-Ex-

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  フルアーム・セラフ  

 エアランナー達が地面に叩きつけられる音が響いた。ビルに落ちたものはまだ人の形をしていたが、地表に落下したものは既に原形を留めていなかった。例外なく、死んでいる。もう動くことはない。
『ご苦労、イクス・ワン。戻りたまえ』
 脳裏に直接響くマスターの声に、自覚できるほどにだらしなく眉を下げてしまう。私はゆっくりと高度を下げ始めて、
「……!」
 反射的に顔を上げた。
 終端速度八四〇メートル秒。どれだけの初速で放たれたものか、想像もつかない。前方から迫る、完全なレンジ外からの射撃。防ぐことを一瞬考え、無理だと悟った次の瞬間に回避行動を取る。空中を「蹴」り、咄嗟に横に飛んだ。刹那の前まで私がいたその場所を、バイオレットの閃光が駆け抜けていく。
『……光学兵器か』
 驚いたようにマスターが呟くのが聞こえた。
『レーダーの補足精度を上げる。……光学迷彩力場ステルス・カモフラージュ物理事象歪曲フィジカル・ハックを確認した。出所は北東三キロ先。――イクス・ワン、どうやらあれは君の同類のようだ』
「ご命令を」
 私はためらわない。光学兵器は確かに脅威だが、回避できるのなら対処のしようはある。光条の出所を睨みつけるように見ると、夜明けの空にぽつりと浮かぶ黒い点が見えた。青白い光が瞬く。刹那のうちに、それはこちらへ接近してきた。ごてごてとした翼を持つエアランナーとは一線を画す速度で――それこそ、私が出せる速度と同じほどの速さで。
『交戦を許可する。撃墜したまえ』
「イエス、マスター」
 私はもう一度息を吸い込み、ゆっくりと吐いて翼を広げた。黒い影が風をまいて接近し、十五メートルほどの距離を置いて急停止する。背中に宿った翼から光の飛沫が散った。私はようやくそこで、敵の仔細を見て取る。
 近代的なフォルムの黒い甲冑に全身を包んでいる。バイザーが目を覆い隠しており、その下の表情を伺うことはできない。翼に見えたものは、背に張り出したスラスターとバーニアからの噴射炎か。漆黒の左腕から蒸気が漏れる。
「命令が下りました」
「ほう」
 低い、掠れた男の声だ。さしたる感慨も持っていないかのように相槌を打つ。それは私も同じだ。この男に対して抱く感慨など、チリほどにもない。
「あなたを、撃墜します」
「やってみろ」
 十五メートルの距離が、一瞬で開いた。目測七十二メートルのミドルレンジ、風が私の頬を凪いでいく。相対速度を計算しながら、翼に意思を伝えた。剣であり盾でもある翼が、私を高空へ運ぶ。
 様子を見るつもりで一度羽ばたき、同時に『羽』を撃った。十七枚の純白が空中を切り裂き、刃として黒い影に襲い掛かる。
 次の瞬間、驚きを隠せず私は目を剥いた。
 敵は追尾する羽ですら追いつけない速度で急上昇し、左の手のひらを下に向けた。手首のガンマウントから三連銃身が顔を出し、一拍もおかず激発する。彼を追うために一直線に並んで上昇していた羽が、ことごとく撃ち落される。
 羽の追尾機能の限界を知っているかのような戦闘機動マニューバだ。私が明確な脅威を感じた次の瞬間、敵はそのまま手のひらを私に向けてスライドさせた。
 咄嗟に羽ばたき、軸線をずらす。回避行動から一瞬遅れて、あの光学兵器が来る。回避してさえ肌を焦がすような熱量を感じる。眼下でビルの貯水タンクが貫かれ、水蒸気爆発を起こした。
『あの光学兵器は恐らく無尽蔵ではない。しかし、弾切れを期待するのは無駄だろうな』
「同感です、マスター」
 私は表情を歪めながら更に上昇した。敵はこちらの動きに合わせて旋回しながらやや距離をとる。敵の高度と並んだ瞬間、距離三十七メートル。今度は当てるとその一念だけを込め、羽を全方位に射出した。その数、八百余。さすがに危険を感じたように、敵の動きが硬くなる。
 形作るのは、檻のイメージだ。私と彼が介在する戦闘宙域に、ムラなく羽を行き渡らせる。速度で上回られるのならば、動きを封じるしかない。ただばら撒いた先ほどとは違い、今度はこの全てに意思を通わせて操作しなくてはならない。過負荷に脳が軋むが、その苦痛を吐き出すように私は叫んだ。
「押し……潰せ!!」
