Nights.

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  KOUYA  

 息が荒い。上がらなくなりそうな足を振り上げて、炎と共に昏闇の顔面に叩きつける。怯んだところに追加で二発の蹴りをぶち込んで焼きつくした。地面に足をつき、僅かな休息を求める。また視界の端に浮かび上がる昏闇。どこまで殺しても果てがない。
 おれだけじゃなく、笹原の呼吸も限界に近かった。こっちはひたすらに格闘を繰り返し、もはや何体の昏闇を消滅させたかさえ覚えていないというのに、白い少女――ユイ=アイボリーパペットは退屈そうにあくびなんてして、こっちの様子なんて見てさえいない。
「余裕、かましやがって……」
「だが現実に、オレたちは奴に近づくことさえできていない」
 笹原が呟く。こいつはさっきから、愚直なまでに前進し、ユイに肉薄しようと拳を振り回すたび、昏闇に邪魔をされて押し戻される……そのサイクルを何度も繰り返してきた。戦いの間に生まれた一瞬の小康状態。笹原は地面を蹴って僅かに後退し、おれと並ぶ。
「現在の敵戦力はおよそ把握した。同時に昏闇が生まれる数は三十二体。全員があの真怨に直結して命令を受けている。しかし、それが最大数である保障はない。これ以上、攻撃の手が強くなれば、こちらの抵抗する余地はどんどん少なくなる。この先、あの女がこの見世物に飽きる事があれば、オレたちはパン屑よりも脆く潰されるだろう」
 戦力を測っていたというのか。笹原はおれより冷静に戦局を分析していたらしい。革手袋を嵌めなおしながら、軽く目を向けてくる。
「昏闇が移動するスピードとオレの速度は互角だ。だから、オレが突っ込んでも到達する前に潰される。九回の試行で成功率はゼロ、十回目も同じだろう。近づけさえすれば手痛い一撃を食らわせてやるが、あの昏闇どもは、それを許さない」
 ユイを取り巻く昏闇が、また一歩踏み出してくる。数体、同士討ちをしない最大の人数で、統率された動きで。取り囲まれたままおれはやけっぱちで口を開いた。
「それで、どうしようってんだ。お前の手は届かない、おれの足も届かない。このまま死ぬのを待つのかよ?」
「考える前に口を開く癖を直せ、厚木。落ち着くんだ。クールにやれ。オレたち一人一人では出来ないことだらけだが、二人になればそれなりに出来ることの幅は広がる」
 飛び込んでくる猿のような昏闇の頭部を笹原は五指を開いた手で無造作につかみとった。ばうんっ!! 弾ける音がして、昏闇は力を失って地面に落ち、そのまま掻き消えた。ユイの周囲に、また一匹増える。
「オレの速力では奴らを翻弄できない。おまえの攻撃では昏闇どもを蹴散らせない。だが、それを逆に考えろ。……判るか、厚木。オレたちは、互いに欠けているものを持っている」
 言うと、笹原はしゃがみ込み、そっとおれの靴に手を当てた。
「お、おい、何してんだよ」
「動くな」
 足を引こうとしても、笹原の手は万力のようにおれの靴を持っていて、逃がしてくれない。ゆっくりと顔を上げ、真っ向から目を向けてくる。
「信じろ」
「は?」
 手が離れ、笹原は立ち上がった。様子を伺うようにおれ達を中心とした円陣を描く昏闇をぐるりと睨みまわす。
「ただ上手く行くとだけ、信じろ。それでいい。おまえの足に、オレの『衝撃』の一部を預けた。今、お前の足は、意識して衝撃を発露する事で空を駆ける事ができる。そして、衝撃を使い切らないうちに敵に叩きつければオレの拳と同等の威力を持つ。昏闇は俺に任せろ。お前は、奴らの間を縫って、あの真怨に一撃を加えてやればいい」
 笹原は肩越しに振り向いた。目を逸らしてしまいそうになるくらい鋭い目がおれを向く。だが、おれはその視線の中に真摯な光を見て取った。
「オレの『衝撃ちから』はお前を傷つけない。そして、お前は必ずあの真怨に一撃を入れる」
 無数の昏闇の包囲網の中心で、笹原志縞は鋼の拳を打ち合わせた。殴打するという単一機能を極限まで磨き上げた、戦いのための拳は、夜気に頼もしい音を響かせた。まるで鼓舞するように。
「オレはそう信じる。――お前は?」
 笹原が問う。
「……しょうがねえ野郎だな、とんだ所で頼りにしてくれやがって」
 おれは肩を竦めて、精一杯皮肉っぽく答えた。けれど、仲間があきらめていないことを知った事による高揚感に身が震えるのを隠し切ることはできない。
