-Ex-

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  奇襲  

 夜の闇をハイビームが引き裂く。濡れた路面に、空から尚も大粒の雨粒が叩きつけていた。照らした視界に、光に染められた雨が銀の集中線を描く。
 鉄の心臓が猛り、トレーラーのスピードを上げていく。途中で擦れ違う車が、その暴走振りに慌てたように脇へ避けていく。十トン級の巨大なトレーラー、しかも防弾仕様かつ上部に砲座ガンポッドがついているという剣呑極まりない代物だ、ぶつかればただでは済まないと悟っているのだろう。
 トレーラーを駆るザイルの横で、リューグは蛇行運転の勢いに身を任せるようにシートに腰を深く沈めた。
「……ハンドルを持ちましょうか?」
「いらん。すぐに慣れる」
「脳味噌がシェイクになる前にお願いします。……少し後悔していますよ、僕が先にシートに座ればよかったとね」
「おまえじゃガンポッドを扱えないだろう。それに、大型に乗るのは初めてだ。勝手がわからんだけさ」
「……そうだとしても、もう二度ほどビルの壁面を削っていますが」
「気にするな。ハゲるぞ」
「……」
 リューグは嘆息しながら、カーナビのある位置を見下ろした。そこには、シキが手がけたガンポッドのカメラに繋がった受像機がある。トリガーはザイルの持つハンドルについており、レバー式の照準装置がウィンカーの下あたりを埋めている。運転しながら撃てる代物だ。
 降りしきる雨に、レンズ越しの視界は歪んで見えた。それはフロントガラスにも言えることで、ワイパーをフル稼働させても水滴が完全に消えることはない。
 ザイルは受像機から意識を外し、前方に集中する。凍京の夜景は背に遠ざかり、行く先は少しずつ寂れていく。黒々とした影絵の街並みは、行く先の暗さを暗示しているようだ。
 スピーカーからは、耳に痛くない程度の音量でロックが流れている。古い歌だ。タイトルはマイ・カー=B曲名だけで選んだが、こいつはこいつで悪くない。バンドの名前は忘れた。シキなら覚えているかもしれないが、彼はアリカに付きっ切りで後部のコンテナの中にいる。

 街灯が点る
 夜の冷たい空気
 あの日通っていた学校を車でパスして
 俺は煙草の箱を探している


 歌い続けるボーカルの狭間を縫うようにリューグが口を開く。
「次、左に行くと環状線に入ります。ルートWで郊外へ脱出、その後は燃料を補給しながら北へ逃げましょう。山に潜むのも一つの手ですが、電源が無ければアリカの生命を維持できない」
「止まるなら電気のあるところ、そうでなければ走り続けろ……か。どっちにしても、しばらくは止まれないな。追っ手のこともある。仕掛けてくるとすれば人のいない辺りだろうが、尾行の気配は?」
「レーダー扱いですか。……今のところ、後ろには追手の影はありません。ガンポッドのカメラを確認する限りでは、左右及び上も同じですね。陸路ではまだ捕捉されていないようです。もっとも、ヘリが来る可能性もありますがね」
「ヘリが来たなら叩き落してやる。あれだけゴキゲンなガンポッドがあるんだ、蚊を掴むよりも容易いさ」
 律儀に答えたリューグを横目に、ザイルは皮肉っぽく応じた。片手でハンドルを持ち、クラッチを踏んでギアを一段上げた。ピークに近いエンジン音を保ち、道幅の広い道路を突っ走る。シフトレバーから離した手をそのまま真新しいコートのポケットに突っ込み、煙草のケースを取り出した。振り出して一本咥えると、横から火が突き出される。
「……悪いな」
「僕の心臓の衛生上、こうした方がよかっただけです。お気になさらず」
 リューグは半眼でハンドルを見て、顎をしゃくった。わかったよ、と肩を竦めてザイルは両手でハンドルを持ち、火に煙草を近づけて軽く吸う。
 暗がりの車内に、ほのかな明かり。ザイルの口元で紫煙がけぶる。
 蛇行運転はいくらかマシになってきていた。もともと、車を運転したことは何度もある。レースゲームと同じようには行かないが、慣れてしまえば似たようなものだ。

