-Ex-

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  “殺人姫”  

 互いが互いをいつでも殺せる位置に己の武器を押し当てたときの膠着。
 首元に赤茶けた鉈の刃が押し当てられている。自分の拳銃の先には殺人狂の頭がある。トリガーを僅かに引いて一発で頭を吹き飛ばせるが、押し当てた銃口を僅かでも動かせば、即座に自分の首と胴が別れるであろう事は、容易に予測できた。
 五秒。十秒。互いが武器を引こうとしない。十七秒目でザイルが、静寂を破って口を開いた。
「やるじゃないか、殺人狂」
 間近で微笑んでいた顔の眉が僅かに上がり、微笑が深くなる。鉈は微動だにせぬまま、目の前の少年はくす、と笑い声を漏らした。
「お互い様です、殺人鬼。……実に興のある戦いでした。続けるなら、最後まで承りますが」
「生憎と自殺願望はない。だから人殺しまでして生きてるんだ。違うか?」
 呟くとザイルは銃口を殺人狂から外すと、スライドを引いて薬室から弾丸を弾き飛ばした。スライド・ストップを押し上げ、スライドを固定した状態で弾倉を抜く。地面に、かつーん、と金属音を立てて、銃弾が入ったままのマガジンが転がった。
「道理ですね」
 鉈が首元から引かれる。一度手先でくるりと回すと、少年は腰のシースに鉈を納めた。そのまま身を引くと、少し先の壁に突き刺さったもう一本の鉈を取りに、彼はゆっくりと歩みを勧め、やがてその鉈を引き抜き、同じようにしまう。
 互いの間から殺気は霧消していた。一度殺しあえば、お互いの実力は容易に判る。ザイルが口にした通りだった。殺すのに慣れているのは、他者を排除してでも生きたいと願い続けてきたからに他ならない。
 ザイルは同類ゆえのシンパシーを覚えながら、ぶらぶらと自分の銃を揺らした。
「随分と手馴れてるみたいだな、おまえ」
「生業にして長いですからね。そこの彼は、知り合いでしたか?」
「さっきまではな。でも、もう、ただの金属と肉の塊だろ」
「道理です」
 殺人狂はひょいと肩を竦めると、ザイルに向き直った。口元には虫も殺さないような微笑を浮かべている。
 同類に出会うのは初めてだった。根からの殺人鬼や殺人狂など、そうそういるものではない。同類と認めるからこそザイルは銃を引いたし、相手も鉈を納めたのだろう。鏡のようだった。奇妙な親近感を覚える。
 そんなことを考えながらザイルは拳銃の状態を検分した。片方は強引に引き抜かれたためにスライドがなく、テイクダウン・レバーの部分が破損して、スライドを固定できなくなっていた。フレームのゆがみも絶望的。もはや直すより新しいものを手に入れたほうが早い状態である。投げ捨てる。もう片方も、鉈と打ち合ったせいでスライドとフレームのクリアランスが絶望的なことになっていた。妙にガタガタと緩かったかと思えば、少しスライドを引いた瞬間にギシリと軋んで止まる。一発撃つだけならともかく、連射するには心もとない。これも使い物になるまい。落としたマガジンの横に投げ捨てた。
「馬鹿力め。お陰様で二挺使い物にならなくなったぞ、どうしてくれる」
「弁償……という訳にはいきませんが、僕の家に来れば代わりの銃が転がっています。いかがです?」
「一人でやりながら暮らしてるのか?」
 軽く問いかける。ザイルは神経加速の手術をする前まで、他の誰にも与することなく、単独で仕事をこなしてきた。仲間というものはいざという時の足かせになるだけだと思っていたからだ。だから、目の前の殺人狂が軽く頷くものだと思っていた。自分と同じレベルの仕事屋が、ソロでいないわけがないと思ったのだ。
 しかし、殺人狂は首を横に振った。
「いいえ、三人で組んでやっています。来てみれば、あなたにはすぐに理由がわかりますよ」
 ザイルは少なからず驚き、やや目を見開いた。この殺人狂が認めるような仲間とは、一体どんな連中なのだろうか。興味を惹かれる。
「それなら、付き合ってやってもいい」
 ザイルは軽く殺人狂へと歩み寄る。口元に笑いを浮かべ、腰の拳銃を一度叩いた。罠などないと、なぜか素直に思える。ザイルは自分の本能に従って生きてきた。そしてこれまで、ずっと勝ち残ってきたのだ。彼が本能を信じるには、それは十分な時間だった。
「俺はザイル。ザイル=コルブラントだ。おまえの名前はなんて言うんだ、殺人狂?」
