Nights.

| next | index

  PASSING/W  

 リリーナの視線の先で、剣山のようになったジークの身体から力が抜けた。地面から生えた光の槍が、彼を虚空につなぎ止めている。シーナが、今なお破断面から血を噴出している腕を持ち上げる。流れ落ちる血が重力に逆らい、なくなったはずの両手を再構成した。どろりと赤い歪な右手で口元を覆い、彼女は笑う。
「呆気ないこと。ビート、壊しては駄目よ。移し変えてから直すのは手間だから」
 首のないビートの身体がまるで操り人形のようにゆらりと立ち上がった。作り物めいた動きだ。槍を地面に突き刺したまま、奇妙に足を捻って立っている。おぞましさを覚える光景。
 リリーナは、自分の手が微かに震えていることに、今更のように気がついた。
「ああ、痛いわ。身体をこんなに壊されたのは久しぶり。直すより取り替えた方が早いわね」
「……たちの悪い手品ね」
「手品なんか使ってはいないわよ。言ったでしょう? わたしたちはもともとひとつなのよ。同じ憎しみから生まれて、二つの身体を支配しているだけ。わたしとビートの間に区切りなんてないの。何もかも知っているわ。だって、自分のことですもの」
 辛うじて言葉を紡ぐリリーナへと微笑み、シーナは鎌を拾い上げた。ビートのそばに歩み寄り、傍らに寄り添う。
「あなたのお兄様はもう動けないわよ、リリーナ=スクラッド。でも、まだ死んではいない。この意味が判るかしら」
「……」
 沈黙を守るリリーナの前で、シーナが嘲るような表情を浮かべる。
「……助けたいでしょう? たった一人きりの肉親ですもの。武器を捨てなさいな、アーセナル。あの恐ろしい剣銃ブレード・バレルも、斧槍ハルベルトも、ナイフも、銃も、全て。指示通りにしないなら、今すぐ彼の心臓をえぐってあげる。その後で、あなたも殺す。壊れた身体に入るのは面倒だけれど……入るのがあなたたちの身体なら、苦労をしてお釣りがくるものね」
 ――相手は自分の手の内を知っている。その事実が、なおさらリリーナの心を砕きに掛かった。
 時折苦しそうに動くジークの手や足だけが、まだ彼が生きていることを語っていた。ジークはもう動けない。ピン差しにされた標本のようだった。
 ――あの左胸に、この上槍を打ち込まれるような事があったなら、もう立ってもいられないかもしれない。
 リリーナは浅い呼吸を繰り返す。何故、こんなことになったのだろう。ジークが自分勝手に突っ込んでいったからだ。じゃあ、なんで彼はそんならしくない決断を下したのだろう。
 胸の中を、自分が言い放った言葉が去来する。
 ――何もかも自分でやってみせてよ、アタシを安心させてよ!
 ――やりたくてあんたの世話をしてるわけじゃないんだから!
 何も、全部本心で言ったわけじゃない。勢いで口から出てしまったことなんてよくあると思う。それにあのバカには、このくらい言ってやらなきいけないんだって思ってた。……本当にそれだけだったのに。ジークは動かない。手から、今更のように拳銃が零れ落ちる。重い音が立つ。
 リリーナは、自分の体温が抜け落ちていくような心地を覚えた。
 黒いコートのあの背中が、幼い日に、自分と兄を守って死んだ父親のものに見えた。
「どうするの? 武器を捨てるの、捨てないの? わたしはどちらでもいいのよ。無抵抗でついてくれば、その分だけジークの寿命は延びるわ。……いずれにせよ二人とも死ぬけれどね」
 壊れた人形を抱きしめるように、ビートの身体を後ろから抱くシーナ。純粋にリリーナの反応を見て楽しんでいるような表情をしている。
「あまりわたしを退屈させないで頂戴。すぐに突き殺してあげてもいいのよ?」
 ビートの腕が動き、槍を更に地中へ押し進める。地面から新たに一本、光の槍が顔を出す。じわじわとジークの胸元に槍が近づいていくのを見て、リリーナは唇を強く噛んだ。
「……ッ」
 コートの前のボタンに手をかける。槍の動きが止まる。リリーナは考えることも出来ないままに武器をつかみ出して、外へ投げ捨てた。ハルベルトも、十本単位で格納したナイフも、ブレード・バレルも。兄の真似をして持った拳銃も、サーベルも、戦槌ウォーハンマーも。フレイルにジャベリン、バスタードソードにクレイモア。人を殺すために作られたありとあらゆる武器を、コートの内側から吐き出していく。
「壮観ね。これでどのくらいの昏闇を殺したのか、教唆願いたいものだわ」
 捨ててはコートの内側に手を伸ばしを繰り返す。おびただしい量の凶器が地面に放り出された。展覧会でも開けそうな様相に、シーナがころころと笑う。
「……もう覚えてもないわよ」
 やっと、思考が回り始める。
