Nights.

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  PASSING/T  

「どうなると思う」
「まず初戦は惨敗ってとこね。昏闇とならともかく、対等な猟人ハンターと戦うなんて、あの二人には経験ないし。ねえクロ、相手役のエーテルゲインはどのくらいなの?」
「厚木の相手がW、笹原の相手がW+だ」
「……オレも負けるほうに賭けることにした。三千円」
「全会一致じゃ賭けにならないじゃない」
「ならノーゲームだ。金の動きも遺恨も生まれない、万々歳だな」
 ジークはコーヒーを飲み干し、肩を竦めた。お代わりとばかりカップを突き出す。カウンターの向こうで黒が小さく笑いながらカップを取った。黒い液体を満たしていく。
 スカートの裾をつまみながら、リリーナがぼやく。
「賭けをしようって言ったのはそもそも誰よ、まったく……」
「細かいことを気にすると皺が増えるぞ。……しかし、クロ、あんたのその力は便利だな」
 ジークはリリーナの鋭い眼光をさらりと受け流しながら、差し出されたコーヒーを再び受け取る。黒は口の端を僅かに笑みに歪め、シンクに残る洗い物を片付け始めた。
「確かに新人教育には使いやすい。もっともこれをやると、そのまま折れてしまう人間もいる。使いどころが難しいのだよ。……過去に自分よりも遥かに上手く、自分の魔具を使いこなした人間がいる。それを認めた上で、本当の意味で過去を超えようとするというのは、難しいことだ」
 意味ありげな視線が向かってくる。ジークはブラックのままコーヒーを啜り、苦笑がちに呟いた。
「耳の痛い話だぜ」
 過去を越える、というフレーズが耳にこびりつく。胸のロザリオの鎖を指で掬い、ジークは目を閉じた。
 思い返せば今なお鮮烈に目に浮かぶ。父親の背中は、とても大きくて――越えられない壁に似ていた。
 劣化コピーにはなりたくなかった。けれども、今の自分が父を――カレル=スクラッドを超えたかといえば、そうではない。リリーナと二人でやればもしかしたら、という希望は確かにある。しかし、一対一で父に打ち勝つビジョンは、未だにどうやっても思い浮かべることが出来ない。
「……少しは自信持てばいいのに。あんたは、ちゃんとやってるじゃない。アタシは少なくとも、何回も助けられてるんだから。ま、同じくらい助けてもいるけど」
 リリーナがカップを口元に運びながら呟く。その目は、どこか遠い過去を見ているように見えた。兄妹とは時々厄介なものだ。なまじ長い時を共に過ごしたせいで、互いの思考が透けて見える事がままある。
 ジークは目を細め、リリーナに目を向けた。視線が重なり、そのまま二秒。戸惑うような声で、リリーナが言う。
「何よ」
「いつになく褒められたから、少し気になっただけさ」
 はぐらかすように言ってやると、リリーナは唇を尖らせた。
「うるさいわね、別に、ホントのこと言っただけじゃない」
 そっぽを向く彼女に、黒が小さく笑った。
「まあ、そう刺々しくなるな。そもそも、俺が言ったのはそういうこともある、という程度の経験論だ。君たちにはまったく関係のない話だよ」
 黒の仲裁に、リリーナはしぶしぶと言った調子で矛を収めた。紅茶を飲み干し、「おかわり」と黒に突き出している。ジークは黒に軽い目礼をした。気をつけたまえ、という風な苦笑が帰ってくる。
 自分とリリーナの間には、目に見えない強い絆がある。ジークは今更ながらそれを実感していた。環境のせいもあるが、たとえこういう境遇に――ナイツの一員の子供として――生まれなかったとしても、きっと自分は彼女を大切にしていただろう。そう思える。
 けれど、こういうときだけはほんの少しそれが辛い。はぐらかしても、ごまかしても、裏があればそれを嗅ぎ付けられてしまう。隠し事が難しい。
 恐妻家の気持ちが少しだけわかる気がした。
「……決着がついたようだ」
 不意に、黒が呟く。それとほぼ同時に、仮眠室のほうから筆舌に尽くしがたい音が聞こえてきた。
 黒に目を向けると、彼は二秒ほど静止したあと、おもむろにグラスを取って布で磨き始めた。ランプにグラスを透かす姿が喩えようもなくわざとらしい。
「座標、間違えたんじゃないの? クロ」