 少年は僅かに驚いたような顔をすると、血の飛んだ頬を今更のように拭いながら、優雅に一礼をしてみせた。
「僕はリューグ……リューグ=ムーンフリークと申します。よろしくお願いします、殺人鬼……コルブラント」
「そっちで呼ばれるのは好きじゃない。ファーストネームで頼む」
「ではザイル、と」
 そつのない笑顔を見せると、リューグと名乗った少年は、ザイルを先導するように歩き出した。

 暗い路地裏の道を歩いていく途中で、ザイルはおもむろに口を開く。
「それで、おまえ、どこであんなのを習ったんだ?」
「あんなの、とは?」
「惚けるんじゃねえよ。俺の弾をその錆び錆びの鉈で弾きやがっただろ。人間業じゃないぞ、あんなの」
「そう言われましても」
 頬を掻きながら、リューグは僅かに空を見上げる。
「僕は銃を扱うのが非常に下手でしてね。組んだ仲間からも呆れられるほどなんです。撃てば当たらない整備をすれば壊す調整すれば詰まらせる、そんな具合で。ですから、もっと直接敵を攻撃できるような武器の方が、扱いやすかったんですよ」
 視線を軽く下、両腰についた鉈に向けながら呟く。
「銃を上手く撃とうと躍起になる過程で銃を使う人間を観察するうちに、銃を向ける動き、抜いてから発砲するまでの速度、銃身の角度、銃弾の種類による初速の差異……その類の情報ばかりが蓄積されていきました。それを整理して、白兵戦に応用しただけです。仲間の一人は、これを対弾体術バレット・シールドなどと大げさに呼びますが」
「簡単に言いやがる。口にするのは単純だ、けどやるには撃つ側の十倍の技量が要るぜ……いや、十倍でも、まだ足りないかもな」
 その事実に呆れたようにザイルはぼやいた。銃を抜き、標的に向け、トリガーを引く。銃使いは基本的にそれしかやる事がない。それゆえにその攻撃はシンプルかつ必殺。一般的な拳銃弾でさえ、一発頭に当たれば、良くて戦闘不能、悪くて即死だ。それをこの男は、恐れず、ただ冷静に、何故銃弾が当たるのかを徹底的な客観視によって分析し、そこから得られた解を自らの体術に転用しているという。
 クレイジーとしか言いようがない。
 ザイルも、相手の手元を見て射撃タイミングを予測する程度のことは戦闘中に考えるが、銃身の向き、そこから生み出される銃弾の軌跡、着弾までのゼロコンマゼロゼロ何秒かなど、思考を向けるべくもない。その、目を向けずに捨ててしまうような細かい情報を瞬時に検分し、一瞬後の回避行動に役立てる。ノイマン式コンピュータが裸足で逃げ出す計算速度だ。
 リューグというこの少年は、ザイルが初めて出会った同類にして、どうしようもないほどの天才だった。
「その頭の中身を見てみたいもんだ。俺には絶対に、真似できない」
「銃使いの方は皆驚いた顔をされますね。驚きの声を聞いた事はありませんが」
 それはつまり声すら出させず斬殺しているということだろうか。まったくもって器の底が見えない。ザイルの中でこの少年に対する畏怖と、それとは反対の好奇心が疼く。恐らくは、そのどちらが過ぎようとも、この微妙なバランスは崩れる。また鉈と銃が交錯するまで、それこそ数秒も掛かるまい。
 その刃の上に立つような不安定さが、逆に心地好かった。
「そりゃあ、驚くさ。銃弾より速く動いてるわけないのに、撃った弾が当たらないんだから」
「銃弾より速く動く事なんて、考えたことはありませんよ。銃声より早く動くことなら、いつも考えますが――……ああ、見えてきました。あそこですよ」
 打ち棄てられたビルが立ち並ぶ通りの外れにある、倒壊しそうな廃墟。それが、彼らの牙城であるらしかった。

 一階はただの廃墟だが、奥に下る階段がある。山と積もった瓦礫の間に、掻き分けるようにして作られた道。リューグが迷いなくそこを通るのを見て、ザイルは左右を警戒しながらゆっくりと後に続いた。こつこつと階段を下っていくと、奥から明かりが漏れているのが見える。数メートル離れたリューグが笑顔でこちらを見上げて手招きする。そのまま、突き当りから差す明かりの中へ消えていく背中。
 ザイルは追うようにして突き当りを曲がり、
 鋼鉄の腕を見た。
「――!!」
 とっさに飛びのく。鋼の爪で武装された腕が、ガリガリと壁をまるで鉛筆を削るように気軽に裂き、一瞬前までザイルがいた空間を薙いだ。続けて第二撃。反対側の銀の腕が、槍のように突き出される。
