Nights.

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  Killing stage  

 天気は快晴。十二月四日、日曜日。すっきりとよく晴れた朝である。暦の上ではとっくに冬だが、まだ雪が降るような気配はまるでない。
 開園時間一五分前、それなりに気を使った格好で、おれはポケットに手を突っ込んで蜷川の到着を待っていた。
 予定時間の三十分前行動と、蜷川がやってきたら「今来たところ」を忘れるな、と香坂に吹き込まれている。
 時間は夜まで空けておけ、だの、食事するポイントは考えたか、だの、他人のデートだと言うのにあの女は実にうるさい。とっとと彼氏を作ってそっちに矛先を向けて欲しいもんだが、いい加減外面の良さだけでは誰もついてこなくなったのか、あの暴走竜巻女を彼女にしようという猛者は十二月になってもまだ出てこない。
 どうせクリスマスあたりになればあの女もどこかの馬の骨を捕まえて幸せになってくれるであろう事なので、それまでの辛抱と自分に言い聞かせてはいるのだが。……クリスマスの予定にまで口を出されるような事があったらたまったもんじゃない。
 さて、ファンタジーパークの前にいるわけなのだが、おれは笑顔を心がけようとしてさっきから失敗していた。左を向けば簡単に説明がつく。むっつりと押し黙った仏頂面に、妙に決まっているジャケットとシルバーアクセサリー。いつもどおりの白髪は一部の隙もないオールバックに纏められている。おれが視線をやっているのに気付くと、仏頂面のままその男は口を開いた。
「何か用か。喧嘩ならいつでも買うぞ、厚木」
「うるせえよバカ笹原。略してバカ原。何でこんなとこにいるんだよ」
 そもそも近くに住んでたのか、こいつ。天文学的な確率の不幸だね。
「人の名前を勝手に改変するな。なにも一人で来たわけじゃない、待ち合わせをしている。そういうお前はなんだ、空想上の相手と待ち合わせか? 大層ご苦労な話だな」
「生憎そんなに暇じゃねぇんだよ、そっくりそのまま返すぜバカ野郎」
 不機嫌そうにこちらから視線を逸らしたのは、言わずと知れた仏頂面無愛想ぶっきらぼうの暴力野郎、笹原志縞である。おれを呼ぶ響きにいちいちふざけた感じがなくなったのはいいが、相も変わらず言葉の一部一部にこっちを馬鹿にしているような響きが混ざるので、いちいちピキッと来る。おう、ツラ貸せや白髪野郎。
「これは染めているだけだ。それに、お互い一張羅をボロにしたくはないだろう。どちらがよりボロボロになるかは、目に見えた話だが」
「上等だぞテメエ、夜ンなったら覚えとけよ、今日こそ白黒はっきりさせてやる」
「もうお前のような記憶が不自由な阿呆と事を構える気はない。この間ジークさんに言われた事を忘れたのか」
「記憶が不自由なのはテメエだよ。黒さんに場所を作ってもらやいいんだ、遠慮がなくなりゃおまえなんざギタギタのボコボコに」
「それを浅慮だと言うんだ。巳河市とその近隣数箇所を常にリアルタイムの共鳴探知レイダーで探っている黒さんに、お前は私闘のために力を貸せと嘯くのか。馬鹿も休み休み言え」
「ぐ……」
 口から飛び出した言葉は思ったよりも正論で、唇を噛むほかない。
 ここでさらに食い下がってもアホのレッテルが増えて行くだけだ。勝てない口喧嘩からは早々に降りて、腕の時計に目を移す。時刻、九時五十分。あと十分で開場だ。
 入場口付近にはそろそろ人が増えつつあった。ふと、日差しが薄くなる。僅かに空模様を見上げると、太陽が雲に紛れて息苦しそうにしていた。すぐに日差しは戻るだろう。
 視線を下に戻せば、笹原も腕の時計を確認している。高そうな銀時計だ。悔しいがセンスは認める。ふと、笹原が顔を上げて、何かを見つけたような顔をした。緩やかに手を上げるところを見ると、その先に奴のお相手とやらがいるのだろう。