 空中に静止していた羽の全てが、私の叫びと共に動き出した。全方位から黒い甲冑に向けて羽が殺到する。あらゆる方向オールレンジから炸裂する攻撃の嵐の前には、いかなる速度もマニューバも役に立たない。
 羽が次々と突き立ち、黒い甲冑が白の羽に埋もれていく。速度が落ちた瞬間に、手心を加えず更に羽を撃ち込んだ。落下を始める敵影。だが、その動きが完全に止まるまで、止めることはない。殺しておかなくてはならない。こいつは、、、、危険だ、、、
『……イクス・ワン! 攻撃行動を中止しろ! 敵内部に高エネルギー反応!!』
「――ッ!!」
 マスターの強い声で、私は現実に揺り戻された。瞬間、眼下で羽に被われて繭のようになっていた敵が、まるで羽化するかのように、純白を突き破った。全く唐突に、ひどくあっけなく、私の『檻』が壊される。
 黒い装甲が、電荷を帯びて輝いていた。放電現象を孕みながら肥大するエネルギーが、男をまるで紫電の塊のように見せている。割れたバイザーの向こうで、無感情な目が一度瞬いた。
「器用な真似をしてくれる。しかし――」
 私が身構える前に、男の右手の先に光の剣が構築された。
「それだけだ」
 彼は飛んだ。見えないような速度で。
 この瞬間、私は恐怖という感情を初めて知ったのだと思う。無我夢中に右に避けたが、紫色の光と化した男が私のすぐそばを突き抜けた瞬間、左の翼に焼けるような痛みを覚えた。絶対不可侵のはずの翼が、稲光に似た輝きに切り裂かれたのだ。
「ぅく……ああっ!!」
 全速で、補足されないように、傷ついた翼を羽ばたかせて飛ぶ。しかし、その全力にも相手は労せずついてくる。振り向けば雷に似た刃を振りかざす男の姿がある。
 私は自分を掻き抱くように身を縮めた。応じて、翼が私の全てを守るように覆い被さる。しかし、刃は無慈悲にその守りを突破して私の腕を裂いた。痛みと傷口から伝わる熱で、気が狂いそうになる。
「片付けさせてもらう」
 高空を思わせる温度のない声で言うと、男は私を翼越しに下に蹴り飛ばした。衝撃で滅茶苦茶に揺れる視界と、攪拌される三半規管。錐揉みしながら落ちる最中、マスターの声が脳裏に響いた。
『敵肩部及び脚部ランチャーにフィジカル・ハックを確認した、イクス・ワン、回避行動を取れ!』
 その声だけを頼りに、私は痛む身体に鞭を打つ。千切れかけた右の翼と、半分なくした左の翼で、それでもなんとか態勢を立て直した瞬間、私の目に入ったのは無数のレーザー光だった。
 指ほどの太さのレーザーが、男の足と肩にあるランチャーから射出されたのだと確認した瞬間、半ば反射的に無数の羽を展開し、防御に回す。しかし、羽で作った壁は、あっさりとレーザーに貫き通された。突き抜けた光の筋が私の身体を抉りとり、貫通し、蹂躙していく。思考は熱と痛みで支配され、声を上げることすらままならない。
『イクス・ワン、応答しろ!』
 喉から熱い血がせりあがってくる。声にしようとした言葉は、真赤な血の形をして唇から滑り出た。浮力を失った体が、重力に囚われて落ちるのを、他人事のように確認する。
『見誤ったか……』
 口惜しげにマスターが呟く。私は消えてしまいたかった。マスターの声が諦念に彩られていたからだ。こんな声を出させてしまったのは自分だ。けれど再び浮き上がることはできそうにない。不甲斐ないと思う心を、どうして抑えられようか。
『よもや、このような所で――』
 傷口から溢れた血の粒の形がやけに鮮明に見える。空気抵抗でひしゃげて、僅かずつ形を変える。やがてその仔細も見えないほどに視界が掠れ、闇に閉ざされていく。マスターが、静かに呟いた。

全力レベル・スリーを使うことになるとは』

 視界が、開けた。


『彼』が異変に気付いたのは、地面に激突するはずの女の身体が、地表寸前で静止した瞬間だった。不意に背中を悪寒が駆け上る。その感覚は忘れもしない、愛機に乗って空を駆けたあの頃――ミサイルアラートの一瞬前に覚える寒気と同種のものだった。
 寒気に突き動かされるように、急降下を開始する。とどめを刺さなければこちらが危ない。手負いの獣ほど危険なものはないと、彼は知っている。フォースフィールド"Raptor"を展開したまま、右手のひらを下に向け、プラズマキャノン"RAIDEN"を起動。視界の中に展開されるプラズマの通り道――彼にだけ見える『銃身バレル』の中に捉えた女が、ゆっくりとまた浮かび上がり始める。ボロボロの翼が再構築され、純白の輝きを取り戻していく。
