-Ex-

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  届かない腕  

 目を覚ますと、そこは狭苦しくて暗いガラスの箱の中だった。近くに、シキの姿はない。身体は重くて、まともに動こうとしてくれない。
「……シキ、シキ、わたし、起きたよ。シキ……ねえ、どこ?」
 いつも目を覚ましたとき、最初に見るのは彼の顔だった。現状の確認なんて、いつも後回しだ。瞳を開けて彼の姿を見るまでは、ほかの事なんて考えられもしない。アリカはひたりと、ガラスの箱の上面に手のひらを――イーヴィル・アームを当てた。ごめんなさいと心の中で謝りながら、アリカは腕に内蔵された超振動発振装置のスイッチを入れた。堅固な防弾ガラスが、薄氷のように押し破られる。
 降り注ぐビーズのようなガラスの欠片を浴びながら、アリカは不安感に引きずられるように立ち上がった。立ち上がってから、自分が今眠っていたのは生命維持用ポッドだったのだと気付く。それなら尚更、自分のそばにはシキがいないと変なのだ。
 薄暗い空間にあるたった一つの出口は、数メートル先の両開きのバックドア。天井を打つ雨の音と、開いているドアの向こう側に降り注ぐ無数の銀糸を見て、アリカはそこがトレーラーの中であると気付いた。言いようのない焦燥感にかられ、身体を無理やりに動かして地面を蹴る。
 身体が濡れることにもかまわず、矢のような速度で外に飛び出したアリカが最初に見たものは、膝を折った鋼鉄の巨人と、その前に立つ一人の女だった。
 ざあざあと降り注ぐ雨の雫が、鋼鉄の巨体に流れ落ちる。装甲を滑る雫はまばらな街灯に照らされてきらりと光るのに、巨体からこぼれていく雫が赤いのはなぜだろう。巨人は動かなかった。モノアイが光を無くしていた。胸の装甲にはさして大きくもない穴が開いている。跪いて膠着姿勢を取る巨人は、まるで心臓を貫かれて絶命しているように見えた。

 死んでいる。
 誰が?

