Nights.

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  Marble Color  

 ジーク=スクラッドが優秀な猟人であるということに疑いはない。彼の純粋な戦闘能力は、全ての分室の中で見てもかなり上位に位置することだろう。
 戦闘能力だけに優れているのでは分室をスタートさせる発起人としては不足だった。現場で仲間と共に動くとき、リーダーには判断力、感知能力、広い視野と指示能力が必要だ。しかし、彼は、その全てをも持っていた。
 だから、六牟黒が応答しなくなったとき、彼は即座に状況の危険性を悟っていた。同時に、芝崎光莉がそばにいないことに対して歯噛みをする。つまらない意地を張らずに彼女のいる場所へ向かえばよかったのだ。一人より二人でいたほうが、圧倒的危険が訪れたときに生存する確率は確実に上昇する。万が一のことを思いついていながら対策しなかったのは、完全なる判断ミスだったといっていい。杞憂に終わるはずだった危険が、目の前に迫っている。
 黒と連絡が取れなくなった瞬間、ジークは光莉のいる方向に向かって走り始めた。地面を蹴り、壁を走り、背の低いビルの上を忍者のように飛び越える。されど彼の姿が一般人の目に留まることはない。黒い外套を纏ったときから、彼の姿は普通の人間が知覚できない帯域へと移る。線路は二飛びで飛び越えられる。目算をつけ、フェンスをまたぐように飛び越えようとした瞬間――
 世界が、割れた。
 舌打ちをする暇があったかどうかもわからない。目の前が軋んで裂けるのと同時に、周囲の景色がガラスが砕けるように割れて崩れ落ちる。――別の世界。建物の中に灯りはなく、凹凸もない。ただ単に、塗りつぶしたような黒のビルの群れだけが、出来の悪い影絵のように、現実を写し取って立ち並んでいた。
 着地する。物理法則に乱れはない。ジークはゆっくりとポケットから煙草を取り出し、一本咥えて火をつけた。ジッポライターのホイールを擦る音さえもが、この影の町並みにはひどく大きく響き渡る。
 塗りつぶされた平坦な街。無数に並び立つビルは、単なる黒い石柱で、立体感がない。遠くを見れば一枚絵に見えてくる。明かりがないから、陰もない。空は単純な藍色で、それだけが地面と空間を見分ける印だった。
 ――この光景には覚えがある。
 奴が、ここに来たのだ。
「……出てこい、クソ野郎」
 吐き捨てると、背後で足音がした。ゆっくり振り返れば、そこには、町並みと同じで凹凸のない人形が立っている。まるで血が退色したような緋色をして、口だけが、本当に真っ赤に裂けている。デフォルメされたようなどこまでもいびつなヒトガタ。
 それの名前を知っている。
「きひ、ひはっはは……ヒサしいな、ジーク=スクラッド。これでヨンドメになるかな、キミとアうのは」
「ああ、そして今日で最後だぜ、そのふざけた声を聞くのもな」
 色彩闇洞パレット緋色クリムゾン。『汚染回想ダスク・イメージ』……
「ジェイル=クリムゾンメモリー。今日で終わりにしようぜ、このクソ忌々しい因縁を。あれから十年だ、キリのいいところまで生きただろ?」
「ハ、スクラッドのチスジはミナこうなのかね? シコウがシンプルで、ワカりヤスいにもほどがある。ヒョウヒョウとフルマっているつもりだろうが、ウスカワをイチマイはげばハラワタがニえているのがミえるようだ」
「キイキイとうるせえな、お前。泣き喚いて小便垂れて死ぬまで全身に.四五口径をブチ込んでやる。鉛で体重が五割り増しになるくらいにな」
「イモウトがいないのにズイブンとツヨキじゃあないか? キミヒトリでワタシをタオせるとオモっているのなら、それはとんだオモいあがりだぞ、ジーク。なんせワタシは、そのマグのアーキタイプのモちヌシであるカレルをコロしているのだからね!」
 けたたましい声で、赤い泥人形が笑う。その言葉で、今度こそジークの表情は消え失せた。
