Nights.
Rival
康哉が光莉に相談を持ちかけた日の夜の事だった。
康哉がいつもの通り、「ねじれの位置」に訪れたとき、そこにはいつもの顔二人に加えて、見慣れない男が一人混じっていた。
「来たな」
いつもの曲がり角からやってきた康哉に最初に気付いたのは、やはり黒だった。それに次いで、ジークが振り返ってぞんざいに手を振る。その左にいる肩幅の広い、がっしりとした男は――振り向きもしなかった。アッシュグレイの髪は、後ろから見ても判るほどに隙無く整えられている。
挨拶をするどころか、顔さえ合わせようとしない見知らぬ男に、康哉は僅かに反感を抱いた。
黒に目を向け、誰っすかこれ、と視線で問うと、黒は意味ありげな微笑を浮かべる。
「さて、厚木。昨日も言っていたように、これから君には決断をしてもらう。ネームドとの交戦認可を受けるかどうか、だ」
黒は康哉の視線からそらっと目を外し、何気ない口調で言った。目を逸らす黒に追及の声を上げようとするが、その前にジークの声が上がって康哉の出鼻をくじく。
「一匹、そろそろ出てきそうだなって思ってた奴が沸いてきたんだよ。名前は軋骨。大体三年くらい前に発生した昏闇で、色っぽい後姿で野郎を引っかけてファックする、性質の悪い女の妄念さ。しかもやっこさん、常時ヒステリーらしくてな。俺たちの戦闘服を見ると、問答無用で襲い掛かってくるって話だ」
猟人達が魔具を用いて戦うことを意識したとき、彼らの姿は魔具の象徴色をしたコートを纏った形で闇夜に具現する。康哉ならば赤、光莉ならば白、ジークならば黒、といった具合に。
コーヒーカップに口をつけるジークの言葉のあとを継ぐように、黒が口を開いた。
「君が来る少し前に、奴の空間跳躍開始を感知した。推定目的地は君の街だ」
「……は?」
静かな部屋の中に、康哉の呆けたような声が妙によく響く。
「……い、今、なんて」
「こう言ったのだよ。クロスボーンのジャンプインを確認した。推定目的地は巳河市。……言っただろう。決断するのは、早いに越した事はないと。これが我々の日常だ、厚木」
絶句する康哉。かちゃん、と雑にカップをソーサーに置く音が響く。ジークだった。
「いいか、コウヤ。何かを守ろうと思ったら、最低でも必要なものが二つある。そいつはな、力と、それを行使する権利だ。今のおまえには少なくとも権利はないぜ、連中を相手にするかどうかさえ決めていないおまえにはな。……さて、どうする? 覚悟を決めて行くのか、それとも――こいつに手柄を譲るのか」
ジークは気安い調子で、傍らの男の肩に手を置いた。男は嘆息すると、スツールから立ってジークの手から逃れ、康哉を振り向く。距離を置いていても明らかに相手のほうが上背が高いということが康哉にはわかった。
彼はゆっくりと康哉の方へと歩き出す。表情は修行僧のようにいかめしく、少なくとも友好的ではなかった。
「ササハラ・シジマ」
アッシュグレイの髪をした男は、ポケットに手を突っ込んだまま康哉に向かって超然と呟いた。フレーズの意味を図りかねて康哉が沈黙すると、男は、ポケットから手を出した。指ぬきの革手袋がはめられている。
「オレの名前だ、アツギ・コウヤ。……オマエが行かなくても、行くとしても、オレはこれからクロスボーンを殺しに行く。出ないならここでいつまでも尻込みしていろ。いや、その方がいい――雑魚に出てこられるとフォローが面倒だ。まとめて潰しかねない……オレは気が短いからな。ここにいるほかの誰よりも」
言い捨てる言葉には、友好的なものが一切ない。あまりと言えばあまりの態度に康哉が思考停止している間に、志縞の巨躯が康哉の横をすり抜けた。煙草の匂いが自分の傍らをすり抜け、足音が幾つか響いた時に、やっと思考が追いつく。
「てめっ……!」
康哉は弾かれたように後ろを振り向くが、目に入ったのは丁寧に磨かれた壁だけだった。売り言葉をありったけ投げつけ、笹原志縞はすでに現場に向かっていたのである。
志縞は完全に言い捨て、反論を受け付けない形で去った。一瞬、突発的に湧いた怒りのやり場を失って、康哉は奥歯をぎりりと噛み締める。
「……っくく、くくく、……はははははっ」
ふと笑い声が聞こえて、康哉は怒りもあらわに視線を前に戻した。見れば、ジークが腹を抱えて笑いながらカウンターに背を預けており、黒がカップを磨きながら含み笑いを抑えている。
「……そんなにおれがおかしいかよ、ジーク」
不機嫌を隠しもせずに喧嘩腰で問い掛けると、ジークは呼吸を乱しながら、コーヒーカップを持ち上げた。
「いやァ……な、違うんだよ、コウヤ。オレが笑ってんのはな、お前じゃなくて志縞の態度さ」
「は? ……あいつの?」
毒気を抜かれて問い返すと、磨き終えたカップを棚に置いた黒が何気ない調子で口を開いた。
「複雑な恋愛事情、というヤツさ」
黒の言葉の間にも、ジークは臆面もなく笑い続けていた。説明は簡潔すぎて、康哉はしきりに首を傾げるばかりである。それを見て「じきに解る」とだけ付け加えて、黒はカウンターの向こうから軽く身を乗り出した。
「……さて。志縞が出たが、君はどうするかね、厚木? ジークの言う通り、手柄を譲ってもなんら恥じるべきところではないが」
続く言葉に、思考から現実に引き戻される。
瞬間、志縞に対する苛立ちが再燃した。こちらが若輩者であるとは認めよう。だが、よりにもよって初対面で、まだ実力を見ないうちの雑魚呼ばわり、それに対する反論の無視、尊大な態度。
康哉にとって、それらは全て度し難かった。
「出ます」
ぶっきらぼうに告げると、康哉は床板を踵でドンドンと鳴らした。苛立ち紛れのそれは思いのほか大きく響くが、康哉はそれを意にも介さず、屈みこんで足首のバーンドチェインを結びなおす。
「……戦えるんだな?」
確認するようなジークの言葉が飛んできた。それに対して憤懣やるかたなしといった調子で言い捨てる。
「おれは今、言葉じゃ言えないぐらい頭にキてんだ。あのスカした白髪野郎め、目にもの見せてやる」
怒気もあらわ。ジークからの返事は沈黙だった。肩を竦めているのか、あきれて溜息を付いているのか、どちらにしても立ち上がって踵を返した康哉の目に、ジークの姿は映っていない。
「……やれやれ。やる気なのはいいが、ドジを踏んでくれるなよ。君は久しぶりの逸材なのだ、俺もジークもそれを認めている。これはゲームではない。意地を張って命を落とすような真似だけはしないことだ。それを肝に銘じて――行ってきたまえ」
黒が言葉を囁きながら、グラスの底でカウンターを叩いた。硬い音が響くと同時に、康哉は開いたゆがみの中へとその身を躍らせる。赤い外套を纏い、心の力で武装して。
誓いの言葉。「おれが、昏闇を焼き尽くしてやる――」
意識を固めれば、後は、逆らわず目を閉じるだけ。
吸い込まれるような感覚、一瞬の浮遊感――かくして、厚木康哉は自分の町へと飛び立った。
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