Nights.

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  Pop Kitten  

 ジークは高速で走りながら詠唱を行なった。
定義ディファイン銃弾バレット加速ブースト……!」
 急激なブレーキ、飛び退く。同時に二挺の拳銃を跳ね上げ、照準を定める。ジェイルはカレルの顔をしたまま、ニヤリと笑った。
「鈍いな。全てにおいて鈍い。何度も言うが、君一人で私に勝とうなどとは、分際を弁えないにもほどがあるぞ、ジーク!」
 嘲弄の響きを振り切るように、ジークはまた、輪廻の十字で現実を捻じ曲げた。銃口に光が宿る、
昇速円環エタニティ!!」
 アンリミテッドパターン・ゼロツー、エタニティ。銃身内を加速しながら推進する銃弾に更なる加速能力を与え、銃身外に飛び出した瞬間から空気抵抗や重力の影響を排除して、等加速度直線運動を引き起こす能力である。ジークは燐光を帯びた銃身から、一瞬で七発の銃弾を撃ち出した。
 ジェイルは慌てた素振りのひとつもなく、射撃を予見していたかのように横にステップを踏んでかわした。そこまでは予測の範囲内、ジークはトリガーを連続して引きながら射撃角度を修正する。燐光を帯びて流星のように尾を引く銃弾がジェイル目掛けて襲い掛かる。しかし、ジェイルは銃口を跳ね上げながら右に跳ぶようにして二発を避けると、三発撃った。目にも留まらぬ早業である。ジェイルは銃弾さえ追い越しかねない速度で動く。その三発が、自分が撃った銃弾を叩き潰して火花を散らすのを見た瞬間、ジークの心に陰りが生まれる。
 こいつは、やはり強い。オレ一人では――
 一瞬だけ生まれた弱音を叩き潰すようにジークは歯を食い縛り、力をすり減らすのを覚悟の上で詠唱を重ねた。まるで重さを感じさせない動きで走り、こちらへ銃を向けてくるジェイルの後を、銃口で追う。
二重起動デュアルブート! 定義ディファイン銃弾バレット再来サイクル……銃撃回廊インフィニティ!!」
 昇速円環の特性を残したままの銃撃回廊。体が軋む。精神力を消耗しすぎ、それに体が引き摺られて疲労感を帯びていく。それを無視するように、ジークは今までを上回る銃弾の嵐を生み出した。ジェイルが放つ銃弾さえもその弾幕で飲み込み、叩き潰していく。 遥か向こうで、影絵の街のビルが端から削られるように吹っ飛んで破片を散らす。銃弾が空を裂いて飛び交う中で、怖い怖いという風にジェイルは肩を竦めた。十五メートルの距離を置いて、火線と紙一重の位置を駆け抜けながら、嘲るように歪んだ唇が動く。
「二重起動まで出来るようになったか。君の成長には毎度驚かされるが、それでも所詮は魔具一つ。カレルとは比べるべくもない――定義ディファイン領域ステージ解放リバレート……『無限領域ネクサス』」
 ジークは銃弾を撒き散らし、ジェイルの影を追った。しかし、ジェイルが言葉を発した瞬間、その影が掻き消えた。目を見張る。追跡のために視線と銃口を同時に動かした瞬間、目の前に黒い影が躍り込んだ。
「……ッ!!」
 嘲笑する男の顔が目の前に現われる。銃弾の嵐を掻い潜って一瞬で十五メートルを走り抜けてくるその運動能力。それは、かつて父が得意とした身体加速術に相違ない。自分にはまだ使用できないと、そう感じていたもの。ジェイルはそれを平気な顔で完全にコピーしてみせた。背筋を這い登る危機感。
 銃口が繰り出される。それを右手の銃を突き出して弾く。弾くと同時に手首を曲げて銃口を相手の頭に向ける。発砲。ほぼゼロ距離からの発砲が首を傾げる一動作で回避される。ジェイルがジークの腹目掛けて銃を突き出した瞬間、またジークは防御を強いられ、左手の銃で弾くことを余儀なくされた。その間にも最初に弾いた側の銃が、また蛇のようにジークの心臓を狙って動く。ジークが左にステップを踏めば、それにあわせて円を描くように、ジェイルは右へと動く。まるでそれは踊り、死神同士のタップダンス。噛み合う銃と銃が火花を散らし、吐き出された薬莢が地に落ちないうちに二人の男は次の弾丸を放ち続ける。
 一時たりとも止まらない、金属音と銃声の楽章じみた戦いの音。さながら硝煙協奏曲ガンスモーク・コンチェルト。テンポは上がるばかり。ジークの腕が追いつかなくなる。現実と、自分が想像する最強の自分がズレ始める。
「こんなものか、こんなもので限界か、ジーク=スクラッド! まだまだ速くなるぞ、そら!」
