-Ex-

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  ナガレボシ  

 アーマノイドの動作システムは極めて単純だ。ヘッドギアが増幅する脳波によって動作の大部分を制御し、感圧式フットペダルとハンドグリップで微細な操作をフォローする。内部は人間一人分のスペースにしても狭すぎるくらいの広さで、膝を折って身体を小さくして乗り込む。アーマノイド乗りは、その窮屈な姿勢から、最後の部品≠ニ揶揄されることが多い。シキは狭苦しいアーマノイドの中で、この鋼鉄の身体を自身のものだと思い込むように何度かペダルとレバーの感覚を確かめた。
 視線の先で、ロッサと名乗った女が、鞭を持ったまま右に駆け出す。
 シキは、ステップで逃げる敵を冷静に追った。彼の目の動きに合わせて、自然とモノアイ・カメラが敵を追尾するように動く。
 挑みかかるような前傾姿勢を取り、メインモニタのロックオン・サイトに敵影を捉える。足裏の全方位ローラーを稼動させ、左に滑るような動きを見せながら、ロッサへと筒先を向けた。照準完了の電子音と同時に、僅かに手先を動かす。連動して、アーマノイドの手がガトリングガンのトリガーを引いた。
 巨大な蜂の羽音に喩えられる轟音と共に、ジュノー≠フ銃弾が放たれた。嵐のごとき銃弾の群れは、まるで削岩機のように一瞬でアスファルトを深々と吹っ飛ばしていく。圧倒的な破壊力を持つガトリングガンの射界から逃れるように、ロッサは高速で地面を走り、跳躍した。同時に鞭を振るう。空気が歪み、派手な破裂音が鳴り響くと同時に、グリップしていたガトリングガンが跳ね上がった。
『!』
 彼我の距離は八メートル弱。あの鞭をいくら振るっても届く距離ではない。だが、現実にガトリングガンの銃身は浮かび上がり、逸れた弾丸がそばのビルの壁とガラスを抉り取る。
 シキは即座に機体を後ろに傾け、推進器ブースターを吹かして飛び下がった。空中から、照準補正を入れて弾丸の雨を降らせる。切れ間なく注ぐ弾丸の雨の一歩先を、ロッサは躊躇なく潜り抜けて鞭を振るった。
 空気を引き裂く破裂音。メインモニタの視界が、圧搾されたように歪む。
『――ッ』
 衝撃に供えた次の瞬間、アーマノイドの各所が軋んだ。空中で、明らかに届いていない鞭に『打』たれて、一瞬だけ機体の制御を失う。
 センサーにノイズ、損害報告が視界の端に走る。即座に敵反応分析リアクションアナライズが実行され、サブモニタが『Unknown』の赤文字で埋め尽くされた。この機体のデータベースには、鞭を打つようなあの挙動で、八メートルの距離を経て敵に打撃を加えうる武器など載っていないらしい。それも当然か。
 シキは小型ジェネレータをフル稼働させ、エネルギーをブースターに回した。滞空時間を延ばし、体勢を立て直す。迫る地面に地面に着地して、無駄のない重心移動ですかさず横へと逃れる。すかさず追ってくるロッサ。地面を足下のローラーで滑走しながらシキは勢いを殺さずターンを決め、背向滑走バックスケーティングしながら、再び敵にロックオンサイトを合わせた。
 シキは、アーマノイドの中で歯を食いしばる。
 カチカチと震えかける歯の根を合わせて、震えてなどいないと自分に言い聞かせる。この鉄の鎧が、今の自分の力の全てだ。それを叩きつけ、この窮地を脱するしか、アリカと自分を守る方法はない。
