Nights.

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  Letter from little girl  

 昼休みが終わってしまう僅か前。教室から出て連れ立って歩き、足を止めたのは屋上だった。昼休みも終わりかけとなれば、過ごしやすい九月の屋上も閑散となる。
 おれは目の前のそいつの背中に目を向けたまま、自分でもわかるくらいの仏頂面で切り出した。
「……それで、おまえ、おれに何の用だよ。わざわざ教室まで来やがって」
 聞こえたらしく、背中を向けていた少女がターンするように振り返る。脱色したセミロングの髪に短めに切り詰めたスカート。快活な雰囲気と勝気そうな面差し。……いや、事実勝気なのだ、この女は。ふわりと浮いたスカートが落ち着く前に、彼女は言葉を発した。
「んふふー、なんの用だと思うー?」
「知ってたら聞かん」
 早口で返すと、彼女は「つまんない反応ー」とか言いながら肩をがっくりと落とした。
「もうちょっとウィットに富んだユーモアを見せてほしいものよね、英国紳士ばりに」
 こいつ、言葉の意味わかって言ってんだろうか。軽い頭痛を覚える。
 さっき教室でおれを呼んだときの猫かぶりを上辺だけでいいから続けてほしいもんなのだが、どういうわけかこいつはおれには地で接する。イジメか。そうなのか。
 この妙なテンションの同級生は、香坂皐月コウサカ・サツキという。高校に入ってからの知り合いだ。何かにつけて浮いた噂の絶えないヤツで、男を引っかけては合わないだとか思ったより良くないだとかと難癖をつけてさっさと別れてしまうという、極めてタチのよろしくない女である。
 おれとこいつが知り合ったのも、香坂が起こしたそういったトラブルにおれが巻き込まれるという、実にはた迷惑な事件がきっかけだった。……頭痛が酷くなってきた。考えてみると、おれはこいつと一緒にいるときはロクでもない目にばかり遭っている気がする。
「帰っていいか」
 溜息混じりに願望を吐き出すと、香坂はふふん、と小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、屋上を囲う薄いフェンスを一瞥した。
「別にいいわよ。でもドアから帰れるとは思わないでね」
 そのまま滑るような軽さでおれの横をすり抜けて、ドアに手を置く。話を聞くまで絶対に帰さんぞというオーラが感じられる。泣きたくなるね。
 せめてもの抵抗とばかりマリワナ海溝ばりに深い溜息を吐き出して、それで諦めを付けてから、肩を竦めて口を開く。
「さすがに自殺願望はないな。……で、そろそろ真面目に教えてほしいんだけどよ。わざわざここにおれを呼び出して何しようってんだ、おまえは」
「告白……って言ったら、笑う?」
 人差し指と人差し指をつつき合わせて僅かに顔を赤らめて見せる。この女、実に芸達者である。多分こういう演技に騙される男もいるのだ。おれだって予備知識がなかったらぐっと来ないでもないかもしれない。そう、何も知らなければの話だが。
「爆笑する。そんだけあざとい演技が出来れば将来引く手あまただな」
 皮肉ってやると、香坂は目を細め、おれを睨むように見た。本気で睨むほど強くはないが、今にも拳を繰り出してきそうではある。ひっそりカウンターの用意をしていると、香坂は息を吐き出すようにつまらなさげに笑った。
「……でしょうよ。からかいがいのないヤツね、相変わらず。でも、まるっきり嘘ってわけでもないのよ、告白って」
 よく判らないことを言いながら、彼女は右手を翻した。手品じみた手の閃き。止まったときには、白くて小ぶりな、ハガキ大の封筒がそこにあった。ひらりひらりとはためく封筒をどこか大切そうに両手で持ち、おれに突き出してくる。
 眉を潜めると、それがおかしかったのか香坂は愉快そうに笑って、付け加えた。
「心配しなくても、あたしのじゃないわよ」
 尚更よくわからなくなった。まあ、突き出されたものを捨て置くのもなんなので、とりあえず受け取る。風で流されてしまいそうなほど小さくて軽い封筒だった。よく見ると淡いピンクで模様が入っていたりする。
