-Ex-
“殺人狂”
「終わったぞィ」
奇妙な訛りを含んだ言葉が上から降ってくる。
声を聞き、ザイルは目を開いた。手に握った拳銃の感触は、夢の中と同じだった。手術台から降りて、軽く肩を動かし、体の各部に意識を飛ばす。これといって異常のある部位はない。全力で体を動かせばどこか不具合も見えるのかもしれないが、そうするにはこの闇医者の診療所は手狭すぎた。
「首尾は」
短く問う。返事の代わりにまずタオルが投げ渡された。受け止めて、身体を拭う。生理食塩水のべたついた感触が体中に残っている。
体を覆う布がどこにもない。当たり前のことだが。体にはとりあえず違和感はないし、手術に際する傷口も、一つとして残ってはいなかった。腕だけは本物のようだ――と思いながら、手術台の横に立った二人の男に目をやる。
視線に気付くと、片眼鏡の老医師はキシシシ、と火にあぶられた甲殻虫のような声で笑い、手に持った注射器をかたん、と傍らに置いた。爆発に巻き込まれたような白髪頭と、必要以上にもさもさと生育した顎鬚。マッド・サイエンティストという語を人間の形にしたら、きっとこうなるだろう。
「前金の払いはいい、しかも監視つきときた。妙なことをするメリットがないのう」
眇められた目線がゆっくりと横にそれる。追うと、この為だけに雇った無言の巨漢がむっつりと押し黙ったまま立っていた。腕利きだと情報屋に紹介された男だ。確かに振る舞いに隙はない。どこかのSP崩れだろうと、ザイルは勝手に当たりをつけていた。
手に持ったサブマシンガンが、部屋の薄明かりに黒光りする。
「そいつはよかった。疑えるものは全部疑う主義でね、悪いな」
「なに、この街じゃア当たり前のことさな。しかし若いのに慣れたもんだ」
「こうでもしなくちゃ生きていけなかっただけさ。そう知ってる奴は、みんな慣れる。慣れられない奴は死んでいく。……そして俺は生きてる。それだけのことだ」
タオルを手術台の上に投げ、かごの中に無造作に突っ込まれた衣服を一つ一つ身に着けていく。上も、下も、インナーさえも黒。黒は機能的な色だと思う。何より、血のしみが目立たない。
すべての服を身体にまとうと、最後に防弾繊維を縫いこんだコートを着込む。いつもよりずっと軽い気がする。
「強化筋肉繊維の挿入、骨組織置換、伝達速度強化。注文どおり全て済ませておいた。しかし開き甲斐のある体じゃの、見事なもんだわい。十六の子供とは思えん。よほどガンマウントを埋め込んでやろうかと思っとったとこじゃ」
「おい、この爺さん余計なことやらかさなかったか?」
傍の巨漢に尋ねる。むっつりと押し黙ったまま、首を横に振る返事。
とりあえずそれを見て安心しながら、自分の拳銃が無事かどうかを確かめる。家を飛び出したときから持っている二挺の小口径の拳銃と、もう骨董品と呼ばれて久しい九ミリメートルの拳銃が二挺。全ての動作を軽く改めて、小口径の二挺を腰に、九ミリをコートの上のショルダーホルスターに吊った。
「心配せんでも、そんなボロに出来る細工なんぞ無いわ。わしがいじるのは人間の身体だけだからの」
「ボロ呼ばわりかよ。それなりに気に入ってんだぜ、これは。長く使われるってことは、つまりいいものだって事だ」
ホルスターの上から拳銃を叩いてみせると、闇医者はまた耳障りな声で笑いを上げた。
「近頃は妙な客が多いのぉ。いまどき滅多に見ないような得物を持った子供ばかり来おる。これも時代かの」
顎鬚をなでながら、感慨深げに老医師はつぶやいた。
ザイルは眉を跳ね上げる。
「俺の他に似たような年頃の奴が?」
「おお、それも、みょうちきりんな得物を抱えてな。あれも相当、慣れたガキだったわい。もしかするとお前さんよりも」
