-Ex-

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「……!」
 相沢翔は、急激に発生した同類≠フ感覚に思わず足を止めた。
第二段階レベル・ツー。覚醒したExを使ったか」
 ぽつりと呟く。翔は自身の感覚が他のプラスよりも優れていると自覚している。学生時代に嗜んだ剣道は、構えや技よりも重要なものを自分に与えてくれていたらしい。
 立ち止まって感覚を研ぎ澄ます。突如発生した原理侵食フィジカル・ハックの気配は南東に二百メートル、それも地下だ。
「援護に──」
 行くべきか、行かざるべきか、かすかに逡巡をした瞬間、彼は蒼い眼鏡の内側で驚愕に目を開いた。
「もう二つ!?」
 北西から高速で接近する二つの気配。両方が両方、障害物の多寡などお構いなしに突き進んでくる。
 あり得ない、と思った。飛行可能なイクスはセレイア=アイオーンのみの筈だ。
 しかし、その接近は止まらない。より感覚を鋭敏にしてその行く先を探る。
 ──近い。
 敵手は二体。施設に近づくにつれ、その進路はかすかに角度をつけて開き、二手に分かれる。
 片方の進路を見て、翔は迷わず呟いた。
装甲実装インプリメント・オン
 近づいてくる。相対距離、二百メートルを切ったあたりで翔は具象装甲フェノメノンハンドラ動作状態アクティブにし、跳んだ。
 建造物に足をかけ、垂直に掛け上って、弾丸のように迫りくる物体を視認する。大きさは人一人がすっぽり収まる程度の、砲弾に似た何か。それが噴射炎を煌めかせながら、炎で赤く染まった夜空を翔てきていた。
「──虚閃抜刀コセンバットウ
 右手を打ち振ればすぐさま現れる、折れず曲がらぬ自慢の黒刀。翔は刀を提げて建物を屋根伝いに走る。相対距離、風、自らの速力、すべての条件が合致した瞬間、彼は膝を溜めるように屈める。
 次の瞬間には、彼の体は空を飛ぶ砲弾まがいの物体へ向かって跳ねていた。その跳躍、直線距離にして二十八メートル。
 若干上から被さるように、翔はその弾体に襲いかかった。赤い夜空に照り映える黒塗りの刃を、力の限り振りおろす。
 豆腐のような柔らかさで、弾体の表面装甲が裂ける。そのまま一刀両断にするつもりで刃を進めた瞬間、翔は軋るような刃の声を聞いた。

