Nights.

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  Daylight communication  

「妹?」
「ああ」
 ジークは暫くためらうように沈黙を続けた後、ぽつぽつと語りだした。
 語るところを聞くに、彼の妹であるリリーナ=スクラッドというのは、彼曰く「女の形をした鬼だ」ということらしい。
「黙ってりゃそこそこ男受けの良さそうな顔をしてるんだよ。髪はいいツヤしてるし、肌にも張りがある。若いしな。笑った顔も、ひいき目抜きで割と上等だ。媚びを売るような態度を取らせたら、多分十人に六人はほいほいついてって、残りの四人もぐらぐら揺れるくらいだろうさ。いや、嘘じゃなく。――けどな、綺麗な女が常にいい女だとは限らない。あいつらはいつも男の上の立場にいる」
 そこまで言うと、ジークはげんなりとした表情を見せた。
「女には二種類ある。怖い女と、もっと怖い女だ。あいつは間違いなく後者で、そのエース級を担ってる。少なくともオレにとっては。病的なくらいの綺麗好きで、部屋は片付いていないと気が済まない。酒と煙草を毛嫌いしてて、空き缶が積み重なってるのを暫く放置してると、オレの髪を一房持っていくような軌道でナイフをぶん投げて空き缶の山を崩して、笑顔で片付け命令をする。従わないとナイフは少しずつ大型になっていって、最終的には手斧ハチェットが部屋の中をロケットみたいな勢いでぶっ飛ぶ羽目になる。ちなんで言っておくと、オレの部屋は二階の角部屋なんだが、右隣と上下の住人は早晩逃げ出した。壁から床から天井から、刃物の突き立つような音が聞こえてくりゃそれも当然だろうな。ああ、それと部屋に煙草のにおいが染み付いていると頭を掻き毟りながら空気清浄機の導入をオレに勧めてくる。家電屋に行ってクソ重いエアクリーナーを背負う気にもならないオレは積極的にその申し出を却下するんだが、その場合は当然のように家の中で煙草を吸うことを厳禁の上、外に張り出した狭苦しいバルコニーに蹴りだされてそこでの喫煙を強要される。それでも気が済まないのか、ご丁寧にカーテンまで閉めやがるんだ。オレが何本か吸って部屋の中に戻ろうとすると鍵がかかってるのは日常茶飯事で、既に四・五回はそれで凍死しかけた」
「控えめに見ても六割はあんたが悪いんじゃねーか、それ」
 飲んだら片付ける。人が居合わせたら嫌煙権を考慮する。真っ当な人間ならそれくらい考えるだろうと指摘してやると、ジークはコーヒーを熱がりもしないで一口で飲み干し、またカウンターに突っ伏した。
「命の危険を感じた事がないからお前はそう言えるんだろ……だいたい煙草の煙はオレにとっちゃ酸素みたいなものなんだぞ。ニコチンがないと死ぬ。それとアルコールがないとたまにイライラする」
「ニコチン中毒症とアルコール中毒症のダブルパンチか。順調に死体への道をひた走っているな。ここらで一つ、禁煙でもしてみてはどうかね」
「やなこった」
 黒さんの口ぶりにも構わず、ジークはジッポライターの蓋を弾いた。「COLT」とどこかで見た覚えのある刻印が成された、シックないぶし銀のライター。いつ咥えたものか、口にはすでに一本のラッキー・ストライクがある。しゅぼ、と音を立て、オイルの焼ける匂いとともに火が点る。ジークが火元に煙草の先端を近づけたとき、黒さんが他人事のように言った。
「……まあ、吸うのを止めはしないが、一つ忠告しておこう」
 なんだか焦げ臭いにおいがし始めて、ジークが不思議そうな顔をしたとき、カップを回収しながら、エプロン姿の室長は皮肉っぽく笑った。
「そちらはフィルターだぞ」
 直後、火の付いたフィルターが燃え上がったのは言うまでもない。