「信じるさ。やってやろうじゃねえか」
 笹原の口が満足げに歪むのを、おれは見た。

 走りだす。
 おれの横を一瞬だけ併走した笹原が、襲いかかってきた二体の昏闇を力任せの殴打で粉砕した。包囲網が狭まる。前から横から後ろから、昏闇は取り囲むように襲い掛かってくる。その隙間、何もない空隙だけを狙う。
 笹原の足が止まり、完全に敵を迎撃する態勢になる。背後で遠ざかる気配、しかし振り返らない。力強く敵を殴りつける音が、オレの背中を押す。地面を蹴り、強く炎を燃やしてその反動でさらに加速。小物は無視して先に進む。熊のような昏闇がおれ目掛けて腕を振り下ろす。それを間髪のところで横っ飛びにかわし、さらに前に踏み出す。
 目の前に低空飛行で躍り出す半人半鳥の姿をした昏闇を踏みつけ、おれは跳んだ。長い跳躍。眼下前方、直線距離にして十メートルちょっとの位置にユイの姿。余裕を持った表情でこちらを見てくる。その周囲には、また新しい昏闇がぞろぞろと召還され続けている。昏闇を侍らせて赤い唇をゆがめると、ユイはこちらを指差し、何事か囁いた。
 五体ばかりの昏闇たちが歪にねじれた翼を生やし、一斉に飛び立つ。
 狙いは当然のようにおれ。顎を広げて襲い掛かってくるワニのような昏闇に、おれは姿勢制御無視の右回し蹴り蹴りを叩き込んだ。重い手ごたえと共に、シルエットが異常な形にねじれて吹き飛ぶ。
 反動で身体が揺れたところに次が来る。人型、手には黒い曲刀。左足を宙に踏ん張って、跳躍のイメージを走らせる。足に鈍い反動があり、おれの身体は二段階加速のミサイルのようにさらに上昇した。眼下で曲刀が空を裂く。
 雑魚に構っている余裕はない。今の跳躍で、笹原がおれに預けた分の二割はロスしている。かわし続けていたのでは本末転倒だ。ガス切れを起こせば袋叩きに合うのは目に見えている。
 踵から炎を吹き出す――吹炎制御ベイルスラスターで姿勢を制御、ユイの方向に頭を向けるようにしてもう一度空中を踏む。衝撃による爆発的な加速。羽の生えた二体の骸骨が腕を振り被るよりも早く、その横を突き抜ける。
 ユイが僅かに驚いたような表情をした。
 最後の一体の頭を蹴り飛ばして、ダメ押しの加速。衝撃は残り四割程度、残った分を全て右足に集中して左足を姿勢制御に当てる。真っ直ぐにユイに向かって突っ込み、おれは残り二メートルの位置で左踵の炎を全開にして空中で一回転。ぐるりと回る視界の中に白い影を見つけた瞬間に右足を振り被り、完全に射程圏内に納めたと確信した瞬間――黒い砲身と対峙した。
「んなっ……?!」
 それは、唐突過ぎるタイミングでおれの前に姿を現した。空中で回転し、ユイから目を外したほんの一瞬の間に、漆黒の大砲が彼女を守るように現われたのだ。
「わたしの作る昏闇は、わたしが望む形を取るわ」
 嘲笑うようにユイが笑う。背中を駆け上る嫌な予感。研ぎ澄まされた生への直感が、おれの蹴りのコースを変えていた。
 笹原に託された、すべての力を乗せた右足。必ずユイに叩き付けなければいけないはずの一撃。しかし、轟音がおれを叩いた瞬間、必殺の蹴りはユイではなく吐き出された砲弾を蹴り飛ばしていた。
「がっ……あああ!」
 喉から苦痛の声が漏れる。砲弾のゼロ距離射撃を辛うじてねじ伏せたものの、おれの足に集中した莫大な応力は骨格を芯から軋ませていた。笹原の衝撃がなければどうなっていたか判らない。
 しかし、これで切り札は消えた。唯一の牙を失った状態でおれの身体は、反動で来た道を辿るように宙に放り出される。無理やりに叩き込まれた砲弾の衝撃ででたらめに回る視界。姿勢制御をしようと右足に力を込め、炎を吹き出した瞬間、目に入ったのは漆黒の曲刀だった。
 声を上げる間もない。
 おれの左肩に、深く刃が突き立つ。
「ぎ――」
 引き攣れた声が出る。
 悲鳴の続きを出す前に、左脇腹を何かの爪が抉った。右の二の腕を何かが噛み裂いた。どれも深い事だけが判る。おれの時間が空中で止まった。
 ただ、ひどく熱い。食い込んだ刃も、めり込んだ爪も、突き立った牙も、どれもがおれを殺そうとしている。下から耳障りな哄笑が聞こえた。見なくても判る、ユイの声だ。
 傷ついたものを笑う声は、どんなに美しくても醜悪なのだろう。おれの耳には、ユイの声はただただ歪んで響く。身体から力が抜けていく。笹原に預けられた力さえ、もう残っていない。視界には、刃を突きたてた人型の昏闇と、その向こう、遥か上の紅い天井だけが見えた。
