Nights.
PASSING/V
瞬時に、左右を囲んでいたコンクリートのビル壁が消え失せ、緑と毒々しい紅色が広がった。破滅的な、甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐる。僅かな間を置いてついてきたリリーナが顔をしかめる。
歪んだ黄色い太陽と、深海じみた暗さの青い空。明るいはずなのに、空はどろりとしたディープブルーを保っている。その下に広がる紅色の庭園が、二人が足を踏み入れた舞台だった。
庭園の中央に、瀟洒な東屋が見える。石の柱に支えられた洋風の屋根の下、テーブルについて睦まじく寄りそう二つの影が見えた。
片眉を跳ね上げるジークの視線の先で、目を閉じていた二体の真怨がそっとその目を開く。翠緑の光を放つ二対の瞳が、こちらを向いた。
「掛かってくれたみたいだよ、シーナ」
「そうね、期待通りね、ビート」
声が響く。女のものと、男のものだ。気を抜けば同一人物の声と錯覚してしまうほどよく似ている。
彼らはゆっくりと立ち上がり、東屋をくぐって歪んだ太陽の下にその姿をさらした。両の手を指を組み合わせるように繋ぎ、互いに寄りかかるような姿勢で立つ。片や黒いドレスに身を包んだ、ウェービーな髪を持つ少女。片や漆黒のタキシードにダークブラウンのネクタイを締めた、外跳ねの髪の少年。
髪の色は銀、瞳の色は翠緑、顔の造形は瓜二つと、細部はひどく似通っている。違いといったら、服装と髪の長さ程度だった。
姿を現した真怨に、リリーナが身構える。ジークもまた無表情のまま、コートの前を広げた。相手が一体だろうが二体だろうが、やることには聊かの変わりもない。
外套の下のダブルショルダー・ホルスターから二挺の拳銃を抜く。常用している〇・四五インチ口径、死を叫ぶためにある二振りの黒い牙――ストレイヤーヴォイト・インフィニティ・インファイトカスタムである。敵に押し付けたまま撃てるように銃口に配された、肉叩きのようなマズル・スパイクが鋭く光る。
トリガーガードに指を引っ掛け、くるくると拳銃を回して弄びながら呟く。
「気配を誤魔化すのが上手いらしいな」
真怨たちが笑う。嘲りを口元に浮かべて。
「誤魔化すのが上手いんじゃあない」
「わたしたちは、もともと二人で一人、そして一人で二人」
「僕はビート、彼女はシーナ」
「一つの鞘から生まれて、そして今も昔もこれからも、ずっと一つ」
よく見れば、僅かに少年のほうが背が高い。ビートと呼ばれた真怨は、くるりと少女――シーナの後ろに回った。腕で囲うように抱きすくめ、その首筋に顔を埋める。シーナはビートに背を預け、そっと彼の銀髪を梳る。
ジークの中で苛立ちが膨れ上がる。別個の存在が一つになどなれるはずがないのに、彼らは当たり前のような顔をして、同一性を主張する。
「片方が死んだらどうなるか、試してみるか。面白い実験になりそうだ」
銃を受け止めて、ジークは安全装置を弾いて下ろした。
「怖いことを言うんだね」
「でも大丈夫、わたしたちは死なない」
「死ぬとすれば、それは君たちさ」
「彼岸花が教えてくれるわ」
「逝き先を、ね」
人形じみた端整な顔を笑みにゆがめ、二体の真怨が構えを取る。ビートは槍を、シーナは鎌をその手に生み出した。いずれも魔具ではない。
「言ってくれるじゃない。あんた達みたいな名前も売れてない三下が、あたしたち相手に喧嘩を売って生き残れるとでも思ってるの?」
リリーナが攻撃的な台詞をぶつけるのを聞きながら、ジークはぼんやりと苛立ちの正体を悟った。二人が二人、互いに依存して溶けあって、離れられなくなっているあの姿は、共依存の最たる姿だ。
距離を測りあぐねて軋轢を起こした自分とリリーナを皮肉るような、あの在り方が気に入らないのだ。
――あんなものは違う。オレとリリィは、違う。
ジークは安全装置から解き放たれた獰猛な牙を握り直し、冷然と一歩を踏み出した。横に並ぼうとするリリーナを、腕で制する。
