Nights.

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  Bad morning  

 厚木康哉――つまりはおれだが――が考えるに、ついてない日というのは、とことんついてないものなのだ。
 不幸は密集する。これは多分間違いない。
 都合の悪い事がよく重なるってのは、十六年ちょっとの人生の中で使った「よりによって」の数が証明してる。一日二回は言ってるんじゃないか?
 なんて事を考えるのも、今日がその典型例そのものだったからである。起きたら既に遅刻ギリギリの時間だったり、メシ抜きで走ろうとしたら靴紐が千切れてたり、探し始めると中々予備の靴紐が見つからなかったりって具合に。
 神様が狙ってるとしか思えない。こんなところで出玉を奮発してくれなくてもいいって叫びたい。が、叫んでもどうにもならないので、とりあえずおれはいったんクールダウンすることにした。倉庫の柱に背中を預ける。
 マーフィーの法則じゃないが、少なくともおれの周りでは面倒事と面倒事は惹かれあうらしい。頼むから別のところでいちゃついて欲しいもんだ。せめておれに迷惑を掛けないくらい遠くで。
「兄貴ー、先出るよー?」
 倉庫の外から聞こえてくる耳慣れた声に怒鳴り返す。
「そうしろって言ったろ。おれに付き合って遅刻したいのか?」
 現在時刻は腕時計を信頼するなら八時三分。清く正しい学校生活を送るためには、既に通学路の中ほどを歩いている必要がある。
「遅刻はごめんだねっ。そんじゃ、おっさきー。戸締まり頼んだからねー!」
 黒のショートカットに健康的に日焼けした肌、パッチリとした目の器量よし。とてもおれの妹とは思えないんだが、物心付いたときから一つ屋根の下なので納得せざるを得ない。妹――佳奈カナは玄関からこっちに向けて言い捨てると、健脚を存分に披露しながら突っ走っていく。あっという間に家の門を駆け抜け、そのまま通学路へ出て行った。陸上部期待のホープなんぞと呼ばれているだけの事はある。
 その後姿から視線を逸らし、おれは本来の目的を思い出した。
 ――空には太陽がさんさんと照り、熱くもなく冷たくもない初秋の空気を漂わせている。秋晴れの朝だが、気分は最悪だ。
 今日から新学期が始まります、ってアナウンスの通り、おれは必要なものを昨日のうちにまとめておいた。完璧だったはずだったんだが、靴紐が切れるなんてな不運は想定の範囲外。
 お陰様で普段は見向きもしない庭のボロ倉庫の中を物色する羽目になっている。
「……ったくよ。行く前に片付けてけってんだ、クソ親父め」
 カビ臭い倉庫の中身の殆どは親父が溜め込んだ骨董品だ。だだっ広い筈の空間が、所狭しと並べられた価値があるのかないのか解らないような代物に占拠されている。いつだったか、ただでさえ混沌としたそこにお袋が『使うかもしれないけど家の中に置いておくほどでもない』という微妙なガラクタをこの上さらにぶち込んだもんだからカオスここに極まる。
 いつか掃除しよう、とは常々語る親父だったが、そのいつかが来る前に海外出張のお達しが来た。栄転らしいが、世話役にお袋も引っ張られていったもんだからたまらない。結局倉庫は片付く事のないまま、今日の朝も埃っぽい空気でおれを歓迎してくれた。あまり嬉しい歓待ではない。
「……探せば靴紐くらいは幾らでも出てきそうだよなあ、実際」
 とりあえず一限目は返上する覚悟で、かぱかぱ、、、、と紐のない右の靴を揺らしながら倉庫をざっと見て回ることにした。
 主に目に付くのは書籍で、他には壷とか皿とか絵画とか。
 流石に日本刀らしきものを見かけたときはまだ見ぬ外国の地にいる親父にツッコミを入れかけたが、整理もせずに雑多に積み重なった骨董品は、見る者が見ればもしかしたら宝の山なのかもしれなかった。