 フラッシュバックする父の笑顔。群青の瞳、オレもこうなりたいと思わせた、クールな立居ぶるまい。嫌味なほどに似合った黒のタイトコート、その上からダブルショルダーホルスターに身につけた二挺拳銃。一見すれば奇態な筈なのに、それが何より自然に見える。ジークの父親……カレル=スクラッドは、そういう男だった。咥えた煙草はラッキー・ストライク。誰よりも強く優しかった。よく、父親のコートを羽織って遊んだ。手に持っていたのは、あの時はまだ玩具の拳銃だった。煙草と硝煙のにおいが半々ずつするコートは、着ただけで、誰よりも強くなったような気分になれた。
 そんな思い出の果てまで、ジェイルはその二つ名の通り、嘲笑して汚染して行くかのようだ。ジークの心の中で、怒りの炎は燃え上がるのを止め、もっとも猛った瞬間のまま凍りついた。……それは憎悪よりももっと純粋な殺意。
 ――ああ、悪かったよ、ミツリ。確かにオレはお前のことを笑えない。
 ジークは、加速度的に冷えて行く思考と心を自覚しながら、二挺の拳銃を抜き放つ。〇.四五インチ口径、マンストッピングパワーの高い銃弾を用いる、ストレイヤー・ヴォイト社製の拳銃。長い間米軍正式採用拳銃の座を勤めた、コルト・ガバメントからの派生モデル。グリップ内に二列型の弾倉を格納し、多弾数を実現している。銃口を保護しているマズルブレーキは、先端が肉叩きのように刺々しく仕上げられている。――対象に押し付けたときにずれないように。確実に押さえ込んで引き金を引けるように。スライド横にはただ、独特の書体で、そっけなく『INFINITY』と記されていた。――そう。この銃こそが、ジーク=スクラッドが永遠エターナルを翳す先であり、無限インフィニティを顕現する存在。
「ああ、オヤジは死んだ。オレたちを守って。けどな、ジェイル、思い上がりがはなはだしいのはそっちの方だ。オレたちがいなければ、あの時、オヤジはお前を殺してた。無限の銃弾で、おまえを引き裂いて。……そしてオレはオヤジの……カレル=スクラッドの息子だ。ナイツが誇った先代最強の銃使いの息子だ。ハンデをつけたオヤジに勝って調子に乗ってる程度の三下が、オレに偉そうに説教たれるなんざ、お笑い種だぜ」
 安全装置セフティが掛かったままの二挺拳銃が華麗に回る。ジークの両手で、小型の竜巻のように、美しく、しかし激しくスピンする。両腕をクロスした状態のまま拳銃を受け止めて回転を止める。キィン、と鍔鳴りに似た音が響いた。安全装置を外す音――正に、抜刀と意味を同じくする、戦闘態勢に移る音。胸の前でクロスした腕の先、銃口をジェイルに向けて構えながら、ジークは轟然と言い放つ。
「御託をひるな、掛かってこい。オレの全てをかけて、そのクソみたいな存在を否定してやる」
「く、く、ク、クキキキキ、キキキキ……ヨかろう、シにイソぐなら、それもイい」
 ぐにゃり……と、ジェイルの体が歪む。数秒もしないうちに輪郭が整い、着色が成され、質感を持ち、――そうして、ジークの前に、在りし日のカレル=スクラッドの姿で、ジェイルは立ちはだかった。
 ジークが顔色を変えることはない。一度目こそ驚いたが、これでもうかれこれ四度目だ。タネは割れている。汚染回想ダスク・イメージという名の通り、ジェイルはああして敵の心の隙をつくため、記憶を盗んで姿を変える。もう、知っていた。
 今までと違うのは、隣に背を預けるべき存在がないことだけ。だが、それでも表情を決して歪めはしない。
 ピンチのときほど不敵に笑い、苦しいときほどジョークを飛ばし、嘲笑には皮肉で返し、激昂には冷笑を返す。常に心に一発の弾を持ち、それで敵の心を砕くまで戦うのを止めない。父の背中を見て学んだ全てのことを思い出し、ジークはにやりと笑ってみせた。
「始めよう、殺し合いを」
「くく、くくくッ……いいだろう、ジーク=スクラッド。後悔はするなよ?」
 父親の姿をしたジェイルが滑らかに言い、二挺の拳銃を抜き放つ。四秒半の沈黙。
 両者の手にした拳銃の銃口が、牙の如く相手を目指して跳ね上がった瞬間、銃声と共に、火線上のスロウ・ダンスが幕を開けた。


