Nights.

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  DESTRUCT AIR  

 塀と塀に挟まれるようにして出来た、それなりに広い道。蹴り離した事で、相手との距離は五メートルほど開いている。
 視線の先で、じゃりり、と音を立ててクロスボーンが砂礫を踏みにじる。初動を見守るため、康哉は肩幅に脚を開いて、様子を見た。
 康哉の得意とする戦闘スタイルは、突入しての一撃必殺ではない。
 彼はむしろ、後手に回って隙を突き、連撃に巻き込み、半端に距離を離した敵を圧倒的な瞬発力で追い詰め、撃破する――どちらかといえばテクニカルな戦い方を重視する。故に、自分から突入するのは殆どの場合、奇襲となる最初の一撃のみだ。足を攻撃手段に使うというスタイルの特性上、移動と攻撃を両立しづらい。もし移動と攻撃、二つを同時に行う場合は飛び蹴りをするしかなく、そうすれば自然と隙と溜めが大きくなってしまう。
「……カカッ」
 白骨の足が半歩前に出る。身体の後ろ半分に、肉と服の布地をぶら下げて。頭の後ろ半分で、場違いに艶やかな黒髪が揺れた。
 それを見ながら、爪先に重心を乗せ、いつ飛び込まれても対処できるようにする。脚は前後にも軽く開き、前足――左足に体重を乗せる。多くの場合は、こちらが軸足になる。
 脚から立ち上る炎が揺らめき、熱量で陽炎を作った。康哉の視界で、炎に揺らめく白骨がまた一歩動く。
 間合い。四メートルと五十六センチ。恐らくは、一動作でクロスボーンが詰められる最大距離。
 相手の膝関節が曲がり、その姿が沈み込むのを康哉は見た。疾駆の一瞬前の体勢だ。対応して、迎撃に最適な位置まで腰を落とす。一瞬後――白骨は消え失せたかと思わせるほどの速さで移動し、目の前に現れていた。
「ちぃッ!」
 舌打ちが出終わる前に骨棍棒が振り下ろされる。右へ半歩身体をずらして、それをかわす。回避動作から体勢を立て直す前に、避ける先を予測したように、右から回り込んでくる第二打。まともに食らえば、ただでは済まないだろう。
禍炎装甲ノーヴァコロナ、全開!!」
 康哉が叫ぶと同時に、脚の炎が一際強く燃え上がり、防御に特化する。同時に右膝を上げて棍棒を受け止めた。
 衝撃。棍棒が軋む音か、それとも自分の骨が上げた悲鳴か。走る鈍痛に心で悪態をつきながら、康哉は前者であるように祈った。痛みをおくびにも出さず、不敵な顔で笑ってみせる。
「こっちの番だぜ、骸骨女」
 言うと同時に炎を炸裂させ、康哉は脚と噛み合った骨棍棒を弾いた。
 爆炎を炸裂させられるのはせいぜいが連続で六回。使い切ったならば、再装炎リロードを行わなくてはならない。ちょうど、拳銃と同じように。
 ――最初の蹴りに、今の防御。連続で行くなら、あと四発!
 残弾、、を確認すると、彼はフリーになった右足を、膝から先のスナップと腰の回転で振るった。炎を纏った蹴撃が、鞭のようにクロスボーンの顔面を捕らえる。
「ぎッ!」
 ガラスの擦れ合う音のようなうめき声を上げ、相手が僅かに仰け反ったその瞬間を逃さない。康哉は右足を下ろし、今度は左足で前蹴りを放った。爪先がクロスボーンの中心にめり込む――骨の奥で脈動する臓物の感覚を覚えた次の瞬間に、康哉は嫌悪もあらわに爆炎を解放した。爆発音。
 猛り狂う炎が、衝撃と熱量でクロスボーンの身体を紙のように吹き飛ばす。
 それを追うように、二発分を足の裏に装填、、し、追い縋るように迷わず踏み出した。足下で爆発、辺りの景色に集中線が走り、荒ぶる風が頬をひっぱたく。――疾走!