 笹原の視線を追って目をやると、先におれの相方――蜷川愛の姿が目に入った。こちらに歩いてくる。華美になる事のない服装に、眼鏡とお下げ。いつも通りの蜷川である。
「おっす、蜷川!」
 軽く手を上げて、彼女に向けていつも通りの挨拶を送った。


「……てぇーかよぉ……なんでオレが付き合わされてんだよ、オメーによォー。普段のこの時間っつったら俺ァ仮面ライダーテレビで垂れ流しながらご就寝中の按配ですよ?」
「うるさいわね、ちょっと黙りなさいよ。こんな美少女とデートのチャンスよ? わかってんの? もうちょっと嬉しそうにしなさいよ、ダラダラしてみっともない」
「オメーの国じゃ人の恋愛模様のデバガメをデートって言うのか、そっちのがみっともねェよ。つーか自分を美少女とか呼べるその神経、あんたホントに日本人? あーだりぃー、家帰ってコーラ飲んで昼まで寝てェー。何で俺じゃなくて字坂の野郎を連れてこなかったんだよ」
「字坂君は一年の子とデートですって。やんわり断られたわ」
「そうですかそれでオレの安眠は失われたわけですか。死ねばいいのに」
 人ごみの陰に隠れて二人の男女がごそごそと話をしていた。足の長さが際立つようなスリムなジーンズとレザージャケットを纏い、反社会的な金髪に両耳と唇のピアスをつけた少年――大谷大地と、超高校生級のスタイルをマフラー付きのショートコートとフレアスカートで包んだ自称美少女――香坂皐月である。
「大体なんだよ、そんなにオメーは厚木とその子をくっつけてェの? 当人たちにしちゃありがた迷惑だろうぜ。恋愛と思想の自由は保障されてしかるべきだろうに」
 言い募る大地の言葉に皐月は煙たそうに手を振ると、ふん、と息を漏らす。
マナのことをあんたに話す理由はないわよ。……って言うか、何あれ?」
 視線の先では観察対象である厚木康哉がむっつりした顔で隣の銀髪の青年とやり取りをしている。表情を伺う限りでは、好意的なやり取りをしているわけではなさそうだ。
「いいガタイしてんなぁ。厚木があれとやり合ったら三つ折りにされてお仕舞いだろうな。でも殴り合うような感じじゃねーし、いいんじゃねーの? 放っとけば」
 やる気なさげに言い捨てると、大地は大欠伸をしながら頭を掻く。片足に体重を預けて僅かに傾いて立っているあたり、非常に気だるげである。皐月は大げさに溜息をつくと、白く染まる息に手を翳し、ポケットに突っ込んだ。
「もうちょっと心配してよ、厚木はあんたの友達でしょ? 人の恋路くらい応援できないの?」
「それがあいつにしてみりゃ迷惑千万だって言ってるんだよ。惚れた相手になら自分から行くよ、あいつは。オメーに渡されたあのチケットをその蜷川さんとやらに渡しただけでも、相当の努力だぜ。努力しなきゃならない恋愛ってのもあるにはあるが、そういう恋愛ほど長続きしねェもんだ」
「ご高説どうも、心に留めておくわ、参考にはしないけどね」
「それ持って回った感じのシカトって言いませんかね」
 ぐったりした様子で、大地は視線を親友とその傍らの長身の男へ向けた。それから、おや、という風に片眉を跳ね上げる。
「どうしたのよ?」
「……いや。ほら、見てみろって」
 言葉につられて、皐月もまた目を向ける。康哉と長身の男は、二人が二人とも同じ方向を向いていた。それがどうしたの、と問い返す前に康哉が挨拶をするように手を上げた。隣の男が一歩踏み出す。同じタイミングで康哉も一歩踏み出す。
 大地はもう一度首をかしげ、呟いた。
「――あいつら、誰と喋ってるんだ、、、、、、、、?」


 おれは蜷川に向けて踏み出した。それと全く同時のタイミングで、笹原も歩き出す。真似するなよ、と眼をやると、笹原もこちらに訝しげな視線を返してきた。
