-Ex-

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  地下室で  

 明かり射す地下室の中に入ると、そこはアンダーグラウンドな雰囲気が漂う退廃的な空間だった。七メートル四方ほどの部屋で、テーブルの上にはいつ食べたとも知れないピザの空き箱が散乱しており、その横に実包の詰まったマガジンと共にオートマチックの拳銃がごろごろと置かれている。それを囲むように二つのソファー。打ちっ放しのコンクリート壁には無理やりにピンが叩きこんであり、そこには入手が難しいはずのライフルやカービン銃などが所狭しと掛けられていた。真新しい薄型のテレビが、セットになったデッキと共に部屋の角に鎮座しており、天井では裸電球が揺れている。空調が常に耳障りな音を立てるのを聞いて、ザイルは肩を竦めた。
「随分としゃれた住処だな」
「お褒めに預かり光栄です。コーヒーでよろしいですか?」
「頼む」
 リューグが肩を竦め、部屋の奥へ消えていく。繋がったあの先にはキッチンがあるのだろう。ソファーにちょこんと腰掛けたピンク色の髪の女の蓮向かいに、ザイルは警戒心を解かないまま座り込んだ。
 機械腕をぶらぶらさせながら、女――アリカは小さなあくびをする。
「随分とのんきなもんだな。俺に対する謝罪の言葉くらいはあってもいい気がするぜ」
「だって覚えていないもの。身に覚えのないことで謝るほど、バカらしいことはないわ」
 こちらの抗議などどこ吹く風、といった調子でアリカはその腕――イーヴィル・アームとかいったか――の調子を確かめるように、握ったり開いたりを繰り返している。指はそれこそ生きているかのよう滑らかに動き、アクチュエータの作動音がしない。恐らく人口筋肉を内蔵して、化学的エネルギーで動かしているのだろう。或いはそれ以外の、想像のつかないような技術か。いずれにせよ、民間に供されているようなものではありえないとザイルは断じていた。
「生憎だがこっちは殺されかけてるんだ、それで納得できると思うか」
「納得してもらうしかないと思うわ。それとも本当に死んでみる?」
「遠慮しておく」
 武器が豆鉄砲だけの今、この女に喧嘩を売っても仕方がない。殺人鬼は人殺しのやり方は知っているが、機械の壊し方は専門外だ。あの女は半分機械でできている。この条件を無視するには、壊し方を知らなくても壊せる火力が必要になる。
 第一、彼女を殺して得られるものがない以上、進んで挑む価値もない。見返りがあるから殺人をするのだ。持っている金品しかり、武器しかり。
 ザイルが口を噤めば、アリカは黒い目をじいっとザイルに注いだ後で、興味なさげに逸らし、指の先に付いた爪のような刃を研ぐようにしゃりしゃりと擦り合わせ始めた。
 耳障りな金属音に耐えること数十秒、やっとコーヒーとシュガーポット、それにクリームポットを乗せたトレイを持ったリューグが戻ってくる。テーブルにトレイを置き、彼は如才ない笑みを浮かべた。
「お待たせしました」
 差し出されるコーヒーカップ。ザイルはそれとは逆の方を要求するように手を突き出した。
「疑われたものです」
 リューグはわずかばかり苦笑めいた表情を浮かべ、要望どおりにカップを差し出した。ついでに潔白を証明するように、ザイルに差し出すはずだったコーヒーをブラックのまま啜る。
「毒を心配しているのなら取り越し苦労ですよ。殺したいだけなら、在処をけし掛ければ事足りますので」
「……ふん」
 鼻を鳴らすと、ザイルはようやくカップを受け取り、シュガーポットに手を伸ばした。中から形の崩れた角砂糖を四つほど取り出し、無造作に放り込んで、その上からかさが増すほどにクリームを注ぐ。ティースプーンでぐるぐるとカップをかき混ぜると、リューグがやや意外そうな顔でザイルを伺っていた。
「てっきり、苦いものの方が好みかと思っていましたが」
「悪かったな、甘い物好きで」
 鼻を鳴らして返事をしてやると、悪いというわけでは、という風にリューグは首を振った。
「個人の嗜好にとやかく言う気はありません。ただ、少し意外だっただけです」
 平素の微笑みを浮かべると、リューグは首をアリカの方に向けた。
「在処? 一応、あなたの分も淹れましたが」
「いらない。リューグが淹れたのは苦いから。シキが淹れて、飲ませてくれないとおいしくない」
 ピンク色の髪をさらさら揺らして首を振る。随分な言い草だ、と思いながらザイルはカップを口元に運んでひと啜りし、「む"」という奇怪な声を上げた。
「どうなさいました?」
 肩を竦めていたリューグが平然とコーヒーを啜るのを見て、ザイルは呪うような声を上げる。
「……おまえはこの泥水をコーヒーだって言い張る気か。なんだこりゃ」
「はて、淹れ方を間違えましたか? いい出来だと自分では思うのですが」
「インスタントだろう、これ」
 コーヒーの良し悪しが分かるほど舌が肥えているわけでもないが、それでも判るほどに苦い。角が立った酸味に無意味に濃い苦味はあれだけ砂糖とクリームを入れても中和できている気がしない。色だけなら普通なのに、とザイルは胸中で怨嗟を吐く。
「確かにインスタントですが。そこまで言われると傷つきますね」
「おまえが傷つくってタマかよ。粉、どのくらい入れた」
「大匙に三杯ほど」
