Nights.

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  Boy meets them  

 ――男が視界の隅で動いた。
 二挺の自動拳銃を、脇の下に収めて吊り下げる。映画でしか見たことのないようなダブルホルスターをつけていた。白いコートを着た女もまた、こちらへ歩いてきた。伏し目がちで、先ほどの凛とした気配は見られない。気付けば、すでにあの奇怪な銃は持っていなかった。
 先程まで異形の銃を持っていたことを除けば、女は平均より少し背が高いくらいの普通の日本人だった。街灯の光に晒されたライトブラウンの髪が、若干色素が薄いことを感じさせる。オフホワイトのコートのせいもあってか、酷くその白色がイメージカラーとして刷り込まれた。
 ふと、くるりと男がこちらにに向き直る。相手の無遠慮な視線が刺さるのを感じて、おれは今度は男のほうを向いた。身長は悔しいことにおれよりも大分高い。日本系の顔の造形だが、嫌味なほどに通った鼻梁と切れ長の瞳が、印象を引き締めている。髪は黒だが、特筆すべきなのはその目の色だ。深い深い、ブルー。凍った湖面から、奥の水を覗いたような色。
 乱れた前髪を正すように軽く払いながら、そいつは口を開いた。
「よう、生きてるな? 全く、出来るなら最初からやれってんだ」
 男は呆れたように肩を竦めながら、おれの脚を指差す。指された指に従って見下ろすと、炎に包まれていたはずのおれの足は無傷でそこにあり――ただ、靴紐がぼんやりと赤く滲んで見えた。血が、靴に垂れ落ちて赤黒いシミを作っている。
「出来るもクソも……ワケ、わかんねぇよ」
 知ったような物言いの男に返せる言葉を持ち合わせるわけでもない。頭を抱えたくなるのをこらえながら、おれは男に向けて問う。知らず、声は険悪に尖った。
「……さっきのは何なんだ? それに、あんたら一体、何者だ?」
 最初に知りたい二つを男に向かって訊くと、男は大げさに溜息をついて首を横に振った。
「おいおい、まさかとは思ったけどよ……お前、何も知らないであれにケンカ売ったのか?」
「知るもクソも、だからわかんねえって言ってるだろ? 向こうから襲ってきたんだよ。なあ、あれは……」
 続けて聞こうとした矢先、男はうるさそうに手を振って言葉を遮った。その後で、おれの頭のてっぺんからつま先までをしげしげと眺め、足元で目を止めて顔を歪めた。まるでカードゲームの最終局面、相手の手札にジョーカーがあると知ったときのような顔。
「なるほど、まさかとは思ったが大当たりか。やれやれ……また厄介なのを拾っちまったぞ、こういうのはオレの仕事じゃないってのに」
 独り言なのか、男はぼやくように呟くと、歩いてきた女を振り返った。
「ミツリ、一からこいつに教育してやってくれるか。ガキに優しく教えてやるのはあんたの管轄だろう」
 言いながら、女と擦れ違うように歩き出す。言われた女は、弾かれたように顔を上げた。慌てたような表情で男に取りすがる。
「ちょ、ちょっと待ってください、ジーク! 私ですか?! 私が説明担当ですか!? 饒舌なのはあなたの方じゃないですか!」
「知るか。教師の資格は飾りじゃないだろ? オレはな、何も知らない無謀なガキに皮肉を交えないで事実を伝えてやる自信がないんだ。だから任せる」
「そんな勝手な! せめて一緒にいるだけでも――」
「くどい。お前だって説明を貰ったからここにいるはずだぜ。それにあのガキも、オレに教わるよりはお前に教わったほうが気分もいいはずだぜ。そうだろ?」
 男は意味ありげに笑って一瞬だけおれを見た。睨み返すと男はひょいと肩を竦めて、すぐに顔を進行方向に戻す。
 慌てる女に対して男はにべもない。取り付く島がないってのはこのことだ。
 というか、女……おれよりはかなり年上に見える……の慌てようときたら、さっきからのイメージをぶち壊して余りあるほどのものだった。さっきまではある種の戦慄と畏怖を感じていたが、そんなものは今じゃ皆無。