回顧するように呟くと、医師はキャスター付きの椅子を引っ張ってゆっくりと腰を下ろした。僅かに興味を刺激され、ザイルは医師に質問を重ねる。
「俺よりも、ね。どんな奴だった?」
「薄気味悪いガキよ。ニコニコ笑ってるくせに、その実はどこでも笑っとりゃせんのだ。嗤ってはいるのかも知れんがの。薄汚く錆びた鉈を二振り抱えて持ってきた。背格好はお前さんと同じくらい。施術内容もほぼ同じ。わしもしばらくこの稼業で食っとるが、あの手のガキは珍しい。目に何も映ってないタイプじゃよ。他人の命など、路傍の石に過ぎんという考えのな」
言いながら、医者はパックから取り出した煙草に火をつけた。美味そうに煙を吸い、吐き出す。
漂ってきた紫煙に目を細めながら、ザイルはポケットに手をつっこみ、クレッド・スティックを取り出す。
「面白そうだな、そいつ。少し会ってみたくなったよ」
「やめておけ、益体もない。どちらが勝っても死体が増えるだけじゃ」
「死ぬのは俺じゃなく、そいつのほうさ」
自信たっぷりに言い切って、医師に向けてスティックを差し出す。医師もまた、面倒くさそうに自分のスティックを取り出し、ザイルに向けて差し向けた。
クレッド・スティックというのは電子貨幣をキープするための小型端末で、ボールペンを二本束ねたほどの大きさをしている。手に持った人物の指紋と生体情報を読み取り、個人口座からの電子的な金銭のやり取りを可能とする装置だ。ザイルは慣れた手つきでスティックを操作し、老医師の端末に向けて所定の代金を振り込んだ。
「確かに」
医師が唇を吊り上げて笑う。皮肉っぽくザイルも笑いを返す。
続いて、巨漢にクレッドスティックをちらつかせると、彼もまたものも言わずに端末を抜き出した。監視料を支払い、端末をポケットに戻す。
「やれやれ、これでほとんど口座が空っぽだ。また仕事に精を出さないとならないらしいな」
「調子が悪くなったら戻って来いよ、若いの。払いがいい連中は嫌いではない、アフターサービスくらいはつけてやろう」
「そいつはどうも。……世話になったな」
巨漢と医師に軽い礼をすると、歩き出した巨漢に並び立って、ザイルは診療所を出た。
診療所の外は入り組んでいて、スラム育ちのものでも迷わずに目的の場所へ行くのは難しいほどだった。それでも巨漢は慣れたもので、入り組んだ路地をまるで自分の庭のように歩きぬけていく。彼は監視人としてでなく、案内人としても優秀であるらしい。
「ここを……真っ直ぐ……大通りに着く」
途切れて掠れる声は電子的だった。声帯を代替物に変えているのか、固いマシンボイスがざらざらと響く。男が指を指した方向には確かに街の光が見える。時折銃声が響くほかは死んだように静かなスラムとは違い、市街地はすっかり夜の帳が落ちていても消えることのない嬌声とネオンサインに包まれている。
「わかった。道案内、助かった」
軽くザイルが手を挙げると、巨漢もまた応えるようにロボットじみた仕草で手を挙げる。その巨体が背を向けるのを確認してから、ザイルもまた街へと続く道幅の狭い路地を歩き始めた。
街の光が少しずつ近づいてくる。
さて何をして稼ぐかと口元に手を当てて思案した瞬間、――後ろで銃声が巻き起こった。
咄嗟に判断する。銃種、サブマシンガン。連続した発射サイクルを確認したところ、推定毎分六〇〇から七〇〇発程度の連射性能を持っている。しかも甲高い、独特の銃声は短銃身の中口径弾のものだ。こちらに向けられた銃声ではない。
思い出すのは、あの巨漢が持っていたマシンガン。
銃声はすぐに途切れ、静かになった。諍いを起こしたどちらか片一方が死んだということだろう。
