向く。視線の先では、セティがジェイルの手を借りることなく立ち上がっていた。ジェイルは肩を竦めて手を引っ込めると、どちらが前でどちらが後ろかわからないような身体を、それでもカミラに向けた。
「おや? ナニかワルいことをしたかね? キミがオコるようなことをしたオボえはないんだが」
「……どの口でそれをほざいてるか、理解してるわけ?」
 カミラの槍――魔具『塵殺葬列ランセズロード』の先端に殺気が渦巻く。彼女は普段、それを球体として持ち歩く。だというのにこのジェイルの『領域』――『永久奈落ネバーエンドダーティ』に踏み込んだ瞬間から、それは完全な戦闘形態を取っていた。同じ形の刃が、穂先で小さな十字架を描く群青の槍である。
 カミラは右腕を振り、横合いの伊達男を示した。
「話聞いてみればこのボンクラが踏み込むのがあと少し遅けりゃ、ユイは消えてたかもしれないっていうじゃない。アンタ、スクラッドの連中から逃げ出すのが手一杯で、あの娘のケツ持ちさえしてやれなかったって訳? 自分で生み出しておいて、、、、、、、、、、、。いつもいつも適当なこと吹いて、誰彼構わず危険にさらして、そのクセ自分だけはきっちり戻ってきてる。あたしは昔からあんたが気に食わなかったのよ。でもね、今度と言う今度は我慢の限界。イカレ野郎にこれ以上、色彩闇洞パレットを仕切らせておこうとも思わない。――だからさあ」
 槍の穂先の十字架から、群青が沸き出る。
「あんた殺して、あたしがこいつら仕切ろうと思ってるわけ」
「ズイブンなモノイいだね、カミラ」
 ぐばあ、とジェイルが口を開けた。赤黒い粘土人形に、初めて表情らしい表情が見える。人間の口があるべき場所が裂けて、その奥に闇を覗かせている。その表情は歪んだ笑みであった。何かを壊すことに至上の喜びを感じるような、嗜虐的な嘲笑だった。
「あそこでキえたらそれまでのことだよ。セスタスがそうだった。パレットにダジャクなイロはイらない。キミはズイブン、ユイのことがスきなようだね。けれども、ワタシがコウイをアラためるつもりはない。タりないイロはまたツクればいいだけのことだよ」
 挑発するようなジェイルの声が響いた瞬間、カミラの瞳が焦点を失う。
「ジョウ。セティ。最後だから言っといてやるわ」
 無造作にランセズロードを持ち上げ、カミラは一言だけ呟いた。
どいてろ、、、、
 群青が、ジェイルのばしょネバーエンドダーティを埋め尽くした。彼女の髪の色と寸分違わぬネイビー・ブルーが、空間を侵食する。三叉の穂先が巨大な二等辺三角形の群青で縁取られ、刃と化す。声も上げずカミラは接敵した。
「ナニをアツくなっているんだい、キミは――」
 皆まで言わさず、カミラはジェイルの首を吹っ飛ばした。一撃でジェイルの首から上が消えてなくなる。カミラは、刃だけで自分の身長を超えるほどになった槍を竜巻のように振り回した。
 カミラ=ネイビーコフィン。二つ名は咀嚼空棺バディイーター。四百年の悠久を生きる、最古の真怨の一人。
 その実力の全容を知るものは、彼女と生死を賭けて戦ったナイツの面々のみだ。――そして、彼女がその『槍』を出した時、生きて帰ったものはない。
 派手な音を立て、ジェイルの体が吹っ飛ぶ。重い肉の音を立てながら地面を滑り、立ち上がろうとしたところに繰り出された槍に潰された。体が四方へ、まるで水をぶちまけたように飛び散る。
「消え失せろ!! あたしの前から、この次元から、肉の一片も残さずに!! ジェイルッ!!」
