Nights.

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  Inter mission  

 ――その部屋は、ねじれた場所にあるのだと六牟黒は言う。

 ナイツ第十三番分室、チーム・『無銘ネームレス』の待機場所、「ねじれの位置スパイラルタイム」。 
 厚木康哉は軽やかに地面に降り立った。周りの景色は先ほどまでいた路地裏ではなく、壁に至るまで艶の出るよう磨きこまれた木で組まれた部屋の中だった。
 幾つかあるテーブルの上には決まったように花が挿された奇妙なオブジェが置かれている。時計の針は単身も長針も、まるで芋虫か何かのようにのたくっていた。まるで見るものの落ち着きを奪うのが目的であるかのようだ。火のともったランプは、一体どのようにして火をつけたのか問いたくなるようなおかしな造形をしている。
 大小さまざまの奇妙な調度品を除いたならば、洒落た喫茶店と言えないこともないようなスペース。顔をゆっくりと上げると、カウンターの向こうにいる男と目が合った。康哉はゆるりと手を上げる。
「ただいま、黒さん」
「うむ。よく帰った」
 グラスを磨きながら赤銅の髪を揺らすのは六牟黒だ。何か飲むか、と言いながら彼が動き出したので、康哉はコーヒー、と軽く答えて背筋を伸ばした。
 康哉がナイツに加入して、間もなく二ヶ月の月日が経とうとしていた。何気なく自分のカジュアルな服装を見下ろしながらこの二ヶ月のことを回想する。
 夜、こうしてここにいられるのは黒のおかげだった。黒は軽い暗示を康哉の妹にかけることで、康哉が夜に外出して戻らないことを「当たり前のこと」として認識させた。この手の暗示は、常に接触している数人にかければいつかは破綻するが、一人に掛けるならば極めて強固に作用するらしい。両親が外国に行っていることに、康哉が内心で安堵したのは言うまでもない。
 折に触れてジークに怒鳴られ光莉に心配され黒に呆れられと、成功よりも失敗の方が多いような日々だったが、それでも少しずつは上達してきていると信じたかった。――特に、今日のは上手くいったと自分でも思っている。
 大技が命中したときの手ごたえを思い出しながら、床を小さく踏み鳴らしていると、ことりと音を立てて目の前にコーヒーが置かれた。ふと横を見れば、カウンターから出てきていた黒が席を一つ空けて隣に座っている。
「角砂糖は二つ、ミルクは一つでよかったな」
 黒の言葉にコーヒーを覗き込めば、ティースプーンが添えられたカップの中で、黒と白がまだらを描いていた。康哉は僅かに顔をほころばせ、スプーンで軽くコーヒーをかき混ぜる。
「すっかりおれのリクエスト、覚えられちゃってるんだなあ」
「いつものことだからな」
 ここで飲むコーヒーの味は、いつも家で飲む泥水のようなインスタントコーヒーとは雲泥の差だ。自分も豆から淹れられるようになろうかなとこのコーヒーを飲むたび思うのだが、ここに来れば飲める上にこうまで上手く淹れる自信もないので、未だに足を踏み出しあぐねている。
 一口啜って、長く息を吐く。仕事を終えたときの感慨を伴って康哉が目を細めていると、黒がおもむろに口を開いた。
「近頃は随分慣れて来たようだな。ジークが褒めていた。今日の働きを見る限りでは、俺も賞賛していいレベルだと思っている」
 降って沸いたような言葉に、康哉は危うく咳き込みかけた。
 通常、ナイツに入ったばかりの新米にはお目付け役が常に横に付くことになっている。だが、ジーク=スクラッドがリーダーを務めるこのチーム――「無銘ネームレス」は少数精鋭の集まりで、実力を当てにして他のチームからの救援要請があったり単独任務に当てられたりと、全員が揃う事がめったにない。
