-Ex-
ガナック=ジャードという男
「イディが殺された」
「そんなことはわかっている。私のところにも間抜けな報告が来た。風穴を開けられたTT-4036が奴の棺桶だったそうだな」
「間抜けな野郎だ。散々大見得切って、虎の子のアーマノイドを持ち出しておっ死んだか。くだらねェ」
「だからあいつに任せるのは反対だったんだ。私ならもっと上手くやる、クレバーにな」
「クレバー? おいおい、おまえの国じゃブルって手を出さねェまま指を加えて獲物を見守ることをそう言うのか? お笑い種だぜ」
「私は猪と会話をするつもりはない。短絡思考は身を滅ぼすぞ」
「上等だ、テメェ。新参者がナメた口叩きやがって」
「止めないか、ザレ、グリン。我々がこうして連絡会を持っている意味を思い出せ――」
闇の中に浮かび上がる、脛に傷持つ男たちの顔。葉巻を咥えるものあり、肘をつき手を組むものあり、瞑目して動かぬものあり、その仕草は様々だったが、一つだけ共通点があった。彼らの表情には、色濃い焦燥が浮かんでいる。口々に交わされる会話は、死んだイディに対する非難と、自分ならあの三人――否、四人を殺せたと主張するメンツの張り合いだ。
口論が過熱していく中、不意に、最も年かさの男が口を開いた。
「黙れ」
鋼を思わせる声だった。全員が、拳銃を差し向けられたように動きを止める。その地に響くような声の持ち主こそ、殺し屋組合を作り出した男――ガナック=ジャードであった。
重い声は続く。
「見苦しいぞ、貴様ら。反論できぬ死者をこの上いたぶって何が変わる? 死人に泥を掛けていいのは埋葬人だけだ。大口を叩いた者のためにもう一度アーマノイドと兵隊を用意してもいいのだぞ」
円卓が静まり返る。手を組んだガナックはノイズに揺れる一同を睨んだ。ノイズの下で勢いよく名乗りを挙げるものは一人としていない。ホログラムを用いた遠隔会議であるのに、ガナックとまともに目を合わせることができるものすら少なかった。見返して来たものが二人いたが、その視線はどちらも自らが選ばれることを恐れているような色をしていた。
眉間に皺を寄せ、手を組みなおす。全く――嘆かわしい。
ガナックは当年とって六十五歳、壮齢の男性である。年を経ても肉体は鋼鉄のように保たれ、高い背が曲がることもない。他者に厳しく、己にはもっと厳しい。野心に燃え、三十歳の若さにして多くの仲間たちと殺人請負業を創業した。
過去を思い出す事が多くなったのは、今が最悪の状況だからか、それとも自らが老いたからか。或いはそのどちらもか。昔は良かったと、ガナックは思う。あの頃は命をくれてやってもいいと思える仲間たちがいた。彼らのことを思い出すたびに、ガナックは初心に戻る事が出来る気がしている。
呼吸するように殺人を行い、表情一つ変えない男がいた。アーマノイドなどといった無粋な兵器に頼ろうとするものはおらず、当時はまだ動きの鈍かったアーマノイドに組み付き、サブミッションでその関節をへし折った猛者もいた。
――皆、戦いの中で生き、そして死んだ。キラーハウスの創設メンバーで生きているのは、もはやガナックだけだった。
会議の中で槍玉に上がっていたイディ=ショーテルは、曲刀を得物とした創設メンバーの一人、クラン=ショーテルのただ一人の息子だった。これで、創設メンバーと血のつながりのあるものすら、既に絶えたことになる。この仕事に賭けた人生、ガナックは遊びで女を抱くことすらしなかった。成した子はなく、作る予定もない。
今回の敵は、間違いなく、今まで戦った中で最少の人数であり、しかして最強の戦力であった。調べ上げた情報によれば、敵は四人。そのたった四人に、二十余名とアーマノイドからなる部隊が殺されたというのである。
殺人狂、リューグ=ムーンフリーク。刃物を用いる近接格闘のスペシャリスト。対銃器戦闘に特化した狂人。
殺人姫、逸彼在処。銀の腕を持つハーフ・サイボーグ。人外の反応速度と圧倒的な膂力を持つ。
殺人者、長谷川四季。凄腕のクラッカーだが、通り名の由来は不明。戦闘能力はないと見られる。
