Nights.

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  [CrossBone 2]  

 二秒もしないで視界が開ける。即座に座標の確認、風を受けてコートの裾がばたつく。地上十六メートル、着地までだいたい一.八秒。コートで風を受けながら落下して滞空時間を〇.二秒伸ばし、宙返りを決めて着地する。
 ――スーパーマンでもここまで器用に軽業はできねぇよ。
 康哉は、着地してから自分の身体能力にほくそえんだ。
 赤いコートを翻して降り立ったのは、自分の家からはかなり遠い場所だった。人気が無く、寂しい雰囲気をした細い道。コンクリート塀にはスプレーやマジックペンで所狭しと落書きがしてある。内容はどれもこれも似たり寄ったりだ。低俗な噂や、電話番号などが、若者の文字の形を取って暴れていた。
「……どこにいる……?」
 落書きに気をとられることなく、注意深く道を歩き出す。
 転移は、常に完璧なわけではない。「ゆがみディストース」の大多数は、天気のようにその日によって場所を変える。その時その時に応じて、最も敵に近い場所に転送されるため、転移後は殆どの場合、目視または共鳴探知レイダーで昏闇の所在を探る必要がある。霊体となった自分の意識を、同種の存在――昏闇を探るのに当てるのである。
 康哉はまだ、それほど遠くまでを探知できるわけではない。その範囲は進行方向に二十メートル、死角にいたっては五メートル前後。殆どの場合は、探知に引っ掛かる前に目視で昏闇を発見する事になる。
 だが、今度ばかりはその探知が、彼の命を救った。
 突如、うなじにひりつくような感覚を覚える。後ろ、五メートルの位置に何かがいる。感じるが速いか動くが速いか、殆ど反射的に康哉は前へ転がるように跳んだ。同時に後ろで、アスファルトを砕く音がする。
「お出ましかよ!」
 受身を取ってそのままワンアクションで立ち上がり、向き直ってバックステップ。体勢を整え、見やると――そこには、前半分が白骨化した人間がいた。両手に、骨を固めて作ったような真っ白な棍棒。後ろ半分には肉体が残っている。骨から肉に、グラデーションするように境界があいまいだった。
 ――こいつが、ネームド。『クロスボーン』。
 今までの有象無象の昏闇とは異なり、その骸骨には色があった。白骨の顔面、身にまとったぼろきれは血に掠れて趣味の悪い模様を作っている。骨と肉との境目には、ピンク色の筋肉が蠢いているのまで見て取れる。吐き気がした。
 白骨の顎関節の根元で筋肉が蠢き、それに引きずられて下顎が動いた。歯が打ち合わされて音が鳴る。かた、かた、かた。
 白骨から注意を逸らさず、康哉は左右を伺った。まだ、先に出て行った男の姿はどこにも見えない。どうやら、先に戦う事になりそうだった。腹に力を入れて深呼吸し、口を開く。
「彼氏に振られて不機嫌かい。美白のし過ぎで逃げられたんだろ?」
 白骨めがけて軽口を叩き、恐怖を拭い去る。怖いと思えば相手はそれだけ恐ろしいものになる。逆に、大した事はないと思えば弱くもなる。……つまりは心の強さが、明暗を分ける要素。
「……かかって来いよ。バラバラにして、チリも残んねぇように成仏させてやる」
 康哉が挑発するように言った瞬間――クロスボーンは、骨の棍棒を手の延長のように振り回しながら、突風となった。たった一歩、気軽に踏み込んできただけのように見えるのに、先ほど離した距離が一瞬で埋まる。
 ――速い!
 舌打ちをしながら、突っ込んでくる白骨の動きを見て横に避ける。振り下ろされた右の棍棒が、またも地面を叩き砕いた。それと殆ど同時に、白骨の顔が逃げた康哉の方を向いた。左の棍棒の、横へなぎ払うような一撃が続く。
 地を這うほどに身を屈め、紙一重で打撃を避けた瞬間に、康哉は叫んだ。
「『片っ端から燃やし尽くせ』ェッ!! 灼熱燃靴フレアウォーカーァ!!」
 意思を固定するための宣誓と共に、爪先から炎が吹き上がり、康哉の下肢を覆い尽くす。それこそが彼が持つ『攻撃』のイメージの固まりである。
 間髪入れずに燃える右足で足払いを放った。しかし、それよりも早くクロスボーンは飛び退く。捉えるには至らず、ガスバーナーを振り回したときのような、炎の揺らぐ音だけが響いた。空振り。
 舌打ちをしながら、蹴りの勢いで一回転。再び相手の方向を見て、康哉はしゃがんだ体勢から弾丸のように踏み出した。相手が棍棒を突き出そうとする前に右足で頭を狙った蹴りを繰り出す。
「――……キキ、カッ」
 軋むような笑い声――少なくとも康哉にはそう聞こえた――を立てながら、顎を逸らしながらスウェーして、白骨は蹴りを回避した。だが、そこまでは予測の範囲内。
 右足を振り切った勢いを殺さないまま、前に向かうように左足で地面を掻き、身体を前に出して相手を追いかける。身体をひねって翻しながらタイミングをとって、地面を下ろした右足で再度踏み切り、康哉は跳んだ。
「せーぇー、のぉッ!」
 旋風脚。身体を一回転させた分の運動エネルギーをコンパクトに右脚一本に凝縮し、蹴り下ろし気味に白骨の上段を狙って振りぬく。
 クロスボーンの反応も、また早い。棍棒をクロスしてガードに入り、振り下ろされる足に合わせて踏みとどまった。鋼鉄と鋼鉄が噛み合うような音が響く――
「吹っ飛べ!」
 受け止められた足を、叫びと共に尚も押し込んだ。瞬間、脚にまといつき溜め込まれた炎が一際赤くきらめき、爆発音。紅炎プロミネンスのように赤く猛る火炎が、指向性と衝撃をもってクロスボーンへと襲い掛かる。
「ギ、……キィ!」
 炎を嫌ったか衝撃に押されたか、地面を蹴立てる音を鳴らしながらクロスボーンは数メートルの距離を後退した。
 それを見ながら、康哉は軽く舌打ちをした。視線の先で白骨はいまだ健在のまま、炎を振り払うように棍棒を振り回している。
 ネームドと言うだけの事はあった。通常の昏闇ならば、今ので消滅までは行かずとも、ある程度のダメージにはなるはずだ。しかし、今回の相手は違う。白骨は炎を完全に消しとめると、棍棒を音を立てて擦り合わせながら、慎重に間合いを取り始めている。効果的なダメージを負わせる事が出来なかった。
「大丈夫だ、なんて事ねぇよ……潰せるさ」
 弱気になりかける精神に言い聞かせるように、康哉は一人ごちた。
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