「な、何よ?」
「お前は後ろで見てろ」
リリーナが肩を震わせる。反論しようと彼女が唇を動かすのを遮るように、言葉を重ねた。
「今のお前とじゃ、いつものようにはできない。解ってるだろ、そんな簡単なことくらい。今のお前は不安定だ。無理に動きを合わせたところで、いつかは綻びが出る。今の状態で同調をやろうとするのは、火薬を抱えて火の海に突っ込むようなもんだ」
言葉を並べるが、リリーナが収まる気配はない。噛み付くような語調で反駁が来る。
「だからって、一人で行かせるわけにはいかないでしょ? いつもみたいに出来なくても、単純に二対二に持ち込めれば……」
長く尾を引きそうな言葉の群れを断ち切るように、ジークは口を開いた。
「相互補助の出来ない共闘に意味はない。はっきり言っておくぞ。今のお前が横にいても、照準の邪魔になるだけだ」
「――!」
言葉を失ったリリーナを置き去りに、さらに二歩、前へ歩く。二体の真怨が楽しげに笑っている。
「仲間割れかい?」
「余計な世話だ」
「人間は面倒なのね。私達みたいに仲良くできないのかしら」
「親愛と相互依存を取り違えるなよ。願い下げだ」
ジークは深く息を吸い、ビートとシーナを順に見た。
「闇殺者=Aジーク=スクラッドだ」
「知っているよ。君たちのことは」
「あなたたちを狙ってここに来たんですもの」
「曰く、スクラッドの二人には関わるな――とも伝え聞くけれどね」
「でも今日は一人みたいだから、安心かしら?」
嘲笑を漏らす真怨の前で、ジークは声を震わせることもなく冷然と言った。
「一人だろうと二人だろうと関係のないことだ。オレが闇殺者と呼ばれる理由を骨の髄まで刻み込んで消えていけ、真怨ども。覚悟はいいな?」
「こっちの台詞さ、ジーク=スクラッド」
「生まれてきたことを後悔させてあげる」
真怨が動き出す。ジークは二挺の銃を上げ、深く息を吸って突貫した。
ジークが低姿勢を取り、加速の態勢に入るのをリリーナは見た。
ジークの言った言葉が、胸の奥で反響している。邪魔でしかないと、正面切って言われたのは初めてだった。
これまでずっと、彼には自分がいないといけないと思ってきた。身の回りの世話も文句を言いながらこなしてきたし、彼が懊悩する事があれば、それを話してほしいと思ってきた。彼のことなら、誰よりもよく知っているはずだと思っていた。
持っていたはずの自信は、今はもう淡雪よりも脆い。たわめた膝を一気に伸ばし、ジークは弾丸のように駆け出した。距離が遠ざかる。リリーナに許されたのは、兄の戦う姿を後ろで眺めることだけだった。
爆発的に加速するジークに、二体の真怨が己が得物を構える。相対距離七メートルのショートレンジ。
「やあ、流石に速いね」
「でも対応できないわけではないわ。――まだ見えるもの」
ジークは声に答えもせず、乗せた勢いもそのままに銃弾を連射した。ビートが槍で銃弾を弾く。空中に美しい火花がいくつか咲いた。さらに距離を詰めようとするジークに向け、シーナが鎌を振るった。ただの空振りに見える鎌の切っ先から、血の色をした何かが迸る。
ジークは吹っ飛ぶように右に跳んだ。彼が通るはずだった道を、赤色の衝撃波が引き裂く。シーナは続けざまに鎌を振るった。鎌から生み出される衝撃波がジークの移動コースを阻害していく。シーナに合わせるように、ビートが槍を突き出した。穂先が輝き、そこから針のように鋭い光の刃が放たれる。
リリーナが息を呑むほどのコンビネーションを前にして、しかしジークは鋭く動いた。
胴に来た衝撃波を地を這うほどに屈んで回避し、立て続けに迫る次撃を地面を転がりながら回避する。地に足が付いた瞬間には左へ跳び、空中にいる己を狙撃する光の刃を銃弾で叩き落す。絶技といって差し支えない。
――本当に、あたしはもう、要らないのかもしれない。
胸がずきりと痛む。眼前では戦いが続いていた。