 ロッサが鞭を振るった瞬間、シキは左足を踏ん張り、自分を左へ突き飛ばすイメージをした。ばうん、とアーマノイドの右肩が青い炎を吹き、機体をほとんど直角にスライドさせる。一瞬前まで自分のいた空間が魚眼レンズを通したように歪んだかに見えた瞬間、真横から破裂音が響いた。鞭が空気を爆ぜさせたのだ。ロッサが顔にかすかな驚きを浮かべる。
 ダメージはない。シキは引きつった頬に、しかしそれでも笑みを乗せた。
 TT-4036のオプションのひとつ、肩につけられた回避補助装置――高反動側方推進器ハイリコイルスプリンタによる緊急回避が成功した瞬間、鞭を振りぬいたロッサに向けてジュノーのトリガーを絞った。
「くッ」
 ブロンドを振り乱し、地面を蹴って横に跳ぶロッサ。しかしその動きは、狙いを定めたシキを前にしては、遅すぎる回避行動だった。
 ブースター全開、ジェネレータ出力をオーバードライブ。脚のオールレンジ・ローラーはオフにして、人工筋肉による踏ん張りと瞬発力を重視する。シキはアーマノイドに内臓された駆動機構をフルに解放し、ガトリングガンを乱射しながら接近した。圧倒的な弾幕を張り、意図的にその中に隙を混ぜる。敵から見て三時方向に、僅かな隙間を作るように。
 果たして、ロッサは地面に爆ぜる銃弾の隙間を縫うように、その隙間を抜けるように逃げた。目を覚ましたかのようなシキの攻勢に、彼女の顔には少なからぬ動揺が浮いている。
 ――その隙、取った!
 内心で叫ぶと同時に、シキは右肩の六十三ミリメートル多目的砲フラットメイカー≠展開した。右手のグリップを操作し、弾頭を装填する。同時に狙いもせずに発砲した。凄まじい轟音とバックファイアが辺りを染め上げる。近くのビルの側壁に無数の穴が空き、ロッサの体が、まるで風に吹かれた紙くずのように宙を飛んだ。――母弾が砲弾サイズの散弾だ。目測五メートルの距離で、無数の粒弾が彼女の身体を襲ったのである。
 反動で機体が回転するほどの衝撃を受けるが、シキはそれに逆らわず、ダンスのような二七〇度のターンを決め、アーマノイドの左膝を地面に突いた。右腕を空を飛ぶ敵に目掛け一直線に伸ばす。その先端でガトリングガンが再三、火を噴いた。
「ロッサさん!」
 後ろから悲鳴のような声が聞こえる。少女の声だ。だが、止めてやる気はなかった。空中で銃弾に嬲られて低空を滑るその人影へ、今一度巨砲を向ける。ターゲット・インサイト、三四二ミリセコンドで照準が完了する。弾種は榴弾グレネード。シキはアーマノイドに膝を突かせたまま、フラットメイカーから二発目の砲弾を吐き出した。火薬の詰まった榴弾が、嵐を引き裂いて飛ぶ。
 一瞬もおかず、轟音とともに紅蓮の爆炎が咲いた。
 一発目が入った時点から、原型も残さないつもりでの連続集中射撃を決めたつもりだった。ゆっくりと機体を立ち上がらせながら、爆発の痕を見つめる。
 煙が、雨と風に嬲られてゆっくりと晴れ始めた。
 シキは、その瞬間、今日というひどい日はもしかしたら夢だったのではないかと思った。
 目を開ければアリカが、自分の事を心配している。うなされてたよ、って。ようやく慣れ始めた新居の、いつものたまり場に行くと、リューグがいつものインスタントコーヒーで目を覚ましながら眠そうですね、と微笑を向けてくる。食事を作り始める段になって、ようやくザイルが起きてくる。いつにもまして冴えない顔だな、って軽口を叩くから、寝癖だらけの君よりマシだよ、と混ぜっ返してやるのだ。
 シキは、アーマノイドのグリップから手を引っ込め、ほとんどマージンのないタイトなアーマノイドの中で、目元をバイザーの下から拭った。
 悪夢は終わらなかった。
 ただ、目の前に現実が轟然と立っていた。
 
