-Ex-

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 何十度目かの交錯。擦れ違いざまに放ったショートフックを片手でいなして、女はつまらなそうにため息をつく。
「軽いわね」
 女の呟きがジェノの焦りを煽る。戦闘が始まってこちら、どちらにも有効打はなく、探るような打ち合いが続いている。
 傍目に見れば、それは互角の打ち合いだった。空気に火花を散らしながら、双方一歩も譲らない熾烈な戦いと言っておかしくあるまい。
 しかし、ジェノは薄々と悟り始めていた。
 ──この女は、遊んでいやがる。
 先ほどから繰り出すすべての攻撃が、右手に受け止められていることに、彼は気づいてしまったのである。
「ほざけっ!!」
 最大加速。地面を蹴り、巨体を五歩で最高速にまで押し上げる。最大出力にセットした義腕シヴァを敵に叩きつけ、そのまま振り抜こうとした。
 しかし、叶わない。敵は生身の腕で電流駆けるジェノの一撃を受け止めた。弾き飛ばされることも、揺らぐこともなく、ただ片手で男の一撃を止めたのだ。
 電流が伝わっていかない。
残念だけど、アンタたちがプラスに勝つ方法はないわ
 長髪の少女──イクス・スリーが言ったことが、今更のように頭に響く。
出会っちゃったら、可能な限り逃げなさい。それが無理なら、限界まで持ちこたえなさい。……アタシたちがそこに行けたなら、絶対にアンタたちを助けてあげる
 ──まだかよ、ハル。
 春哉空の言葉を思い出し、ジェノは毒づくように舌打ちをした。
 フルパワーで展開したシヴァ≠フ電流が、接触しているはずの敵の右腕を滑る。まるで絶縁されているかのように、電流は彼女に伝わらない。
 加えて、振り抜くはずだった右腕は女の細腕に呆気なく掴まれ、止まっている。悪い冗談のような光景だと思った。
「退屈よ。そろそろ死ぬ?」
 ミシ、と義腕が悲鳴を上げた。反射的にジェノが右腕を引くと、装甲板が彼女の手に引き剥がされた。
 次元が違う、なんてものじゃあない。
 これは既に、大人と子供でさえない。
 ひゅ、と息を吸い込む鋭い響きと同時に、敵が突っ込んでくる。繰り出される右腕を必死に凌いだ。
 装甲板を剥がされたときに、右腕の発電ユニットが一つ潰されていた。そして今、防御に使った左腕の電流の輝きが、また少し落ちる。
 削れていく輝きは、自分の命がなくなる瞬間が近いことを示しているかのようだった。
「ま……だだぁッ!!」
 敵が攻撃の隙を消すように後退するのを追いかけ、叫び声をあげて前に突っ込む。同時に右腕を繰り出した。
 首を傾げて避ける女を追いつめるように、左のジャブで距離を測る。ジャブ二発を相手が右手で防いだのを見てから、大振りにならないストレートパンチを放った。正確なコンビネーションに女の足が止まる。彼女が拳を正面から受け止めたその瞬間、ジェノは全力で動いた。
 伸びきった後ろ足を地面から引き剥がし、もう一歩だけ踏み込む。
「おらアッ!」
 足腰の力をフルに使い、ねじり込むように拳を押し進めた。受け止めた女の手が押され、ついには受け止めきれなくなる。
 ジェノの拳が、防御した右手ごと、女の頬を殴り飛ばした。
「ッ……」
 敵が靴裏で地面を削りながら後退する。吹っ飛ばした、と言うにはほど遠いが、それでもジェノはにやりと笑った。敵の右頬が、微かに赤くなっている。拳が、届いたのだ。
「どうだよ、プラス。両腕出す気になったか?」
「……」
 ジェノが嘲るような声を上げたのを聞いてか聞かずか、女は右手を自分の頬に当てて、しばしの沈黙の後、ゆっくり顔を上げた。
強化人間フィジカライザーのくせに」
 怒りに満ちた声を響かせ、女は柳眉を逆立てた。
「いつまでも余裕こいてっからそうなるんだよ。敵は殺せるうちに殺せってな」
 ジェノは自分の腕の被害状況を確認する。まだ電流は発したままでいられるし、単純に殴打するだけならもっと長く戦うことが出来るだろう。
 微かに離れた距離で、敵の出方を伺うようにジェノが構えを低く取ると、敵は小さな声で呟いた。
「……そうね。そうするわ」
 滴すら落ちない、絶対零度の氷柱じみた声。
 ジェノがガードを上げ、敵の挙動を見ようとしたその瞬間、女は右腕を突き出して二の句を継ぐ。
装甲実装インプリメント・オン
 女の右腕が光に包まれた。同時にその姿が掻き消える。全く唐突に、視界から消失したのだ。
 ジェノは弾かれたように動いた。本能と、眼の端に映り込んだ光を頼りに、ガードを左半身に集中させる。
 眼を左に向けた瞬間に見えたのは、銀色の腕だった。
「ッ」
 息を詰めた次の瞬間、声も出せないほどの衝撃が全身を貫いた。足が地面から剥がれ、体が宙に浮く。本能的にバランスを取ろうとするが、それを成せぬままジェノの体は背中から地面に落ちた。