「定義、銃弾、再来」
朗々と声が響く。ジークの持つ銃に淡い光が点り、彼が能力を使うことを教えていた。
「銃撃回廊」
銃声が連なった。一つや二つではない。ガトリングガンの連射を思わせる発射サイクルだ。拳銃を使って出せるような音ではない。凄まじい連射密度で構築された弾幕が、ビートとシーナへ押し寄せる。
「へえ」
「やるものね」
二体の真怨は示し合わせたように左右へ駆け出した。銃弾は何もない虚空を穿ち、彼方へ消え去っていく。ビートはジークの右へ、シーナはジークの左へ、それぞれ回り込んで接近し、武器を構えた。
ビートが繰り出す薙ぎ払いをジークは銃で受けとめる。続けざま左方、首を跳ねんと振るわれた鎌での一撃を身を屈めて避け、跳んだ。空中で身をひねり、追撃が来る前に銃を真怨たちへ向ける。
圧倒的な速さにビートとシーナが目を瞠るのが見えた。そして、またも銃声が連なる。
放たれる銃弾の嵐を、真怨らは辛うじて叩き落しながら後退する。それを追うこともなく、ジークは悠然と着地した。銃を前に突き出し、煽るように自分のほうへ振って見せる。
「掛かって来いよ。あんまり退屈させてくれるな」
挑発に、ビートが唇を歪ませる。シーナが鎌を構えなおした次の瞬間、ビートはジークに向けて突貫した。加速の勢いもそのままに、顔面狙いで槍を突き出す。ジークは首を傾げて避ける。続いて心臓狙いの突き。銃で穂先を弾いて除けるジークの前に、五月雨のごとく連続攻撃が襲い掛かる。
「退屈といったね、闇殺者! ならば凌いで見せるがいい!」
哄笑とともに降り注ぐ連撃に、ジークは防戦を強いられる。銃が穂先によって傷つき、ガンブルーが剥がれて鈍い銀色が露になっていく。拳銃の側面、『INFINITY』の刻印が傷つき、奇妙な文字列へと変貌を遂げていった。
リリーナが目で追えたのはそこまでだった。もはや瀑布の勢いとなったビートの攻撃は、それでも更に加速する一方である。彼女の動体視力をもってしても銃の仔細がつかめないスピードに達する頃、ビートの渾身の槍撃がジークの胸へと繰り出された。かざした右の銃の中央に槍が叩き込まれ、スライドに亀裂が走る。ジークがたたらを踏んだその瞬間、ビートが飛びのいた。示し合わせたように空に影が躍る。シーナだ。
「優秀さが驕慢を生むのよ。来世の教訓になさい」
空中で前方に一回転、その勢いを乗せてシーナは上空から鎌を振り下ろした。刃先から先ほどとは比べ物にならない大きさの衝撃波が発生し、動きを止めたジークへと襲い掛かる。
降り注ぐ赤き風は過たずジークに命中し、余波で周囲の彼岸花と土を吹き上げた。もうもうと土煙が立ち込める。
「ッ……!?」
悲鳴じみた声を上げかけた瞬間に、リリーナは違和感を感じて喉を絞った。
あの血色の衝撃波が炸裂する刹那。彼は……どんな表情をしていただろう。
「……なるほど」
土煙が晴れていく。シーナの攻撃の爆心地に、一つの影がある。拳銃を頭上で交差する姿勢で止まっていた。
手に持った二挺の拳銃が砕ける。スライドが割れ落ち、部品がばらばらと零れていった。固定されなくなった銃身が微動して音を立てる。
煤けたコートと頬を這う一条の紅。捧げ持つ壊れた拳銃を降ろす。コートはところどころが破れ、武器は壊れて使えず、窮地に立たされたその男――ジークは、
「対等だと認めてやる」
笑っていた。
リリーナは、彼の笑みを見て息を呑んだ。ぞっとするほど冷たい笑いを浮かべて、ジークは二挺の拳銃を地面に置く。
「この期に及んでまだそんな傲慢な口を叩けるのかい」
ビートが呆れたように言った。シーナが口元を押さえて笑う。
「謝るくらいのことはしてくれると思ったわ。謝ったって殺すけれどね」
「しかし頑丈な体だね。君を狙ってきた甲斐があった」
「そうでなくては乗り換える価値もないものね」
真怨たちは嘲り切った笑みを浮かべ、ジークを見つめている。