「……莫迦な」
 戦闘不能にして余りあるダメージを与えたはずだ。だが、あの女はまだ浮かび上がろうとしている。血を全身から流しているのに――
 否。
 身体に開いた穴に、女は羽を詰め込んでいた。純白の羽毛が血にまみれ、徐々に肉体と同化していく。みるみるうちに傷口が肌としての質感を取り戻すその異様を、男は目の当たりにした。
 僅かに歯噛みする。あれではまるで、バケモノではないか。
「……ならば再生しようがないように、吹き飛ばすまでだ」
 寒気を振り払うように呟き、ロックオン。敵機動力からの推定命中率が九八パーセントに達した瞬間、彼はプラズマキャノンを撃ち放った。
 刹那の後に、愚に気付く。
 女は自らの両腕に爪を立て、歌うように叫んだ。悲しいほどに掠れ、痛ましいほどに傷んだ声で。
「わたしを……わたしを、きずつけないで……!!!」
 羽がプラズマの通り道を遮断した。その数、その密度自体は変わらない。なのに、光条はまるで鏡にぶち当たったかのように弾かれ、隣のビルを突き抜けて消えた。血で固まりかけたプラチナブロンドを振り乱し、女は尚も声を張る。
「嫌い、嫌い嫌い嫌い、大嫌い、消えて、消えてええええッ!!!」
 凶悪なまでの拒絶の意思が叩きつけられる。同時に、彼女は男を指差した。宙にまた撒き散らされた羽が、切っ先を男に向けて、弾丸のように飛ぶ。先程のようなオールレンジ攻撃ではない。単調にも思える羽の嵐を、真正面から叩きつけてくるだけの単純な力押しだ。
 それなのに、まるで違う。
 速度がまず異常だった。咄嗟に一番最初の回避マニューバを試みるが、フォースフィールドによって爆発的に加速した機動力をもってしても、羽を引き離す事ができない。それどころか、徐々に距離を詰められる。
 ガンマウントのマシンキャノンで叩き落とそうと後ろ手に発砲するが、集中させた弾丸さえも引き裂いて羽が迫り来る。強度まで違うらしい。
「……あれが本気ということか」
 歯噛みしながら、プラズマキャノンをスタンバイ。狙いもつけずに、追ってくる羽の群れを焼きつくすように一発、放つ。光に飲み込まれて消える羽の群れ。その下から更に、また殺意と共に無数の羽が上昇してくる。
 腕から這い登る熱と、脳裏に響くサポートAIの声。
『警告、これ以上のRAIDENの連射はオーバーヒートに繋がります。Raptorの連続稼動限界、一八〇秒より一四五秒に短縮』
「"DEATH-REX"展開。一発撃ち込んで撤退する」
了解ラージャ
 撤退は本意ではなかったが、やはり上司が言ったことは正しかった。自分に切り札ラプターがあったように、やはり相手も爪を隠していたということなのだろう。
 肩と足のレーザー・ランチャー――デス・レックスの軌道を脳裏に描く。殺到する羽を一枚一枚焼きつくすイメージで。視界内に克明にレーザーの想定軌跡を描き終えた瞬間、AIが無感動な声を上げた。
『マルチロックオン完了』
「発射」
 間髪入れずにに即答し、レーザーランチャーから無数のレーザーをばら撒いて、男はすぐに身を翻した。レーザーの一本一本が描く曲線軌道など、見飽きたものだ。命中するか否かも些事だった。単なる目晦ましと、大して変わらない。
 一瞬で超音速まで加速し、後ろを振り向くが、羽も、女も、追ってくる気配はなかった。前に視線を戻し、空を駆け抜ける。
「データにはなったが……気が重いな」
 割れたバイザーを外し、空中にかなぐり捨てると、男――『翔竜騎ドラグーン古賀隼人コガ・ハヤトは溜息をついた。
「メルトマテリアルもとんだバケモノを作り出したな。対応させられるこっちの身にもなってもらいたいものだ」
 男は疲れた口調で呟くと、速度を巡航速度まで落とし、ゆっくりと飛ぶ。
 自らの帰るべき家ソリッドボウル・インダストリーまで。


「……それで、その後はどうなったんですか?」
「この話はこれでおしまいよ、レン。正直に言うとね、彼を追い払ったときのことは、あまり覚えていないの」
 回想をやめ、私は赤毛の少女に向き直った。スレンダーな体躯をグレーを基調にした制服に包んだ、精悍な印象を持つ娘だ。空色の瞳は大きいが、眦は鋭い。長く真っ赤な髪をポニーテールにして、青いリボンで留めている。笹原憐ササハラ・レンというのが彼女の名前だ。
