-Ex-

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  殺人凶=@ 

 トレーラーの上に飛び出したリューグを迎えたのは、蒼いサングラスを掛けた男だった。若干色素の薄い茶色の髪を首筋に垂らすように結んでいる。全身に纏う黒いスーツが目を引いた。ところどころにサポーターと思しき装甲があり、上等な装備であるのが一目で見て取れる。恐らく、防弾・防刃性能を備えた衣服だ。
 吹き付ける嵐は、人の身体を容易に揺るがすであろうほどに強い。爆走するトレーラーの上、叩きつける雨は弾丸にさえ似ている。五メートルの距離を挟んで静止した二人は、しかし次の瞬間には全く同時のタイミングで互いの首を狙っていた。
 切り結んだその瞬間、余波で足下に溜まった水が彼らを中心に円状に跳ね上がる。刃を軋ませるような鍔迫り合いも一瞬、リューグはすかさず重心をずらし、敵の刀を泳がせながら左手の鞘を突き出した。鳩尾狙いの一撃が奔る。
 しかし、鞘は敵を突き抜けた。正確には、敵の残像を突き抜けた。リューグには驚愕する暇もなかった。ただ生存本能に従って蜘蛛のように身を伏せる。頭上を、刀で凪ぐ音がした。振り向くまでもない、敵は背後だ。あの一瞬でこちらの虚を突いたというのか。こちらの重心移動に刀を逸らしたあの隙すらもブラフだというのか?
 リューグは右足に重心を残し、刀の切っ先で螺旋を描くように反転しながら切り上げを放った。果たして、敵の姿はそこにあった。刀と刀がぶつかり合い、豪雨に負けぬ刃音はおとを奏でる。
 言葉はなかった。リューグは、目の前の男が今までにないほど危険な敵だと認識する。敵は唇に薄い笑みを湛え、僅かに後退した。右手に刀をだらりと下げて、かかって来い、と言いたげに上向けた左手で軽く招く。
 リューグは細めた目を更に鋭く、刃のようにして踏み込んだ。ともすれば天井を踏み抜いてしまいそうなほどに強く。風を追い抜かんばかりの踏み込みから、逆手に握った鞘を横薙ぎに振るった。風を巻き込むような大振りを敵が身を屈めてかわした瞬間、リューグは地面を蹴って宙を泳ぐ。
 鞘を振るった勢いを活かし、空中で、投げられたコインの様に身を回す。刀と身体の重みを活かし、リューグは叩きつけるように一閃を振り下ろした。敵の持つ刀が致命的な音を立て、歪む。
「……!」
 蒼いサングラスの男は、焦ったように後退し、再びの鍔迫り合いを避けた。しかし破損寸前の武器を抱えているその隙を、リューグが見逃すわけがない。走りながら左手で鍔を押さえ、バイクのアクセルを開けるように刀の柄を回す。刀が超振動を始めた。降り注ぐ雨が刃に触れるたびにはじけて、刀身が水煙を帯びたようになる。
 最高速の世界で、研ぎ澄まされた鋭利な一刀を振るう。敵は足場の際まで後退し、そこからもう半歩だけ後退して、刀でリューグの一撃を受けた。歪んだ刃が甲高い音を立てて破断される。へし折れた敵の刀が地面につくよりも早く、リューグは鞘で敵の首筋を狙う。
 った、とその瞬間、リューグは確信した。だが、次の瞬間に目を見開いたのは他ならぬ彼自身だった。敵のサングラスの下で、目が光を放ったかに見えた。バスケットボールのフェイントに似た動きで、男は身体をひねり、リューグの一撃をすり抜けてその背後へと抜けた。まるで風だ。リューグの目ですら満足に追えないほどの速さである。
 この濡れたトレーラーの天井の上で、その絶技。リューグが息を呑んだその瞬間、叩きつける雨粒に混じって殺意が迫る。背後だ。リューグは鞘を振りぬいた勢いのまま反転し、鈍色の殺意を叩き落とした。飛来したのは、半ばから折れた敵の刀であった。徒手空拳の男が、ポケットに手を入れて、リューグの視線の先に立っている。
