Nights.

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  PASSING/U  

 時刻は既に、深夜三時過ぎだった。駅前のビル街には、少し前までの喧騒の名残しか残っていない。酔いの回った中年男性に、けばけばしい化粧の若い女、二・三人で徒党を組む無軌道な若者達と言った顔ぶれがちらちらと見られる程度だった。
 眠りつつある街で、黒いコートを翻す。発生座標地上三メートル。認識した瞬間に軽く姿勢を正して、ジークは地面にふわりと着地した。誰も振り向きはしない。猟人の姿は、普通の人間には見えないのだから。
 冷たい風が頬を撫でていく。舞い落ちる雪の欠片を横目にして、溜息をついた。間を置かず、背後に軽い足音が響く。刺すような視線を背中に感じて、肩越しにちらりと振り返った。
 言わずもがな、後ろにいるのはリリーナである。半眼の鋭いことといったら、容易にナイフを想起させるほどだ。不機嫌という言葉を表情に直したら、今の彼女のような顔になるに違いない。リリーナは足を止めず、ジークの横に並び立った。
「で? 何を暗い顔してるのかしら、うちのリーダーさんは」
「考え事だ」
 右斜め下から来る鋭い視線を避けるようにジークは一歩踏み出した。少し遅れてリリーナが追従する。足早に駅前の道を歩く。
「聞いてあげるから、話してみなさいよ」
「別に、そこまでしてもらうこともない」
「……言えないようなこと?」
「だから言ってるだろ。言うまでもないようなことさ」
 はぐらかしながら、ジークは周囲に昏闇の気配を探す。路地を覗き込もうとしたとき、視界にリリーナの姿が割り込んだ。唇を引き結び、美麗な眉を怒らせている。
「言うまでもないようなことで、あんたはあんな顔、しないでしょ」
 ――勝手に決めるな。
 出かかった冷たい言葉を、舌の上で溶かして飲み込む。ジークは一呼吸置いて口を開いた。
「……何でもないんだよ。お前が心配するようなことじゃない」
「それはあんたが決めることじゃないわ。アタシが聞いて決めることよ」
 自信たっぷりに見上げるリリーナの目に、ジークは僅かに表情を硬くした。普段ならば、ジークは折れていたはずだ。仕方なさそうに内情を零していただろう。しかし、この日は――違った。
 普段なら嘆息するだけで済むはずだった。なのに、言うのが当然とばかりの彼女の態度が心を刺していく。いつにない反感が鎌首をもたげた。溶かしたはずの突き放すような言葉が、喉の奥で凝り固まる。
 この問題は、自分の中で浮かび上がって自分の中で引っかかったことだ。そこまで詮索されるのは過干渉だとジークは思う。気だるそうにリリーナの肩に触れ、横へ押しのける。
「ッ、何……」
 リリーナが短く息を詰める。それに気付かないふりをしながら、ジークは覗き込んだ路地へ進み入った。彼女の言葉を遮って、冷えた声を吐き出す。
「いいか、リリィ」
 覗き込むように顔を近づける。仰け反るようになるリリーナにの瞳を真っ向から見据え、ジークは抑えた声で淡々と続けた。
「考え込みたいことくらい、オレにだってある。根掘り葉掘り聞き出せればお前は満足かも知れないがな。悩みがあったら何でもかんでも打ち明けて、ウジウジとクダを巻く……それこそオレの柄じゃねえだろ。それとも、そういうオレが見たいのか、お前は」
「そんなこと言ってない! アタシはただ……」
 気色ばむリリーナの言葉を遮り、続ける。
「ただ、なんだ。相互理解がどうのって高説を垂れてくれるつもりか? 今回ばかりは言わせてもらうが、そいつは押しつけってもんだぜ。誰にだって踏み込んでほしくないところはある。秘密がなけりゃ人間関係は成り立たない。……そいつはオレとお前の間だって、例外じゃないんだぜ」
 声が重く響く。まるで押されたように、リリーナは一歩後退った。ビルの壁に背が当たり、コートの布地が乾いた音を立てる。戸惑うような、どこか消沈した声で彼女は呟いた。
「何、いきなり怒ってるのよ」
「別に怒ってねえ。ただ、思考の端から端まで共有するなんてことはできやしねえんだってことを判れって言ってる。……リリィ。お前は、なんでそこまで知りたがる?」
「そんなのッ……あんたが浮かない顔してたら、アタシまで嫌な気分になるからで……そう、心配なのよ、あんた一人じゃできない事なんて沢山あるんだから! だからアタシが聞いて、解決できるなら手伝おうって思って……それだけだよ。……ただそれだけ」