 二杯目の紅茶を受け取って啜っていたリリーナが、ぽつりと呟いた。ジークが考えたのとまったく同じ内容だった。
「たかだか数十センチの差は誤差に過ぎないと主張する」
「その数十センチで若い才能が二つばかり消えたかもしれないな。生きてるか、あの二人」
 言って仮眠室のドアに目を向けると、十秒ほどしてドアが開いた。オールバックがめちゃくちゃに崩れた志縞と、ツンツン髪がぺったりと寝ている康哉が並んで出てくる。両方とも生気のない顔をしていた。
「予想大当たりって所かしら」
「らしいな。よう、お二人さん。訓練の首尾はどうだい」
 肩を竦めるリリーナの言を継ぎ、ジークが問いかけると、志縞がぽつりと呟く。
「……次は、負けません」
「ちきしょう、速過ぎんだよ……なんだってんだ、ずるチートしてんじゃねえだろうな、アレ」
 康哉がぼやくように言って、髪を摘み上げるようにして整えた。癖がついているのか、なかなかいつも通りに戻らない。
「いい薬になっただろう。彼らは以前、五番分室『灯火トモシビ』に所属していた猟人でな。俺も直接会った事がある。仲の良いカップルだったな……一度きりだったが、印象深かった」
「カップル?」
 黒の言葉にリリーナが首を傾げる。康哉と志縞が顔を見合わせた。
「……カップルって、お前んとこ、どんなヤツだったよ」
「真赤な髪をしてモスグリーンのジャケット、耳に安全ピンのアウトローだった」
「マジかよ……男の趣味おかしいんじゃねえのか、あいつ」
 慨嘆する康哉に、志縞が顎をしゃくり、そちらは、と促す。
「ヘタしたら中学生に見えるちびっこ。ショートカットでニコニコしてた。元気印の女の子って感じ」
 なるほど、と志縞が神妙な顔で頷く。あわせて康哉もまた、頷いた。
「似合わんな」
「似合わねえよな」
 示し合わせたように、同じタイミングで首を縦に振る。
 こいつら本当はすさまじく仲がいいんじゃないのか、とジークは思った。が、口には出さない。言ってやったらそっぽ向き合うこと必至である。
 康哉と志縞のあまりの言いように、黒が押し留めるように口を開く。
「ナギサワカガリ……と言ったかな、彼の名前は。話を聞く限りでは実直な男だった。外見こそ少々個性的ではあるが、話してみれば悪い男ではないと解ったよ。相方の少女……サクラコザト、だったか……にベタ惚れでな。元気にしているといいのだが」
「その二人は死んだって訳じゃないのか?」
 ジークが口を挟むと、黒は穏やかに頷いた。
「ああ。ナイツに魔具を返却し、日常へと戻っていった。二人とも優秀な猟人だったからな、周りからは惜しまれたものだが……仕方のないことだろう。人にはそれぞれの生き方がある。周りが信じても、己が自分自身を信じていなければ――戦おうと思わなければ、猟人は実力を発揮できない」
「そいつは判ってるんだけどな。……なんでそいつらは戦うのをやめたのか、気になるのさ。VとWの間の『壁』を越えたってのに、勿体ねえ話だぜ」
 ジークの言葉に、黒はほんの少しだけ苦そうに笑うと、康哉と志縞に手招きをした。彼らがカウンターに腰掛けるのを待って、いつの間に注いだのか、紅茶と緑茶を二人の前に出す。康哉は紅茶で、志縞は緑茶。黒はメンバーの嗜好を完璧に把握している。
「ゴチっす」
「ありがとうございます」
 礼の言葉を受けながら、黒は静かな口調で切り出した。
「生きる道を見つけたのだろう」
 リリーナがふと、カップの水面から視線を上げた。それを横目に、ジークは鸚鵡返しに呟いた。
「生きる道?」
「彼らは、最も憎む真怨を討ち果たした。宿願を果してもナイツに残るものは勿論いるが、彼らはそうではなかったらしい。――歌を、歌いたいと言っていた。こことは別の場所に夢を抱いたのだろう。今もどこかで歌っているかも知れんな。生半な夢ではないと思うが、彼らほど強い意思を持っていれば……或いはいつか、掴み取れるだろう」
 黒は暖かな笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「歌、ね」
 ジークもまた、コーヒーを啜りながら笑う。彼にもギターの心得があった。家に一つ、父が持っていたエレクトリックギターが置いてある。プロになろうなんておこがましい事を思ったことはない。最近は、触れることさえ少なかった。