 紅い……紅い。
 傷口で刃がじくりと動いた。引き伸ばされた一瞬の中で、一定量を越えた苦痛が熱に変わる。
 痛いのではなくて、熱い。右腕が、腹が、左肩が、気の狂う熱病のように灼熱する。
 力の抜けた身体の芯に、かっと燃えて輝くような炎があるような気分。足首に巻いたバーンドチェインが脈打つ。血を伝わって傷口へと走るように、或いは傷口から足首へと伝わるように、バーンドチェインと苦痛の熱が結びつく。
 意識はクリアだった。これだけやられても気絶さえできない。意識を失いかけるたび、気の狂うような熱で醒める。一瞬でそれを何度か繰り返すような、そんな手酷い目に遭ってわかったことは――

 やられっぱなしで、おれは今、メチャメチャにムカついてるってことだった。

「っおおおおおおああああッ!!」
 おれは全身にみなぎる熱に任せて、思い切り叫んだ。
 昏闇の動きが一瞬だけ止まる。次の瞬間には止めを刺すために動き出すだろう。けど、その一瞬で十分すぎる。バーンドチェインからおれに流れ込んでくる情報の群れ。それは、おれが初めてこいつを自分の意思で使ったときと同じものだったからだ。
 背中の飾り帯に意識を飛ばす。ひらひらとはためいていた帯が、おれの意思を受けて強く燃え上がる。左の一本が伸び、風切り音を発しながら暴れまわった。爪を立てていたやつと腕に食いついていたやつ、骸骨二体が離れようと羽ばたくが、もう遅い。伸びた飾り帯はまるで豆腐を切るような気軽さで二体の骸骨の背骨を叩き斬った。
 左肩に嫌になるほどの痛み。のこぎりでおれの骨を挽くみたいに人型が曲刀を前後させる。多分左腕はもう使い物にならないだろう。それにますます怒りが沸いた。
「ッてェっつってんだろバカ野郎ォ!!」
 伸びた右の飾り帯が右手に巻きつく。握り締める。布を巻いた右拳を、そのまま笹原よろしく人型の昏闇に叩きつけた。滅茶苦茶な姿勢からの、下手糞な右フック。それなのに昏闇は紙切れを焼くより簡単に燃えて消滅した。
 紅炎爪翼バーストファング。バーンドチェインが名を囁く。今は、名前なんてどうでもいい。
「は……?」
 下から呆気に取られたような少女の声。そう、この声の主を焼き尽くす。今のおれにはそれだけでよかった。ベイルスラスターで姿勢を整え、俺は眼下を睨む。
「――行きなさい!」
 我に帰ったようにまたユイが数体のいびつな昏闇を宙に差し向ける。飛び立ってくるのは、ライオン、狼、豹、……猛獣のオンパレード。いずれも食いつかれれば手痛いダメージを食らうだろうし、今の状態でもう一度集られれば致命傷に繋がることも判る。
 しかし、おれの頭にあるのはそいつらへの対処法ではなく、あとどのくらい動けるのかの一点だった。血が流れ出ていく。まだ動けると信じ続けても、こればかりはいつか枯渇する。獣達がどれだけ襲ってこようが関係ない。初めから狙うべきなのはユイだけだ。
 落下軌道に入る。先頭を走る狼が飛び掛ってきた。大口を開け、真っ黒な牙列をさらし、おれ目がけて食いついてくる。その牙が身に触れる前に、右足で空を踏んだ、、、、、
 横にステップを踏む、瞬間、爆発的な加速。狼の牙は宙を食み、がちんと音を立てた。奴から見ればおれは消えたように見えたに違いない。
 追走してくるライオンを、今度は垂直に跳び上がる事でかわす。当然ながら笹原がくれた『衝撃』は使い果たしてしまって、もうおれの足には残っていない。これは別の原理。バーンドチェインがおれのために備えた機能の一つ。
 名を、爆足階段ラダーレイド。急熱して膨張した空気の上を走る事を可能とする。おれは獣達よりも早く空を駆け上った。できるだけ早く、できるだけ上まで。眼下では笹原が死闘を演じていた。振るう拳は一撃で一体を確実に吹き飛ばす。疲労困憊のはずなのに、あいつはそれでもおれを信じて立っている。
 その信頼を裏切ることは、きっと死んでしまうより痛い。
 おれは上昇し続けていた身体を百八十度急激に回頭し、地面を睨みつけた。同時に天井に向けて足を突き出し、ラダーレイドを発動した。足下に衝撃、重力も合わせて、おれの体は異常な加速を遂げる。それでも足りない。襲うGも、空気の壁も、目を開けていられないほどの恐怖も、みんなまとめて噛み砕く。一歩、二歩、三歩、まだ。四歩、五歩、六歩、足りない。七歩、八歩――空を駆け下りる!!