 僅かに俯きながら、リリーナは言う。途切れ途切れに浮かんでくる言葉は弱弱しい。
 しおらしさに怯みそうになるが、おくびにも出さない。ジークはいかめしい顔のまま切り出した。
「そりゃあお前を頼るときはある。ジェイルと戦うときがそうだった。けどな、何もかもからオレを守ろうなんてことはしなくていい。お前はオレの保護者じゃないし、オレだって世話を焼かれっぱなしでいようとは思わない」
 リリーナは顔を上げようとしない。しおらしい様子に若干語調を緩めながら、言葉を継ぐ。
「一人でできることは、一人で解決する。できなくても、できるようになるために努力する。当たり前のことだ。……この前みたいに長く別行動を取ることもある。もう少し、距離を考えなきゃならない頃だろう。依存するためだけの関係は、かえって有害だ。だから――」
 ――もう少し、オレを信じてくれないか。
 言おうとして、炯々と光る彼女の瞳に気がついた。いつの間にか、彼女は顔を上げている。ガン・ブルーの視線が、無表情にジークを射抜いた。
「そう」
 次に出すはずだった一言を思わず飲み込む。リリーナの声は、コンクリートの壁に吸い込まれてしまいそうなほどに小さい。しかし、ジークを黙らせるだけの何かが、その奥にあった。
「アタシがしてることは、全部お節介になるってこと」
 ささやき声は、ゆっくりと起き上がる銃の撃鉄の響きに似ている。
 ジークは有り触れた否定を吐き出し、首を振った。
「そうは言ってない」
「でも、迷惑そうな口ぶりじゃない。そんなにアタシと離れたい?」
 抑揚のない声は、所々が僅かに震える。真っ向から向けられる彼女の瞳の奥に、隠し切れない激情が見えた。その時になって始めて、ジークは特大の地雷を踏んだことに気が付いた。糸一本、或いは皮一枚のところで、彼女は感情の爆発を抑えている。
 ジークは爆発物処理員になった心地で、慎重に言葉を選び、
「……だから、そうは言ってない。落ち着いて話を」
「じゃあ何だってのよッ!!」
 ――ものの見事に処理手順くどきもんくを間違えた。
 天を仰ぎたい気分になって、ジークは表情を歪めた。恋人になじられる男の気持ちが少しだけわかる。リリーナは目を三角にして、語気荒く言葉を並べ立てた。
「なによ、心配するのってそんなに悪いこと?! あんたの様子がおかしいとき、何を考えてるのか気になって、だから聞きたいって思うのはいけないことなの!? アタシが分かり合いたいって思うのが……そんなに嫌なら、最初から突き放してよ! 都合のいいときばっかりアタシに頼って依存するくせに! そんなこと言われたら、どこまで近づいていいかわからなくなるじゃない!!」
 火をつけたマグネシウム・リボンのような勢いでまくし立てると、リリーナは目の端に涙を浮かべた。
 戸惑いと怒りが綯い交ぜになった響きがジークの胸を正面から叩く。重いパンチを貰ったようにジークは息を詰めた。 
「リリィ、落ち着け。感情的になるな。引き摺られそうになる」
「誰のせいでこうやって叫んでると思ってるのよ!」
 苦しげに呟いた言葉さえ、彼女には聞こえていないかのようだった。
 浮かんだ涙を拭い、リリーナは赤くなった目でジークを睥睨する。
 一歩歩けば腕の中に包んでしまえそうな距離にいるのに、その距離が果てなく遠く感じられるのは何故だろうか。手を伸ばそうにも、爪を立てられるビジョンしか浮かばない。逃げ出したい気分になる。
「大体、世話焼かれたくないっていうなら、その前に何もかも自分でやって見せてよ、アタシを安心させてよ! アタシだって――やりたくてあんたの世話をしてるわけじゃないんだから!!」
 声に貫かれたように、ジークは息を止めた。
 売り言葉に買い言葉だったのかもしれない。彼女は完全にヒートアップしていたから、その可能性のほうが大きいだろう。頭ではそう判っていた。
 それでも、冷たい寂寥感が沸くのを止められなかった。
「……本気で言ってんのか、お前」
「これが本気に見えなかったらあんたの目はどうかしてるわね、弾丸たまを外す前に取り替えてきたら?」
 挑発するようなリリーナの言葉に、ジークは沈黙を保ったまま目を閉じた。街の僅かな光さえ締め出すように、固く。浅い呼吸を平素と同じになるように整える。
 諦念に似た冷めた怒りがあった。――だが、少なくとも、翻弄されている時よりは精神的にゆとりがある。それがよかったのだろう、ジークは足元に流れるかすかな違和感を察知した。