この世界で真怨たちが猟人の肉体を狙うことは日常茶飯事と言っていい。猟人たちは魔具を使うことに慣れているし、総じて霊的な素質がある。この二体の真怨が、名うての猟人であるジークや自分を狙ってここに来ることは、決して不自然な話ではなかった。
――ああ、だからこそ、救いようがない。彼らは、ジーク=スクラッドを本気にさせてしまった。
「今から死ぬまでの間、精一杯神に祈れ」
ジークは真怨たちの言葉を一顧だにせず、コートの前を開けた。ばさりと裾が翻る。その下には、彼の最後の牙がある。両腰につけたホルスターに収まるのは、ワンオフモデルの二挺拳銃。
「来世はもっとマシな存在に生まれられるように」
彼は銃を引き抜いた。それは五.七五ミリの裁きと、.五〇口径の神罰。昏闇を裁き、刑に処すために生まれてきた、死を叫ぶものたち。
左に裁定、右に極刑。両手に二挺の銃が輝く。ジークは迷いなくボルトを操作し、初弾を装填した。金属音は、足元に転がる二挺の死を悼むように響く。
「……僕らに勝てるつもりでいるのかい? 君が」
ビートの声が響く。八メートルほどの距離を挟み、ジークは両手に銃をだらりと垂らしたまま応じた。
「逆に聞くぞ。お前らは、オレを殺せるとでも思ってるのか? だとしたらそれは――」
ジークは笑いながら、銃を持ち上げた。
「幸せな、夢だな」
「……もういいわ。自信たっぷりの男の話って、聞いているとうんざりするの」
「同意見だね。そろそろ殺してしまおう」
ビートが槍を持ち上げ、顔の高さで構える。その穂先に仄明るく燐光が宿った。傍らではシーナが鎌を水平に持ち、薙ぎ払いの予備動作を取った。それを前にしてジークは暗い笑みを絶やさぬまま、詠唱を始める。
「定義。領域、拡張」
「何をする気か知らないが――諦めなよ、ジーク=スクラッド。動かないほうが楽に死ねるだろうから――さあッ!!」
裂帛の気合とともに槍が突き出される。穂先の輝きが増し――突如として、炸裂した。喩えるならば散弾銃、一つの刺突が無数に分化し、その一つ一つが光の槍として撃ち出される。圧倒的な面的制圧。リリーナも横で見ているからこそ攻撃の全容を掴めるようなもので、これを眼前で放たれたとすれば避けきれたとは思えない。
リリーナが引きつった悲鳴を上げかけた瞬間、ジークは唇を動かして、かさかさに掠れた声で呟いた。
「超越領域」
その瞬間、リリーナの視界からジークは消えた。
耳を聾する銃声が巻き起こる。リリーナに理解できたのは、銃弾が槍を確実にいくつか叩き落したことと、ジークがあの光の槍衾を通り抜けたということだけだった。
「は……?」
ジークの姿が、ビートの前に唐突に『発生』した。まるでコマ落としに見える速度で彼は移動する。ジークが無造作に右足を振るった瞬間、ビートの身体が真横に吹き飛んだ。
「がッ?!」
空を滑るように飛び、空中でもがく様な素振りを取ったのも束の間、そのまま彼の身体は東屋に突っ込み、中央の石柱に直撃した。柱が砕け東屋は崩れ落ち、ビートの姿が瓦礫に消える。
「……ビート!!」
シーナは鎌を振るった。殆ど反射的だっただろう。確かにその反応は早かった。……しかし、死神の足はそれよりも速かった。
振り切られた鎌の先に爪先が乗る。シーナの鎌の上に、退屈そうな顔をしてジークが立っている。
超高速反応速度。筋力常時限界稼動。超感覚的認識能力。ジェネシスの影響下にいるジークは、常世に存在するあらゆる法則から開放されるのだと聞いていた。代償は、ついていけない肉体の急激な損耗だとも。リリーナは右手を握り締める。
空まで突き抜けそうな銃声が二つ響き、シーナの両肘が破裂して前腕が捥げ落ちる。形容しがたい悲痛な叫びが響き渡った。地面に落ちる鎌が落ち、同時にジークは音もなく地に降り立つ。そのまま路傍の石を蹴飛ばすような無造作な動きで、シーナの腹を蹴り抜いた。悲鳴が濁り、前腕を失った少女が宙を舞って力なく落ちる。
「……貴様ァ……ッ!!」