 血流が早くなる。

 晴れていく煙の向こう側に、何かがいる。

 流れていく煙の後を追うように、それは、口を開いた。

「……驚いたわ」
 脇腹と太股に傷がある。弾丸のいくつかが皮膚を削いだのか、彼女のブロンドは頭から流れ出る血で片側だけが赤く染まっていた。流れ落ちる血に右目を塞がれたまま、左目だけでこちらを見つめている。

 ――なぜ、
 生きてる?

 ロッサ=リエータが立っている。しかし彼女の姿は先ほどまでとは異なっていた。唯一にして異様な変化が、彼女の両腕に起きている。その両腕は、白金の装甲に覆われていた。両肩までを覆う、煤煙に掠れもせずに輝く装甲がそこにある。
 確かに彼女は、満身創痍と言って差し支えない重傷を負っていた。だが、異常というのならばそれこそが異常だった。散弾砲ショット・カノンの直撃を食らわせた上で、十二・七ミリメートル弾をしこたま叩き込み、ダメ押しにグレネードで吹っ飛ばした。そこまでやったのに、なお原形を留めている――そんな人間がこの世にいていいはずがない。
「アーマノイドはそんな風に動けるものなのね。シミュレータで対戦した機体はもっと鈍重だったわ。――乗り手としては随分な腕よ。褒めてもいい」
 シキが凍ったように動きを止めたのを見て、ロッサは弱くなり始めた嵐の中を一歩踏み出した。
「……けれど残念ね。私を――いえ、私たちを止めるには足りないわ。その人形は人を一方的に殺戮するために――あるいは同じ人形を壊すために作られたものだもの」
 ロッサの手の中で、しゅるりと鞭が波打った。彼女はゆっくりと右腕を上げ、鞭をタクトのようにかざす。
「人の領域から逸脱したもの。人の身では決して持ち得ない性能を実現するために私たちは山ほどの投薬と処置を受けたわ。意思障壁ウィルシールドに、原理侵食フィジカルハック。そういう殺人のための機能を加算されて、人と呼べる範囲を大きく逸脱した私達を、ソリッドボウルはこう呼ぶのよ」
 ロッサは、愉しげに、そしてどこか寂しげに笑った。
「――プラス≠ニ」
 そこがシキの限界だった。もう一度フラットメイカーに弾頭を装填し、即座に発射する。当たれば戦車にですら致命的なダメージを与えうる成型炸薬弾が銃身から飛び出した瞬間、ロッサの姿が視界から掻き消える。モニタから消え失せたロッサを探し、シキは反射的に上に意識を向けた。
 雲の切れ間が見える。覗く月が、宙へ舞う女の影を地へ投げかけている。炸裂した砲弾の光が、その姿を雨粒のラインの中に浮かび上がらせた。
 シキは自分に出来る最高の速度で腕を振り上げた。アーマノイドが文句のない反射速度でそれをサポートする。ロックオンサイトが敵を捉えて赤く染まるその瞬間にグリップのトリガーを引いた。連動したアーマノイドの指がガトリングガンの引き金を絞り、十二・七ミリメートル弾の死の嵐が天を衝く。
 しかし、ロッサが右手をしならせた瞬間、それを越える暴力がその場に現出した。
 鞭の切っ先が稲妻を思わせる勢いで暴れ、空気を割る。生きているように激しくうねる鞭の音は、一度や二度ではない。万雷の拍手を思わせる破裂音の連続は、鞭の切っ先が音速と亜音速の範囲をなぞるように往復していることを示している。鞭が踊る領域を避けるように、銃弾が逸れた。逸らされたのだ。直線距離八メートル足らずの至近距離で、電動モーターと火薬と〇・五インチ口径のフルメタルジャケット弾が織り成す金属の暴虐メタルストームを、女はその手に持つ鞭一本で凌いでみせたのだ。
 腰部タンクにしこたま詰めておいたメタル・リンクが途切れる。銃弾がない。虚しい音を立てて、銃身だけが空回りした。
 ――シキ、端的に言うぞ。バケモノがいる。新手だ。アリカを担いでとっとと逃げろ。
 あの時、ザイルは言った。それもこの上なく切羽詰った口調で、差し迫った危険を言い含めるように呟いた。
 意地を張らずに従っておくべきだったのかもしれない。
 これを化物と呼ばずに、なんと呼べばいいのだ。
 女の形をした死が、途切れた弾幕に薄く笑う。次の瞬間、シキは右方へ逃れるため高反動側方推進器ハイリコイルスプリンタを作動させようとして、左側に吹き飛んだ、、、、、、、、
 ば、ば、ば、ば、ばんっ、
 もはや鞭の音とは思えないスタッカートの連続だった。アーマノイドの装甲が無理やりに削られ、剥がされ、破損する。