 そこまで考えて、ジークはふと唇を結んだ。背筋が冷えるような感じがして、カップに絡めた指を解く。
 自分には何があるだろうか。ずっとここまで、ジェイルを追いかけてきた。あの真怨を殺してしまえば、オレには何が残るのだろう。ふと、足元に何もないような錯覚を覚える。
 父を殺されたと言う事実を礎にして、戦っている間はいい。敵を屠ることだけを考えていればいいからだ。
 だが執着する対象が消えたとき、何をすればいいのだろう。
 康哉と志縞の訓練相手――元第五分室のコザトとカガリ。彼らには、歌があったという。でも、ジークには何もなかった。ただずっと、戦いながら生きてきた。ハイスクールは一応出たが、思い出も少ない。笑い合ったクラスメート達の顔はもう忘れてしまった。
 ここナイツ以外、こだわる世界がどこにもない。
 それならば、黒が言ったように、願う相手の首級を挙げてもここに残ることになるのだろうか。目的を見失ったまま、修羅のように、ただ戦いのために生きるようになるのだろうか。
 ――今更、聞きそびれたんだな、と思う。父さんは何を考えていたんだろう。もしジェイルを倒していたら、父さんはどうするつもりだったんだろうか。いくら考えたって、答えは出てこない。
 ジークは、背筋を這い登った冷たいものをそのまま吐き出してしまうように、深く息を吐いた。
「……ジーク?」
 リリーナの軽い声で、現実に引き戻された。
「どうしたのさ。暗い顔してるよ」
「別に、なんでもないさ」
 笑顔を繕って、煙草を取り出した。ジッポライターで火をつけようとして、ホイールを擦る。火花が散るけれど、炎が生まれない。
 少しずつ訝しげな色を帯びるリリーナの視線から逃げるように、火のつかないライターを手で覆う。ホイールがざらついた音を奏でる。二度、三度……
「嘘ね」
 火がついた。
 手の内側で揺らめく炎に視線を落とす。二秒の間を置いて、ジークはゆっくりと煙草の先端に火を移した。
 吸い込み、紫煙と共に掠れた言葉を吐き出す。
「どうしてそう思う?」
「反応と表情と、声。作り笑いがヘタだって、自覚したほうがいいと思うわ」
 ――ほら、やっぱり厄介だ。
 リリーナは虚言を看破して、ジークに詰め寄った。吊りがちの目がきりりと引き絞られる。不機嫌だと訴えるような、一層鋭い視線だ。
 彼女の眼から逃げるように、ジークはスツールを降りた。胸元のロザリオを指で弄んで揺らしながら、視線を泳がせる。志縞が関与しないとばかりに茶を啜る横で、康哉が忙しげにリリーナとジークを見比べている。
 リリーナが続いて立ち上がろうとするのを、彼女の肩に手を置いてやんわり防ぐ。ジークは顎を引いて、泳いでいた視線を一所に据えた。視線を泰然と受け止めた黒が、少しだけ目を細める。
「少し、外を歩いてくる。駅前にでも飛ばしてくれ」
「話が済んでないわよ」
 下から睨みつけてくる双眸に、ジークは頭を振った。余裕のある受け答えなど出来はしない。リリーナがジークを問い詰めに掛かったときの会話はいつも一方的だ。あまりシリアスになる前に逃げるに限る。
「話すことなんてないさ。……頼むよ、クロ。たまにはオレの味方をしてくれ」
「……」
 黒はゆっくりとリリーナとジークを見比べたあと、仕方がないとばかりため息をついて指を鳴らした。ジークの身体にノイズが走り、爪先から徐々に体が消え始める。これで逃げられるとため息をつくと、スツールに座ったまま不敵な笑みを浮かべるリリーナに気がついた。
 彼女の爪先もまた、薄れつつあった。ジークは頬を引きつらせ、ゆっくりと黒を見つめ返す。
「……クロ」
「なんだね」
「こんなに性格が悪いとは思わなかった」
「気付いていないとは意外だったよ。痴話喧嘩は外でやりたまえ」
 言うと、悪戯っぽいウィンクを一つ。
 ジークは顔を手で覆って天を仰いだ。足元から感覚が塗り変わっていく。
「さっすがクロね。相互理解の必要性を判ってるわ」
 我が意を得たりとリリーナが呟くのを最後に、兄妹は駅前のビル街へと送り出された。
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