「――」
 背後の気配に気付いたように、女がアリカを振り返った。ブロンドの片側を血に染めた、すらりとした体型の女だった。その両腕から、アリカは自分の腕と似た気配を感じ取る。
 けれど、アリカの思考は止まっていた。あのアーマノイドは、かつてキラーハウスと抗争した際に手に入れた残骸を、シキが修繕したものだった。ザイルもリューグも面白がって搭乗したが、ザイルは滑って転び、リューグは拳法の真似事をしようとして壁に突っ込んだ。あの二人ではまともに乗れないはずだったし、口をそろえて『自分の身体で戦う方がマシだ』と言っていた。
 では、あれに乗っているのは一人しかいない。
 自分のそばにシキがいない理由も、辺りの建物や地面に弾痕がある理由も、その説明で全てがしっくりと片付いた。
 女は手に持った武器を下げて、アイスブルーの瞳を不審げに細めた。
「……なぜ歩けるの? 報告では、ベイオネットを二度放ったはず」
 女の言葉に、しかしアリカは無反応に、くずおれたアーマノイドを見つめ続けた。
 よく見れば巨人は、自分でもここまでは破壊できないとアリカに思わせるほどに歪んでいた。各所が脱落し、装甲が落ち、歪んで、誰が見ても最早動くこと叶わないだろうと口を揃えるほどに。
 あの中にシキがいる。
 そう思った瞬間、アリカの表情が歪んだ。ぴくり、と金髪の女の眉が跳ね上がる。
 アリカが敵に向けた感情は、殺気という一言では括れない、およそ全ての負の想いを混ぜて煮詰めたようなどす黒い怨嗟だった。次の瞬間に、小降りになってきた雨を引き裂いて叫びが上がる。人の喉でこれほどの声が出せるのかと、余人が疑うような大音声でアリカは叫んだ。猛獣でさえ、それを聞けば怯え竦んだだろう。
 声を尾のように引き、アリカは放たれた矢も斯くやという勢いで飛び出した。直線的な動き、暴力的なスピードで。雨の一粒が彼女の肌に当たり霧となる、圧倒的な初速の踏み込みだった。女が目を見開いて迎撃の姿勢を取った瞬間には、既にアリカは彼女を射程に捉えている。アリカが爪を振り下ろした瞬間、火花が飛び散った。
 咄嗟に女が上げた腕と、アリカのイーヴィル・アームが交錯する。踏み込みによる加速と力任せに振り下ろした銀の腕の重量が、女の体を後ろに押す。地面を流れる水滴をブーツの底で散らしながら、女は踏みとどまるような姿勢のまま後方へ滑った。地面に左手を預けてバランスをとる女が顔を上げようとする瞬間には、既にアリカは次撃を放つべく飛び込んでいる。
 あとほんの一刹那でその顔を横薙ぎにできる。アリカが怒りに任せて右腕を抉るような軌道で放ったその瞬間、横から人影が飛び込んできた。
 硬質な金属の悲鳴が響く。腕が受け止められたという事実確認をしたアリカが次に見たものは、緊迫に固められた男の顔だった。蒼いサングラスを掛け、リューグが持っているような刀――黒い刀身をしている――を逆手にして攻撃を止めている。男は切羽詰った声で叫んだ。
「ロッサさん! 崩壊症候群ダンピングシンドロームです、このままでは彼女の神経が焼断バーンアウトする!」
 邪魔だ。こいつも殺そう。
 アリカは、自分の中の、何よりも獰猛でもっとも凶悪な猛獣が囁くのを聞いた。
 シキを傷つけた奴らはみんな殺そう。自分は、存在理由を傷つけられたのだ。彼に血を流させた連中を、生かしておく理由なんてないじゃないか。
 結論付けたその瞬間、アリカは再び動き出した。体の重さは、どこかに忘れてきてしまったみたいだった。怒りが、誰よりもそばにいてくれた人を傷つけられた恨みが、彼女を突き動かす。
 イーヴィル・アームで、攻撃を受け止めた男の刀を掴んだ。
「……ッ!」
 サングラスの向こう側で光る瞳が動揺に濡れる。その一瞬の隙を逃がさず、アリカは力任せに刀を押さえつけながら、真っ直ぐに突っ込んだ。突き出した頭突きが、男の鼻っ柱にめり込む。最先端技術で全身をサイバー化した強化人間の戦いにしては、それはあまりに原始的で泥臭い。
 だが、男は仰け反った。バランスを崩した男の腕を掴み、アリカは気に入らない人形を扱うように敵を無造作に振り回して地面に叩きつけた。二度、三度、叩きつけられた男の顔からサングラスが吹き飛ぶ。アリカは男の腕を掴んだまま身を捻り、一際強く力を溜めて、男を金髪の女目掛けて投げつけた。
「ショウッ!!」
 女は鞭を投げ捨てて、男の身体を受け止めたが、砲弾のように水平に飛ぶ人間の重量を咄嗟に支えられはせず、ほとんど薙ぎ倒されるように地面を転がり、滑る。
 それにすぐさま追撃を掛けようとした瞬間、目の前に小柄な影が躍り出た。反射的に突き出した右手がその影の左手に重なり、がっしりと受け止められる。次いで繰り出す左手も、影の右手に押さえ込まれた。両の手のひらを組み合い、膠着が生まれる。