 蜷川が歩いてくる。おれはそれに向けて歩く。笹原も同じだ。こいつも、蜷川の方を見ている。蜷川とおれの間を往復する視線には、戸惑いの色が濃い。目的地が同じだと言うことに気付いたとき、蜷川はもう数歩先にいた。
 人々の壁が、ここだけ、薄い。
「――」
 志縞の足が凍ったように止まる。ほとんど同時におれも止まっていた。蜷川が薄っすらと笑う。怖気のするほど凄絶に。幻覚か、その唇が真っ赤に染まって見えた。
「こんにちは、二人とも。どうかしら、この姿、きちんと見えてる? あなたたちの大切な人の姿を模写したつもりなのだけれど」
『蜷川』はスカートを摘んで挨拶をするように頭を下げた。その姿が、掠れたビデオテープのように歪み、ぶれる。チャンネルが切り替わるように、背の高い色黒の女性と蜷川愛の姿の間で揺れ動く。ほんの数秒。すぐに、そいつは蜷川の姿を取り戻すと、おれたちに向けて微笑んだ。
「何者だ」
 笹原が硬い声で尋ねる。敵意を孕ませた尖った声だ。対して『蜷川』は、凪いだ海のような静かな気配を崩さない。それが逆に不気味だ。
「クロスボーンって覚えてるかしら。あの子の飼い主みたいなもの」
「飼い主……だと?」
 クロスボーン、と名前が出て、少しだけ息を呑む。おれが戦い、笹原が粉砕したネームドの名前だ。笹原もまた、眉を僅かに跳ねさせ、驚きを示している。しかも『飼い主』と名乗ったこいつは、ネームドよりも格上だってことだろう。今は朝だ。昏闇は夜の闇にしかいられない筈なのに、奴はここにいる。
 こいつは普通じゃない。首の後ろにヒリつくような感覚を覚える。本能に近い部分が警鐘を鳴らしていた。
「その飼い主が、おれたちに何か用か?」
「それをあなたたちが聞くの? あの子を殺したあなたたちが」
 虚勢を張って問い返せば、間を置かずに声が帰る。体重を爪先に乗せ、いつでも動けるようにする。
「大切な者を殺されたなら、殺した者の命を持ってあがなうのは当然の話でしょう? 仇討ちなんてずっと昔からある文化だもの。……それか、相手にとって大切な者を、同じように奪い取るかの、どちらかね」
 凍りつくように、動きを止める。笹原もやはり息を詰め、硬い表情に苦さを孕ませていた。それは、つまり――
「わたしがこの姿を知っているのはなんでだと思う、笹原志縞、それに厚木康哉? 昼でも、わたしたちは暗がりに潜んで、獲物のことを見つめているのよ。……わたしにかかれば、この娘たちを殺すのは、夜を待たなくても難しいことじゃない」
 姿が切り替わる。蜷川愛から――恐らくは笹原の待ち合わせ相手であろう、褐色の肌をした背の高い女性。彼女がそっと手を持ち上げ、自らの胸元を一撫でするころには、その姿は蜷川でも褐色の肌の女でもなく、真っ白な少女へと変貌していた。
 凶悪な妖艶さと、童女のごとき可憐さ。その二つが同居した少女だった。乳白色の髪に純白のワンピース、細めた目の奥の瞳は銀色。肌はワンピースに劣らず白いのに、唇だけが血液のように赤い。
「わたしは、象牙色アイボリー色彩闇洞パレットの一人、『屠殺劇場キリングステージ』……ユイ=アイボリーパペット。あなたたちに復讐をしにきたわ。……もっとも、今すぐというわけじゃないけれど」
「どういうことだ。貴様らにも人並みの常識があるとでも言うつもりか?」
 押し殺した笹原の声は、雑踏の中ではすぐに掻き消える。……そう、ここは人ごみの中だ。こんなところで戦闘を始められたらたまったものじゃない。こちらがそう思っていることくらいは、奴にも判っているはずだ。
 だが、アイボリーパペット……ユイとかいう女に、そのつもりはないらしい。