 今までしてきた事を振り返る
 バカげたことは忘れられない
 どうやら俺はベストを尽くしてきたらしいんだ
 そう、偶然にも


 環状線をギアをひとつ落として登り、なだらかになるのと同時にアクセルを吹かして、クラッチを踏んで一段上に繋ぎなおす。シキほど滑らかには行かないが、それでも一般人よりは大分速く操作を行っていると思う。
 ザイルは煙草を吸いながら、環状線を道に沿って走った。雨の勢いは、収まるどころか激しさを増している。ハンドル操作を誤ればスリップしかねない。ザイルは運転に集中するために、煙草を備え付けの灰皿に押し込んだ。
 リューグは何も言わず、時折窓の外に目を走らせる。視線は鋭いが、しかしまだ警告の言葉は出てこない。
 ザイルもまた無言でハンドルを切った。コンピュータが弾き出した道のうち、もっとも襲撃の可能性が低いと出たルートWをただ愚直になぞる。
 下り坂、転がっていた砂利でタイヤが微震する。

 あの音は何だ
 あの歌は何だ
 俺が走っている通りの名前は何だ?
 俺の車に乗って
 俺の車に乗って


「ルートW、予定距離の半分を突破しました。……このままのペースなら、あと四十五分で安全域にまで離脱できます」
 リューグが静かな声で言った。激しいドラムとギターリフが流れているのに、その声はどうしてかよく響く。
「ヤツらが幅を効かせられるのは凍京とその周辺までだからな。五分縮めてやる。四十分だ。俺の分まで神様に祈っててくれ」
「神を信じるのは、泥水を飲んで野草を齧った時にやめましたよ。祈るぶん、あなたを信頼することにします」
「……言ってくれるぜ」
 ザイルはハンドルを握る手に力を込め、アクセルを踏みしめた。林立するビルの狭間を走り抜け、ただひたすらに遠くを目指して走る。
 山ほどの財産を置いてきたが、それも致し方ないだろう。シキなら言うはずだ、金はまた稼ぐことができる。けれどアリカは二人といない、と。ザイルは、この何週間かで、同い年だという彼の純粋な思いを信じてみる気になっていた。
 裏切られたことは何度もある。数える気にもならないほどだ。何度も手を噛まれてそれでも手を差し出すのは、阿呆のやることだと思っていた。けれど、そうして岩のように閉ざしたはずの心をもこじ開ける何かを、ハセガワシキは持っていた。それはイツカノアリカに対する純粋な愛であったり、ザイルやリューグに向けられる無防備なまでの信頼であったりする。
 この凍京のスラムで、自分の直感が受け入れた相手を無鉄砲なまでに信頼する。間違いなく早死にをする生き方だ。……他人を放っておけないと感じたのは、もしかしたら生まれて初めてだったかもしれない。
 だからこうして、逃避行に付き合っている。殺人鬼は自嘲気味に笑った。
「……何か面白いことでも?」
「いや、何。この灰色の街並みに面白いことなんざ一つもないさ。ただ、おかしくなっただけだ。ガラにもない事をしてるってさ」
 リューグが僅かに首をザイルの方に傾けた。それを横目で捕えて、ザイルはハンドルを右へ回した。無造作に見えるが、曲がり方は穏やかで丁寧だった。
「……確かに、そうですね。僕らの基本は損得勘定だ。見捨てるべきときは見捨てなければ、自分の身が危うい」
「そうだろ? 判ってんだ、俺もおまえも。そんなことは基本中の基本だ。長く組んだ相棒だろうがなんだろうが、死神に憑かれてるヤツは自分の中から切り捨てなきゃ、まとめて狩られるハメになる。巻き添えで死ぬほど面白くない死に方もないからな、俺たちのフットワークはもっと軽くあるべきなんだ」
「同感ですね」
 リューグは、一度頷いて沈黙した。ザイルもまた押し黙る。エンジン音と音楽だけが車内を満たしていた。

