Nights.
[ CrossBone ]
所は異国。米国、サウス・セントラル。
時刻、深夜二時。バックストリートは暗く、すえた匂いで満ちている。待機に満ちるのは糞尿、生ごみの腐敗臭、その他動物と人が出すあらゆる悪臭。電飾の切れた看板の下を、時折、目をぎらつかせたホームレスが辺りを見回しながら行き過ぎる。
『彼女』は闇を徘徊していた。
後ろ姿はごく普通の女性そのもので、それも酷くたおやか。およそ、深夜のストリートを徘徊するのには似つかわしくない容姿である。長い髪、すらりと伸びた足、服で覆われている方が少ないような、露出の多い蠱惑的な格好。
街の治安は、決して良くはない。姦淫強姦の類はそれこそ連日であり、殺人も珍しくないといったところだ。
少なくとも後ろ姿は間違いなく魅力的である『彼女』が、人間に捕まるのは時間の問題だったと言っていい。小半時も歩かぬうちに、数人の男が後ろをひたひたと歩き始めた。
男達が後ろをつけ始めて一分とせずに、『彼女』は足を止める。それと同時に、その後ろ姿に惹きつけられた三人の男も、歩みを止めた。
「おっと、気付いちまった」
「へへ……やるこたぁ変わんねえよ、なあ?」
「そういうこった……姉ちゃん、動くんじゃねえよ。下手に動くと可愛いケツに穴が一つ増えるぜ」
粗野なスラング混じりの言葉が、後ろから『彼女』を射抜くように威圧的に響く。凍ったように動かなくなったその後ろ姿を見て、男達は気を良くしたように野卑な笑みを深めた。
「あぁ、いい子だ、姉ちゃん。優しくしてやっからよ、安心しなよ。すぐにいい声で啼かせてやるから」
「バァカ野郎、おまえの短小じゃ、出る声なんざおまえの薄汚ぇ呻き声が精々だろうが」
横槍が入り、右の男が実にわかりやすく、火のついたように苛烈に目を光らせた。
「あァ?! いっぺん死ぬかよ、ジョー。テメェがここにいるのは誰のおかげだと思ってやがる。この『ビッグ』=ベン様がなけなしのパンを恵んでやったからだろうがよ、違うか!?」
だみ声での早口、大音量かつ聞き苦しいF言葉の群れ。ジョーと呼ばれた男は、あきれたように肩を竦めてそれを冷笑した。
「いきり立つんじゃあねえよ、ベン。ちょっとしたジョークって奴さ。……なあ、ジョニーボーイ?」
同意を求めるようにジョーが左に顔を向けると、ジョニーの姿はいつの間にか二人の隣から、女のすぐ後ろにまで寄っていた。
「……おいおい、がっつくなよ、最初に目をつけたのは俺だぜ? おい、ジョニー」
普段ならば調子の良い、甲高い声が帰ってくるはずだった。ジョニーは小男で、大抵の場合女よりも背が低い。声やその背格好が、ジョニーボーイと呼ばれるゆえんでもあった。今も女の肩を抱くというよりはしがみつくような調子で、女の後ろにへばりついていた。返答はない。
「……ジョニー?」
ベンが怒りを潜め、訝るような声を上げた。
不自然を感じてジョーが一歩前に進んだとき、異変は起こった。
ジョニーの腕がガクガクと痙攣を始めた。振れ幅は徐々に増し、わざと動かしているのかと疑うほどに激しく震える。それが何のために起こったことなのかは、ジョーには理解できなかった。ふと気が付けば、ジョニーはがっくりと膝をつき、紙人形のように奇妙に体を折り曲げて、膝を折ったまま反り返るように倒れた。
……顔には奇妙なほど空洞が多かった。眼窩には眼球がなく、虚ろに開いた口の中はとうとうと闇に満ちている。
ぴくりとも動かないジョニーを前にして、ジョーは凍り付いた。ウサギを狩ろうとしたオオカミが、逆に狩られたようなものだ。取るべき行動を、ジョーは一瞬見失った。ベンもまた、ジョーの傍らで立ちつくすしかなかった。
そして、
『彼女』が振り返った。正常な判断が出来なくなったところに、追い打ちを掛けるように、彼女の顔が月の光を照り返した。
顔は酷く白かった。真っ白で、そこに付属しているべき様々なパーツが不足している。平たく言えば、『彼女』の前面は白骨だった。死蝋を連想させる、不吉な白色。
手には二本の骨を握っている。ジョーはその組み合わせを見て、ふと海賊旗を思い出した。――ガキの時分にゃ良く本を読んだモンだった。入り組んだ岸から上陸して、村からあらゆる物を奪って去っていく、バイキングの連中。その船のてっぺんには、交差した骨と頭蓋骨が翻ってンだ。
「あ、ぃ、ぎゃあああああああ!!」
ジョーの横でベンが奇妙な叫び声を上げながら、虎の子のイングラムの弾を撒き散らした。秒間二十発のフルオートが無造作に激発して、弾幕を作り出す。
狙わなくても人間をミンチに出来る銃弾の群れを、しかして女――いや、骸骨は、何事もなかったかのようにくぐり抜けた。そのまま無造作に距離を詰め、ジョーと十センチくらいの隙間を空けてすれ違い、振り上げた骨の棍棒を、まるで息をするように自然にベンに向けて振り下ろした。ぐしゅ、と音がして、冗談みたいに簡単にベンの頭が潰れて、首が胴体の中に沈み込む。それきり一言も発さないまま、役目を終えたイングラムとともに、ベンだった肉塊は腐った地面に転がった。重い音がする。
一部始終を見終わって、ジョーは正常な思考能力を失った。判断能力さえも。
首を捻って半歩後ろを見ていた彼を、骸骨が機械的な動作で振り返るまでは、それこそ二秒と空かなかった。
ぐしゃり。
――そして、男たちは死んだ。
背中にだけ色のある骸骨女は、骨棍棒で撲殺した二つの死体の服をつかみ、引きずり始める。初冬の空気に湯気を立てる体液のにおいが、路地裏の空気にまた新しい臭気を加えていた。
行きがけに、最初に倒れた男――ジョニーの死体を、骸骨女は無造作に蹴り転がした。まるで風化した石柱のように、死体は塵となって崩れ、後には布のかけらしか残らなかった。
……それを空っぽの眼窩で見て、骸骨はカタカタと関節を震わせた。――いや、笑っていた。
もうすぐ。
もうすぐ、戻れる。
もうすぐ、恐れるものを排除するだけの力が手に入る……。
この形に生まれついた瞬間から、骸骨は知っていた。なぜ自分は人を食らうのか。それは、自由になりたいからだ。闇しか歩けないと言うしがらみを、捨てたいからだ。
光に照らされてしまえば、闇は居場所をなくす。だが、人としての肉体を持ったならば――体は、影を落とすだけで済むのだ。生まれたときから昏闇は、自分を生んだ主を、その願望を知っている。
憎しみとねたみ、そねみから生まれる黒き願いを叶え、力を蓄え牙を研ぎ、彼らは生まれた場所へ帰るのだ。
――骸骨の笑いはやまない。死体が地面に引きずられて、震える音と重なった。
かたた、ずるずる、かたた、ずるずる。
かたかたかた。ずる、ずり、かたった、かたた、ずしゃ、かたたかた。
昏闇は歩く。いつか生まれた場所へ。
――おべんとうは、ここにかかえているもの。
Copyright (c) 2007 TAKA All rights reserved.