-Ex-

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  Escape from Tokyo  

 勝ち戦は気分のいいものだと思っていたが、辛勝した後の気だるさは勝利の余韻よりも重たかった。ボロボロのコートは置いてきてしまったし、服はあちこち濡れて気分が悪いし、吐瀉物がこびりついていたりで、もう本当に最悪の気分だった。着替えたい。
 その上両腕が包帯でぐるぐる巻きと来れば、気も滅入るというものだ。
「……おまえ、もっと丁寧なやり方はできないのか」
「残念ながら。シキはアリカを移送する準備で手一杯ですからね。文句があれば自分で巻いて下さい」
「腕がもう少しまともに動くなら、是非ともそうしたいところだな」
 ザイルは包帯だらけになった両腕を眺めた。まるでミイラのようだ。つい先ほど、ナノマシンの活性薬を打ったばかりだ。先ほど千切れた炭素繊維製の筋組織の快復を早めるものである。形状を固定するためにと包帯を巻いてもらったが、リューグは小器用に見えてその実、変なところで不器用らしい。
 ここは医務室。恐らく、もう二度と拝む事のないであろう部屋だ。襲ってきた連中もここまでは探さなかったのか、特に荒らされた形跡はない。アジトの中で損傷が激しかったのは、入口から管制室に至るまでの道のりと、管制室からアリカの部屋へ行くルートの二つだった。四人で過ごすには広すぎるくらいのこのアジトは、今やその機能の半分近くが使用不能になっている。
「また引越しか。忙しない話だ」
「仕方がありませんよ。シキの話によれば敵はソリッドボウル。こちらに来た部隊は二人が迎撃して事なきを得たようですが、アリカが受けたダメージも生半なものではない。かく言うあなたもその状態では、正面切って戦うわけにもいきません」
「尻尾巻くしかねえってか」
「面子を重んじる企業ですよ、ソリッドボウルは。実働部隊は特にね」
 それはザイルも知っていることだった。敵対したものは小物であろうが容赦なくひねり潰し、企業の威容を見せ付ける。しかもその報復行動はきわめて迅速かつ的確に、そして秘密裏に行われるため、中央警察ですら尻尾を掴むのに苦労すると言う話だ。
 そして中央警察が確たる証拠を握ったとしても、それは検挙の話が持ち上がる前に握りつぶされてしまう。金の力は強い。金を持っている企業はそれに比例して強くなる。当然の話だ。
 ――そして今、ザイルたちはそのソリッドボウルの一部隊を退けてしまったのだ。
「逃げるっつってもな、どこに逃げる?」
「遠くへ。彼らの手が届かないくらいの場所まで。そこでほとぼりを冷ましましょう。凍京の外は仕事も少ないでしょうが、それでもここで包囲されるのを待つよりは随分マシです。この調子で波状攻撃を続けられてごらんなさい。綱渡りは、そうそう何度もうまくは行きません」
「……まあ、そいつは正論だが……肝心の俺達のボスは、まだアリカにかかりっきりか?」
「生命維持装置を丸ごとトレーラーに搬入するのは骨の折れる仕事ですよ。しかし、いきなり偽装通路を使うハメになるとは思いませんでしたね」
 リューグは笑いながら呟いた。真剣味に欠ける表情のように見えて、細めた目のその奥は笑っていない。彼の隣には、収める鞘を無くした音遠――超振動剣ヴァイブロブレードが立てかけられている。
 リューグは刀のグリップを確かめながら、しばらく考え込むように目を伏せた。
 彼が思案げにしている理由が、ザイルには判る。
「おまえが何を考えてるか当ててやるよ」
 投げやりな響きのザイルの言葉に、虚を突かれたようにリューグが顔を上げた。
「ソリッドボウルがどうして俺達を襲ってきたのかって話だろ。それも、キラーハウスと一緒になってだ」
 リューグは目を瞬くと、口元を笑いに歪めて言葉を紡いだ。
「驚きましたよ。あなたでもそういう事を考えるのだということに」
「喧嘩売ってンのかてめぇ」
 思い切り眉間にしわを寄せてやると、リューグは笑顔で両手を肩の高さに挙げて、大げさに首を振った。
「いやいや、まさか。そういう事を気にかけることができると言うことで、また一つ僕の中であなたの株が上がっただけの話ですよ、ザイル」
「嬉しくもねえよ。……それで、考え付く理由でもあるのか?」
「残念ながら」
 やや視線を落とし、リューグはパイプ椅子に腰掛けた。古びた椅子がぎしぎしと悲鳴を上げるのにも構わず、組んだ足の上でゆっくりと両手を組み合わせる。
「何を推察するにも情報が足りません。ですが一つだけ確かなことがある。企業はその損益と面子に依ってのみ行動する、ということです。僕らを襲撃することで、ソリッドボウルは何らかのメリットを得ることが出来るんでしょうね。――あるいは、気づかないうちに彼らの恨みを買っていたか」