「驚いたな、これはまた随分と速い。スピード自慢は僕だけじゃない、か。なかなかどうして、在野にも君みたいなのがいるものだなあ」
 蒼いサングラスの男は微笑すると、首を回して軽い口調で声をかけてきた。リューグは鞘と刀を油断なく構え直すと、刀の切っ先を敵に向ける。
「……能書きは必要ありません。勝負は着いている。貴方は武器を失い、僕にはこの刀がある。今の一撃を凌いだとて、次の機会は与えません。退くなら今ですよ」
「僕を殺す自信がないかい?」
 蒼い眼鏡の男はからかうように笑った。嫌味のない、明るい声だ。
「今、君はこう感じているはずだ。スピードは互角か相手のほうが上だと。必要以上の戦いは避けたほうがいいと。――それを知っているから僕に撤退を勧める、万一を恐れてね」
 リューグは表情を固くした。常に頬に乗っている微笑が、消え失せる。
「警告はしました。慈悲を無視するなら現実を教えて差し上げましょう」
 下肢に体重を載せ、再び踏み込みのための姿勢をとった瞬間、敵は少しだけ困ったように笑って、雨で張り付いた前髪を軽く払ってのけた。
「やる気になっているところ悪いけれど――……少し、揺れるよ?」
 それとほぼ同時に、足元からザイルの怒鳴り声が聞こえた。
「対ショック!! どこでもいい、掴まれ!!」
 目を見開くリューグを見て、男はまた少しだけ笑みを深めたように見えた。
 刹那の後、トレーラーが、轟音を立てて急減速する。
 何かに激突したようなショックが車体全体を覆ったその瞬間、リューグは反射的に横へ高く跳んでいた。地上十メートル、ビルの四階窓がすぐ傍にある。林立するビルのひとつ、その無機質なコンクリートの壁へ、ソニック・シフトを切った刀を突き立てた。壁を鉤裂きにしながら減速し、窓枠に足を叩きつけて停止する。
 弾かれたように、急減速したトレーラーのほうを見た。そこで初めて、何が起こったのかを知る。アスファルトの道路が捲れ上がって、肩幅くらいのわだちが出来ている。トレーラーの前面は、まるで電柱にでもぶつかったようにひしゃげていた。
 にわかには信じがたい光景だった。トレーラーの歪んだ正面装甲の中央で、影が動く。
 それは、ただ一人の少女だった。巨大すぎる鉄の塊と抱擁しているように見えたその少女が、腕を引き抜く、、、、、、。続いて、地面から足を抜いた。
 理解したくない。この光景が幻でないなら、そこから導き出される結論はたった一つだ。
 あの少女が、身一つでトレーラーを停止させたのだ。
「驚いたかい?」
 声が、上から聞こえた。
 リューグが反射的に上を向くと、直線距離で五メートルほど離れた上方に男が立っていた、、、、、。壁面を地面だと思い込んでしまったかのように、彼は揺らぎもせず壁に直立している。その様子は、蜘蛛を連想させた。どこにでも上り、潜み、獲物を笑いながら罠にかけ、喰い殺す……今やその笑みさえもが、畸形的なものにしか見えない。
 リューグは今更のように、服の内側を濡らす汗を感じていた。
 自分たちは、ソリッドボウルを敵に回したのだ。
「……驚きましたが、そうしてばかりもいられません。目の前に脅威があるのなら、全力で排撃するのみです」
 無表情で虚勢を塗り固めて嘯くリューグに、青年は楽しげに拍手をした。
「よく言ったね。それじゃあ、改めて僕の相手をしてもらおう。相沢翔アイザワ・ショウだ。どうぞよろしく」
 男は壁に立ったまま仰々しく礼をしてみせた。地面にいるときとなんら変わりない滑らかさだ。
 背筋に上る寒気を追い出すように、リューグは息を吸い、目を閉じる。落ちてくる雨粒の一つ一つを感じ取れるほどにまで、己の集中力を高める。