 少女であった。ところどころが破れ、まだそれでも可憐さを失わない少女趣味のドレスを身に纏っている。茶のボブカット、髪は水を吸い重たげに垂れていた。焦りの色を孕ませた瞳を、息の吹きかかる距離で向けてくる。
「落ち着いてほしいんですけど、無理っすか? アリカさん。今、貴女の神経が悲鳴を上げてるんです。貴女はとっくの昔に覚醒している。プラスとして、目覚めてしまってるんですよ。ツギハギのツクリモノでその力を使おうとするから、身体が自壊を始めてるんです、お願いだからこれ以上は――」
 知ったことか。
「うるさい」
 アリカは、目の前の少女が言った言葉の意味を咀嚼しないまま吐き捨てて、組み合った手を強く握り締めた。イーヴィル・アームの感圧センサが、手の内側にある相手の手――肉と骨が軋み、ひしゃげつつあるのを教えてくれる。
「……っうあっ!」
 痛みに少女が顔をゆがめたその瞬間、アリカは槍のような中段蹴りを繰り出した。中段蹴りがまともに入り、少女が嗚咽に似た息を吐く。間髪入れず、アリカは引き戻し握り固めた右の拳で、少女の顎を真正面から打ち抜いた。今度こそ声もなく、少女は水平に吹っ飛び、街灯に激突して止まった。衝撃で街灯がひしゃげ、派手に明滅する。
「……信じられない……あれが、プラスになる前のフィジカライザーだというの?」
 女が鉄の腕で地面を掻きながらゆっくりと立ち上がる。並んで吹き飛んだはずの男もまた、その身体を起こしていた。サングラスはもうない。平凡な優男風の素顔が見える。折れ曲がった鼻を無理やりに手で直しながら、男は口元の血を拭って、呟いた。
「打撃を防げませんでした。意思障壁ウィルシールドが既に起動しているんでしょう。彼女の攻撃は既に僕たちに届くレベルにある。僕が見た中でも最も苛烈な症状です。ですが代償もその分大きいはず。早く止めなければ、僕たちが出張ってきた意味そのものがなくなります。――マイさん、聞こえていますか」
「聞ーこえてまーすぅー……いッたあ――もう、手加減とか手心とかって段階じゃないっすね、これ」
 間延びした口調で言って、少女は街灯から背中を引き剥がした。それを見ながら、男は雨の中、よく通る声で言った。
「一分でケリをつけましょう。僕らも具象装甲フェノメノンハンドラをアクティブに。彼女を燃え尽きさせてはいけない」
「りょーかい」
 アリカはその会話の意味を理解しようとせず、右手を虚空へ突き出した。手のひらが左右に開き、中から砲身が迫り出す。イーヴィル・アームの真価であり、アリカが持つ最後の牙であるそれが姿を現す。
「……来る!」
 ブロンドの女が声を上げた瞬間、アリカはいままでのいつよりも早く、腕に全神経を集中した。明るいグリーンの同心円が視界の中に延び、コード・ブレイズドライバーベイオネット≠フ射界を表現する。敵は三体。全てを捕捉しようとするならば、三発撃たなければならない。
 ――今までであれば。
 アリカは目を見開き、視界の中の同心円を引き裂くイメージを走らせた。パイプ状に延びていた同心円がぶれて、砲口から二メートルの位置で分化する。熱病のような頭痛さえ、今はない。代わりに、動かなければ爆発してしまうと思わせるほどの熱の滾りが身体を満たしている。
 壊れてしまいそうだった。
 ――だから今、わたしは今まで以上に異常なのか。
 分化した同心円のパイプは三叉になっていた。それぞれの切っ先が三体の敵を捉え、その色を赤く変じる。マルチ・ロックオン。今までの自分では絶対に出来なかったこと。
「死ね」
 アリカはたった一音節の言葉に、全ての殺意を載せた。言葉の重さに応えるように、イーヴィル・アームの先端から光が迸る。光の槍は、発射された瞬間に、三つに分かれた同心円をなぞるように散開した。一発一発が宙をうねるように曲がり、それぞれ別の標的を狙う、
 電子的に加速されたプラズマ弾が、長い尾を引いて敵に迫る。その瞬間、三体のプラスはそれぞれが己の武器を構えた。
装甲実装インプリメント・オン
 口にしたのは誰だったか。あるいはそれは、男と少女の同時の発声だったかもしれない。
 男の下肢が、少女の下腕が、光に包まれた。次の瞬間、三体のプラスはアリカの視界から消えた。ベイオネットの光が、近くの街灯を薙ぎ倒し、遠く虚空へと消えていく。
 アリカが眉を跳ね上げた瞬間には、目の前には男がいた。下肢を銀色の装甲で覆っている。アリカは敵の動きに反応するために腕を上げて、全身から吹き出した血に愕然とした、、、、、、、、、、、、、、、、。この勢いで出血するということは、擬態装甲フェイクメタルに守られているはずの主要血管が引き裂かれたということに他ならない。