 雰囲気からして、差出人は男じゃないというのがよく判った。付け加えて言うならそう、香坂もこんな手紙は間違っても出さなさそうだ。だから、あたしのじゃないという言葉には得心が行くのだが……全体的に疑問は氷解するどころか重さを増す一方である。
「……なんだそりゃ」
 受け取って疑問が晴れるわけでもないので、率直かつ大雑把に問い返す。
 すると、香坂は一歩進み出てとん、とおれの胸を人差し指で押した。女にしては高い背丈。おれの目を下から覗き込むようにして薄く笑う。
「あんた、手紙を貰う心当たりとかない? しっかり自分の胸に聞いてみなさい」
 それこそまさかだ。
 大体、おれはこの手の物を貰うほどカッコいいわけじゃない。字坂やら大谷やらなら話は別だが、おれはあの二人にくっついてるグリコのおまけみたいなもんだ。短く切った髪を染めてるのだって、あんまり冴えないからと大谷が世話してくれてるようなものだし。服装はよく字坂を真似るだけだし、そもそも買っても制服以外をあまり着ない。……自虐はこの辺にしておこう。頭痛が酷くなる一方だ。
「そんなのに心当たりがあるヤツなんてのは、よほどの自意識過剰だぜ。見当つかねえよ」
 言ってのけると、おれが考え込んでいる間、何かを期待するような目をしていた香坂の目が軽い落胆を映した。吹いた風が僅かに髪を乱すのを跳ね除けるように直しながら、肩を竦めて口を開く。
「はー……自意識過剰なのは確かにイヤだけど、鈍すぎるのも考えもんよ、こういうのって。あんた、一週間くらい前に痴漢捕まえたんでしょ、違うの?」
 内心でかなりギクリとした。……っていうのも、そもそもあの話は佳奈にしか教えていないはずなのだ。あの件が終わってこっち、それよりもっとショッキングな出来事が連続で降りかかってきてたからすっかり忘れていた。……あれを元凶だったと認識するには、昏闇やら何やらなんてのは非現実的すぎる。結びつけるのに苦労しているうちに、記憶は風化してしまっていた。
 それが、今になっていきなり引き合いに出されたのである。おれでなくても驚くんじゃなかろうか。
「あー……いや、やったけどよ。それをおまえが何で知ってんだ」
「聞いたからに決まってんでしょ、この手紙の送り主からね。蜷川愛ニナガワ・マナって名前、覚えてない?」
 打てば響くように返ってくる返事。
 記憶の糸を手繰る。取調室で並んで、始終しゃくり上げていた彼女。最後までおれとも警察の人とも目を合わせようとしなかった少女の名前は……よくよく思い出してみれば、そういう感じだったような気もする。
 その曖昧だった部分が頭の中で繋がったとき、ようやくおれは事の次第を把握し始めていた。
「……うっすら覚えてるな。三つ編みと眼鏡の、ちょっと飾り気のない感じの子だろ?」
 覚えている限りの特徴を話すと、ようやく満足したように香坂は何度かうなずいた。
「あの子ね、あたしの友達なの。ちっちゃい頃から仲良くてね。高校は別になっちゃったけどさ」
 独り言を言うような調子の言葉に耳を傾けながら、封筒をためつすがめつしてみる。飾り気のない封書だが、温かみがあった。厚木康哉様へ、とおれの名前だけが記してある。
「最初はあたしも驚いたのよ。『人を探してるの』なんて、思いつめた声で相談されたもんだから。知ってると思うけど、割と顔の広い方だからね、あたし。ちょっと手を尽くして探してやろうかしらって腕まくりしてたら、出てきたのがあんたの名前なんだもの、笑っちゃったわ。写真も見せて確認も取ったし、満を持しての郵便配達ってわけ」
「……おまえ、プライバシーの権利って知ってるか。正式な人権なんだが」
「男のプライバシーなんてあってないようなものよ」
「今おまえ人類の約半数を敵に回したぞ」
「後の半分が味方ならどうにかなるわ」
 とんでもない暴言を吐きながら、香坂は軽く息をついた。相変わらずよく喋ることこの上ない。口を開いている時間で比較すると、軽くおれの二倍くらいはあるんじゃないか。
 益体もないやり取りを打ち切り、仕切り直すように彼女は息を吸う。
「あの子がまじめな子だっていうのは、あたしが一番良く知ってるから。思いつきであんたを探してるんじゃないってすぐに解ったわ。だってあの子、いつもは他人に頼ろうとしないのよ。……人嫌いって言うんじゃなくて、なんでも自分で解決しようとするの。あたしを頼ってくれてもいいって事あるごとに言うのに、聞かないんだから」
