Nights.

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  Zephyr  

 不敵な笑みを浮かべて、神海はトン、と地面に刀をつく。まだ地に座り込んだままの光莉を囲むように、紫電が円状に地面を走った。描かれる円陣は、神海が得意とする自動迎撃の結界の一種だとわかる。
「雷陣、と。立たんでええよ、ウチが終わらしたるさかい」
「そんな……、相手は真怨なのよ。神海、わたしも……」
 腿を冒す痛みが、立てる、と信じ込むのを邪魔する。それでも歯を食いしばり、光莉は立ち上がろうとした。しかし、神海は首を横に振る。
「あかん。そんな足でついて来られたら、見てるこっちが痛くてかなわんわ。そん中におれば、気ィ入ってない攻撃は届かへん。聞き分けのないこと言わんと、座っとき」
 神海は振り向き、笑顔のままやんわりと光莉を押しとどめる。有無を言わさぬ響き。こうした時の彼女は頑固だ。これと決めたことは譲らない。昔から変わらないところ。光莉が思わず眉を下げると、神海は悪戯小僧のように歯を見せて笑い、「大人しくしとりや」と言葉を残して、再びカミラに目を戻した。
「殺界紫電……使い手は鈍色メタルが殺したはずよ。何であんたがそれを」
 悪い夢を見ているとでも言いたげな口調で呟くカミラへ、神海はまるで狙いを定めるかのように、ゆっくりと刀の切っ先を向ける。
「……今ここにウチがいて、これを使ってることがその答えや。圧倒的な刀術と万象に対応する体捌きを基礎とし、雷電の威力を低負荷で最大限に発揮する技術。――それが殺界紫電。昏闇を殺すためだけに特化したこの技術を習得したものは、五派の『真怨殺しスレイヤー』の一つ、雷渦ヴォルテックスの名も共に継ぐ。ウチは八代目の、雷渦や」
 絶殺暴蛇『嘲笑う殺人者ニーズヘッグ』、万象破砕『壊鍵ギガース』、撃砕戦姫『鋼鉄少女アイアンメイデン』、因果歪曲『相反二律エンドレスエンド』、そして斬撃無双『雷電ライデン』。
 これら五種の魔具に確立された使用法を極めた術者は、真怨殺しと呼ばれる。その理由はそれぞれによって違うが、雷電の場合はその破壊力によるところが大きい。聖なる紫電の走る刃は、真怨に対して、他の魔具よりも大きな攻撃力を発揮する。
「光莉に手ェ出せると思うなや。そっちに槍を向ける間に、お前の首、四回は撥ねたるさかい。真怨殺しは伊達やあらへんで。本気で掛かって来いや」
 敵意を向けられていない光莉でさえ背筋に冷たいものを感じるほどに、神海の声音は平坦で冷えていた。押し殺した怒りは、冷たい刃のようなプレッシャーとなって発散される。その重圧を一身に受けるカミラは、確かめるように地面を踏みしめ、やや腰を落とした。
「……なるほどね」
 カミラは血色を失った顔をようやく無表情に戻すと、自分の周りを回る二つの球体を両の手のひらでそれぞれ受け止め、握り締めた。球体は燐光を発し、青白く輝く。そのまま彼女が両手を合わせると、球は自らの形を取り戻すかのようにひとりでに捻れて寄り合い、一本のシンプルな長槍を形成する。飾りの少ない群青色の槍、長さはおよそ二メートル。
「遊んでる場合じゃないって事ね。認めるわ。あんたは、あたしと対等な敵だと」
「塵殺葬列……霊子波長エーテルパターンは同じやったけど、その形の方がやっぱりしっくりくるわ。……認めたんなら仕切りなおしや。行くで」
 槍を確かめるように中段に構えるカミラ。刃と化した右腕を上げる神海。両者が跳躍したのは、まったくのほぼ同時であった。
 カミラが疾風であるとするならば、神海は雷光。両者の踏み込みは互いに神速の域。低空で一瞬の交錯。槍と刀がぶつかり合い、火花を散らす。剣戟の音はまるでよく出来た音楽のようでさえある。