 燃え上がったフィルターに死ぬほど爆笑したその翌日である。
「〜という事があったんですよ」と話を結ぶと、芝崎さんはオウム返しに「そんな事があったんですか」と言ってくすくすと笑った。どことなく育ちのよさを感じさせる穏やかな笑いで。
 炎上したフィルターをぶった切って、両切りタバコとしてジークが吸い始めるまでを話すと、芝崎さんはジークらしいとコメントをもらし、また少しだけ笑ってからメンチカツサンドをぱくりと一口食べた。一見細いのに、彼女はものすごい健啖家だ。昼休みはいつも、両手に一抱えのパンを持って購買から帰ってくる。
 昼休み、化学準備室。いつもの通りの昼食の風景。週に三度はこうしているから、学校に通っている日の半分以上は、ここでこうして昼食を摂っていることになる。
「一際まずそうな顔してタバコ吹かしてましたよ。焦げた匂いがつくと不味いんすかね。もともと煙吸い込んでるようなもんなのに」
「さあ……私は吸った事がないから判りませんけれど。それより、神海が帰ってくるんですね」
「神海? ……ああ、長谷部さんとかいう。帰ってくるらしいっすね。仲、いいんすか?」
「ええ」
 芝崎さんは心の底から嬉しいとばかり、薄いレンズの丸眼鏡の向こうで笑う。
 えらく上機嫌だ。先ほどまで手に持っていたメンチカツサンドがもうない。次のお好み焼きパンの個装を開けている。
「私が大学生の頃に出会ったんです。もう、何年前になるかな。……彼女、道端でギターを弾いてて。凄く耳に残る声だったから、私、ベンチに腰掛けて暫く聞き入っていたんです。そうしていたら、向こうのほうから話しかけて来たんですよ。『姉ちゃん、男待たせてるんとちゃうの?』って。だから私、笑っちゃって」
 楽しげに語られる思い出を聞きながら、おれは弁当のハンバーグをぷつりと刺した。
「何て答えたんすか?」
「『そんな人居ませんよ』って。そうしたら、「勿体無いなァ、ウチが男やったら放っておかへんのに」って言うんです、ギターを抱えたまま。私より年下の女の子がそんな事言うんですよ。楽しくなっちゃって、暫くお喋りしてるうちに意気投合しちゃったんです。そのまま居酒屋さんに行って、朝まで飲み交わしちゃいました」
「あれ、芝崎さん、酒飲めるんですか?」
 意外に思って訊くと、芝崎さんは少し怒ったように腰に手を当てて見せた。
「飲めますし好きです。……それは遠まわしに私が子供に見えるということを言いたいんでしょうか、厚木君は」
「滅相もない」
 触らぬ神にたたりなしの精神でぶんぶんと首を横に振り、ホールドアップして抵抗の意思なしのジェスチャー。
 くすくす笑いながら、芝崎さんは卵サンドを手に取った。……お好み焼きパンはどこに消えたんだろうか。おれが疑問に思う間に、優雅に紅茶を啜ってみせる化学教師。
「それなら、よろしい。……そうかぁ、神海と……リリーナも帰ってくるのね。また賑やかになりそう」
 呟くように言うと、紅茶を一口飲み、カーテンをずらした。シルエットが、外の光を切り抜いて地面に落ちる。
「厚木君はまだ、リリーナとジークが一緒にいるところを見た事がないでしょう?」
「ええ」
 素直に頷くと、芝崎さんは珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべて、窓べりに手を置いた。
「……面白いですよ、ジークには悪いけれど。普段が普段だから――ギャップが凄くて。ジークに真っ向から意見するのは、リリーナくらいですから。身長差があるのに、そんなの感じられないくらいずばずばと切り込むから、兄と妹じゃなくて、姉と弟に見えるんです。ジークと違って、彼女は色々なところでしっかりしているから」
 楽しげな語り口調。おれは弁当をかっ込みながら何となくその図を想像した。クールでいつも斜に構えて、何が起きても動じることなく、自由奔放に生きているあの男が、自分より随分背の低い妹から逃げ回る図である。
 ……想像だけでも笑えてきた。
 リリーナという妹はどうも、ジークにとっては畏怖の対象らしい。昨日のあの過剰反応を見ればよく判ることだ。
 今まではワンサイドゲームのようにからかわれっぱなしで頭も上がらなかったが、これからはからかうネタが増えると思うと、自然顔もニヤついて来る。
「早く見てみたいっす。話をするだけでジーク、死にそうな顔してましたし」
 人の不幸は蜜の味、である。にやけた顔を正すので必死になりながら言うと、芝崎さんは控えめに笑って、「あれで結構、仲がいい兄妹なんだけど」なんて呟いた。……仲のいい兄弟の家では刃物は飛ばないと思う。いや、あの話が実際の話かどうかなんて、おれは知らないけれど。
 箸がかちん、と弁当箱の底に当たる。弁当に改めて目を向ければ、ホウレンソウしか残っていなかった。無視して弁当箱を閉めるか、口に押し込むかを三秒考えて後者をとり、青臭さを我慢して飲み下す。青物は苦手である。
 窓際に視線を戻すと陽光の中で静かに茶をたしなむ芝崎さんが見えた。パンの山はいつの間にかなくなっており、ゴミ箱にビニール袋が折り重なってぶち込まれている。……近頃では突っ込んだら負けだと思っているのだが、いつまで自制が効くかは本当、微妙だ。
「紅茶、飲みますか?」
 芝崎さんの何気ない声。弁当をたたみながら、頷く。
「それじゃ一杯。ストレートで」
 軽く返事をすると、了解の意思を伝えるようなタイミングで、どごーん、とかなり破壊的な音を立てて入り口のドアが開いた。
 かつかつかつ、と歩み寄る気配。
 芝崎さんがポットに手を掛けたまま目を丸くしている。
 振り向いたら嫌な目に遭いそうで振り向けずにいると、おれの左腕がちょっと曲がりそうにない方向にひねり上げられた。
「いででででっ!?」
「芝崎センセイ、らぶらぶなとこごめんなさーい! ちょっと厚木君借りていきますから!」
「え、あ、えーと、……ど、どうぞ……でいいのかしら、こういう時って」
「いよーし、きりきり歩けー!」
「痛えお前バカ痛えってお前、聞いてんのかバカ女!」
 芝崎さんが自己葛藤に陥ったほんの数秒の間に、おれの関節をひん曲げた女子生徒――説明するまでもあるまい、あのトラブルメーカー――香坂皐月は、腕を放さないままで歩き出した。必然的に引っ張られる格好になる。
「離せってお前、ほら歩く、歩くから! 引っ張られんでも歩くから!」
「悲鳴を聞くのが楽しくなってきたら、末期かしら」
「ドSだこの女ー!?」
 結局そのままおれは騒ぎながら廊下を引っ張られて行く羽目になった。
 なんだ? 人を呪わば穴二つって言いたいのか? それとも今日は厄日なのか? ――全くもって、泣きたくなるね。これから何が待ってるんだか。
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