 右脇腹、左大腿、左鎖骨少し上と、体の正面から右袈裟に。スーツが裂けて血がしぶき、男の姿が眼前から消えうせる。
「……!」
 残像。アリカが防御のために腕を上げた瞬間には、すでに斬られていたとでもいうのか。
 振り向いたときには、男はトレーラーの近くでこちらの姿を伺っている。加速に加速を重ねたはずの神経ですら、その姿を認識できなかったのだ。
「余所見は禁物っすよー」
 前方から声が響いた瞬間、アリカは弾かれたように前を見て、そこで金槌を振りかざす少女と対面した。峻烈な横薙ぎの一撃が来る。イーヴィルアームで受け止めた次の瞬間、アリカの体は横に傾いで、立ったまま雨の中を滑った。
 驚愕に値するトルクとインパクト。乗用車の突撃でさえ押さえ込めるアリカの力を、さらに上回るだけの威力がその一撃にはある。アリカは靴の裏が地面との摩擦を取り戻した瞬間、左腕を後ろに引いて突き出した。 銀の腕を少女がダッキングして回避するや否や、アリカの左腕に鞭が巻きつく。黒い大蛇のようながっしりとした鞭、根元を追えばブロンドの女がこちらに視線を注いでいる。
「マイ」
「りょーお、かいっ!!」
 刹那のやり取りの後、小さな嵐のような少女が踏み込んできた。防御の間もなく衝撃が来る。アリカは自分の体が宙に浮くのを感じた。まるで跳躍したときのように周囲の風景が遠ざかる。擬態装甲フェイクメタルがまるで意味を成さない。硬化したフェイクメタルごと内臓を揺さぶられ、空中で血を吐く。左腕が強く引かれる。鞭が腕を引いているのだと気づいた瞬間には地面に叩きつけられていた。
 割れたアスファルトに深く沈み、体の内側で炸裂した衝撃に身を震わせ、アリカは目を見開いて呻きを漏らした。
「あ、あ……」
 しゅるり、と解けた鞭が引き戻されていく。
 アリカは呻きながら地面を掻いた。出血はすでに限度を超えていて、度重なる衝撃が内臓を痛めつけている。内も外もボロボロだった。怒りで体を突き動かそうとしても、鈍い感覚がそれを許さない。抜け落ちていく血と鈍磨する五感、終わりを予感させる要素ばかりが積み重なっていく。
「……記憶を失くして、彼らに飼われて、それで孤独を紛らわす。そんな生活はあなたには似合わないわ。アリカ」
 躊躇なくアリカを地面に叩きつけた鞭の女が、哀れむような口調で言った。
 知ったような口を利くな。わたしの名前を気軽に呼ぶな。
 アリカは内心で吐き捨てて、ふらふらと立ち上がった。歪む視界で、立ちふさがる三人の男女を睨み付ける。イーヴィル・アームのリミッターをカットし、両腕の砲門を開いた。
「……死ぬ気ですか。そのボロボロの体で、まだ戦うと?」
 男が、刀を手にしたまま呟いた。
「もう、いいんすよ、アリカさん。戻ってきていいんです。これ以上誰もあなたを傷つけない。迎えに来たんすよ、あなたを」
 少女が訴えるように言う。
 うるさい。
「……おまえたちなんか、知らない。わたしを愛してくれるのはシキだけで、わたしの仲間はシキが認めた人間だけ。シキにつながっていないものなんて、わたしの世界に必要ない。だから、おまえたちは、」
 アリカは自分の全身にめぐらされた神経が焼ける音を聴いた気がした。それは張り詰めたロープに火を翳したときの、焦げて千切れゆく音に似ていたように思う。
 だらりと下げたイーヴィル・アームの先から、プラズマが溢れた。延びる同心円を強引にある一点でとどめ、槍のようにする。それはかつてしたことのない使い方だった。地面を抉るプラズマの杭を持ち上げて、アリカは口元から血を散らしながら叫んだ。
「ここで、消えろぉおおおォォォォぉぉぉぉッ!!」
 アリカは、満足に動かない体を引きずって、プラスたちへ向けて飛び込んだ。振りかざした銀の腕の先、光るプラズマの槍は、あらゆるものを貫くはずなのに――悲しいほど細く見えた。

 ――シキ、

 槌で叩かれて右腕が歪む。

 ――シキ。

 突撃をいなされ、つんのめる。

 ――大好きだよ。

 首に鞭が巻きつき、締まる。
 
 ――またいつか抱きしめてくれるかなあ……

 目の前に黒塗りの刃が光る。

 ――ねえ、シキ。

 男が突き出した刃はフェイクメタルを紙のように貫き、アリカの胸を貫通した。
 痛みも感じぬほどに鮮やかな刺突は、アリカの体から動くための力を根こそぎ奪い取った。
 それが最後だった。もう終わっていた話を、終わらせないように暴れたのに、それでも幕は下りてしまう。
 冷たい雨の感触を感じられなくなったとアリカが思ったそのとき、視界が闇に閉ざされた。
 死に、沈む。
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