 光莉の位置からでは、彼女らの動きを明確に理解する事はできそうにない。しかし、群青の槍が宙を裂くたび、神海が僅かに後退するのがわかる。古来から、人間は他者と格闘するとき、少しでも長い射程を求めた。相手の攻撃は届かず、自分の攻撃は届くという優位を保つためである。剣より槍を、槍より弓を、弓より鉄砲を……と言うように。
 カミラの動きに慢心はない。真怨殺しに対して油断を見せることは、何よりの愚だと知っているのだろう。槍を突き出したと思った次の瞬間には、またも穂先が神海の顔面を目掛けて襲い掛かり、かと思えば薙ぎ払うように石突が胴へと振るわれる。凄まじい槍技である。攻撃の動作がすぐさま次の攻撃の予備動作となる連続攻撃。
 対して、神海は後退を余儀なくされていた。穂先の来る先を読み、そこに刀身を滑らせる事で槍を受けて弾く。先程までの、球状態の塵殺葬列から繰り出される嵐のような攻撃さえも見事に防ぎきった彼女でさえ、カミラの攻撃には手を焼いていた。
 擬似的に繰り出されていた槍と、本来の形状に戻った今の塵殺葬列の刃先とでは、恐らくその威力自体にも雲泥の差があるのだろう。最初の一撃以来、神海は攻撃に転じる事が出来ずにいた。カミラを中心として円を描くように動き、攻撃の的を定めにくいように身体を捌きつつ、少しずつタイミングを図っているように見える。
「小高い丘の悲喜交々、悲痛と悲哀と暗い笑み。教義にことごとく爪を立てる」
 カミラの鋭い声が剣戟の隙間に響く。神海が不審そうな顔をした次の瞬間、その表情は驚愕の形に取って代わられた。
「五枚の金貨は夜露に消えた。――ユダの見る夢ドリーム・オブ・ジューダス!」
 繰り出された槍を神海が自身の右外側に向けて弾いた瞬間、その穂先が捻じ曲がった、、、、、、。形を変じた槍はそのまま直進し、雷電と同化した神海の右上腕の布地を裂き、鮮血を溢れさせる。苦痛からか僅かに神海は表情を歪める。
「次は心臓よ」
 カミラの楽しげな宣言に、神海は苦笑がちに笑う。
「……味な真似しよるわ」
「褒めてくれるの?」
 不敵に笑うカミラ。笑いながらも攻撃に躊躇はない。再び槍が繰り出されるが、神海は剣先で穂先を跳ね除けながら、持ち前の瞬発力で鋭く後ろに跳び下がった。一瞬で五メートルの間を作り、脚幅を広く取る。
「強くない言うたんは、訂正したってもええ」
 手数とリーチに圧倒され続け、遂に傷を許した神海。しかしその顔に悲観の色はなく、むしろ楽しげにさえ見えた。腰を落とし、刀身を横にして地面と水平に構え、狙いを定めるように峰に左手を添える。完全な射程外で、彼女は突きの構えを取った。 
 カミラが怪訝そうな顔をするのを見て、神海はニヤリと笑う。
「せやけどな、ウチのもまだまだこんなもんやないで。真怨殺しは伊達やあらへん」
 言葉の終わりと同時に刀身が空を走る紫電と同じ輝きを帯びる。カミラに向けた刃を真っ直ぐに突き出す瞬間、神海はロックバンドのボーカルがそうするように、叫んだ。
衝雷槍ゼファーァァァッ!!」
 神海の動きは刀での突きというより、単純に相手を殴打するようなそれに近い。拳の延長となった刀の切っ先から光が生まれるのを、光莉は見た。刀から迸った輝きは地上と水平に走る落雷さながらに直進する――カミラは目を見開いた。
 神海の刀から生まれた『雷』はカミラの右横すれすれを通り、その先にあった建物の壁を擦り抜けた、、、、、。音さえない。光が失せた後、建物にはぽっかりと、丸く切り取られたように、直径三十センチメートルほどの穴が開いている。光莉が行ったような大規模な破壊では決してない。しかし、光莉には解った。完璧に集束された力は、余分な破壊を起こさない。神海が放った一撃は、芸術的なまでに同一の形で貫通した。恐らくは、神海の位置からなら、向こう側の景色さえ見えたに違いない。
 カミラはこくりと唾を飲むように喉を動かし、恐れと敵意の入り混じった目で神海を見た。
「……わざと外したわね、あんた」
「お互い様や。心臓、行けたんやろ? さっき」