 彼女の感覚が 感触が 味が恋しい
 どこへ行っても遠く離れてる気がする
 この距離は半端なものじゃない


「……でも」
 リューグが苦笑がちに笑った。それはザイルが浮かべたのと同じ、僅かに自嘲を孕ませた笑みだった。
「僕は、少しだけ甘くなったようなんです。この刀が、ただ無軌道に殺すだけじゃない、誰かの役に立つものだと知った時から。シキは僕の力に指向性を与えてくれる。彼は頭脳で、僕は刀。振るうのは彼の一存でいい。彼が僕を活かし、僕が彼を生かす。――彼は純粋だ。あの透明さに、僕は何度も助けられてきました。だから少しくらいは、彼の役に立ちたい。いつもの仕事だけじゃなく、時には損得抜きで」
「――おまえ、殺し屋失格だよ、殺人狂」
 リューグが訥々と語る声を笑い飛ばそうとして、ザイルは失敗した。
 シキとリューグのように、長い間を共に過ごしてきたわけではないのに、自分もそういう思いを抱きかけていたからだ。彼らの間にある友情に引き寄せられるように、憧れるように。
 ――僕らなら、きっと上手くやれると思うんだ。
 無邪気な顔で握手を求めたシキの笑顔を、ザイルは恐らく、この先ずっと忘れまい。
「やはり、そう思いますか?」
「思うさ。トモダチなんて曖昧なもののために、命を掛けられるって神経自体が、殺し屋のものじゃねえ。……安心しろよ、バカにしてるわけじゃあねえんだ。そいつは、俺にも言えることだからさ」
 ザイルは歌のリズムに乗せるように、ささやきを浮かべた。リューグが、かすかな微笑と共に視線を下げる。
 
 ゆっくりと辺りをドライブ
 自分の街で道に迷ったような気持ち
 角を曲がるたびに安堵する


 トレーラーは低いビルが林立する路地を駆け抜けていく。一方通行であるのをいい事に、スピードは常に可能な限りの最高速だ。先の方へ行くに連れて建物の影がまばらになっていくのが見える。フロントガラスを叩く雨粒をワイパーで払いのけながら、弾丸のように夜を行く。
 曲はもう終盤だった。リューグが窓の外、明かりのまばらなビルを見上げる。流れる景色は瞬く間に後ろへと吹っ飛んでいく。直線に入ってから、トレーラーのスピードメーターは常に時速百キロより上をマークしていた。

 ちょっと休みを取って遠くへ逃げよう
 ヤツらのビッグ・プランから
 耳を貸したのがそもそもの間違いだった
 
 オレはヘマをした その証明を突きつけられたのさ
 何度も何度も 何度も何度も


 ザイル、と鋭い声で名前を呼ばれた。あまりの唐突さに、一瞬ハンドルをぶれさせてしまう。言葉を返すより速くリューグに視線を走らせると、この狭い車内で彼は刀を引き抜こうとしていた。
「おまえッ、何――」
 してやがる、という言葉を出す前に天井から刃が突き出た。銀の薄刃が、ザイルの真新しいコートの腕を掠めている。刃が獲物を探すようにこじられるのが見えた。
「……!」
 ガンポッドのカメラには今の今まで何も映っていなかった。それなのにいつのまにか、受像機の中は砂嵐で埋まっている。まったく唐突な敵の攻勢に、しかしリューグは静かに言った。
「迎撃します、足を止めないでください」
 やれるのかと確認を取るまでもない。殺人狂がるといったら、それは絶対だ。リューグは急いた仕草でシートベルトを外し、刀を抜いた。シートに座ったまま一閃する。彼の上の天井が異音を立ててくり貫かれ、車内に雨の匂いが満ちた。それと同時に、天井から突き出ていた刀が引っ込む。それを追うように、自分で作った出口≠ゥら、リューグは矢のように飛び出していった。
「……サンルーフくらいつけとけ、馬鹿シキめ」
 開閉不能の天井穴を一瞥しながら、ザイルは状況を整理する。
 どうやら襲撃を受けたらしい。左右には背の低いビルがある、アレの上から飛び降りてきたのだと考えれば不自然ではない。さりとて、この豪雨に強風だ。正確に目標の上に飛び降りるなんて事を考えるよりは、スナイパーライフルで狙った方が確実だろう。だというのにそれをしなかった。そして、天井から突き出たのは確かに刀だった。白く光る、殺しのための刃物。そんなアナログな得物を使うのは、重度に身体を改造したサイボーグ以外に考えられない。
 ソリッドボウルの連中が、またオーバースペックな連中を連れてきたのだとしか思えなかった。
 とにかく、天井に乗った襲撃者についてはリューグに一任するしかない。自分は運転に集中し、一刻も早くコースを踏破することだけを考えなくては――
 そう、考えたときだ。ハイビームのライトが、道の果てに立つ人影を捕えた。
 ずぶ濡れの小柄な影だ。まだ顔に幼さを残した少女である。ゴシックロリータに身を包み、こちらを見つめている。まるで、道路に飛び出した猫のようだった。唯一違うのは、そいつが、満面の笑みを浮かべていることくらいだった。
 少女が口を動かす。