そして――今までは舞台裏で隠密に活動していたといわれる、最後の一人。
殺人鬼、ザイル=コルブラント。近接銃器戦闘のスペシャリスト。フリーランスの殺し屋として活動していたが、何らかの協定により現在は殺人狂たちと行動を共にしているという。
――どうすればいい。
ガナックは、重苦しい沈黙の中で目を閉じた。部下は誰も口を開こうとしない。会議は踊る、されど進まず、とは誰の言葉だったろうか。踊っていればまだいい、とガナックは思う。円卓はいまや静止した車輪のようだった。
手を引くという選択肢は初めから存在しない。たった四人に大部隊を叩き潰され、そのまま退くことなどできるわけがなかった。報復を諦めたとあっては、殺し屋としての信頼は地に落ちる。
やられたまま退いてしまえば、クライアントからは『その程度』と見限られる。仕事が回らなくなり、組織は弱体化する。そこに、四方八方から同業者が付け入り始める。じわじわと力を失って、最後には無明の闇の中に消えるのだ。蟻に食われ、崩れ落ちる家のように。
退路はない。ならば挑むしかない。
しかし、腑抜けの集まりと言ってもいいこの幹部連にイディと同じ兵力を使わせたとして、結果が変わるとは思えなかった。
敵の四人は致命的な負傷など何一つ負っていない。対してこちらは人員二十数名とアーマノイドを一機、潰されている。戦力差は、致命的だ。
ガナックは長くスラムにいた。だから、時々――ああいった変異体が現われることを知っている。
彼らは決まって少人数、または単独で動き、蛇のようなしたたかさと獅子のような強さを併せ持つ。限界までサイバーウェアを自分の体に詰め込み、生きるためならばどのようなことでもしてみせる。自分の肉体さえも、彼らにとっては生きる道具に過ぎない。群れに靡かず、独自の美学を希求し、戦い続けて――いつしか、誰も知らないうちに、流れ星のように消えていく。
彼らには失うものがない。富も、権力も、後ろ盾も。持っているのはただ一つ、タフに燃え続けるその命だけだ。
厄介な相手だった。半端に富の味を知り、甘い汁を啜ることに慣れた人間では、彼らには勝てない。
幹部たちも、その部下も、自分の体にメスを入れることを恐れた。娯楽と悦楽と快楽を貪って怠惰に生きる、その甘美な生活を知っているからだ。
神経が焼断することを怖がって神経加速手術を拒絶し、筋肉が不測蠕動を起こすことを畏怖して人工筋肉を倦厭する。その上で、『殺しのプロは不完全なものを使わない』と嘯く。本当は、ただ命を懸けるのが怖いだけなのに。
だから、敗れる。あの四人と、イディたちの死がそれを証明していた。
思索の果てに、ガナックはゆっくりと目を開く。部下たちの間に緊張が走るのを目の端に留めながら、自分の拳を見下ろした。ごつごつとした――サイズを間違えたような、岩塊のような拳である。
――守りに入れば、老いて死ぬ。
胸の中で呟くと、ガナックは裁判官が木槌を使うような調子で、テーブルに自らの拳を打ち下ろした。叩きつける重い音をバックに、木製のテーブルがめきめきと軋む。
「私が出る。貴様らには任せられんとわかった」
「……ボ、ボス?!」
「御自ら戦地に赴かれるなどとは仰らないでください! ヤツらは危険すぎる!」
「今回の事は狗に噛まれたと思って流すという選択肢もあるはずです!」
ガナックは自分の歯が軋む音を聞いた。
どうやら、自分には指導者としての才覚はなかったようだ。キラーハウスが生まれた頃、回りに溢れていた不敵な声が、生と死の狭間で揺れる危うげな目の光が、どこにも見当たらない。
深く息を吸い込み、一喝しようと口を開きかけたそのとき――
まったく唐突に、銃声が響き渡った。
「何の音だ?!」
「おい、グリン!! お前の所か?!」
ホログラムの円卓、ガナックの正面に座る男――グリンが、狼狽したように身を揺らした。声を張り上げる。
「おい! 何だ今の銃声は! 状況を報告しやがれ! 聞こえねェのか、グズがッ!」
通信室の外に叫んでいるのだろう、グリンが後ろを向いて叫び続ける。しかし銃声は止まらない。銃声の狭間に扉を蹴るような音が混じり始めた。