 吐き捨てながら、リリーナはこれからどうするべきかを必死に考えていた。ジークを盾に取られた以上戦うことは出来ない。だからこうして武器を捨てている。でも、その後は? 武器を全て捨てて、今度はあの真怨の前に身体まで差し出すのか?
 真っ平御免だった。残り少なくなってきた武器を機械的に、なるべくゆっくりと投げ捨てて時間を稼ぎながら、頭を巡らせる。今、次に抜いた武器で攻撃をしようとしたところで、ジークの胸元に槍が刺さるより早くビートとシーナを倒せるかといえば、否だ。やってみなければわからないという口を叩く気さえ起きない。
 考えれば考えるほど絶望的な状況だった。相手の意思一つでジークは死んでしまう。それを防ぐ手立てさえも、刻一刻と手の内から零れ落ちていく。また一本、抜いて捨てた。ツーハンドソードが、地面に半端に突き刺さり、土を捲り上げて横倒しになる。
 無理だ。
 ジークの顔は見えない。今彼は苦しんでいるのだろうか。無理にでも戦いに参加しておけば、この体たらくは防げたのではないか。
「手が遅いわね。脅しが足りないのかしら?」
 じわり、また槍がジークの胸へ近づく。リリーナは唇を噛みながらコートの前を払うように開けた。剣を二本引き抜き、更に捨てる。最後に一つ、グレイヴを掴み出して――一瞬だけためらってから、手を離す。
 地面は凶器の海になっていた。くろがねの鈍い輝きが大地にひしめく。コートの襟口を左右に広げて、リリーナは凶器を隠し持っていないことを示した。
「……全部、捨てたわ」
 口調を強く繕って言い放つ。外套の内側にはもう剣呑な光などなく、ただ黒い布地があるだけだ。それを確認したように、シーナは満ち足りた表情で口を開いた。
「そう、ご苦労様。それじゃビート、そいつを殺して。出来るだけゆっくりとね」
 槍が、再び動き出す。彼女の言葉通り、じれったいほどにゆっくりと、時間を掛けて――穂先がジークの胸へ向かっていく。
「な……!?」
 シーナは微笑を崩さないままで、言葉を失うリリーナへ囁きかけた。
「おめでたいのね、貴女。律儀に約束を守るとでも思った? ……わたしたちは真怨なのよ? 貴女たちの怨嗟と憎悪を供物に生きている――そんな簡単なことも忘れたの?」
 微笑はやがてこらえるような笑みになり、哄笑へと弾けた。
「本当に素敵ね、とても素敵、でもだからこそ滑稽だわ! ああ……貴女、今の自分がどんな顔をしているか解って? 絶望と怒りと、見えない希望に縋ろうとする愚かしさ、私が望むものが全て載っているの!」
「……ッ!!」
 リリーナは声なき声で叫び、最も得意とする武器――ナイフに飛びつこうとした。ただ愚直に、自分はナイフを掴み取る、必ず間に合う、と信じて。しかし真怨が語る絶望は、彼女の信念を容易に曇らせる。
 掴み取りに行ったナイフが、目の前でその赤い一撃に断たれるのが見えた。その向こう側に鎌を振り切ったシーナを認めた瞬間、リリーナはほとんど反射的に両腕を挙げた。
 重い衝撃。体が後ろに弾かれる。地面を転がり、体が地に臥す。続いて、右腕が灼熱した。血が噴き出しているのだと一拍遅れて理解して――視界まで赤く染めそうな痛みに、喉が引きつる。
「――ッあああああッ!!」
 慟哭に近い悲痛な叫びを、しかして悪魔シーナは笑って受け流した。
 リリーナの右腕の肘から先が、ざっくりと深く縦に切り裂かれている。腱をやられているのか、指は力を込めても動こうとせず、代わりに途方もない痛みが襲い掛かってくる。腕を抱くようにしながら臥す彼女を、シーナは冷笑で見下ろした。
「大人しく見ていなさいな。クライマックスに余計な事をするのは無粋だわ。そんなことも判らないの? ほら、もうすぐよ、刃先がコートに突き立って、布地を歪めて、やがて抵抗し切れなくなったコートが刃を許して――服を裂き、肉を割り、貴女のお兄様を生かしている一番大切な部分を壊すの!」
 光の槍がジークの胸のコートに当たる。動いているか動いていないか、遠目には判らないほどのスピードで、しかし確実に槍は進んでいく。
「止めて……、」
 リリーナの喉から、か細い声が漏れた。裂かれた腕を抱きながら、訴えかけるように言う。――無様だろうと、自分で思う。そして実質無様なのだろう。彼女の声を聞いて、シーナは顔をこの上のない喜悦に染めていたから。
「わたしの望みは、貴女から何もかも奪い取って、絶望に染まったその身体を奪い取ることよ。止められる訳がないでしょう? ――さぁ、貴女にもう武器はないわ。そこで目を開いて、お兄様の死に様を御覧なさいな? 見ていることしか出来ない歯痒さを、その綺麗な顔を歪めて、私に教えて頂戴!」
 ――槍の穂先がコートに立つ。布地が張り裂けそうに沈んでいく。それを見る視界が、諦念を受け入れたように滲んでいく。
「止めてぇぇぇええっ!!」
 表情を歪めたまま、リリーナは、頬を伝う涙を振り払うように叫んだ。