 からかって楽しそうな近所のお姉さんレベル。
「〜〜っ」
 地団太を踏みそうな顔で女が男を見つめる。それにひとつ肩を竦めると、男は呟くようなハスキーボイスを女に向けた。
「それにな、遺失番号ロストナンバーの発見手続きなんて滅多に出来る仕事じゃないぜ? 譲ってやるんだから、ありがたく思えよ」
「……え? それって」
 女が疑問がちに問い返すその前に、男は街灯の光の及ばない場所へと歩いていき、消えた、、、
「……な」
「あ――……全く、もう」
 おれが息を呑む横で、消えた男に驚く様子もなく、女はやりきれないと言う風に肩を落とした。他人の驚きなんて二の次三の次といった調子で、未練たらたらにぼやく。
「あれは性格の矯正が必要だわ、きっと。自分が世界の中心みたいな人なんだから……」
 まるでそれが日常茶飯事だとでも言うかのように、女は溜息を付いた。こっちは置いてけぼりだ。
 ちょっと待て。
「って、おい、あんた、あいつは、どこに?」
 女に問う。男は、光の及ばない位置に踏み込んだ瞬間に、まるで闇に解けるように消えたように見えた。その証拠に、離れていく足音すら聞こえない。まるで忽然と消えてしまったかのよう。
 おれの向けた声に、女ははっとしたように独り言を止めて口を噤む。
 やがて罰の悪そうな顔をしたまま、こっちに向き直った。
「……彼は帰りました。あなたは、この世界の常識を本当に知らないようですね。偶然にもそれ、、を手に入れた一般人といったところですか」
 常識だとかそれだとかあれだとか、右も左も判らないおれに言わないで欲しい。そんな思いが顔に出ていたのか、女は慌てたように「責めているわけじゃないんですよ?」と手を振りながらフォローを付け足す。おれとしては頭を掻くほかにない。
「いや、悪いことをしてたんなら責めてくれても別にいいっすけど。そもそも、どういうことなのか教えてくれないっすか。こっちも、さっぱりワケわかんないんで」
 年上らしい相手の敬語に、こっちも思い出したように崩れた敬語を使う。形にすらなってないかも知んないけど、体育系の敬語なんてこんなもんだ。
「はい……そうですね。ここだと人が通るかもしれませんし……人通りのないところに行きましょう。少なくとも、あなたが独り言を言っても誰も咎めない場所で。私から、あなたへの質問もありますし」
 彼女はおかしな物言いをする。
 おれが怪訝そうにしているのを感じたのか、女はやや苦笑がちに笑った。
「世間体を気になさらないならここでも構わないんですが。……今の私の姿は、普通の人には知覚出来ないので」
 いよいよSFじみてきた。人に見えない人なんて、透明人間か?
「幽霊とか、透明人間とか、そういうのっすか?」
 思ったままを問うと、彼女は曖昧に笑った。
「幽霊、という表現は少しだけ惜しい、と評しておきます。とにかく、場所を変えましょう。携帯電話でも耳に当てていれば、公園あたりでお話しても誰も気に留めないでしょうし」
 促すように言うと、彼女はおれに先駆けて歩き出し――思い出したように足を止め、振り向いた。
「……名前、教えていませんでしたね。私は芝崎シバサキ……芝崎光莉シバサキ・ミツリと言います。よろしくお願いしますね、ええと」
 おれの名を呼ぶ段になって彼女が考え込むようにするので、おれは助け舟を出すみたいに慌てて名乗った。
「厚木康哉。好きに呼んでくれていいっす」
 てーかまだ一度も名乗ってないんだから、名前なんて知らなくて当たり前なのに。そこで考え込むあたり、この人は天然なんだろうか。
「判りました、厚木くんですね。……では、少しの間の知り合いになるか長い付き合いになるかはこれから次第ということで、よろしくお願いします」
 白いコートの裾を揺らしながら、彼女は僅かに礼をする。浮かんだ微笑は夜に似合わないほど明るい。おれはどうしてか気恥ずかしいものを覚えて、顔を背けた。
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