 それを逃避先いいわけに使おうと思わなかったと言えば、嘘になる。――彼女の尖った言葉に怒りを返すよりも、憎んで当然の存在を憎む方が、随分と楽に思えた。
 ジークは目を開き、静かに言った。
「……そうだな。そうなんだろうな、オレは」
 視線を逸らし、リリーナの前を離れて歩き出す。「え、」と戸惑うような声が後ろから聞こえた。構わずに、路地の奥へ、奥へ。意識が澄む。彼女を思考から追い出したからだろうか。
 鼻をすん、と鳴らすと、路地裏の据えた臭いに混ざって花の匂いがした。滅びをイメージさせる、退廃的な香りだった。進めば進むほど花の香りは強くなり、違和感もまた大きくなる。
「……話が終わってないでしょ!? なによ、判ったような顔して!」
 噛みつくような声に、足音が続く。早足に追いかけてくる気配に、タイミングを合わせて振り返る。肩を掴みに来たリリーナの手首を、余裕を持って掴み取った。
 彼女が息を呑むのが聞こえるほどの近距離で、名前を呼ぶ。
リリーナ、、、、
 温度のない声だった。路傍の石ころに語りかける機会があるとしたら、そんな平坦な語調になることだろう。抑揚に欠ける調子で、ジークは久しく呼んでいなかった彼女の真名を呟く。
 掴んだ腕から力が抜ける。リリーナは動きを止めた。次にどうしたらいいのかわからないような顔をして、潤んだガンブルーの瞳を瞬いている。
「わからないか? 敵がいる。……話は後だ。行くぞ」
「敵……?」
 戸惑いがちの声を上げて二秒、何かに気付いたようにリリーナは唇を噛んだ。
 それを確認してから彼女の手を離し、再度路地の奥に続く暗がりに目を向ける。まるで奈落に続く道のようだ。暗がりの奥から、細かな花弁が地面を舞い転がってくる。ジークは息を吸い、再び暗闇の奥へと足を進めた。慌てたようにリリーナがついてくる。
 数秒も歩けば、路地の中ほどに異質な空間が生まれているのが見えた。それは常世の領域ではない、真怨たちが住まう世界。ジークの目には、『こちら』と『あちら』の境界が明確に見える。
 空間から感じる敵のおおよその力、夜明けまでの残り時間、自分の状態――それらを仔細に検分し、ジークは結論を下した。
 敵は真怨が一体。コンディションが万全でなくとも、この程度なら――殺れる。
 足を止めることなく、領域に近づく。境界面まであと三歩の距離という所で、後ろを歩くリリーナが僅かにたたらを踏むのを感じた。
 合わせたように立ち止まり、そっけなさを滲ませて問いかける。
「どうした。怖いのか?」
「……逆に聞くわよ。あんた、平気なの?」
「これが仕事だ。お前だってそうだろう」
「違う、そうじゃない、別に真怨が怖いわけじゃない」
 言葉を聞き、肩越しに振り返る。
 リリーナはコートの胸元を握り締め、吐露するように言った。
「ないの? あんたには。言い合いして、落ち着かないとか……そういう揺らぎ、みたいなもの」
 魔具は、己の心の力を使って現実を壊し、異能を発露するための道具だ。精神が揺らげば、発揮できる力にもブレが出る。
 リリーナが躊躇しているのが肌でわかった。皮肉なことに、今日この日まで、戦場に兄妹のいさかいを持ち込んだことはなかった。不安を感じるのも無理からぬことだろう。
 だが、ジークは平静な態度を崩さずに呟いた。
「お前より四年早く生まれて、お前より五年長くこの仕事をやってきた。目の前の戦いに専念する方法くらい、ずっと前に覚えたさ」
 ――いつも通りの顔を取り繕うことも、本心に嘘をついて表情を作ることも、覚えた。
 成長するとは、磨耗することなのだと思う。余計な凹凸を削り落とされ、引っ掛かりのないように整えられて、回りとぶつかるのを避けながら生きていくのだ。
 磨り減る過程で、様々なことを忘れていく。言い訳をせずに真っ向から言い合う素直さを、相手の本心を追究する勇気を、嘘と欺瞞を憎んだ真っ直ぐさを。
 唇を噛んだリリーナを見て、ジークは内心、自嘲した。逃げ場を求めて真怨の待つ方向へ歩いて、妹に大口を叩き、悦に入る。――確かに兄貴失格だ。そろそろ本当に愛想をつかされても、おかしくない。
「……行くぞ。真怨がお待ちかねだ」
 心の水面に泡沫のように浮かぶ自虐的な言葉を断ち切るように、呟いた。正面に向き直り歩き出す。
 領域に鼻先が触れた瞬間、世界が塗り変わった。
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