 互いに必殺の武器があるという緊張感が、空気を張り詰めさせる。五メートルの距離を置いて二人は相対した。にらみ合う視線は火花が散ってもおかしくないほど。あの視線の間に挟まれたら、きっと息も出来ないだろうと光莉は思う。
 何かのきっかけで、弾けるように戦いに戻りそうな均衡は――しかして、意外な展開を見せた。
 カミラは表情を歪ませると、後ろにステップを踏み、神海と距離を置く。一触即発の空気が薄れ、意外そうな顔をした神海が首をかしげる。
「なんや、逃げるんかい」
「うるさいわね。あたしは楽して身体が手に入りそうだったからここに来たのよ。こんなリスク背負いに来たわけじゃないの。……それに、自信たっぷりだったアホがコテンパンにやられたらしいしね。引き際ってやつよ」
「誰の事か大体想像つくわ……リリーナとジークが一緒になってもうたら、どんな奴でも手ェつけられへんからな」
 神海はゆっくりと構えを解くと、顎をしゃくった。
「逃げるんならとっとと失せや。一対一なら息の根止めるまで追いかけたるんやけどな。そんで鈍色メタルとか言うのんに伝えとき。『アリスの亡霊が、お前の首を落としに行く』てな」
「……あたしをメッセンジャー代わりにしようっての? いい度胸じゃない、雷渦ヴォルテックス。覚えてなさい、次はあんたを殺すためだけに来てやるから」
 憎憎しげに吐き捨てると、カミラは地面を蹴り、空へと身を躍らせた。無事な建物の上に飛び乗り、そのまま虚構の町並みの奥へと消えてゆく。
「いつでも来いや。返り討ちやで」
 神海が小さく呟いた瞬間、景色にひびが入り、辺りの町並みがガラスのように崩れ去る。そしてそれこそが、カミラとの戦闘が真に終わったという証であった。
 神海は覚醒状態の雷電の刀身を左手で優しく撫でると、切っ先に、腰に下げていた鞘を宛がった。やや刃の幅が大きく膨れていて入りそうにないはずなのに、鞘の触れた部分から元のサイズへと縮むように刃が変形し、そのまま鞘に刀身が吸い込まれていく。
 刀身を鞘の長さの分収めきった瞬間、神海の右腕が淡く輝き、刀と分離した。その瞬間、光莉の周囲を覆っていた円陣も消える。右手を何度か握ったり開いたりしてから、彼女はゆっくりと振り向く。その表情はあまりにもいつも通りで、光莉はまた緩みそうになる涙腺を必死になって抑える羽目になった。
「さ、て、と。これでお仕舞い、てとこやな。大丈夫かいな、みつりん」
「……ちょっと、立てないかも」
 緊張の抜けた分、足の痛みは増すばかりであった。カミラが無遠慮に足の筋肉を裂いてくれたおかげで、どこに力を入れてもひどい痛みが走る。神海は腰のホルダーに鞘を着けなおすと、屈みこんで、光莉と目の高さを合わせた。
「あはは、そしたら役得やね」
「役得? って、ひゃぁっ?!」
 神海は光莉の足と背に腕を宛がい、いとも簡単に抱き上げた。抱き上げられて悲鳴を漏らす光莉の様子に、青いポニーテールを揺らして、神海はくすくすと笑う。
「あーもー、ほんまにみつりんは可愛いのー! 行き遅れたら、いや行き遅れんでもウチが貰ったるさかい、心配せんでええからな!」
「っだ、誰が行き遅れですか……!」
 底抜けに明るい神海の声に、光莉は傷ついた身体も他所に、少し怒ったような声を出す。けれどそれも一瞬の事。彼女のそばなら笑っている事ができた。
「そんな強く反応したら気にしてるってバレバレやで。からかいがいあるなぁー」
 屈託なく笑いながら神海は間近なゆがみディストース目掛けて歩き出す。その腕の中に納まりながら光莉は反論を考えてみる。中々浮かばなくて、やきもきする間にも、ゆがみは近づいてきて――
 転移するその瞬間。神海の腕がほんのすこし強く光莉を抱いた。
 その強さがほんの数分前に間近にあった『死』から自分を守ってくれるようだと、光莉は思った。
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