金は払った。もうあの巨漢に義理はない。しかし、それでも、ザイルはゆっくりと踵を返し、二挺の拳銃を抜き放った。巨漢が殺されていたとして、別にその仇を謳うつもりはない。このスラムにおいて銃を持っているというのは、俺はお前を殺せるぞ、と訴える代わりに、殺されても仕方がないぞ、と認めているということでもある。
では、なぜ気になったのか。
聞こえた銃声が、マシンガンのものだけだったからだ。
あの大男が反撃を許さないまま敵を殲滅したというのなら、それはそれで構わない。チンピラ風情が相手なら十分にありえる話だ。もしそうだったなら、手を振って別れればいいだけ。
だが、そうでない場合、事情が変わってくる。銃声が一種類だったということは、撃ったのはあの巨漢だけだったということになる。マシンガンを撃つあの男を、銃以外の武器で殺したものがいるとするなら――
「……ガラにないな。力を手に入れて有頂天とは」
試し撃ちに丁度いいと、そう思っただけのことだった。皮肉るような笑みを浮かべると、ザイルはゆっくりと進み、曲がり角を曲がった。
視線をゆっくりと巡らせた先に、巨漢が倒れていた。ぱっくりと割れた喉のせいで首が異常な角度を向き、今なお弱弱しく血を噴出しながら死んでいた。失血死か、それともショック死が先だったか、判断するすべはない。
血に倒れふす一人分の肉塊、その奥で、一人、振り返る。
裏路地に似つかわしくない端整な顔立ちと、不気味なほど白い肌に飛び散った赤い飛沫。手には、今まさに収納しようとしていた様子の、血で錆びたごつい鉈がある。なるほど、あれなら薪だろうが人の頭だろうが喉だろうが、簡単に割れるに違いない。
年ごろはザイルと同じほどだった。見れば見るほどに医師が教えてくれた外見情報と一致する。
だが、それ以前に――目から入ってくる、その少年の外見よりもずっと先に、ザイルはすとんと落ちるように納得していた。匂いとでも言うのだろうか。本質的な同一感。姿形は似ても似つかないのに、鏡を見ているかのような感覚だけが付きまとう。
血の匂い。顔にまで飛び散った血液が、微笑にヒビを入れている。赤い飛沫が、どうしようもなく毒々しい。
なるほど。
――こいつと俺は、同類だ。
踵を返しかけていた相手は、ゆっくりと振り返ると、シースに納めるところだった鉈をゆっくりと引きずり出し、両手にだらりと下げた。顔に浮かんだ微笑は微動だにしない。
「こんばんは」
「おう」
知己に向けるかのような軽い挨拶。これが繁華街でも全く違和感が無かっただろう。足元に死体が無ければ……そして、両者の手に武器が無ければ。
「見てしまいましたか」
「見ちまったらしいな」
丁寧な語調の少年に対して、鸚鵡返しに返すザイルの口調はぞんざいなものだ。だが少年はそれに気分を害した様子もなく、微笑んだ表情を崩さないまま、鉈をゆっくりと持ち上げた。
「そうですか。……それでは、」
「――」
少年が前傾姿勢をとる。ザイルはやや爪先に体重を乗せ、足を軽く前後に開いた。一瞬の間、また少年が口を開く。
「死んでください」
「やなこった」
飄々と答えた瞬間、ひゅん、と風が吹いた。
瞬間、ザイルは本能的にスウェーバックした。ぶおん、と音がして一瞬前まで首のあった位置を鉈が通り抜けていく。七メートルあまりの距離が、一瞬で詰まっている。目の前には笑顔。鉈を振りぬいた姿勢で、目を細めて嗤う殺人狂がいた。
神経を加速していなければ、恐らくは今の一撃で死んでいただろう。しかし、まだ生きている。即座に拳銃を向け、トリガーを引いた。
衝撃。銃弾が発射される一瞬前に、鉈の切っ先が銃口を跳ね除ける。銃弾があらぬ方向に飛んで火花を散らすよりも早く、もう片方の鉈が左下から、脇腹に食い込ませるようなコースで迫る。
