-Ex-

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  “ベイオネット”  

 シキ=ハセガワはアクセルを思い切り踏み込んだ。シフト操作を右手で忙しなく行いながら、後ろを追ってくる敵手の照準から逃れるように車体を僅かずつ横に振る。
 車は時代遅れの型落ちではあったが、シキは自らの運転技術で今までマシンガンの被弾を避けてきた。バックミラーに映るアーマノイドのスペックをもう一度頭の中で反芻する。TT-4036、ソリッドボウルが開発した最新型アーマノイドだ。時速七十キロメートル近い速度で走って追いかけてくる。角張った装甲が、薄闇の中で街灯を照り返した。
『鬼ごっこをして遊ぶのもいい加減飽きてきたぞ、ガキども。その舐めくさった態度を、今すぐ修正してやる!!』
 呪うような声と共に、マシンの足音が追いかけてくる。恐ろしいまでの反動を伴うはずのマシンガンがまた火を噴く。口径は恐らく二十ミリ、まともに喰らえば五発であの世にいける。シキは火線が車体をなぞる前に左へハンドルを切り、点射を辛うじてかわした。
「荷が重いよ、ホントに……こちとら捕まってボコられてまだ三時間なのにさぁ」
 独り言を呟くと、奪ったインカムから囁くような声が聞こえた。
『シキ、大丈夫? ケガ、痛くない?』
「大丈夫だよ、アリカ。僕の怪我の治りが早いのは知ってるだろ? ……それより、次に見える左の路地に入る。挑発はもう十分だから、車体につかまっていて」
 インカムから発されるアリカの声に目元を緩ませると、シキはハンドルを握りなおした。路地は車幅ギリギリだ。集中しなければバンパーを叩きつけて急停止する羽目になろう。追いつかれたが最後、二人まとめてあの世行きだ。
「行くよ、アリカ。僕は成功させる。君は?」
『もちろん、失敗しない』
「オーケー。晩御飯はとびきり美味しいものを作ろう」
 シキは背筋を這い登る生と死の狭間のスリルに沸き立ちながらも、冷静に角度を計算し、路地の手前十数メートルの位置でギアチェンジを行いながら、急激にハンドルを切った。