 最初の頃こそ光莉が康哉の横にいたものの、彼女もまた多忙な身だ。そのため、最近の康哉のサポートは、意識を保ったまま遠隔地を監視できる黒が担当していた。康哉に不測の事態があれば即座に黒が撤退の手筈を整えるなどの対処を行える。霊体化しているとはいえ、稀にこちらを視認する人間もいる。そういったイレギュラーな人間の記憶を抹消したりといった仕事も、黒の担当だ。
 今日も多分に漏れずそういう状況だったため、終始緊張しながらも康哉は任務を果たしたのだが、まさか褒められるとは思いもよらず、目を白黒とさせた。先ほど自画自賛していた心の内を読まれたような気分になる。
「……何すか、もしかして新手の皮肉?」
「だから褒めていると言うのに。ひがみっぽいのは嫌われるぞ、厚木」
 心外な、とばかりに肩を竦める黒に、康哉は困ったような顔を向けた。
「だって、黒さんはともかくジークがおれを褒めるとこなんて想像もできないっすよ?」
「だろうな、普段の彼は殊更に君に厳しい。だが、それも君を逸材と認めるからのことなのだよ。驕り昂ぶった才能の芽ほど、潰れやすいものはないからな」
 言うと黒はコーヒーを一口啜り、味に満足したのか、一つ頷いた。
 なるほど正しい、油断して死んだ連中なんて、漫画を見れば掃いて捨てるほどいる。漫画とこの現実を混同するのも気が引けるが。
「そうそう自信なんて持てませんよ。ただ、毎回必死にやるだけっす」
「そう言っている内は安心だな。人間、気を抜いたときが一番危険だ。そうして気を張っていろ……いよいよ、名前のある昏闇の相手をする許可も出た。ジークからな」
 もしかしたら黒は、故意に自分を驚かせようとしているのか、と康哉は勘繰った。告げられた言葉は、それほどに衝撃的だった。
有名ネームドを、おれが……?」
「そうだ」
 殆どの昏闇は発生してすぐにナイツによって狩り取られるが、そうでないものも稀にいる。そうしたものはナイツの存在を学習し、成長する。そして、猟人たちから逃げながら人をさらに喰らい、力を付けていくのだ。故にナイツは、そうした昏闇に名をつけ、優先的な駆除対象とした。それが、名のある昏闇――ネームドである。
 康哉は、今までにネームドを見たことがない。体の中心から、染み出るように怖気が沸くのが感じられた。
「ちょ……っと、早すぎやしないですかね、それ。だっておれ、そんな自信ないっすよ」
「ジークが君の鍛錬をコーチした上でそう言ったのだ。無論、君が拒否するのならそれは構わんが、あまり足踏みはするものではないと俺は思う。君が、さらに上を目指すのならばな」
「……さらに上ってのはともかく、確かにここまで首突っ込んじまったら引っ込みつかないっすけど。……まだ少し、怖いっす」
 確かにこの二ヶ月で、通常の昏闇ならあしらえるようにはなった。それがかなり速いペースでの成長だとも聞かされている。そうだとしても、まだ心のほうが追いついてこない。
 ……そして、心の強さが能力の出力に直結するこの世界において、不安定な心は何よりの隙になる。
「無理からぬ事だ。君はまだ幼い。だが――それを理由にして結論を先延べにすることは出来ん。少なくとも、明日の昼にまでは決めておきたまえ。……ネームドを倒せるレベルにならなければ、ジークや芝崎について行くことなどは出来ん。それを承知の上で、熟慮するのだな」
「……了解っす」
 黒の言葉は決然と響く。康哉は僅かに顎を引き、カップに目を落とした。コーヒーの水面が、ランプの光を照り返す。揺らぐ水面が、まるで自分の心を写しているように感じられた。
 一大決心をして進み始めたこの道だが、どうやら選択は一つきりではないようなのだった。
 ――どんな道にも分かれ道はある。それは当たり前なのだが。
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