 芝崎光莉が『喰われた』と気付いたのは、目の前に記憶にない広場が広がったときだった。巳河市は古い木造建築こそありはすれ、駅前にレンガ造りの家があるような、そんな街ではない。周囲には映画の中で見るような、十六世紀の英国を思わせる町並みが広がっていた。一見すれば優雅な町並み。だが、この夜の暗がりの中、目を凝らせば、それは残酷さを伴って見えてくる。噴水の周りに広がる血痕。それも一滴や二滴ではなく、バケツをひっくり返したように、べったりと生々しく残っている血の痕。折れた剣、壁に突き立った矢、――よくよく見れば、噴水から何本も何本も突き出しているもの、あれは人の手ではないのか。
 最初に感じた優雅さなどは、ものの二秒で瓦解した。レンガ造りの町並みは、陰惨な戦場跡を模していた。建物だけが形をとどめ、他は全て死んでいる。光莉が後ろを向けば、そこにはすでに道はなかった。
「真怨の『領域』……」
 光莉は無表情に呟いた。心の中の焦燥を押し込める。真怨は自分一人で勝てるようなものではないと承知の上で、コートの中から拳銃を抜く。全長四百二十ミリメートル、ベレッタカスタム『オーガ』。スタビライザーのついたロングモデルで、銃身長は通常のベレッタよりも長い。それが彼女の武器。――牙の形をした慟哭。
 光莉が周囲を見渡したとき、水を吹き出すことのない噴水の向こう側に、人影が見えた。円形闘技場のように建物で縁取られた広場の中に、唐突に、瞬きの間に現れたのは、一人の女だった。光沢を持つボディスーツは肌に張り付くかのようにタイトで、豊満なボディラインを余さず晒している。胸元は大きくはだけられ、覗く肌は降り注ぐ月光よりも白く青い。藍色の髪をさらりと後ろに流し、真っ赤な唇を歪めて、女は笑う。
「ようこそ、お嬢さん。夜道の一人歩きは危ないって、教わらなかった?」
 言うなり、女は挨拶をするように軽く手を翳した。彼女の両手には藍色の球体がある。まるで埋め込まれたかのように輝くそれを視認した瞬間、光莉は目を眇めた。
「遺失番号二十七。『塵殺葬列ランセズロード』……」
「あらま、ご存知? よくお勉強してるのね、えらいえらい」
 小学生を褒めるような調子で笑うと、女はゆっくりと噴水を回る。右手を光莉に向けると、嫣然と笑い、
「ご褒美に抱きしめてあげるわ。……痛くしないからね?」
 囁いた。
 ――瞬間、光莉は反射的に左に跳んだ。危険を感じる本能が、あの女は危険だと告げている。一拍遅れて、突き出された女の腕から『槍』が生まれた。一瞬前までいた場所を槍が貫いていく。恐らく撃たれてからではかわせない速度。判断を下すと同時に、光莉は手の中の銃を構えた。即座に発砲。中に装填された九ミリの牙が破裂音と共に唸りを上げる。
 女の行動もまた迅速だった。初撃がかわされると見るや、即座にステップを踏んで位置を変える。銃弾は女の残像を突き抜けて、古き町並みを穿った。滑り込むような滑らかな動きで身をかがめると、女は地面に左手をつく。藍色の髪を振り乱し、唇を吊り上げて笑いながら。
「行軍、絶望の軍歌、血で錆びた鎧。歌え葬列、十字軍クルセイド
 楽しくて堪らないとばかりに女の声が響いた瞬間、光莉は照準を女に向けることよりも、咄嗟にバックステップをすることを優先した。それは本能。ここまでの戦いを生き延びてきた、猟人としての直感。
 果たして、それは正しかった。地面から無数に、前触れもなく槍が飛び出す。銃を上げることを優先していれば、少なくとも戦闘の続行は出来なくなっていただろう。光莉はバックステップした足が地面に届いた瞬間に右に跳んだ。槍の葬列がそれを追いかけ、地面を貫いて現れ続ける。駆けながら銃を上げた瞬間、女と視線が重なった。女は地面に突いた手を離さないまま、右手を挙げてねっとりと笑った。
 光莉がトリガーを四度引き絞るのと、五本の槍が撃ち出されるのとはほぼ同時のタイミング。――いや、光莉が発砲する方が一瞬だけ早い。だと言うのにも拘らず、槍は唸る銃弾を正確に射抜き、そして最後の一本が光莉を追う。
「……っう!!」
 全身の意識を防御に回し、身体の前で銃を持った右手を盾の様に構え、貫かれはしない、と光莉は固く信じた。そうするだけの余裕があった事だけが、彼女にとっての救いだった。走る、鋭利な衝撃。右腕の中心がガラスが削れるような悲鳴を立てる。意識的に自分を硬化させても、衝撃までは殺しきれない。呻き声を挙げる間にも、槍は無慈悲に突き進んできた。突き立っただけでは飽きたらず、なおも彼女の身体を押し続ける。光莉の体が浮き、地に足がつかなくなり、景色が後ろに流れ、――激突。