 車上のアリカを横殴りのGと突風が襲う。こんな急激なカーブが来れば、言われなくても自分は中指を下ろしただろう、と思った。
 シキの言うことはいつも正しい。確かに挑発は十分だったようだ。アーマノイドはブレーキが間に合わずに通り過ぎたものの、すぐに路地の入り口から顔を出した。装甲車が通れる幅の道ならば、アーマノイドは容易に活動できる。
『バカめ、この道は車で走り抜けられる道ではない! その先はどん詰まりデッド・エンドだ!』
 アーマノイド――イディはスピーカー越しに哄笑を撒き散らしながら、マシンガンの銃口を上げ、発砲した。アリカの神経が研ぎ澄まされ、銃口から弾丸が飛び出す瞬間を感知する。
 ――弾種フルメタル・ジャケット。飛来数は六、うち直撃コースを辿るものが二。推定秒速七百二十メートル秒。予想コースに空気抵抗による減速を加味。照準は自分に合っている。
 刹那にも満たない思考とほぼ同時に、アリカは銀の右腕を横殴りに振るった。火花を散らして二十ミリ弾がアンチモニーのカスになって吹き飛ぶ。
『ひははッ、バケモノが! だがいつまでそうしていられる? もうすぐ逃げ道は途切れる、貴様らはもう終わりだ、死ね、死ね、死ね、逆らった罰だ! 逆らう奴は、皆死ねェぇぇッ!』
 イディがひっくり返った犬を思わせる声で叫んだ。興奮に弛緩しきった筋肉が生む、耳を引っかくような声だった。アリカは半眼になって自分の右腕を前に突き出した。手のひらをイディのアーマノイドに向ける。
 マシンガンの銃弾が更に二発掠めた。一発が浅い角度で装甲車の天井を抉り、もう一発はアリカの髪のひとふさを引きちぎり、右側頭部に殴りつけるような衝撃を残していく。それでも態勢を崩さぬまま、アリカはインカムに向けて呟いた。
「シキ」
『なんだい?』
「……終わったら、抱きしめて」
『お安いご用さ、お姫様』
 シキの言葉が、風渦巻く中でもはっきりと聞こえる。アリカはアーマノイドを睨みつけながら、右腕を固定するように左手で掴んだ。
「事態危険度の認識をAからSへ移行、腕部、安全装置解除セイフティ・リリース
 マシンガンの銃弾が横壁に跳ね、火花を散らした。首をすくめる事すらせずに片膝を装甲車の天井に付くと、アリカは独言を重ねる。右掌が左右に割れ、中から漆黒の筒先が覗いた。
『何をする気か知らんが、歩兵が持てる豆鉄砲でこの私を傷つけられるとでも思っているのか? ナメられたものだな!!』
 イディが嘲笑うように言い、尚もマシンガンを乱射する。装甲車のタイヤがバーストし、『くそっ!』と舌打ち交じりの声がインカムから聞こえた。装甲車が右のビル壁に車体を擦り、火花を散らす。激しい蛇行を交えながら徐々に車のスピードが落ちていく。
 アリカは冷静にアーマノイドを見つめ続けた。
「コード【Blaze-Driver】、リミッターオフ。パワーレベル六十パーセント、精密射撃用意。副次限定火器管制サポート、照準……」
 蛇行運転、度重なる障害物との激突、壁との接触、諸々の衝撃が車体を激しく揺さぶる。しかしアリカが意識するのはただひとつ、目前にある脅威だけ。
 彼女の視界の中で、緑色の円が描かれる。円はゆっくりと視界に揺れるアーマノイドをなぞるようにじわじわと行き来を繰り返す。それも数秒、やがて円は鉄の巨人の中心にぴたりと止まり、赤く輝いた。
「……嗚呼」
 思わず、息が漏れた。
 ――このいろは、血のいろだ。
 彼女はいつもそう思う。
 視界の中に掲げた右腕から、赤色の円環がパイプのように連なって、アーマノイドの中心に向けて真っ直ぐに伸びた。彼女にしか見えない赤い銃身バレル。アリカは息を止め、照準終了を確認した。
「ロックオン完了。推定命中率九十二パーセント。持続時間三秒を加味。……九十九.八二パーセント。シークエンス・コンプリート、イーヴィルアーム、フルドライブ」
『遊びは終わりだ、今、潰してやるぞォォォォォ!!』 
『アリカ、撃って!!』
 イディとシキの声が重なった瞬間、アリカは眦を決し、それ、、の名前を叫んだ。
"銃剣"ベイオネット!!」
 スパークを上げるプラズマが、アリカの右腕から鋭い光の筋となって飛び出した。空気を熱により爆ぜさせ、形容しがたい音を立てる。『銃剣』はそのまま、筒先を装甲車へ再三向けなおしたイディのアーマノイドの中心に突き刺さり、抵抗すらなくその装甲を貫いて、後ろへ付き抜けた。
 スピーカーから電子レンジに放り込まれたネズミのような声が一瞬響いて、イディのアーマノイドはぐらりと傾き、装甲板を傍らの壁に擦りながら倒れこんで、動かなくなる。残骸の姿が、どんどん遠くなっていった。視界の端から追い出すように、俯く。
 反動でアラートを上げ、強制放熱を開始する右腕を左手で押さえ込み、アリカは膝をついていた装甲車の天井にへたり込んだ。
 それを察したように、徐々に装甲車のスピードが落ちる。尚も十数メートルほど走った後で、車はほとんど揺り戻しを感じさせずに止まった。 
 それとほとんど同時に、運転席のドアが開く。しかし、その開き方は道幅のせいで中途半端だった。横壁にぶち当たってドアが跳ね戻り、飛び出してこようとしたらしいシキが、顔面からサイドガラスに突っ込んだ。ううう、と声が上がる。
 駆け寄ってあげたいと思うのに、ベイオネットを放ったあとのこの身体はいつも震えて、立ち上がる事さえできない。アリカは、何故こうなるのかさえ思い出せなかった。彼女はシキと出会う前のことを、何も覚えていない。腕が、性質の悪い熱病のように疼いて、それに誘われるままに身体全体が熱くなる。この瞬間が、ひどく嫌いだった。
「『ああ、いててて……くそ、今日は厄日だ、きっと厄日だ、まったくもう』」
 ぼやきながらシキは慎重にドアと車体の隙間に身を滑らせ、狭い幅を器用に通り抜けると、軽い身のこなしで車上へと登った。インカムがあるおかげで彼の声が二重に聞こえる。シキはアリカの姿を認めるなり、小走りに駆け寄ってきた。
「『お疲れ様、アリカ』」
 シキはアリカの前に屈みこむと、そっとアリカの耳からインカムを外し、自分の耳にあったものとまとめて闇の中に放り投げた。路地裏のすえた匂いのする空気の中で、硬いプラスチック音がした。
「ん……わたし、うまくできた?」
「十分すぎるくらいにね」
 シキは微笑を浮かべたまま、そっとアリカの右腕に手を伸ばした。放熱の真っ最中のイーヴィル・アームに指が触れ、じり、と肉の焼ける音がする。ハッとしたようにアリカは顔を上げ、首を振る。
「だめ、シキ、まだ熱い」
「君が熱い思いをしてるなら、それ、折半で。……助けに来てくれて嬉しかったよ」
 指先が触れ、手が触れ、腕が掠り、シキの左手に火傷の面積が増えていく。痛みにほんの少しだけ目元を歪めながら、シキはアリカを抱き寄せた。
「それに、抱きしめるって約束だったよね。だから、いいんだ。僕もこうしたいから」
 アリカは言葉を聞いて、上げかけた左腕を下ろす。チタン製の爪が付いた腕で、彼の好意を振り払うことは出来なかった。さほど背の高くない彼の胸に、額を当てる。彼女が求めてやまない瞬間が、そこにあった。
「……ありがとう、ごめんね」
「ごめんは要らない。ありがとうだけ、大切に受け取っとくよ」
 右腕の熱を、彼が吸い取ってくれているように、アリカの身体が自由を取り戻していく。
 見上げればシキの笑顔があるだろう。この幸せの締めくくりに、彼に最高の表情で笑い返そうと、アリカは決めた。
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