 鞭の現物を見たことはあった。そして振り回したこともある。うまく振るうと、先端が音速を超えて空気と摩擦し、破裂音を立てるのだ。知識としては知っていた。だが、これはなんだ。
 ――いくつ腕があれば、何本鞭を持てば、そしてどれだけの力で振るえば、これに及ぶ破壊を起こすことができる?
 金属の軋む音が聞こえる。アラームが響いた。右腕ハイリコイルスプリンタ破損、左肩部装甲中破、人工筋肉出力低下、情報がコンソールを走り終わる前に次の衝撃が来る。突き抜けた衝撃に、シキが声を漏らす間もない。胸部装甲陥没、戦闘中止勧告、右大腿部装甲大破、左マニュピレータ脱落。辛うじて生きているメインカメラが、月下を舞う女を捕らえた。奔る鞭の穂先は既にモニターが捕らえられる限界を超え、彼女を取り巻く円状の結界のように映る。――その手に鞭は一本しかないのに、いまこの瞬間も連打は続いているのだ。
 幾度目かの衝撃が走る。シキは自分の体の砕ける音を聞いた。
 胴部装甲が全損、情報伝送系に異常が発生する。シキはアーマノイドの中で、ぽかんとした顔で、動かなくなった自分の右腕を見た。指先まで運動命令が伝わっていかないイメージと、燃え上がるような痛み。浸透した衝撃が、自分の腕を破壊したのだと気付いた瞬間、シキは叫びを上げて――
 次の瞬間に喰らった一撃に、その叫びを飲み込まれた。
 ごぐん、という音がして、シキの体内で衝撃が炸裂する。それを理解した瞬間、口からおびただしい量の血が迸った。アーマノイドの中で丸めていた身体がぐらぐらと揺れる。真っ直ぐに身体を保とうと思っても、もはやそれさえも叶わない。胸から下の感覚がない。脊髄を丸ごと失ってしまったみたいに、感覚が無で塗りつぶされる。
 アーマノイドは、搭乗者がイメージした通りに動く。
 シキの機体が傾き、倒れ臥したのは、当然の帰結だった。もはや倒れる姿しか思い浮かばない。
 がつ、と地面に、展開したままのフラットメイカーの砲身がつっかえ棒のように突き立った。左膝を地面にうずめ、かしずくような姿勢で止まる。
「あ――あ、あ、……あ」
 限度を超えた痛みは無感覚と同じだった。感じる神経を断ち切られたからか、それともショック死しかねない突然の激痛に、脳がブレーキをかけているのか、よくわからなかった。ただ、シキは震える左手を伸ばし、まだフラットメイカーに残っている弾丸を放つため、右のハンドグリップに手を伸ばした。立ち上がれと強く念じ、立ち続けろと心の内側で叫ぶ。応えるようにアーマノイドがぎこちない動きでのろのろと膝を伸ばし、身体を持ち上げた。
 その瞬間、今度こそシキは声を失った。
 右下にあるグリップへ伸ばした左手の上から、黒い蛇が顔を出しているように見えた。その蛇は、金属の装甲を食い破ってきたらしく、コンソールのモニタを貫いて顔を出していた。シキは唐突に現われた黒蛇がどこへ向かっているのか、まともに動かない目で追った。行先を見て、彼は思わず笑ってしまった。これが悪いジョークでなくてなんだと言うのだろう。戦車砲の直撃でも食らわない限りは搭乗者の生存を保障する、鉄壁のはずのアーマノイドの装甲が、黒蛇に――否、に貫かれてしまうなんて。
 ――自分の左胸を、黒い鞭が貫いていた。どうやったらそんな真似ができるのか皆目見当もつかなかったが、シキはもはや身体のどこにも力が入らないことに気がついて、空ろに開けた唇から奇怪な音を立てて血を吐き出した。ずるりと鞭が抜けていく。シキはそのまま、コンソールに倒れ掛かるような姿勢になって、機体の外に漏れ流れていくであろう血液を見つめた。
 アリカの顔が脳裏に浮かんだ。
 ――どうして、大事にしようと思ったら、手から零れ落ちていくんだ。僕みたいな欺瞞と偽善と嘘と罪を抱えた人間は、誰かを大事にすることを許されないのか。ならどうしてこんな人生を強いた。僕に嘘をつかせたくなかったら、僕に罪を犯させたくなかったら、人を殺す必要のない場所に連れて行ってくれればよかったんだ、初めからそうしてくれればよかったんだ。ああ、アリカ。……アリカ、教えてほしいよ、君だったら答えを僕にくれるかな? 僕らがこういうふうにしか生きられないその理由とか……僕が君を愛することが罪なのかどうかとか、僕のそういうどうしようもない疑問の答えを。……アリカ……。
 そうして、ハセガワシキの意識は失せた。
 アーマノイドが、胸部に空いた穴もそのままに、停止した。
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