 防御が一瞬遅れる。テンポが狂い、銃弾がジークの肩を浅く抉った。その一瞬が致命的な遅れに繋がる。どちらの銃が来るかと一瞬だけ迷った瞬間、ジークの目に飛び込んできたのは足刀だった。身を翻した勢いを乗せた後ろ回し蹴り、そう気付いた瞬間にはジークは鳩尾をしたたかに蹴りつけられて、冗談のように空を加速しながら吹き飛んだ。
 背中から建物の壁に叩きつけられ、ガハ、と声にならない息の塊を吐き出す。視界が真っ赤に染まり、悪い冗談のように、体が言うことを効かない。
 赤く黒く明滅する視界。影絵の町を真怨が歩く。ゆっくりと歩いてくるその動きは、正に勝利を確信した狩猟者のものに他ならない。
「なるほど、確かに因縁に決着はつきそうだ。キミの死という形をもってな」
「……調子……くれてんじゃ、ねえよ……オレは、まだ……」
 戦える、と言おうとした瞬間、ジェイルの左足が霞む。視界に光が飛び散って、右頬が弾けた気がした。蹴られた、らしい。もはや危機感覚さえ曖昧になりつつある。
 喉に手が掛かる。顎を引っ掛けるように、無造作にジェイルがジークの体を吊り上げた。浮遊感と、詰まる喉。叩こうとした減らず口が喉で止まる。
「呆気ない。詰まらないくらいだな。ああ、目障りだったキミがこんな簡単に潰れるのなら、もう少し予定を前倒しにするべきだったろうか。機会を伺っていた時間が勿体無く感じられる」
 額に、ごり、と音を立てて凶悪な銃口が押し付けられる。ジークは呼吸もままならないままに空ろな目を向けた。真っ黒な銃の、一際黒い銃口は、自分の額に隠れて見えない。腕が上がらない。
「断言しよう。キミは父親には及ばない、無力な猟人だ。格好ばかり父親に似せて、肝心の中身は何もついてきていない粗悪品だよ。君はここで死に、十三番分室は今日、潰える」
 ジークが力の入らない顎で歯を食い縛るのを満足げに見て、ジェイルは囁くように言った。
「キミでは、誰も守れない」
 ジークの目尻から赤が滲む。怒りにか、それとも内省にか、真っ赤な雫が頬を一つ滑り落ちる。
「――カッコ悪ィ」
 ジークの内心、そのままの言葉。潰れた喉で呟いた言葉が、自分の声じゃないように聞こえた。
 幻聴か。
 それは、若い女の声で聞こえた気がした。聞き慣れた――彼女の声で。

「――――!!!」

 大砲に似た音を立て、それは唐突に現われた。右方五十メートルの影絵のビルが二個、あっさりとぶち抜かれるのをジークは見た。人一人分ほどの横幅の光条が闇の中を突き抜け、こちらに向かってきたのだ。
 スローモーションに感じられる知覚の中、目測で測った終端速度は秒速八〇〇メートル。他方向からの攻撃を警戒していなかったジェイルが、突き飛ばすように自分の体を離して飛び退くのを感じながら、ジークは尻餅をついて、自分を僅かに掠め、そのまま左の景色を思うさま破壊して突き抜けていくた光条の根元を見た。
 ――叩き割られた影絵の街の光景。壊れた景色が歪んで戻るその間に、この領域へ踏み込んだ気配がある。五十メートルの遥か向こう、何かを構えた女がいる。不覚にも、その影を見てジークは心底安堵した。
「やっぱりアタシがいないと駄目なんじゃない、強がりジーク」
 離れているのに聞こえる声。そう、幻聴ではなかった。いつも重荷を背負い込む自分を、格好悪いと笑うのは、彼女しかいない。
「……うるせえな。これから奇跡の逆転劇が始まるところだったんだ」
 それを効いて黒猫よろしく、女は悪戯な笑みを浮かべた。肩に担いだ人一人分もありそうな大砲を捨てると、同時に膝をかがめ、早口に何事か呟く。
定義ディファイン二秒ツーカウント脚部レッグス……時限昇華リミテッド!!」
 ――こともなげに女は跳んだ。空高く、ともすればジークよりも鋭く、速く。
 空で、女はコートの前を肌蹴、楽しげに笑った。両手をコートの中に突っ込み、ぐい、と何かを引きずり出す。ロケットのような勢いで跳んだ彼女は、一瞬で五十メートルあまりの距離を跳躍し、あっという間にジェイルを射程圏内に収めていた。
「……馬鹿な。セスタスが破られたのか?」
「あんな三下でうちの室長をヤれると思わないことね、ジェイル! 今日もその格好、アンタもしかして気に入ってんの? 目障りなのよ!」
 空中で足を振り回し、運動エネルギーを巧みに手先の武器へと伝えながら、女は、どう考えても投擲用ではありえない斧槍ハルベルトを易々と下方へ投げ放った。一本、二本、投げたそばから、コートの中から手品のように同じものが引き摺り出される。投擲、投擲、投擲!!