 ――ようこそ、殺戮領域へウェルカム・トゥ・ジ・キリングフィールド

 その瞬間、ザイルはアクセルを蹴り潰すような勢いで踏んだ。鋼鉄の四輪車が咆哮を上げ、最高速度を叩き出す。瞬く間に少女の姿が迫り来る。ザイルは無線機に向けて「対ショック」の旨を叫び、歯を食いしばって、アクセルを緩めずに突っ込んだ。
 もはや回避不能な位置まで肉薄したというその時、少女がスカートを摘んで可愛らしく礼をした。
 そして、
 衝撃。
 それこそシェイクになってしまいそうな激しい振動がトレーラーを包む。正面装甲が悲鳴を上げ、タイヤが軋んだ。ザイルは目を閉じずに、その一部始終を目の当たりにした。驚愕に、思わず表情が歪む。跳ね飛ばしたはずの少女が、トレーラーの前にいる、、のだ。細腕がトレーラーの前部装甲に食い込み、足がアスファルトにめり込んで、後方へ続く溝を彫っている。
 アクセルが思うように回らず、回転数が目に見えて下がっていく。ザイルは認めるしかなかった。
 ――このガキ、トレーラーを素手で押さえ込んで、、、、、、やがる――!!
 驚愕のまま、ザイルはクラッチを蹴り飛ばしてギアを三段落とした。しかしまだ足りない。トルクを出すためにローギアまで叩き落したが、ギアチェンジの一瞬のラグに割り込んで、少女は右腕を振りかざした。その手の先に光が集まり、一瞬で形を成した。ハンド・ハンマー――金槌だ。
 その突拍子もなさにザイルが目を見開いた瞬間、少女はハンマーを振り下ろした。金属の軋む音、部品の傾ぐ音、装甲の削れる音とが合わさり、破壊の楽章を奏でる。
 その瞬間、車で逃げるという選択肢は、ザイルの中から消えた。シフトレバーが動かない、アクセルが反応しない。フロントが火を噴き、延焼防止機能が作動して、車は走る事をやめようとしている。
 やがてトレーラーが完全に停止した時、車に強制的過ぎるブレーキを掛けた少女は、フロントから腕を引き抜き、手に持った金槌をくるくると回して、ダンスのステップをするように後ろへ離れた。にこにこと笑顔を浮かべたまま、運転席のザイルを指で招く。
『ザイル!! 今の振動――』
 耳につけた無線機から、慌てた声が聞こえる。ザイルは平坦な口調で言い返した。
「シキ、端的に言うぞ。バケモノがいる。新手だ。アリカを担いでとっとと逃げろ」
『新手!? ――でもッ、それじゃあ君たちが』
「殺人鬼と殺人狂は伊達じゃねえよ。バケモノは専門外だが、四の五の言える状況じゃねえ。とっとと行け。俺だって、バックレたくて仕方ねえんだからよ」
 反論を聞かず、ザイルは耳から無線機を毟りとって放り捨てた。身体に括りつけた銃器の感触を確かめながら、車のドアを蹴り開ける。ザイルは雨粒を顔に受けながら、負い紐スリングでヘッドクッションに引っ掛けておいた二挺のライフル――ディメンジョン・プルーフ製セイバー′ワ・五六ミリアサルトカービンを担いだ。全長六五〇ミリとコンパクトな上、破壊力の高いアサルトライフルである。