「武器なら、あるぜ」


 ――その刹那、空が燃えた。
 歪んだ偽りの太陽が空の一部と共に砕けて、そこに新たな太陽が現れる。――否。猛る炎に包まれたそれは、人だ。空を突き破ったのは、アイスブルーの外套の青年。空を焦がすのは、赤い外套の少年。リリーナが呆けた目で見上げた先には、願って止まなかった希望があった。それも、およそ最高の形で。
「は……?」
 シーナが驚きの声を上げて、空を見上げた。そしてそれは、宙を泳ぐ二人には十分すぎる隙だった。
 炎を纏い、少年――康哉が叫ぶ。
兵器戦術マニューバ・ウェポン! 緊急発進スクランブルッ――笹原ァッ!!」
おうッ!!」
 拳を振り上げ、笹原と呼ばれた男――志縞が応じる。彼が拳を振り下ろすのに合わせ、康哉がその拳を蹴立てる。
 炎が弾けて舞い散ったその瞬間。康哉はただ一発の兵器と化した。
「ッらああああああああああああッ!!」
 自らが放つ叫びすら追い越すように、弾頭弾コウヤが落ちる。志縞が叩きつけた衝撃を己の速力とし、空間を削ったかのような速度で突き抜ける。炎が長く尾を引くのは、恐らく彼が背の帯から炎を放ち、貪欲に速度を求めているためだ――
 リリーナは、群青の空を引き裂く流星のごときその姿に、一瞬だけ、確かに見惚れた。
 輝けるその凶器の名を、
「――衝撃≠フデストラクトォッ!! 空対地弾道弾マーベリックッ!!」
 高らかに叫ぶ――!
「――!!」
 シーナが一瞬迷って、後ろに飛び退いたその瞬間、視界を紅蓮が席巻する。着弾と同時に地表が剥がれ、燃え上がった。咲き乱れる彼岸花が高熱に晒されて水分を散らし、諸共に蒸発するように炭クズと化す。土くれが巻き上げられ、その中で槍を持っていたビートの死骸が燃え尽きる。圧倒的な熱量、そして衝撃。だというのに、その炎はジークを髪の毛一本も脅かすことはない。
 くずおれるジークを康哉が受け止め、その前を守るように、遅れて志縞が降り立つ。
「……な、なんで、遮断は完璧だったはず……」
 寸でのところで攻撃を回避したシーナが、よろめくように一歩下がる。自らを焦がす炎を恐れるようなその仕草に、志縞が冷徹な声を投げつけた。
「俺たちのボスが、貴様らの手の内を解明するのに時間を掛けると思ったか? 位相のずらし方が甘い。共有探知に引っ掛かった時点で、こうなることは目に見えていた」
 真怨は多くの場合領域≠展開し、猟人を引きずりこむ。その上で、外部からの増援を遮断するために様々な処理を施すのだ。位相をずらす事による防護処置プロテクトや、共有探知に同調して領域の姿自体を隠す隠蔽処置ステルスカモフラージュがそれだ。そのため、真怨の領域は発見しづらいのが常である。
 しかし――熟練した室長は、そうした防御策をことごとく打ち砕く。並べても六牟黒は、全分室の中でも卓越した探査能力を持つ室長だ。まだ若い真怨の浅知恵など、紙を破るようにたやすく看破する。
「おれたちの仲間を傷つけた礼はさせてもらうぜ」
 ジークをしっかりと支えながら、康哉がしかめっ面で真怨を睨みつけた。
「――粉々にして、」
「燃やし尽くしてやる」
 志縞と康哉が、刃のような声を吐いた。
| next | index
Copyright (c) 2008 TAKA All rights reserved.