 ザイルは鋭い一撃を顎をそらすようにして回避、そのまま後ろに飛んで手を突き、バック転ついでに顎めがけて蹴りを繰り出す。手ごたえはなく、脚が空を切る感触だけが残った。着地して更にバックステップ、十分な距離をとる。薄闇の中に相手が見えた。
 天然色に反旗を翻すようなピンク色の髪、漆黒のボディスーツ。ふらふらとさまよう落ち着きのない視線。女にしては背が高いが、それに見合った肉が付いていない、痩せぎすだった。異質なのはその両腕。銀色にきらめく装甲に覆われ、流線型のデザインをした、不自然な機械腕。軍用装甲機人タクティカル・アーマノイドでもなければ、あんな腕を付けはしない。華奢な肉体と不揃いな両腕、定まらない視点、何もかもちぐはぐな女だった。
在処アリカ
 リューグのいさめるような声が響く。それと同時にふっと、目の前の女の目の焦点が急激に絞られ、ザイルに合った。彼女は目を瞬き、心底不思議そうに口を開く。
「あなた、誰?」
「俺の台詞だ。取るな」
 ザイルはぐったりとした調子ですでに抜き放っていた銃の銃口を上げる。皮肉っぽい声を作り、奥で表情を変えずに笑っている殺人狂に問いを投げかけた。
「おまえの所では、お茶の前にスパーリングをやる慣わしになってるのか」
「不手際でしたね。でもあなたならこの程度は受け流すものと思っていましたし、事実、そうなりました。本格的に戦う前にこうして止めただけで十分でしょう」
 全く悪びれた様子のないリューグに、ザイルは肩を竦めて拳銃を下ろした。あの機械腕持ち相手にはおよそ役に立たなそうな豆鉄砲、.二十二口径スターム・ルガー。骨董品だ。
「俺がその爪でミンチになってたらどうしたつもりだ?」
「煮溶かして下水にでも流しましょうか」
「ジョークなら、もっと気の効いたやつを頼む」
 うんざりして拳銃を収めると、ザイルは人差し指を立てて桃色の髪の女を指差した。指を突きつけられた女、わたし? とばかり首をかしげる。ザイルはかまわず口を開いた。
「この危険物は何か、とりあえずの説明が欲しいね」
「危険物? わたしが?」
「お前だよ」と疲れ果てた口調でザイル。ピンクの髪をさらさら揺らし、アリカと呼ばれた女は特に動揺した様子もなく、ザイルとリューグを見比べる。
「わたし、何かした?」
「在処。イーヴィル・アームの自動殺害態勢ターミネートモードを起動しながら休んだでしょう。寝る前にはシキか僕に頼めといつも言っているはずですが」
 物騒な単語が聞こえてくる。ザイルはぐったりした調子で女を見た。彼女は悪びれずに答える。
「だってあなたもシキも、出かけてたから。眠くなったとき目を閉じるなと強制する権利は誰にもないわ」
 頭痛は加速するばかりである。眉間に人差し指を当ててため息をつくと、ザイルは指をそのまま、明かり差す戸口へ向けた。
「納得は一つもしてないが、このままだと我慢の限界のほうが早そうだ。……飲み物を出してくれ。それと俺の新しい銃を」
 アリカが眉を跳ね上げるのをよそに、リューグが心なしか深く笑った。そのまま道化じみた所作で背に右手をつけ、左手で恭しく部屋を示す。
「申し訳ありません。では、今度こそこちらへ」
「リューグ? いいの?」
 訝しげに首をかしげるピンクの髪の女へ、リューグは笑顔のまま動かないポーカー・フェイスを向けると、ゆっくりと頷いた。
「構いません。在処、彼は客人です。失礼のないようにお願いしますよ」
 リューグの言葉にしばらく考え込むようにしていたが、やがて納得したように頷くと、アリカはくるりときびすを返し、ザイルへと一瞥をくれると、軽く部屋の明かりへと顎をしゃくって歩き出した。横柄な態度だったが、作為的なものは感じられない。それが素なのだろう。
 ザイルは嘆息すると、その後ろに続いて打ちっ放しのコンクリート床を歩き、部屋へと足を向けた。
 ――自分は割と普通ではない種類の人間だと思っていたが、この短時間で認識を改めさせられた。
 常識知らずだと自覚している人間は、実のところ常識知らずなどではないのだ。それを思い知らされた気分で、ザイルは重い足を引きずるのであった。
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