左手の銃を深く握り、グリップの底面を叩き付けるようにして防いだ。甲高い金属音、衝撃でシアが外れて撃鉄が落ち、銃弾が一発、暴発する。アスファルトの地面が穿たれた瞬間、分厚い鉈の切っ先が突き出された。刃が付いていなくても、打撃だけで十分に脅威になる重量がある。
首を傾げて避けたが、頬を掠めていく鉈の切っ先。ちりりと、燃えるように熱くなる頬。切られた。だが影響があるレベルではない。突きがそのまま、頭部を横に払う薙ぎ払いになるのを感じ取ってしゃがむ。
頭上を風切り音が通り過ぎていく。しゃがみ込んだ姿勢から二発発砲するが、虚空に火花が咲いただけで相手の動きは止まらない。振り下ろされる鉈を、後ろに転がり込むように避けた。
矢継ぎ早に繰り出される連続攻撃。銃口を相手のほうに向ける一瞬の間を見つけるのが、異様なほどに難しい。至近距離から三発の九ミリ弾を撃ち込むと、相手は鉈をクロスさせてそれを受けた。鉈の面積より大きく狙いを散らす間さえ、逆にない。反動を殺さずに後転して、グリップの底で地面を叩いて跳ね起きる。
立ち上がって拳銃を構え直した瞬間、一瞬視界から外しただけで相手の姿が消え失せている。どこだ、と左右を見回した瞬間、地面に落ちる影に気がついた。上!
思考と同時に両手の銃を上げるが、トリガーを引く前に防御を強いられた。水泳の飛び込みのような姿勢で上から降ってきた殺人狂が体重を乗せて鉈を振り下ろすのを、クロスさせた銃のスライドを軋ませながら受け止める。いくらこの銃が堅牢な作りだと言っても、こんな無茶を重ねれば早晩破損するだろう。だが、今はまだ壊れずに保っている。少なくともこの戦いの間は信じるしかない。
スライドと鉈の刀身の間で火花が弾け散る。受け止めたままの態勢から出鱈目にトリガーを引くわけにはいかない。装弾不良を起こせばこちらの負けだ。
殺人狂は滑らかな動きで噛み合わさった鉈に力を入れ、勢いを活かしたまま、噛んだ部分を支点にしてザイルを飛び越えるように前方に飛んだ。ハンド・スプリングの応用。背後に降り立つのを待たずザイルは反転し、即座にトリガーを引く。空中で火花。また鉈が火線に割り込み、弾丸を弾く。
――強い。
相手を一言で表すならば、それはまさしく銃使いにとっての悪夢だった。
至近距離での格闘戦を強いる事により、銃の損耗を図るだけでなく、照準範囲と照準に掛かる時間、装弾不良の発生条件をことごとく弁えた上での戦闘。冷たい汗が服の下を伝うのを、ザイルは明確に自覚する。
恐怖はない。
これだけの同類に出会えたという高揚感が、身体を侵す。
身を翻す殺人狂。あの急激な加速からの接近を許せば、先ほどの二の舞になる。一瞬で判断してバックステップを取った矢先、殺人狂が腕を振り被った。反射と本能だけがザイルの身体を突き動かし、身を僅かに反らせる。
前髪が風圧と共に千切れ飛んだ。投げ放たれた鉈が掠めたのだと気付いたときには、地面を蹴る音が響く。右足を突っ張り転倒を回避、左手を跳ね上げてトリガーを引こうとした瞬間、バキ、と音がして左手の銃が軽くなった。そらした首を元に戻せば、銃の上半分がない。殺人狂は無理やりに抜き去った銃のスライドを右手に持って、心なしかより深く微笑んだ。
微笑が近い。鉈が振り被られる。右手の銃を持ち上げる。〇.〇二秒単位の攻防戦。
――その一連のやり取りは時間にして、十秒もなかった。
ザイルは相手の頭に銃を突きつけ、少年はザイルの首筋に鉈を突きつけ、路地裏に響く銃声の残響さえ消えうせ、気味の悪いほどの静寂が訪れる。正しく、二人の少年は静止していた。
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