 しかし今おれに必要なのは鑑定団に出したら値札が付いて返ってくるようなお宝ではなく、適当な長さの紐なのである。それこそ、転がった品の由緒なぞどうでもいい。
 欠伸を漏らしながら本棚を流し見ていると、三段目に目に止まるものがあった。
 時代がかった封筒から、手ごろな太さの紐がはみ出している。手にとって中から紐を引っ張り出した。
 長さはそれなり。真ん中から切れば多分、両足分くらいにはなるだろう。ピンと張ってみても切れる様子はない。間に合わせには十分過ぎるくらいだった。
 ……まあ、不満を一つ挙げるとするなら、そう。
「色がきついけどなあ」
 目に眩しいくらいの鮮やかな赤色をしていることくらいだ。紅い、と言ってもいい。
 一瞬、傷から溢れる血を連想してしまうほどの赤さ。
「――不吉だな。まあ、変に紫なのとかよりはマシか」
 贅沢を言ってる場合でもない。仕方ないと自分に言い聞かせながら、おれは紐を片手に倉庫を出た。
 かび臭い空気から逃げるように外の陽気に触れた。
 目を刺すような日の光に安心する。振り向きざまに重い扉を足で閉め、南京錠をかけた。
「やれやれ――っと」
 一仕事終えた気分だが、実は何も終わってない。むしろ始まってすらいない。
 気分的にはこのまま爽やかに布団の中に戻って二度寝を決め込みたい。
 やりたいのだが、初日からそんなアウトローな真似をしようものなら親から追求必至、判決有罪、減俸二ヶ月、確定。おれの行動は妹を通じて監視されているのだ。ただでさえ少ない小遣いを余計に減らす事はない。
 内心でぶつくさ愚痴りながら家に入り、適当なテープとハサミを探す。どちらもすぐに見つかった。
 紐を真ん中から二等分、端にセロテープを巻いてほつれたところをまとめる。
 さっさと靴に通してしまえば、ハイ出来上がり――なのだが。
 両方通し終わってから言うのがアレだってのも判るんだけど。いや、これは……女子中学生が履いてそうな真っ赤な紐が通ったバッシュを見て、一通り頭を抱える。
「……鬱になってきた」
 出来上がりを見て赤色の影響力を思い知った。他の全ての色をぶっ殺して主役に躍り出てくる鮮明な赤。少しでいいから自己主張を抑えてくれ頼む、とかひとしきり拝んでみる。無駄。
 拝んで退色するならその後三十分くらいは捧げてやってもよかったのだが、起こり得ない事を待つ前に学校に行くくらいの頭は持ち合わせている。どぎつい赤のアクセントが付いた靴に足を通し、靴紐を締めた。
 元は何の紐か知らないが、とにかく動くには支障なさそうだった。結び終えて、誰もいない家を振り返ることなく玄関を出る――その刹那。
 踏み出そうとしてがくんと、膝から力が抜けた。よろける、目の前にはドア、身体を支える前におれの視界を埋める、――一瞬後に衝突。頭の中で鐘が鳴った。 
 目の前が火打石を叩き合わせたみたいに明滅する。一拍遅れて額に烈火の如き痛みが走り抜けていく……平たく言えばつんのめってドアに頭から突っ込んで悶絶。
 痛みに悶えながら思う。ちくしょう。絶対今日は厄日だ。気をつけなけりゃまずい。
 今世紀最大級の不幸が団体で予約をかけてきてやがるような錯覚に見舞われながら、おれは痛む頭を軽く振った。
 ぐわぐわと揺れる視界の隅っこ。ほんの少し靴紐が赤くぼやけて見えたのは、目じりの涙のせいだとして。
 色々と自戒しながら、痛みが治まるのを待って、今度こそおれは家を出た。
 戸締りを確認して、学校へ歩き出す。

 ――カバンを忘れたのに気付いたのは、道も中ほどになってからだった。
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