「な、何、何をやってる?! 何してやがる!! おい、何」
金属の歪む音。グリンの映像が乱れる。ガナックは息を止めてグリンを――グリンのホログラムを睨みつけた。グリンが立ち上がる。光でちらつく像。ホログラム撮影時、遮光が破られたときに生じる画像焼けだ。
「な、何だてめえら、ここをどこだと」
銃声。
グリンの頭が消えた。どさり、と倒れ臥す音が響き、それきりグリンの声は聞こえなくなった。誰の目にも明らかなように、グリン=レッドブルは死んでいた。円卓のメンバーが言葉を失う。
周囲を見回せば全員が顔面蒼白といった風だ。いつの間に自分の部下は小悪党だけになっていたのだろうと、ガナックは唇を噛み締めた。
「何者だ」
重い声でガナックが誰何すると、何も映らなくなっていたホログラムにひょい、と顔が割り込んだ。十代後半の少女だ。しかし、その両腕はギラギラとクローム・メタリックの光を放っている。人工上肢である事は間違いなかった。それも、戦闘用の。
あどけなさの残る顔に、少女は緩やかな笑みを乗せた。場違いな明るい声が飛び出る。
「はろ。キラーハウスの円卓会議で間違いないよね?」
「私は貴様が何者かを聞いている」
他の者たちが言葉を失う中で、ガナックは自らのペースを保ったまま問い詰める。少女は面食らったように目を瞬くと、きゃらきゃらと笑った。
「んふふ。肝の据わってるじいちゃんだね」
顔の横まで銀色の腕を持ち上げて、拳を握ったり、開いたりと繰り返す。頬杖を突き、少女はリラックスしきった口調で言った。
「ボクの名前はカナタ。ナユタノカナタ、っていうんだ。所属は――」
悪戯っぽい笑みを唇に乗せ、頬に跳ねた血を銀色の指先で拭いながら囁いた。
「ソリッドボウル」
その名を聞き、円卓がざわめく。ガナックはもはや無能なギャラリーと化した円卓を黙らせるように、再び拳を机に振り下ろした。既に半壊状態の机が悲鳴を上げる。
「……私がキラーハウスのトップ、ガナック=ジャードだ。――で、ソリッドボウルのイヌどもがここに何の用だ」
「性急だね。まぁいいけど。じいちゃんたち、今、困ってる事があるでしょ? たった四人にいいようにされて、けど困ったことに反撃の手段が思いつかない、って考えてる頃だと思ったんだけど」
「……」
「あは、図星なんだ」
どうやら渋面になっていたようだ。ガナックは溜息を付き、目元を揉みほぐす。少女は対照的に、楽しげな笑みを絶やさない。
「あの四人を倒すつもりがあるんだったら、力添えをしてあげたいと思ってね」
今度はざわつきはない。しかし、周囲の困惑げな空気がホログラム越しにも伝わってきた。円卓のメンバーは皆一様に、少女と他の幹部の顔を見比べている。
「……解せんな」
唐突な少女――ナユタの言葉に、ガナックは手を組み直して口元を隠した。
「大本が解らん。何故手を貸す」
「あの四人のうち、一人にちょっとした因縁があって。なりを潜めてたと思ったらやっと見つかったみたいだから、ちょっと始末しようと思ったのさ、ウチの偉い人たちが。そんだけだよ」
「……双方のメリットは?」
「まず、じいちゃんたちはボクたちっていう戦力を手に入れる。デモンストレーションに、この拠点は占拠させてもらったよ。実力は十分って判ってほしくてね。……こっちに対するメリットは、表向きにソリッドボウルが動いたと回りに悟らせないこと」
「私達を隠れ蓑とする、という意味か」
「そゆことー。責任逃れも楽になるしねぇ。……で、返事は?」
ガナックは暗い目で目の前の少女を見つめた。グリンの拠点が壊滅したことについては、隠蔽すればどうにでもなる。この組織で幹部が死ぬのは日常茶飯事だ。イディが死んだのと同じように。
戦力が手に入るというのも魅力的な提案だ。ナユタと名乗る少女の服には血が飛んでいたが、外傷はない。無傷でグリンたちを圧倒する戦力ということだ。
――しばしの沈黙のあと、ガナックは重々しく唇を開いた。
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