 受け身を取ろうとして、それも上手く出来ずに三度ほど転がる。地面を左手で引っ掻いて制動をかけ、ジェノは女の姿を見た。
 ──異形であった。
 華奢な体、儚げな容貌に、伸ばせば地面に触れられるほどの長大な機械腕。どちらも単体で見れば、美しさ──あるいは機能美を感じることが出来たもののはずだ。
 しかしその二つが融和することは決してない。それ故の異様であり奇形であった。
 彼女の右腕に、何かが握られている。
「脆いわ」
 呟きながら彼女が投げ捨てたのは、──銀色の鉄の塊。クローム・コーティングで白光りする、ジェノの右腕だった。
 ……悪い夢だぜ。
 ジェノはその光景を見て、すべてに納得した。空中でバランスがとれないのも、取り飽きたほど取ってきた受け身をしくじったのも、右腕がないのなら簡単に説明が付いた。
 痛みはない。おそらく痛覚遮断が自動的に起動し、シヴァの末端から生まれる疑似痛覚をブロックしたのだろう。
 そうしなければ戦えなくなると、この腕が叫んだのだ。
「次は、心臓を貰うわ」
 女が無感情に呟く。そして恐らく、その呟きは遠からぬ瞬間に果たされることだろう。
 ジェノは恐らくは既に喉元にある自分の死に対して、小さな悔いを覚えた。
 一年だ。一年を掛け、技を磨いた。自分より格下の連中には目が向かなくなった。自分より下の人間が、あの場にはいなかったからだ。
 ただ、愚直なまでに訓練した。いつか、もっと強くなれると信じていた。まだ限界は感じない。もっと強くなれると誰もが言う。
 たった一年で自分は、これだけ強くなった。ならもう一年、さらに一年、鍛練を重ねたとしたら。
 あるいはこの規格外の連中に、傷を負わせられるのではないかと、夢想した──
「死になさい」
 銀色の機械腕が持ち上がる。自分の義腕よりも巨大な腕を、ジェノは初めて見た気がした。女が地を蹴る。ジェノはそれを阻むように、片腕だけになったシヴァ≠構えた。
 一瞬あとに訪れるであろう自分の死を、目を逸らさずに見つめてやるつもりで、ジェノは両目を大きく見開く。飛び込んでくる女と、振りかぶられる銀の右腕が、妙にゆっくりに見えた。しかし自分の体は泥の中にでもいるように重く、それに対応するようには動けない。
 緩慢に迫ってくる死に覚悟を決めた、正にその時であった。
 掠れる様な小さな声で、けれども確かに、誰かが――目の前の女でもなく、自分でもない、第三者が――言葉を呟いた。
「……変異イグニッション=v
 刹那、少女が振り下ろしかけた腕を止め、表情を変えて飛び退った。その原因を推察する前に轟音が響き、自分の目の前を人の横幅程の閃光が突き抜けていく。
「うおおあッ?!」
 傍にいるだけで皮膚が焼け焦げそうな熱量に、ジェノもまた最速で飛び下がった。
 純白の閃光はジェノと女の間を突き抜け、用を成さなくなった隔壁に突き刺さってあっさりと貫通する。その威力をジェノが類推することは出来なかったが、少なくとも触れてみようとは絶対に思えないような、エネルギーの奔流であった。
 一瞬呆けかけてから、ジェノは反射的に光条の根元を見やる。薄れて消えていくその光の筋の根元には、彼が死守を命ぜられていたプラントがある――否、あった、、、
「……嘘だろ」
 ジェノは呆然としてその有様を見た。張り巡らされたパイプや計器、シリンダーに類する数々の設備があったはずの場所は、光が通った位置だけ綺麗に丸く吹き飛ばされていた。堅牢な筈の設備が、まるでそこだけ丸く切り抜かれたかのように破壊されている。
 ――更に視線を奥に送れば、最奥に鎮座していた堅牢な鉄のシリンダーに大穴が開いていた。
 ジェノがその暗く深い穴に目をやった瞬間、その奥に、緋色に輝く二つの光芒が浮かび上がる。
 背筋が粟立った。自分の生存本能が訴える。
 あれはまずい──もしかしたら、この女よりも。
 しかしそこから目を離すことも出来なかった。目を逸らしたら、次の瞬間にでも飛びかかってくるのではないかという、漠然とした不安感が心に根付いている。
 二つの緋色が、かすかに上下に揺れる。シリンダーの縁にぽっかりと開いた穴のへりに、じゃりり、と金属のこすれる音を立てながら絡みつくものがある。
 ジェノは目を凝らした。
 カメラアイが素早く、音もなく焦点を絞る。刹那の後に彼の目がとらえたものは──爪であった。
 爪。そうとしか表現しようのない、とがった銀色の切っ先が、損壊したシリンダーと擦れあって耳障りな音を立てている。
 敵が――そう、無敵のプラス≠ワでもが、その動きを止めていた。襲い掛かってくる気配がない。
 かけられた爪の意味は、ジェノにでもすぐにわかった。シリンダーの中から、『何か』が這いずり出ようとしているのだ。
 あのシリンダーの中にいたのは、最新型のEx──イクス・エイトのはずだ。だが、ジェノは今までであったイクスの中の誰よりも、その存在、、、、を畏怖した。
 あれは一体、何だというのだ?