 外は嵐だ。吹き渡る風と殴りつける雨が鬱陶しい。かすかに離れた位置からは、刀で打ち合う音が聞こえてくる。驚きの表情を車内に置き去りにして地面へ着地する。もう動揺はするまいと、心に決めた。感情の起伏は人の命に引っ掛かる。心を波立たせては人は殺せない。ずっと前から感じていた事を、ただただ自分に言い聞かせた。
 雨の中へ進み出るザイルを迎えたのは、小鳥の囀るような声だった。雨の中で口上は、水音を縫うように朗々と響く。
「――ああ、なんて素晴らしい千夜一夜。吹き散る恵みの涙の中に、命の飛沫を混ぜましょう。ようこそいらっしゃいました、この絶対不変・回避不能・絶命必至の殺戮領域へ。狂喜乱舞の凶器乱舞、全身全霊でお相手仕るはこの私。霧崎舞キリサキ・マイ、推参っす!」
 最後の一言でくるりと金槌を回して、ザイルへと突きつけてくる。距離八メートル、しかしこの距離はないものと思ったほうがいい。あの金槌は既に自分の首筋にあるのと同じことだ。サイボーグにとっての八メートルなど、ほんの一足二足で埋まる距離に過ぎない。
 ザイルは突撃を警戒しながら、口を開く。
「――いつから俺たちを付け回してた?」
「名乗りには名乗りを返すもんっすよ、おにーさん」
 やれやれ、とでも言いたげに少女が肩を竦める。芝居がかった口上を謳いあげたかと思えば、ふざけているのかと疑うほどに軽い調子で語りかけてくる。
「さあさ、このわたしと踊ってくださる、いかした黒尽くめのお兄さんのお名前はー?」
 つま先を鳴らしながら促す少女に、しかしザイルはまったく取り合わずに銃のチャージング・ボルトを引いた。凝縮された殺意の固まり、五・五六ミリメートル高速弾が薬室に装填される。かみ合う金属の音は、この豪雨の中においてもよく響いた。
 マイと名乗った少女は唇を尖らせ、低い声で不服を漏らす。
「……ノリ悪いっすねえ」
「殺し合いをダンスに喩えるセンスだけは褒めてやる。景品は鉛弾だ。好きなだけ持っていけ」
 ザイルは二挺のカービンをゆっくり持ち上げ、腰溜めに構えた。銃口が敵を睥睨する。マイは銃口を覗き込むようにして、ザイルの台詞に肩を竦めた。
「そのくせ台詞はカッコつけ。……自分の壊れた部分を隠してるロボットみたい。ま、どーでもいい話っすけど。あ、いちおー命令なんで聞いときますね。邪魔しないで後ろに下がれば戦わないで放っておいてあげますけど、どーします?」
 能天気な口調で述べる敵手を前に、ザイルは祈るように呟いた。
「そいつができるなら、俺は今頃遠くに逃げてたさ。誰も俺の顔を知らないくらいの、遠くまで」
 意識を集中した。意図して、自分の思考を加速する。古錆びたハードディスクが、限界を超えて回転するイメージ。カリカリと音を立てて回る自分の思考速度が、時の流れを泥流のように遅く感じさせる。
「俺は殺人鬼だ。そっちも似たようなものだろ?」
 ザイルは低い声で唸るように呟くと、持ったライフルを構えたまま、姿勢を低め――
「余計な言葉は要らない。始めよう」
 相手が口を開く前に、アサルトカービンのトリガーを引いた。
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