 怯えは必要ない。恐れは死神の餌だ。焦りは剣を鈍らせ、弱みは己が刃を砕く。
「僕には――名乗るほどの名前もありません」
 手元の刀を引き寄せる。壁に食い込んだ刃が、コンクリートと擦れて刃軋はぎしりをした。
 うめきにも似たその音が、リューグの闘争本能を呼び覚ます。
「ただ、よくこう呼ばれます。――殺人狂≠ニ」
 刀の鍔を回し、同時に窓枠を蹴った。刀が壁を引き裂きながら抜ける。風吹きすさぶ荒天の下、リューグは窓枠を足がかりにして壁を蹴り登った。狙うは壁面に垂直に立つ男の首一つ。
 その気迫や良しと、敵が笑う。ショウと名乗った男はポケットから右手を抜いて、リューグへとまっすぐ視線を向けた。
「奇遇だね。僕も、殺人凶バッドマーダー≠ニ呼ばれているよ」
 余裕ぶった態度で自分の仇名を語る青年に、リューグは無言を通す。壁に張り出したダクトを蹴りつけ、敵の横をすり抜けて高く飛んだ。上から見れば、敵は背中を向けているのと同じだった。相手を射程に収めるまで一秒と要らない。
 落下の勢いのまま、リューグは刀を振り下ろした。しかし――
 響いたのは肉を裂く重い音ではなく、金属同士が打ち合うような激しい交錯の音だった。
「?!」
 リューグは驚愕も露に目を見開いた。手を襲った痺れるような衝撃、反動で落下の勢いが止まる。壁に立った男が、軽く右手をかざして振り向いていた、、、、、。左手には白塗りの長い棒が握られている。あれで攻撃を受け止められたのだと悟るまでは一瞬だった。
 その瞬間、思考が沸騰したように、疑問の泡が弾ける。相手は無手だっはずだ。今あの棒はどこから出たのだ? いつ動いた? 初動がまるで見えなかった。どうして壁に立ったまま当然みたいに動ける? 足下に細工があるなら、こちらに向き直ることなど出来ないはずだ! いや、待て、それよりも、あれは――
 刀の、鞘ではないのか?
虚閃コセン……」
 男は刃のように鋭い声を吐き出し、踏み出した。左の腰に添うような右手の位置を見て、リューグは考えるより先に鞘と刀を防御に回す。
抜刀バットウッ!!」
 男が叫んだ瞬間、空間が割れた。吹き渡る暴風が、雨の雫が、確かに断たれるのをリューグは見た。そして、構えた鞘が真っ二つになった事を次の瞬間に感じ取る。
「ッ……!!」
 衝撃が腕を走り抜ける。敵の一撃を見ることさえ叶わないまま、リューグは刀を軋ませてその攻撃を受け止めた。刀を弾かれないようにするので精一杯だ。受け止めた衝撃の勢いに任せ、横へ逃れる。落下軌道に入りながら一度身をひねり、近くのダクトを蹴って、飛び込むように地面へ落ちていく。手に残った鞘だった棒を投げ捨て、倒立した世界の中で下を――空を見た。
 一瞬、理解が追いつかない。
 敵がすぐ傍にいた。自由落下するよりも早いスピードで、壁を駆け下りて、、、、、きていた。
 目の前に走り寄る剣鬼の両手には、白塗りの鞘に真っ黒な刀。リューグは一瞬遅れて、あの武器の名称を知った。銘は虚閃、男が叫んだ通り、虚から出でる一条の閃き。自分が持つ鞘はあの一刀に両断されたのだ。
 雨の中、敵の刀が閃く。首を狙ってきた突きを辛うじて受け流す。散った火花が、視界を逆さに落ちる雨を照らし出した。
 続けざまに白い鞘が胴薙ぎに繰り出される。両断してやるつもりで刀で受け止めたが、攻撃の重さにこちらの体が揺らいだだけだった。敵の鞘に傷はなく、それどころか先ほどまで新品同然だったはずの自分の刀が所々刃毀れを起こしている。
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