東屋の瓦礫が吹き飛び、中から少年が飛び出す。目に憎悪を燃やし、槍を振りかざしてジークへと近づいた。気迫とともに繰り出される槍の刺突は凄絶の一言。ひとたびその穂先に触れれば命はないと思わせる、荒れ狂う槍捌きであった。
しかし、それすらもジークの前には無力に等しい。いかに力強く、いかに数多く突いても、その穂先よりも速く動くものを捉えられる道理はない。高速戦闘機を自動小銃で落とそうとするようなものだ。
「真怨にも仲間内への情くらいはあるのか。お笑い種だな。真怨だってんなら、もっとそれらしくしてろよ」
喋る余裕を見せつけながら、連続で繰り出される槍を全て紙一重で回避する。いささか大振りな一撃を避けきった瞬間、ジークはビートの胴へ蹴りを叩き込んだ。そしてそのまま即座に地面を蹴る。一瞬で最高速まで加速し、蹴り飛ばしたビートへと追いつく。刹那、ジークは猛獣もかくやという動きでビートへ飛び掛かった。上から踏み下ろすように胴へ右足をねじ込み、ビートの上に乗ったまま地面を滑走する。
動きが止まったとき、ビートには槍を握る力も残されていないかのようだった。手から零れた槍が転がる。
「あッ……が……」
「ビート……!!」
辛うじて立ち上がったシーナが必死に駆け寄ろうとするその目の前で、ジークは極刑の銃口を持ち上げ――
「祈りの時間は、ここで終わりだ。あばよ」
容赦なく、トリガーを引いた。
銃声が響くのと同時に、ビートの頭が赤黒い霧になって弾け飛ぶ。シーナが伸ばした腕がビートの手を掴むことは永久にない。だって、彼女の手のひらは既に捥げ落ちているから。
「あ……あ」
返り血を頬に貼り付けて、シーナは呆然と立ち竦む。ジークは事も無げに死体から足をどけて、一言呟いた。
「術式解除」
ジークを取り巻く異様な気配が消えうせる。ゆっくりとシーナのほうに向き直った瞬間、彼は体を折って数度咳き込んだ。口元を乱暴にぬぐった彼の手元が赤く濡れていたのを、リリーナは見逃さない。
――どうして、そこまで。
二人で戦えば、もっと容易に勝てる相手だったはずだ。なのになぜ、ジークはこうまでして自分の力を誇示するような戦い方をしたのだろう。彼のことが、また少しだけわからなくなる。
十九年もそばにいたのに。気づけば、あの背中は手が届かないほどに遠い。
リリーナが唇を噛み締めるのも我知らずといった様子で、ジークは、二歩歩いてシーナの額へと銃口を向けた。口元のかすれた血色が毒々しい。
「終わりだ。お前もこいつの後を追え」
冷然とした声からは、一片の慈悲すらも感じられない。ジークは熱から醒めたような無感情な目で、真怨を見つめている。
シーナは俯き、細く呼吸を繰り返していたが――唐突に、肩を震わせはじめた。
泣いているのかとリリーナが目を逸らした瞬間、聞こえてきたのは――嗚咽ではなく、けたたましい笑い声だった。
「何がおかしい。気でも触れたか?」
ジークが怪訝そうな表情をする。シーナはくの字に身体を折り、おかしくてたまらないといった風に瞳を弧に歪めた。囁き声で、ひそやかに紡ぎだす。
「言ったでしょう。優秀さが驕慢を生むって」
言葉の意味を解する前にリリーナは気付いた。
――一つの鞘から生まれて、そして今も昔もこれからも、ずっと一つ
彼らが言う言葉が誇張でもなんでもないとすれば、それは――
「――ジークッ!!」
リリーナは叫んだ。ジークが振り向くことを祈って、あらん限りの声を張る。その叫びを待たぬがごとく、ビートの死骸が蠢き、槍を握った。
「……!!」
ジークが一瞬の逡巡を見せる。その一瞬が、明暗を分けた。首から上のないビートが、地面に槍を突き刺す。リリーナは目を見開いた。ジークの足元から、間欠泉のごとく光が吹き出る。ジークに反応を許さず――地面から飛び出した数十本の光槍が、檻のようにジークを囲い、貫いた。
Copyright (c) 2007 TAKA All rights reserved.