 銃弾で弾けるような質量ではない。さしものジェイルといえど後退を余儀なくされる。当たれば一撃で腕や足を欠損させる事ができると思わせるほどの音が、地面に刃が突き立つたびに鳴り響く。
 着地するまでの間に投げたハルベルトの数は七本。くるくると何度か宙返りをして、彼女は猫のように地面に降り立った。ジークを守るように立つ。
 ジークはその背中を見上げながら、困ったように笑った。
「……リリィ」
 リリーナ=スクラッド。
 武器庫アーセナルの二つ名を持つ猟人にして、チェシャ猫のように笑い、黒豹のようにしなやかな体をした、彼の実妹である。
「にゃーお、ってね。久しぶりね、ジーク。飛び切りカッコ悪いところ見ちゃったわ。何がオレ一人でも大丈夫、よ。アタシがいないと洗濯も炊事も掃除も出来ない癖して。唯一頼みの戦闘でさえこのザマじゃあ、アタシも呆れちゃうわよ、本当」
 マシンガンのように並べ立てられる台詞に、ジークは苦笑しながらも立ち上がった。ああ、一瞬諦めかけたのは本当だ。オレ一人じゃ荷が重いことも認めよう。
「ああ、毎度手間掛けるよ、本当にな。どうもお前がいないと、オレは駄目らしい」
 踏み出す。リリーナの横に並んで、ジークは身体の状態を確かめた。喉が潰れそうになっていて、臓器もいくつかが傷ついているのを自覚する。しかし、彼女が傍にいるだけで、その痛みは霞みがかったようにぼんやりとぼやけていく。身体の感覚が鋭敏になり、瞳に光が戻るのが自覚できる。
「やけに素直じゃない。やっとこのありがたみが理解できた?」
 リリーナが悪戯っぽく笑う。
 ジークは彼女が持つ閉じた円環シャッタードワールドと、自分が持つ輪廻の十字エターナルが呼び合うように、魔具が共鳴するのを感じていた。これは双方、父親が持っていた魔具。二つが揃ってこそ真価を発揮する。有限と無限。二つの相反する属性を持つ魔具。この二つを同時に使いこなすことで、かつて、カレル=スクラッドは無敵を誇ったという。
「ああ、感謝してるさ。……リリィ、カイから預かりものはないか?」
「調子いいんだから」とリリーナは肩を竦め、二挺の拳銃を抜き出した。
 手渡されたそれは、巨大と言うほかない。短機関銃に及ぶのではないかと思われるほどの全長を持つ、シルエット的にはモーゼルを思わせる銃だった。双方ともトリガーより前に弾倉が位置している。しかし、強靭で肉厚の銃身はモーゼルにはないものだ。その威容は純粋な破壊力の具現として、見るものを圧倒する。ジークは長い銃身を持つ方を右手に取り、短い銃身をした方を左手に収めた。
「……新品お披露目って所だな」
 ジークは新しいおもちゃを手に入れた子供のように笑うと、真っ直ぐに前を見た。
 突き刺さったハルベルトの林の向こう、ジェイル=クリムゾンメモリーはこちらを伺うように凝視している。
「これは……少々予想外の事態だな」
「都合の悪い事がこっちばかりに起きると思ったら大間違いだぜ、ジェイル。人の命運勝手に決めようとしやがって、神にでもなったつもりだったか?」
 ジークの声に先ほどまでの弱弱しさはなかった。隣にいる妹が、彼の心を強く支える。
「第二幕だ。攻守逆転だぜ」
 二挺の銃のスライドを引き、ジークは猛々しく笑った。
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