 飛散したジェイルの体が、びちりびちりと音を立てて結合していく。異常なまでの再生能力を目の当たりにして、しかしカミラの瞳は揺るがない。肉の一片まで絶滅すると叫んだ彼女が次にとった行動は、槍を振りかざすことだった。
「……こいつは――」
 かすれた声が、腐臭のする空間に響く。漏らしたのはジョウだ。彼は足元の怪しいセティを抱き上げ、少しだけ遠くで動向を見守っている。
 ジョウの驚きの声から二秒せず、カミラの周囲を取り巻く群青の風が凝り固まった。無数の鋭い円錐が彼女を取り巻くように発生する。
「ぶっ壊れな、ジェイル。――群青弾幕バラージネイビー
 カミラが槍の石突を地面に着くのと同時、生まれた円錐が全方位へと散開した。一瞬の後、円錐は軌道を変え、再生しようと足掻くジェイルの体目掛けて降り注ぐ。百の砕片と成り果てたジェイルの体が、その数を遥かに超える群青の円錐に貫かれた。円錐が突き立ったことを確認してから、カミラは飛び退き、槍を軽く振って呟く。
炸裂バースト
 刹那、足元の汚泥を天高く巻き上げる爆発が巻き起こった。
 ジェイルの肉体が、もはや飛び散りようのないほどに粉々になり、大気の一部として宙を舞う。文字通り塵芥となったジェイルの姿は、目では確認できなかった。
 その圧倒的な破壊力にか、ジョウとセティが言葉を失う。カミラは凶暴な笑みを浮かべて槍を地面についた。
「あっけないもんね。人の姿を借りなきゃ戦うこともできなかったって訳? もう少し待ってあげたらよかったかしらね」
 そのまま、カミラはこの忌まわしい領域が解けるのを待った。真怨の領域≠ヘ、術者が滅ぼされるか、術者自身が解除を望むかのいずれかによってのみその形を失う。
 カミラの言葉から、五秒が経った。
 しかし、領域ネバーエンドダーティが揺らぐことはなかった。不気味なまでの静寂が辺りを包む。十秒が経過した時、カミラの表情が歪んだ。
 彼女の視線の先で、地面がずるり、、、と蠢いたのだ。
『――少しだけ驚いたな。その身体マガイモノの反応速度では追いつけもしない。正直なところを言うと、私はキミの事を軽んじていたよ』
 不意に、甘くかすれた女の声が虚空から響く。――次の瞬間、カミラの前方で、次々と赤い地面が盛り上がる。赤黒い土は見えない手にこねられたかのように人型となった。その数、八。何体ものジェイルがカミラを阻むように立ちふさがる。カミラが息を呑んだ次の瞬間、立ちふさがる赤黒い人影たちの向こうにまた動きがあった。地面が抉れるように沈み、何かが迫り上がる。
 地上に姿を現したのは、血の色をした土で濡れた石棺であった。大きく逆十字が浮き彫りにあしらわれた、人間大の立方体である。固く封をするように、鉄のタガが蓋にぎっしりと打ち付けられている。
 カミラは、直感的に理解した。何もない場所から響いた声の出所を。
 一度地面に下ろした槍の穂先を再び持ち上げて頭上で廻旋し、言葉もなく投擲のモーションを取る。槍から群青色の空気が溢れ、凝り固まってその形を長大に変じた。
失蒼穿駆ロスト・グングニルッ……!!」
 叫ぶが早いか、カミラの手を離れた槍が、全てを貫く神槍と化す。かつて主神が握ったとされる幻想の槍を模倣する、彼女の最強の業である。音の壁が紙よりたやすく引き裂かれ、槍は円状の衝撃波を纏い宙を走った。残像すら残さず、進路上にいる二体の『ジェイル』を億の欠片と化し、滅却する。
 螺旋形に蒼の輝きを曳き、弾丸のような回転を帯びて突き進む槍は、刹那の間すら置かず石棺に突き立った。
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