「……っくォォ!!」
 身体に苛烈なGを感じる――まだ常識に縛られているということか。例えばジークや光莉は、当たり前のように音速じみた速さで動く。それは、『自分はその速さで動ける』と信じているからだ。康哉は未だにそのスピードに負いつけない。
 物理法則など自分には関係ないと繰り返し心の中で呟きながら、康哉は弾丸のように加速した。そして、さらにもう一歩。右足での爆発が加速を助けるとき、康哉の身体を前進させるエネルギー量は、吹き飛ばされているクロスボーンのそれを上回る。
 コンマ五秒を待たずに、吹き飛ぶクロスボーンに追いつく。低空を半ば飛び行くように間を詰め、康哉は脚を振りかぶった。踵から炎がほとばしる。それをスラスターのように使い、反動で低空で姿勢をコントロールして、右足を振りかぶった。身体のひねりと加速を合わせて、必殺のタイミングで蹴り下ろす。――直撃すれば、恐らくは消滅できると踏んでいた。
 その認識は、傲慢だったのか、油断だったのか。
 最後の一撃を繰り出した瞬間に康哉が見たものは、髑髏の眼窩で確かに光る、禍々しい輝きであった。
「……ッ!」
 背筋を這い登るのは、勝利の確信ではなく危険信号。それでも、勢いをつけて振り下ろした脚を止めることは叶わない。
 炎の揺らめく音を立てながらクロスボーンの頭に向かって蹴りを放った次の瞬間、康哉は標的を見失った。視界がひっくり返る。一瞬、何が起こったのかを把握しきれない。
 空振り、空中に解き放たれる炎。赤々とした爆炎が何もない空間を焼き周囲を照らした瞬間に、康哉は何が起きたのかを悟った。
 地に落ちる自分の影に、――黒い何かが巻きついている。その正体を把握する前に、ぐん、と身体が振り回された。
「な、ちっきしょ、……離せェッ!」
 怒鳴り声を上げるが、そもそもそれが意味を成すかどうかすら怪しい。
 風を感じた一瞬後、康哉の身体は頭からコンクリート塀に叩きつけられた。塀が砕け、突き抜ける衝撃が脳を揺らす、瓦礫の中で平衡感覚を失いかける。
 まだ動ける、と信じる心と、この衝撃ではただでは済まない、という意識がぶつかり合い、精神を揺らした。
「が……っあ……」
 呻きを上げながら、目を開く。揺れる視界の中で、クロスボーンが悠然と着地した。白骨の前面が多少煤けたような感はあるものの、与えたダメージは致命傷には程遠い。その足元をばらばらと這い、こちらへ向かって伸びた黒いものがある。長く、人一人を容易く振り回すだけの強度を持った、紐状の物体。その正体はしなやかで艶のある毛髪だった。
「……っくしょう、伸びるなんて聞いてねぇぞ……」
 悪態をつきながら、康哉は地面に手をつき、無様ながらも立ち上がろうとした。瞬間、上半身がとてつもない力で前に引かれる。
「っうお?!」
 がくん、と前のめりに体勢が崩れる。あわてて顔を上げた瞬間には、クロスボーンが目の前にいた。
 まだ絡んでいた髪の一本で引き寄せると同時に踏み込んできたのか、と憶測した瞬間には、棍棒の一撃が脇腹にめり込んでいた。暴力的な衝撃。めきり、と、身体の内側で骨が砕ける音がする。
 ――こんなものを食らって大丈夫なはずがない、、、、、、、、、、、、、、、、、、、――!
 そう思ってしまえば、衝撃は彼の中で現実のものとなる。
「ご……ッ!」
 奇怪な息。衝撃から身を逃すように飛ぶ事すら出来ずにたたらを踏む。俯きかけた視界を持ち上げようと努力した瞬間、今度は横っ面を骨で張り飛ばされた。声も無く、康哉は吹き飛んでコンクリート塀に叩きつけられる。髪が身体からほどけるのを、今更のように感じた。
「…………!!」
 これが常人なら頭から上が無くなっているところだ、と心の中で康哉は悪態をついた。――自分には効いていない、大した事はない、と揺れる意識の中でそれでも果敢に信じ続けようとする。
 世界が、まるで溶けかけたチョコレートのように歪んでいる。見上げた先では、倒すべき昏闇がカタカタと顎を鳴らしながら、とどめの一撃のつもりか棍棒を振り上げていた。
 ……動け、動け、動け動け動け……!
 強い意志に従って、限界を超えそうな身体が動き出す。――だが、それすら許さぬように無慈悲に、白骨は動いた。康哉の震える手が身を起こすために地面に着いた瞬間に、骨棍棒が振り下ろされる。
 唸りを上げて、一直線に、康哉の眉間へと落ち――
 ――ぱあんっ!!