 レンは少しだけ困ったような顔で首をかしげた。
「覚えていない?」
「そう。真っ暗に落ちていく意識が、急に開けて、その後ですごい寒気が襲ってきて――とにかく、叫んでいたわ。どうやって攻撃しているのかもわからないままにね。……結局、追い払うことはできたけれど、恥ずかしくて、なんて叫んでいたかは言えないわ」
「興味あります。セレイアさんが恥ずかしいって言うなんて、普通じゃないわ」
 大きな瞳を瞬かせ、ずい、と詰め寄ってくるレンを両手で押し留めながら、私は呼ばれた名を漠然と噛み締めた。
 セレイア――
 セレイア=アイオーン。
 一番機イクス・ワンという記号ではない、マスターに貰った、私自身の名前。
 あの日の戦いの後、名を貰ってから既に三年が経つのに、私は未だにこの名前を呼ばれるたび、胸がざわめくのを押さえられない。時折、その揺らぎを表に出してしまうこともある。困ったものだ。
「笑ってないで教えてください、セレイアさん」
「……あら、笑っていたかしら?」
「笑ってます! ドクターの前にいるときみたいにふにゃふにゃの顔をしてます!」
 ……どうやら早速顔に出ていたようだ。
 他の面々はともかく、この子はどうも聡い。つい二年前までは、目の見えない境遇にいたというのに、表情から人の感情の機微を読むのが上手い。――いや、むしろ、目が見えなかったからなのかもしれない。感覚が鋭敏なのだろう。
「秘密にしておくわ、レン。幻滅されてしまいそうですもの」
「幻滅なんてするわけないでしょう? いいじゃないですかっ」
 食い下がるレンの唇に、私はそっと人差し指を差し向けた。触れると、機関銃のように溢れる言葉が止まる。
「女は、秘密を多くしたほうがいいのよ。魅力的に見えるわ」
 ――自分の全てを知っている男性ヒトに焦がれる身で、そんなことを言っても説得力がなさそうなものだが、それは口に出さずに置いた。不満げにしぶしぶと追求をあきらめるレンを見て、笑いを漏らした後、私は窓の外に目をやる。
Exイクス』は揃いつつあった。
 一番機イクス・ワン、セレイア=アイオーン。
 二番機イクス・ツー、笹原憐。
 三番機イクス・スリー春哉空ハルヤ・ソラ
 四番機イクス・フォー、ロン=シュバルツハルト。
 五番機イクス・ファイブ、ガンマ=シャープブレイズ。
 マスターが何を考え、メルトマテリアルに戦力を揃えようとしているのかは解らない。力をつけているソリッドボウルへの威嚇か、或いは彼らを撃破するためか。こちらにイクスが揃いつつあるのと同じく、ソリッドボウルでは『プラス』が完成しつつあるとの話も聞く。
 プラスの一号機たるハヤト=コガとは、三年前のあの日以来、幾度となく小競り合いを繰り返してきた。その実力はよく知っている。けれど、負けるわけにはいかない。もう、無様を晒したくはない。
 マスターが作り出すイクスは、プラスよりも強い。それを証明するための戦いは、遠からず必ず起きる。そんな予感がしていた。
 無言のまま、そっと窓に歩み寄って手を当てる。残り三人のまだ見ぬイクスを、少しだけ思いながら。
「……セレイアさん?」
 心配そうな声が後ろから掛かる。空色の瞳を少しだけ曇らせて、レンが胸に手を当てていた。
「あの、お気に障りましたか?」
 あまりにも真剣な口調で言うものだから、一瞬呆けてから、思わず笑ってしまった。
「こ、こっちは真面目に言っているんですよ?!」
「……っ、ふふ、いえ、なんでもないのよ、レン。少し考え事をしただけ。私たちのまだ見ぬ仲間はどこにいるのかしら、とね」
 窓ガラスから手を離す。ゆっくりと身を翻すと、もはや意識せずとも消えることのなくなった背の翼が揺れた。
「一瞬、本気で心配したんですから!」
「ごめんなさいね、お詫びに昼食代、持ってあげるから」
「た、食べ物で釣ろうとしてもそうはいかないですよ、それにそもそも今はダイエット中で」
「地下の食堂でケーキバイキングがあったわね、そういえば」
「〜〜〜〜!!」
 目を輝かせたり赤くなったり真剣な顔になったり、百面相をする可愛らしい部下を連れ、私は部屋を後にする。
 去り際に、窓から見える無機質な凍京の街並みを、何となく目に焼きつけて。
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