「バカ野郎。死ね、本当死ね、今すぐ死ね」
 ザイルは付き合いきれないとばかりコーヒーカップをテーブルの上に置いて、そのまま手を引っ込めた。こればかりはアリカと同意見だった。確かにこのコーヒーは美味くない。というか、ひどい。
「……参りましたね。そろそろコーヒーの入れ方について教えを請うたほうが良さそうです。いつもべらぼうに評判が悪い」
「これをあっさり飲みやがるのはおまえくらいだよ」
 ザイルは心の底からの溜息をつくと、ぴくり、と眉を潜めた。リューグの表情が僅かに動く。アリカの視線が、不意に上を向いた。三人同時に僅かに動きを止める。
 ザイルは少しだけ耳を澄ました。遠くから鳴り響く地響きのような音。気のせいではなかったようだ。リューグも、アリカも、それに反応して動きを止めたのだろう。やがて音は耳を澄まさずとも聞こえるようになり、明らかな地面の揺れを伴って近づいてきた。ずしん、ずしん、という重い、何か大きなものが歩行している音。それに合わせて、鬨の声のようなものが聞こえてくる。
「この界隈じゃ、恐竜を飼ってるバカがいるのか」
「そうだとしたら世も末ですね」
 ジョークはあっさりと切り返される。足音がピークを迎えたとき、打ちっ放しのコンクリート天井からぱらぱらと埃が降った。
「……わたし、眠いのに」
 アリカが不満げに半眼になり、唇を尖らせる。外のざわめきは、さらに大きくなりつつあった。罵声と気の早い銃声と、重機じみた機械の駆動音が聞こえる。その中のいくつかは、明らかにリューグとアリカの名を叫んでいた。
「おい、来客みたいだぞ」
「そのようですね」
 リューグは落ち着き払ってブラックのコーヒーを飲み下した。日常茶飯事だと言わんばかりに肩を竦めると、カップをソーサーに置く。
「心当たりは?」
「多すぎて困ります」
 あっけらかんと答えると、リューグはようやく立ち上がり、軽く歩くと部屋の隅に立てかけてある、七十センチメートルほどの刃渡りを持つ倭刀を手に取った。ソファーには今だ自分の行動を起こしかねているザイルと、騒ぎなどどこ吹く風といわんばかりに髪を整えようとしているアリカ。必死に櫛を持とうとするのだが、繊細な動きは苦手らしい。五秒と持たず櫛をへし折っていた。泣きそうな顔でリューグを見る。
「在処、櫛なら後で買ってきて差し上げますし、髪を梳いてもあげましょう。まずは上の騒ぎをどうにかするのが先決です」
「買ってくれるんだ? じゃあ後でシキに梳いてもらうね」
 リューグの言葉にアリカはパッと顔を明るくすると、跳ねるようにソファーから立った。複雑そうな顔をするリューグにザイルは思わず笑い声を漏らす。
「振られたな」
「いつものことです」
 ザイルは返事を聞きながら、思い出したようにぬるくなったコーヒーを啜る。二口目も最悪な味だった。溜息をついてカップを置く。
「で、俺はどうすればいいんだ。利益のないドンパチなんざ御免だぜ」
「生憎と、出口は一つしかございません」
 リューグは笑顔で告げると、壁から大口径のカスタム・ハンドガンを外し、続けざまに二挺放り投げた。ザイルはキャッチした瞬間に把握する。口径.五〇、分厚い金属で組まれた堅牢な骨組みフレームと、そのフレームにがっちりと固定された銃身バレル。スライドに刻まれた荒い滑り止めセレーションの横には、大雑把すぎる大きな安全装置。グリップ下からトリガー・ガード前にかけてはスパイクが付いた分厚いナックル・ガードが配されており、グリップとバレルとその金属板で銃全体が三角形に見える。明らかに近距離での格闘戦を想定していた。シングルアクションオンリーの無骨すぎる銃。ご丁寧に、片方のフレームは左手用に、部品の配置が全て逆になっている。
「それで戦闘のお手伝いをしていただきます。デザートイーグルのカスタムメイド品です。古品ですが整備は確かなはずですよ。無事切り抜けられたら、そのまま差し上げます」
「俺がこいつを持ち逃げしたら?」
「不本意ですが、斬る人間が一人増えるだけです」
 リューグの目がすうっと細まる。ザイルは「冗談だよ」と肩を竦めて、動作を軽く改めた。油は薄く引いてあるし、薬室にカーボンがこびりついた痕もなく、よく手入れされていた。しかしそれでも、ナックルガードのせいでホルスターにまともに納まらないためにザイルは不平を零す。
「趣味の悪い銃だな。他のはないのか」
「近々売り払う予定だった銃が、それしかないもので」
「おまえもそこの時期外れな春みたいな女も、銃なんて使わないのにか」
「時期外れな春って、わたし?」
「話の腰を折るな」
 割り込んでくるアリカにザイルが半眼を向けると、リューグが刀を抜いてくすりと笑った。
「言いえて妙な形容です。――三人目が随分と銃に執心しているのですよ」
「シキとかいう奴か? ろくでもない野郎なんだろうな」
「僕らと同じ程度には」
 言葉と共に手渡されるマガジンを、ザイルは銃に叩きこんでスライドを引いた。
 戦いの前兆を告げる音が、地下室に響き渡る。
「やれやれ、貧乏籤の引き通しだ。あの時戻るんじゃなかったよ」
「そうですか? 僕はそうは思いませんけどね」
 くすりと漏らす殺人狂は、心なしかいつもより深い笑みを浮かべていた。
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