「……カッ……?」
 破裂音に遮られ、傍らで弾けた。
 クロスボーンが戸惑うような声を上げる。康哉に振り下ろされたはずの棍棒は、狙いを逸らされて、彼の横の地面を砕くにとどまっていた。戸惑うような沈黙。
 ふと訪れたその静寂を破るように、声がする。
「――『鈍色にびいろの昼、空色の隙間、弾ける風におののきを叫ぶ』――」
 朗々と歌い上げる声の出所を探るように辺りを見回して、康哉は舌打ちをした。
 視界の端に、アッシュグレイの髪が見える。
「足手まといは御免だと言ったはずだぞ、厚木康哉。そこで大人しく寝ていろ」
 アイスブルー――薄曇りの空の色をした外套が翻る。風で乱れた髪を左手で掻き上げるさまは嫌味なほどにスマートで無駄がない。
 康哉を笑うかのように皮肉に口元を歪ませて、笹原志縞が道の入り口に立っていた。
 それを新たな脅威と認識したのか、クロスボーンは康哉から視線を外して志縞へと向き直る。――その瞬間、志縞がポケットに入れていた右手を出した。
 ぱあんっ!! 二発目の破裂音。ヘビー級のボクサーの一撃を貰ったかのように、クロスボーンが仰け反る。康哉には、志縞が「何かをした」事しかわからなかった。攻撃の詳細は、一切が不明のまま。
 志縞はまるで気負わずに、一歩二歩とクロスボーンへと近づいていく。
 その度に、それが自然なことであるかのように右に左にと白骨の顔が弾け飛んだ。見えない何かが、僅かの前触れも無しにクロスボーンを一方的に叩きのめす。一歩を前に踏み出すことすら許されぬまま、白骨はたたらを踏んで後退した。……いや、少し見れば判る。足は前に行こうとしているのに、殴られて押される上半身のせいで前進出来ないのだ。
「ギ……ッぃ!」
 埒が明かないと思ったのか、クロスボーンが上半身で骨棍棒を交差させ、攻撃から身を守るように構える。次の瞬間、触手のように、黒髪が伸びた。伸びた黒髪が鞭のように、志縞の両腕に絡みつく。
 志縞が巻きついた髪に怪訝そうな顔をするが早いか、クロスボーンは首を巡らせるようにぐるりと振った。物理法則を無視したように黒髪がうねり、まるで玩具の分銅のように、志縞の身体を空に投げ出す。そのまま振り回して、叩きつける心算なのだろう。
「……っちくしょ、またかよ!」
 いくら気に食わないとはいえ、志縞は敵ではない。助けるべく康哉が足を叱咤し、どうにか立ち上がった瞬間――またも、空に破裂音が響いた。それも、今度は一つや二つではなく、連続でいくつも。
 マシンガンの銃声にすら似た破裂音の連なりが止んだ瞬間、空で、志縞は拘束から解き放たれていた。クロスボーンが驚愕したかのように一歩後ずさる。――伸びていたはずの髪が、根こそぎ千切り飛ばされ、ぱさぱさと地に降って来る。
 志縞は空中で身をひねり、スカイダイビングを早送りしたかのように美しい姿勢制御を見せると、クロスボーンの真上から襲い掛かった。康哉が援護を挟む暇などない。身をかわすことすら許さず、落下の勢いを載せて、ただ漠然と振りかぶった右拳を叩き付けた。骨の砕ける音がする。――右の骨棍棒が、ど真ん中から粉砕されていた。
 たまらず後退しようとするクロスボーン。しかし、それよりも志縞が踏み込むほうがずっと速い。ボクシングのステップに似た、閃光のような接近。無遠慮に伸ばした左手が、クロスボーンの肋骨を鷲掴みにした。掴んだ勢いのままクロスボーンを引き寄せ、振りかぶった右拳が吸い寄せられるように滑り――
 無造作な一撃。
 ただ漠然と放たれた志縞の右拳が、見て解るほどに白骨の輪郭を軋ませた。ゆっくりと右拳が引かれる。第二撃。抵抗するように暴れるクロスボーンを無視して拳が叩き込まれる。白骨の色彩が揺らぎ、メキメキと音を立てて骨が折れていく。
 まるで軽いダンベルを持ち上げるように気軽に――圧倒的な腕力で、志縞は肋骨を掴んだ左手を持ち上げ、クロスボーンを宙吊りにした。まるで虫ピンに刺された昆虫の標本のごとく足掻く白骨の力ない一撃を右手で払いのけると、またも淡々と志縞は右手を引いた。
 三発。四発。五発。六発。七発。
 着弾するそのいずれもが必殺の威力を孕むと解る、見ているほうが寒気を感じるような拳の嵐。
 ――ひどく解りやすい、もっとも単純な『暴力』。
 八発目の拳が、クロスボーンの顎関節を完全に粉砕した。耳障りな、カタカタと揺れる笑い声はもう二度と出まい。足掻くように空中で脚を掻く白骨を、志縞は興味を失った玩具をそうするように、すげなく空中に放り投げた。それを油断と見たのか、空中で、白骨は力ないながらも執念深く、無事な棍棒を振り上げた。次の瞬間には十分な速度を持って凶器が唸りを上げる。
 ……しかし、康哉はそれを警告しようとは思えなかった。既に『終わっている』事は、彼にでも理解できたのだ。
 志縞は、振り下ろされる棍棒を予期していたかのようにつまらなさげに、しかし明確に呟いた。
遅延信管発動ディレイクラッシング。――解放リリース、『爆撃空域デストラクト・エア』」
 轟音。
 花火を連続で上げたかのような、空気を揺るがす衝撃波じみた音がする。その数、計八。殆ど一斉に起きた八回の爆発は、クロスボーンの腕を、頭を、胴を、脚を、悉く玩具でも壊すかのようにばらばらに破壊して、大気に溶かした。
 骨棍棒だけが、最後まで残った手と共にくるくると回って地面に落ち、重い音を立てる。……それも、一瞬で闇色に染まりヘドロのように溶けて、風に吹き晒されて消え失せた。
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