Nights.

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  Bad evening 2  

 空元気を振り絞って遊びに遊んだ。
 財布の中身が随分と軽くなるのと一緒に、少しだけ心に背負った荷物も軽くなった気がする。
 校門の前で字坂と大谷を捕まえて、おれは駅前にそのまま直行した。
 大谷は欠席の理由を一度聞いて、それから先はいつものようにへらへらと笑ったまま遊びに付き合ってくれた。字坂は幾分か心配そうな顔をしながらも、俺が深く語らないのを見て、それ以上問いただそうとはしてこなかった。
 少しだけの距離感に、今は逆に安らぎを覚える。
 昨日おれが味わったような環境に出会うことは普通に生きていればまずないし、その状況を説明して、「こんなに辛かったんだ」なんて友人に説くことなんて絶対にしたくなかった。だから、追求がなかったのにはホッとした。
 ゲーセンではレースゲームとガンシューティングゲームでハイスコアを競い合い、駅前のデパートで秋物の服を冷やかして、マンガの新刊を確認する。適当に気になった本を数冊買って、後はカラオケに雪崩れ込んだ。フリータイムで、午後八時までの時間が潰れる。
 相変わらず字坂は反則級に歌が上手くて、大谷も歌い慣れているからか声の伸びがいい。この二人に挟まれると時々自信を無くすのだが、まあおれも下手なわけではない……と自負している。
 カラオケから出た後、適当なファーストフードショップに落ち着いた。注文してから、適当な席に腰を落ち着ける。
「いや、ひっさしぶりに男三人で遊んだなぁオイ。カラオケで女の声聞かなかったのはすげぇ新鮮だった」
 大谷が行儀悪くかたんかたんと椅子を鳴らしながら言う。それに続くように字坂がテーブルに肘をついた。
「それに康哉から誘ってくるのも随分珍しいよね。いつもは僕らについてくる感じなのに」
「おれだって遊びたくなるときくらいあるさ。それとも、誘って迷惑だったか?」
 少しだけ底意地の悪い質問をすると、字坂はにっこりと笑って、ほんのわずかだけ首をかしげる。
「迷惑だったように見えたかい?」
「……いーや」
 虚を突かれた格好になって、おれは少しだけ言葉に詰まった。いつもながら鮮やかな切り返し。続けるように「でしょ?」と頷く字坂にほんの少しの畏敬と、いつもは感じない感謝を抱く。
「いつも練習に出てるから厚木はあんま遊んでねぇように見えるんだよな。年相応に遊びたいって欲求がないのかって心配してたからよ、俺ぁ」
 大谷がカラーひよこ一歩手前の鮮やかなキャラメルカラーの髪を梳く。ウルフヘアって言うんだったか、ああいう髪型は。女受けしそうな髪型だ。おれの野暮ったいのとは一線を画してる感じ。
「そいつは心配どうも。空手は割と趣味でやってるようなもんだしな。ストレスがたまるってことも少ないし、発散の機会も大していらないってことなのさ」
 大谷にそう言い返すと、横合いで字坂がクス、と笑い声を上げた。訝ってそっちを見ると、聞こえた声の通りあいつは笑っている。
「なんだよ?」
「いや、ね。今日はきちんとストレスを発散できたかな?」
 しれっとそんなことを訊いてくるものだから、遅れて気がついた。……要するに今おれは、今日がその数少ない『ストレス発散の機会』だってことを自白していたってわけだ。
 奇妙に優しい字坂の目から視線を逸らす。
「どうせ康哉は隠し事が下手なんだからさ。無理しなくてもいいよ、僕達の前でくらい」
 字坂は言う。穏やかな声で。いつもは誰にも聞かせないような、思いやりに溢れた声で。
「ま、そういうこった」
 字坂に便乗するように大谷が口を開く。テーブルの上に腕を組み、それに顎をうずめながら、流し目で俺を見た。
「だりィ時は誰かに頼りたいもんだろ。ヘバりそうになりゃ、肩くらいは貸してやるよ」
 大谷のあっけらかんとした言葉が、嘘の響きを持たないままでおれの中に染み込む。
 ……おれは随分と友人に恵まれたらしい。こんなことを言える連中が身の回りにいるっていうのはきっと幸運だ。口に出したりはしないけど。
「悪いな、心配かけて。でも、一日付き合ってもらっただけで十分だ」
 ありがとう、と礼を続ける。いいってことよ、と大谷が笑うのと一緒に、字坂が微笑んだ。
 おれもつられて少し笑う。おれのせいで少しだけぎこちない笑顔の三角形が出来るのとほぼ同時に、お待たせしました、とトレイがテーブルに割り込んだ。
 愛想笑いの店員が、メニューの確認を手早く済ませて去っていく。
 大谷が何気ない仕草でハンバーガーに手を伸ばすのと同時に、会話が再開した。
 ――本当にいつも通りで、でも多分とても大切な雑談が。