顕現イグニッション=v

 涼しい声が響く。翔の刃が止まる。裂けた弾体の向こう側に、銀色の煌きが見えた。
 ――その銀の煌きが、刀を押し返しているのだ。そう気づいた瞬間、彼の背中に寒気がするほどの戦慄が走る。翔は弾体に足を付き、力の限り蹴り離した。
 次の瞬間、弾体が弾けた。――否、弾けたというのは的確でない。何せその弾体の下半分はいまだに宙を滑り続けているからだ。上半分が、賽の目になってバラバラと風の中に吹き散らされていく。船のような形に残された下半分の弾体の中で、誰かが立ち上がる。ベージュのロングコートが風にはためいた。
 細身の、しかし必要な筋肉の乗った肉体は、戦う≠ニいう唯一の目的のために研ぎ澄まされた刃のようだ。その右手には銀色の鋭い刀がある。獣の牙のようなきつい反りのかかった、長刀だ。
 栗色の髪が風になぶられ、彼の目元を隠す。翔がその顔に注視した瞬間、敵は、口元を笑みに歪ませた。
「――!」
 両者、ともに声もない。
 翔は空中で、風を手繰るようにして姿勢を整えた。そして姿を現したExもまた、弾体の縁を蹴って宙へ身を躍らせる。
 空中で、激戦が始まった。
 振り下ろされる刀の一撃を、翔は鞘で受け流す。突き返しの一撃を、敵もまた左手の鞘で受けた。
 地表に剣戟音の雨が降る。揺らめく炎の上を、彼らは落ちていく弾体と同じ速度で滑りながら、己の武器を敵の命へと振るい、打ちかかる。
 ――速い!!
 一合、また一合。重力に縛られ落ちていくその最中でさえ、敵の剣速が鈍ることはない。腕を巻き、胴薙ぎに払われた一撃を逆手にした刀で受け止めた。鞘を突き出すが、敵は受け止められた反動を利用して身を返し、再度刀で突きを切り払う。
 これほどまでに刀を使っての近接戦闘に特化したExが作られていたことに対して驚愕の念を覚えながらも、しかし翔は休まず刀を振るい続けた。地面が迫る。
 接触後の三,五四二ミリセコンドで合わせて二十合、圧縮された時間の中での打ち合いは神速である。両者がともに着地の姿勢を取ったのは、地上八メートルまで高度が落ちたその瞬間であった。
 敵の打ち下ろしを刀で弾いた瞬間、一際目映い火花とともに、互いの間に大きく距離が開く。翔は下肢に纏った具象装甲フェノメノンハンドラに命令を下し、原理侵食フィジカル・ハックを発現した。
 自分の身体を軋ませる負荷をカットし、同時に、背面から前方に向けて偽の重力を働かせ、接地時のインパクトを可能な限り殺す。──自身に掛かる応力の制御、それが彼の原理侵食偽造応力モーメンツカモフラージュ≠フ基本的な能力である。翔は危なげなく、小さな音を立てて着地し、すかさず刀を構えなおした。
 敵にはそのような能力はないはずだ。この速度で落下すれば、着地の応力で何らかの隙が生じるのは必定。
 いかに近接格闘用の個体であろうと、体勢が乱れた一瞬が見えれば斬り伏せられる。それは、彼のプラス・ナンバーセブンとしての確信であった。
 翔が着地するのに刹那遅れ、敵が着地しようとする。直線距離にして敵の動作を見落とさぬよう睨みつけていた翔は、その瞬間、背筋を這い上る怖気に舐められた気がした。
 ──あれは着地の姿勢ではない、、、、、、、、、
 大上段に振り上げられた剣先、まるで宙に立つかのような直立姿勢。勢いを些かも殺さず地面に向かって落ちてくる。直線距離にしておよそ七メートルの開きがあるこの状態で、それでも敵がこの動作を取る。
 それ即ち、その刀が本当に届くという証左か──あるいは裏を掻いてのブラフか。
態勢移行シフト終式オメガ>氛抜刀ドライブ
 落ちてくる敵の顔が、燃える炎に照らされ明らかになった瞬間、翔はその動作がブラフであるという推測を捨て去った。
 彼は知っていたのである。
 そのExの、顔を。
 果たして、翔が地面を蹴り、音の壁を捻じ伏せて右に逃れたその瞬間、巨大な土柱がそこに上がった。
 いかなる手段によるものか。翔は衝撃波に半ば吹き飛ばされるように転げ、すぐさま応力を操作して地面に立ち、敵の方を見やる。
「……」
 翔は額に脂汗を浮かべた。
 二十メートルはあろうかという長きに渡り、コンクリートの地面に一直線の亀裂が走っている。亀裂の終端は建物だったが、その建物さえもが、彼が見ている前で、中央から潰れるように崩れた。
 上がる土煙、降り注ぐ瓦礫と砂塵。その中でゆっくりと、長刀を持った少年が顔を上げる。
 彼は笑っている。張り付けたように動かない微笑を浮かべている。
 ──何をしたのだ?
 分かりはしない。彼がねじ曲げた原理≠ェ何かさえもわからない。
 ただ、結果として一つだけ、ただ一つだけ明らかなことがある。
 ──彼は、二十メートルとあの建物の幅までの距離を、斬ったのだ、、、、、
「……殺人凶バッドマーダー。次は貴方が逃げ回る番です」
 ちき、と鍔鳴りの音。
魔剣システム終式オメガ≠フ錆にして差し上げましょう。今の一撃は大きく逸れましたが、次の一撃はより貴方の首に近づく。その次をかわそうとも、この刀は飽かずに貴方の命へと食らいつくでしょう。何度でも、貴方が敗北の泥を舐めるまで」
「根に持つタイプとは知らなかったよ。こんな事なら、片腕くらいは頂いておくべきだったかもね」
 翔は、言葉の後に敵の愛称を呟いた。かつて彼が名乗った、たった一つの物騒な名前を。
 しかし少年は、視線の先で首を振る。
「その名は少しだけ古い。改めて名乗り直しましょう。僕の名前は──」
 張り付いた微笑を刀で緩やかに隠し、少年は構えを改めた。
 そして、名乗る。
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