「あぐ、……っう!」
 肺から残らず空気が吐き出されて、光莉は嗚咽のように呻いた。ぶつかった建物の壁が脆くも砕けて、瓦礫が雨のように降り注ぐ。槍の感覚が引いていき、瓦礫に押されるように、光莉は地面に叩きつけられた。オフホワイトのコートは瓦礫の砂塵にまみれて、まるで、灰かぶりシンデレラのよう。
 ――それでも私は立ち上がらなくてはならない。
 骨が折れているわけがない、まだ致命的な傷を負ってもいない。平気。私はシステム=グランドフォールの継承者。二人目の『芝崎』。鋼鉄の銃を持ち、光の弾丸を使役するもの。
 光莉は頑なに信じると、瓦礫の中から、自分に出来る最高の速さで立ち上がった。出来るだけ不敵に聞こえるように声を作り直す。
 ……さあ、名乗りを上げて、戦おう。
 手の中で慟哭の原石クライアイが啼いている……。


 ――喰われた先は、赤い柱が林立する世界だった。
 白い少女はその世界と共に浮き立つように現れ、けれど違和感なく、スカートの裾を持ち上げて可愛らしく礼をした。まるでビスクドールのように整った顔の造形を笑みに歪めて。
「厚木、初手は様子を見る。本質を把握次第最大火力で攻撃」
「あいよ」
 答えながら足首を意識する。バーンドチェインを使う、と意識した瞬間、おれの身体の中に流れる血は、全て炎になる。熱く燃え滾る体温を自覚しながら構えを取った。
 ちりん、
 背中から伸びた二本の装飾帯の先が、地面に擦れて金属音を立てる。
「……館の主が礼をしているのに、無粋ではない?」
 どこか不満げな声を上げる白の少女。――ユイ=アイボリーパペット。笹原が鼻を鳴らすように笑った。
「無粋も何もあったものか。殺し合いに礼儀が必要なのは騎士だけだ。オレたちは同じナイツでも、Kのつかないナイツだからな」
「その減らず口、どこまで叩いていられるか楽しみだわ。端から少しずつ貪られて行く人間が上げる悲鳴を知っている? 今日、自分の口からそれが出るのを聞くことになるわ」
 笑みを消すとユイは虚空に手を伸ばし、翻す。手品のように現れたのは、一つのガラスベル。ちりりん、とベルが澄んだ音を立てると、彼女の周囲を無数の水晶が取り巻いた。
「ここは水晶館。わたしの館。礼も尽くさず土足で踏み入る無礼を知りなさい」
「勝手に口開けて誘い込んでおいて、よく言ってくれるぜ」
 おれが吐き捨てたとき、ぴり、と周囲の空気が張り詰めた。笹原が拳をがつんと打ち合わせる。
 ユイを取り巻く水晶の一つ一つが、黒く黒く変色し、やがてそれぞれが別の形を取り始める。あるものは怪鳥の形であり、またあるものは鬼を模し、どれもこれもが、街中に現れる昏闇と大差ないほどの力量に見えた。……しかし、問題は、数だ。ぞろぞろと現れる昏闇は、見えないところでまだ増え続けているような気配さえある。見えて数えられるだけで二十二体ほど。気が遠くなってきた。
「なるほど、これはまたひどい軍勢があったものだな。サーカス団でも開いたらどうだ、今よりは健全に生きられるぞ」
 笹原が余裕を見せるように声を紡ぐ。だが、それが虚勢であることはすぐにわかった。こいつの能力デストラクト・エアは、対多数向きの能力ではなくて、一対一の戦いをこなすことに主眼を置いている。量でこられるのはおれと同じで苦手のはずだ。
 おれさえ騙せない虚勢が、ユイに通じるわけもない。真怨は唇に手を当てて笑うと、すっと、指揮をするように手を上げた。
「貴方たちに負けるような事があれば、転職も考えてみるわ? ……それじゃあ、踊りなさい、厚木康哉、笹原志縞。倒れてしまうまで踊り続けて絶望しなさい。そうしたら、骨も残さないでこの子達の一部にしてあげるから」
 白い少女が、心底の愉悦をこめて笑った。
 おれは、心の底から、真っ平ごめんだと思った。――戦いが始まる。
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