 そう語る香坂の目は、誇らしげで、同時に少しだけ寂しげだった。
 気持ちはわからなくもない。そうでなくても香坂は世話焼きな方だ。自分の恋愛を謳歌するのと同じくらいのテンションで、人の恋路を応援する女だから。
 腐れ縁とはいえ、一年間も知人でいると色々見えてくるものだ。
「……そんな強情な子が、珍しくおまえに頼ったわけだ。そりゃ張り切るわけだな」
 口を挟むと、香坂は挑戦的に胸を反らしておれに栗色の瞳を向けた。
「そりゃそうよ。他人の恋路は邪魔しないで、燃え上がる恋にはガソリンかけるのがあたしの主義だから」
「男と女がいればそこに恋愛があるって価値観はどうかと思うぞ。それに、火力強すぎて燃え尽きた恋も――いや、なんでもない」
 相手が拳を軽く引くのを見て、おれは言葉を止めた。余計なことは言わないほうがいいというのも、確かこいつと知り合ってから痛感した教訓だ。気を取り直して、話題を別の方向に向ける。
「そもそも、まだラブレターって決まったわけでもないだろ。この中身」
「ま、あたしも中身は見てないから知らないけどね――」
 身を翻し、フェンスのほうに向けて歩いて、香坂はフェンスに右手を付き、そこを支点にして半身になり、こちらへ向き直った。
「あの子が男の子にこんな風に手紙出すなんて初めてだし、何より……あたしの勘が、そういう手紙だって言ってるのよ。もちろん中身はあんたにしか見る権利はないし、あたしが干渉するのはここまでだけどね」
 言い終えるなり、フェンスにもたれた。仕事を終えた、とでも言いたげな空気を漂わせながら、香坂は屋上の床に座り込む。吹き抜ける風が、制服の裾を軽く揺らしていった。
「……ま、解ったよ。ちゃんと読んではみる」
 複雑な心境ながらも、それだけは約束して踵を返した。右手に持った封書が急に重くなったように感じた。考えなくちゃならないことが増えていく一方だ。神様が苦難の予約を取ってくれてるとしか思えない。言わせてもらえればそんなリザーブは要らないのである。拾う苦も楽も自分で選びたいものなのだが、どうもそうは行かないらしい。
 ドアノブに手をかける。
「――厚木」
 軽い別れの言葉を告げようとした矢先、不意に風に乗って声が届いた。
 振り返ると、いつになく真剣な顔で香坂がこっちを見ている。それに何かを言う前に、向こうが先に口を開いた。
「もしそれがさ、ラブレターだったとしてね。あんたがどう思うかは解らないし、素直に喜べなんてことも言わない。けどね、内容が何であれ、その手紙はあの子の気持ちの結晶だから。……無碍に扱うことだけはしないでね。あたしは、愛の落ち込む顔なんて見たくないの」
 真剣な声音。言葉が尽きると同時に、その語尾を昼休み終了のチャイムが奪った。
 鳴り響くチャイムの中、口を開かないおれと彼女の間の沈黙。
 やがてチャイムの音が収まる頃には、香坂の表情は穏やかなものに戻っていた。
「……ま、言いたいことはそれだけ。もう行っちゃっていいわよ」
 軽い口調で言いながら、おれを追い払うように手を振る。
「……解ったよ。つーかおまえ、五限いいのか」
「んー、おひさまが気持ちいいし、サボっちゃう」
 体を伸ばして日の光に目を細めるその仕草は、どこか猫を思わせる。そう考えてから内心だけで納得した。なるほど、香坂を動物に喩えれば猫になるに違いないのだ。雄猫を惑わして引っ掻いて手玉に取るタイプの。
「単位足りてるのか」
「あんたに心配されるほど落ちぶれちゃいないわよ」
 軽く返される。……こいつも要領のいい口なのだ。大谷といいこいつといい、どうして遊びながら一定の成績をキープできるのか、凡人のおれとしては非常に気になるところだ。いつも。
「わかったよ。そんじゃ、いい午後を」
「皮肉っぽいわね、それ。……それじゃーね」
 言葉を背中に受けながら、掴んでいたドアノブをようやくひねって押す。同時に、受け取った手紙を上着のポケットにそっと差し込んだ。太陽に慣れた目に映る校舎の中は薄暗い。
 おれは少しだけ急ぎ足で、校舎の中に足を踏み入れた。
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