「舞台を整えてこそ、劇は映えるものよ。お誂え向きの舞台を今日、ここに用意してあげる。……それまでは最後の邂逅を楽しみなさい。あなたたちがあの子クロスボーンを殺した時間に、この場所でまた逢いましょう。他言すればあなたたちの大切な人の命は保障しないわ。ここに来なかった場合ももちろんそう。簡単な話よね?」
 美しく鈴を鳴らすような声は、しかし不快に聞こえてならない。つまりこいつはおれにこう言っているのだ。蜷川愛を殺されたくなければ、おまえの首を差し出せと。口の中が乾く。クロスボーンさえ倒せなかったようなおれが、その一段上の奴に目をつけられてる現状。冷静に考えなくても、これは相当ヤバいんじゃないだろうか。喉が引きつったように、声が出てこない。
 空の陰りが、少しずつ解け始める。太陽に掛かっていた雲が薄れて行く。それと同じタイミングで、ユイの身体が少しずつ透き通って行く。
「……時刻と場所は」
 横で押し殺した声。
「深夜二時頃に、ここでいいんだな」
 平然とした――とは言えないが、それでも平静を保った声で、笹原はユイ目掛けて確認した。
「あら、物分りがいいのね? ……ええ、正確には午前一時五十八分二十六秒。あの子が消滅した時刻よ」
 笹原はゆっくりと一つ頷くと、ボキボキと指の骨を鳴らし、一度深く深呼吸をした。それから、真っ直ぐに、少女に視線を投げつける。
「いいだろう。だが――簡単にこの命を取れると思うなよ。追い詰められれば、鼠とて猫を噛む」
 重い声が啖呵を切るのと同じタイミングで、空が晴れた。薄れて消えかけたユイが笑う。
「楽しみにしてるわ。いい劇になるよう、精々努力して踊りなさい」
 ふっと、その姿が完全に掻き消える。圧迫感が消えて、周囲の音が戻ってきた気がした。膝が砕けかけて、ふらつく。よろめいた所を太い腕に支えられた。見上げれば、仏頂面の笹原がいる。
「大丈夫か」
「……っせーな、ちょっと立ちくらみがしたんだよ。全然元気だっての」
 言いながら、笹原から身を離すと、沈鬱な溜息が聞こえる。
「厄介なヤツに目をつけられたらしい。逃げ道はとっくの昔に塞がれている。……逃げるわけには行かないだろう。オレたちは、昏闇が人を虐げるのに耐えられないから、ナイツにいる。自分の代わりに誰かを人身御供に仕立て上げられるくらいなら、最初からこんな難儀な稼業に就いてはいない。……違うか、厚木」
 笹原は重たげに視線をゆっくりと巡らせ、おれを見据えた。こいつに言われるまでもない。判りきったことだ。おれは、手の届く誰かを守りたくて、自分の力を誰かを守るために使えるなら、そうしたくて……ナイツに入ったんだから。
「判りきったこと、確認してんじゃねーよ。当たり前だ。おれは逃げない。あんな昏闇、叩き潰してやるさ……っと?」
 目を人ごみに移した矢先、今度こそ蜷川の姿が見えた。笹原に視線を戻せば、こいつも同じらしい。視線を追えば、先ほど垣間見た、褐色の肌をした長身の女性の姿がある。
「……その意気があるならいい。今日は、ジークと黒さんに連絡をつけて仕事を休め。一時半に、ここで落ち合おう。それまでは、忘れろ。……難しいかもしれないが、相手を落胆させることだけはするな」
 言うだけ言って、笹原はさっさと歩き出した。相手も笹原の姿を認めて、小走りに駆け寄る。二言三言を交わすのが見えたが、それ以上の覗き見はやめた。
 ……頭の中はぐしゃぐしゃで、整理するのも面倒なくらい散らかっている。それでも、笹原の最後の台詞が胸に突き刺さったように消えない。首を何度か横に振って、頬を一度二度と叩き、気合を入れなおす。さあ、おれを探してきょろきょろしてる彼女に、おはようの一言をあげにいこう。
 もしかしたらこれが最後になるかもしれないのだから、という弱音を振り切って、おれは蜷川に向けて手を振った。
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