「じゃーな」
「また明日ね」
「ああ、付き合わせて悪かったな」
「いーっての。その代わり、今度はオレ達に付き合えよな」
 大谷が笑って言うのに頷いて、踵を返した。駅前の雑踏から逃げるように家路を辿り始める。
 帰り道、午後九時過ぎ。少し遅くなった。晩飯はいらないと佳奈には予め言ってある。ハンバーガーで済ませたとか言おうものなら殴られそうだし言わないが。
 駅前から帰るときの道はいつもと同じ。駅から遠ざかるにつれて喧騒は薄れ、人は少なくなり、明かりも失せ始める。街灯の数も目に見えて少なくなっていく。
 やがて道は合流して、昨日の路地が見える辺りまで差し掛かろうとしていた。
 いつも通りの道を通ってきたことに意味は特にない。それは半ば習慣のようなもので、道を変えようとか、いやな予感がするとか、そういう意思の及ばない問題だった。
 友達二人といつもの話をして、おれは完全に日常に戻っていたつもりだった。
 通り魔から浴びせかけられた怨嗟は記憶の中で風化して、字坂と大谷の笑顔と声に上から塗りつぶされて隠れて消えたはずだった。もう思い出すことはないと信じていた。
 非日常は形を薄れさせて、もう消えてしまったのだと。
 厚木康哉は普通の高校生。人より少し喧嘩が強くて、空手を嗜んじゃいるけどそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。昨日みたいに事件に巻き込まれるなんて、そう連日続くもんじゃない。
 少なくなってくる街灯。見えてくる路地。
 ここを過ぎればゆっくり歩いても十分で家にたどり着く。
 シャワーを浴びて、明日も学校かと嘆息しながら、日常生活に回帰する。そう考えて疑わなかったんだ。
 ――街灯の下に、ひとつの人影を見るまでは。

 ふと、ぼんやりとしていた視界が街灯の下に焦点を結んだ。
 それは違和感から。街灯の下に立ち尽くす、何かを視界に入れたからだ。
 影の身長は一七〇センチメートル前後。街灯の真下にいる。目深にかぶった帽子のシルエットに、厭な感じの既視感があった。――いや、既視感って言うならそれだけじゃなく。言ってみれば、その背格好の全てに見覚えがあった。
 ……口の中が、潮が引くように乾いていく。
 相手は街灯の真下にいる。数少ない街灯の真下にいる。その筈なのに、その体は真っ黒だった。起伏がないように見える。まるで紙みたいに薄っぺらな存在印象。だというのに、『そこにいる』ことが何より確かな現実としておれの脳味噌にアラートを叩きつける。
 ――本能で判る。
 あれは、良くないものだと。
 起伏のない人影が、わずかに肩を震わせたように見えた。その体に起伏がないように見えるのは恐らく、陰影がないからだ。光を浴びているのに黒く、影がない。――いや、黒いという表現すら当てはまらない。あの人影を縁取り、塗り潰しているのは単なる『闇』だ。そう考えれば納得がいく。街灯の下、闇に切り取られたヒトガタの空間が動いているように見える。
 足が震えだす。
 手足から体温が抜けて、見開いた目が乾くのも構わずにその闇を見た。
 闇は、ありもしない目からおれに向けて視線を注ぎ、口のあるべき場所を真っ赤に裂いて、――嗤った、、、
 闇の口だけが赤く裂けて吊り上り、おれに言葉を向けてきた。凍えそうに冷たく、か細いのに凶器のように鋭い声で。
<――コロシテヤル>と。
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