『る……ゥゥううゥぅウ……』
 大きな岩が転がるのを遠巻きにした気持ちに似ている。体に音として届くその声も、向かってきたらどうしよう、と思う恐怖さえも。ジェノは岩など怖くはなかったが、その時ばかりは、鋼の肉体を手に入れる前と同じ気持ちになった。
 ずるり、と、鋼鉄のシリンダーの奥から、何かが這い出る。
 その姿は、異常を通り越していた。ジェノは一瞬、自分が夢を見ているのではないかと本気で疑う。
 しかし、目を何度瞬いても、化け物の姿は消えはしない。
 シリンダーに開いた大きな穴を狭苦しそうに潜り抜けてきたのは、体長二メートルを超えようかという獣だった。狼と獅子と猛牛をでたらめに混ぜ合わせたような顔。光る瞳は血を思わせる緋色。体躯は鋼線を束ねたかのような強靱な筋肉で覆われている。黒い毛並みを持つその化け物の中でひときわ異彩を放つのは、上肢──否、両腕であった。
 金属光沢を帯びた流線型の両腕は、一見ありふれた義肢にも見える。だが、その腕はヒトが扱うにしては巨大すぎ、そして余りに暴力的だった。ジェノの義肢、シヴァ≠ェ子供の腕に見えるほどのサイズである。金属光沢を持ちながらも、有機的な挙動で脈打つ両腕は、この上なく恐怖を掻き立てる。
 ──それは即ち、狩られるものとしての恐怖だ。生物として格上の相手に、本能が抱く畏怖だ。
 ずしゃり、と獣がシリンダーから出て、着地する。その振動が、十メートルは離れたここまで響いてくる。異形の獣は、自分の体を確かめるように、ゆっくりと数歩歩いた。
「──あなた、何」
 その歩みが、固い声で止まる。
 プラスが、自分の手に付いた鋼鉄の爪を擦りあわせ、尖った音を鳴らした。
 それを契機に、女の腕が低く、うなるようなハム音を立て始める。青白い燐光が漏れた。
「私はイクス・エイトを殺しにきた。あなたがそうなの」
 平坦な声での問いかけに、獣が表情を歪めた。それはもしかしたら、笑ったのかもしれない。獣は口元を幾度か動かして、ノイズを混ぜた低い声で言う。
『ソウ……ダネ、ソウダ。イカニモ、僕ハイクス・エイトダヨ。君ハ──プラス=H』
 獣は凶悪な外見に反して、辿々しい語調でつぶやく。
「それ以外の何かに見える? 証明が欲しいなら、そこのガラクタを今すぐバラバラのスクラップに変えてあげるけど」
 プラスが語る声は敵意と殺気に満ちあふれていた。ガラクタ、というのが自分を指している言葉だと気付いた瞬間、ジェノは反射的に激昂しかけるが、バケモノ──イクス・エイトの緋色の瞳が自分を注視しているのに気付き、動きを止める。
「……下ガッテ、ジェノ」
 思わず、息を呑む。
 相変わらずおぼつかない口調だったが、その獣は、確かに自分の名を呼んだ。
 ──あの中の誰かなのか。
 半年前、メルトマテリアルに残るか否かの決断の後。さよならの一言もなく、姿を消したうちの誰かなのか。
 イクスになれずともメルトマテリアルに残ると決断したものは残らず強化人間フィジカライザーとなったはずだ。ジェノはその全員の名前と顔を記憶している。
 ならばイクスになったのは、あのとき消えた誰かでしかあり得ないのだ。
 返事も返せぬまま、ジェノは顎を引くように頷いて、二歩後退する。
 それを確認したように、獣は再三口を開いた。
「ソンナ事ヲシナクテモ、僕ガ君ノ相手ニナルヨ。──名前ヲ聞イテモ?」
 獣の問いかけに、プラスは数秒の沈黙を挟んで、ゆっくりと答えた。
「──アリカ。逸彼、、在処、、。みんな私を殺人姫イーヴィルセティ≠ニ呼ぶわ」
 瞬間、女の両肩の装甲が展開し、青白い炎を吹き上げた。それは出来損ないの翼のように、破壊されたプラントを照らしあげる。
「あなたを殺す、女の名前よ」
「出来ナイサ」
 獣は、噛みつくように言った。
 感情の類推しづらい、無理矢理に出したような声で。
「君ニハ出来ナイ。サセハ、シナイ」
 嘲笑しているようにも、静かに諭すようにも聞こえる、獣の声。苛立ちと戸惑いを混ぜたような表情で、プラスが口を開いたその時──獣は、彼女が声を出す前に続けた。
初メマシテ、、、、、、イツカノアリカ。僕ノ、名前ハ──」
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