 赤色の飛行機雲ヴェイパートレイルがおれの周りを取り囲む。彗星みたいに尾を引いて、辺りの空気を食いつぶし、純粋な熱を生み出す。おれを阻もうと立ち塞がった豹とライオンが触れることなく燃え尽きた。その下、黒い砲身がおれを向く。発射の瞬間に左に十度傾けて空を踏む。右肩を掠める。角度修正。ユイの驚愕の顔。
兵器戦術マニューバ・ウェポン……第二の脚セカンドアームス!!」
 ――この一撃で、灰にする!!
 必要最小限の角度変更、落下エネルギーの全てを生かしたまま、ベイルスラスターで再びの回頭、右の踵を振り上げる。ユイが両手を盾のように突き出し、絶叫した。
闇陽炎ディエスファントム! わたしを……」
 皆まで言わせず、咆哮を上塗りする。お前なんて飲み込んでやる。このおれの炎で。
"破壊"のデストロイドォ――!!!」
 右足に集う力は、傷口の全ての熱を吸うように高まる。挽いてきたヴェイパートレイルの熱の全てを押し固め、右足に込める。もう逃がさない、真っ直ぐにかかとを振り下ろす!!
空対地弾道弾マーベリックッ!!!」
 閃光で視界が埋まる――確かな手ごたえ、続いて轟音。ビルの鉄骨を拉がせるような、重く歪んだ音が響く! 余波で地面が抉れ、砕け飛び、煙が舞う。反動でおれの身体は後ろに押され、紙切れのように飛んだ。身体をひねってどうにか着地し、靴底で地面を引っかきながら二メートルほどの距離を後退する。
 爆心地には今尚煙が溢れ、見通す事ができない。追撃のために踏み出そうとした瞬間、膝が崩れた。肩からの血も、脇腹からの血も、止まる気配がない。傷口から伝わってきた熱は引いて、今服の下には、冷たい汗と血だけが伝う。
「く、ふふ、うふふふふ……驚いた、わ」
 爆心地、煙の内側から声がする。顔を上げて睨めば、晴れて行く煙の隙間から黒い影が見えた。ユイではなく、球体。黒い外殻のようなものが見える。外殻は一箇所にヒビが入ったかと思うと、ビキビキと音を立てながら崩れた。内側からは、ところどころに熱傷を負ったユイが現われる。
「まさかルーキーごときに闇陽炎を使う事になるなんてね、思いもよらなかった」
 服の裾と露出した箇所を軽く焼くので精一杯だった、という現実に、おれの身体は重さを増したようだった。立ち上がれそうにない。一瞬の過熱は、もう起ころうとしなかった。バーンドチェインも何も言ってくれない。
「そんな顔をしないで? 貴方はルーキーにしてはよくやったわ、厚木康哉。誇っていいのよ。だから安心して死に――」
「そうだな。よくやった、厚木、、、、、、、、
 ユイの声を遮って、響く。
 力強い、ハスキーな声。それが笹原のものだと気付いた瞬間、後ろで轟音が響いた。声を追い越すような速度の空色が、おれの横を駆け抜ける。
爆撃空域デストラクトエア槍撃鉄拳ウォードストライカー
 ユイが手をおれに対してだけ振り上げた一瞬の油断を突き、笹原が彼女に近づいた。彼女の横を、凄まじい速度ですれ違う。ユイはぎしりと身を竦ませた――いや、何かに、その動きを止められた。
 ユイの身体に巻きついた銀色が、おれの炎を照り返す。ユイの動きを止めたのが、笹原が繰り出した長い鎖である事に気付いた瞬間には、笹原は足を止め、外套の揺れも収まらぬままに呟いた。
連続起動デバイススイッチ……トゥ空爆連鎖エアードマイン
 ユイの顔が歪む。
「やめ――」
「これがお前が侮った、ルーキー二人の力だ。――持って行け」
 乾いた宣言と共に、ユイを縛り付ける鎖の全てが爆裂した。
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