「恨みの出所は大体同業者だろ? それこそキラーハウスみたいにな。連中は純粋な私怨からだ。だが、企業に煙たがられるような真似をした覚えはない。少なくとも、俺がおまえらとつるみ始めてからは」
「今も過去も、あまり危険な橋は渡っていませんよ。企業を敵に回すというのは、即ちこの街で生きていけなくなるということです。この掃き溜めのようなスラムにも通用する絶対のルール……一つ、死にたくなければ武器を持て。二つ、死にたくなければ殺される前に殺せ。三つ、死にたくなければ企業を敵に回すな。警句のようなものでしょう?」
「ああ。俺も家を出て間もなく聞いたよ。そしてそいつを律儀に守ったからここまできちんと生きてきてる。となると尚更判らんな。どうして奴らが俺達に的を絞って来たのか」
 ザイルがそこまで言ったとき、エアロックの解ける音がした。ドアが開き、その向こう側にボロボロの格好のシキが見えた。
「……ひでえ格好だな、シキ」
「君とどっこいだよ。今一番まともな格好をしてるのはリューグさ」
 緋色の瞳の少年は、ひょいと肩を竦めた。そのまま室内に進み入り、ボロボロの上衣を脱ぎ捨てて、近くに引っ掛けてある白衣を取って着込んだ。
「僕一人が楽をしたような格好になってしまっていますね。お疲れ様です、シキ。積み込みのほうは?」
「こないだ手に入れた秘密兵器のおかげで、滞りなく進んだよ。これからの方針だけど、とりあえずほとぼりが冷めるまでは他の街に逃げようと思う。さっきも言ったけどね。ルートは今トレーラーに積んだマシンが計算してるよ。気休めみたいなものだけどね」
 頼りなさげに笑うと、シキは肩を落とした。
「楽をしたのはリューグじゃない、僕さ。死んだふりしか出来なかったようなものだしね。結果、アリカや皆を危険に晒した。もう少し手の打ちようがあったんじゃないかって思うよ」
「バカ言え。俺がおまえならとっくにケツまくってたよ。……サーマルガンのことは目を瞑ってやる。どのみち、あんな大物を担いでぶん回すのは骨が折れると思ってたところだからな」
 ザイルが肩を竦めながら言葉を吐き出した。立ち上がってシキの背中を叩く。リューグが横でほほえましそうに笑っていた。
 それを無視するようにザイルが視線を逸らすと、シキは「ありがとう」、とほとんど消えてしまいそうな小さな声で呟く。
「誰もあなたを責めませんよ。シキ、あなたには戦闘用の改造はほとんど施されていない。頼みの綱はその再生力で、それすら一度タネが割れれば次からは使えないものだ。乏しい手持ちのカードを操り、アリカの命をつなげた。それを誇るべきですよ」
 リューグの言葉に、シキの目が弧を描いた。もう一度ありがとうと繰り返した後で、シキは顔を上げる。真剣そうな目には、まだ光がある。
「二人とも、逃げていく敵を見た?」
 問いを受け、ザイルは傍らに目を走らせた。リューグは薄く目を閉じ、首を左右に振る。それを確認してからシキが、ゆっくりとした口調で切り出した。
「敵は、銀色の腕をしていた。アリカと同じような義肢を。一度はアリカを壁際に追い詰めるくらいの実力を持ってた。アリカと対等に戦えるのは、アーマノイドかそれ以上の性能をもった兵器で武装した連中だけだと思う」
 銀色の腕で、アリカとまともに戦える、アーマノイド以上の性能を持った連中?
 そんなものは限られている。大体、アーマノイドはこのスラムでは、持っているだけででかい顔ができる武力の象徴だ。それ以上など考えるべくもないほどの。
 それすら圧倒する存在となれば、メルトマテリアル――ソリッドボウルと敵対している企業の虎の子のサイボーグか、あるいはソリッドボウルの――
「――強化人間フィジカライザー
 リューグがザイルの思考を代弁する。シキは、短く頷いた。
「セントリーガンの反応がまるで追いつかなかった。企業の力を見た気分だよ。しかも言動から察するに、相手は最初からアリカが狙いだったみたいだ。アリカがベイオネットを使ったおかげで、撃退には成功したけど――おかげでアリカは今、まるで冷めない昏睡状態だ。アレを、二度も使ったせいで」
 一度言葉を切り、シキはリューグとザイルを、視線を合わせるように一度ずつ見た。
 言葉を喉に絡めるように、しばらくの間口を閉ざし、意を決したように再び切り出す。
「敵はこうも言っていた。『キミとボクは同じだったのに』……『フィジカライザーの中でも選りすぐりのプラス≠フ候補生だったのに』って」
 ザイルは表情に険を浮かべた。滅多なことでは動揺しないリューグの目から笑みが消える。
 シキが言っている事の意味が、すぐに理解できた。リューグもそれは同様だろう。
「プラスって言うのが何かはわからない。けど、あのサイボーグは、ソリッドボウルのフィジカライザーだ。だって彼女自身がそう言った。そして、その自分とアリカが同じ存在だって、僕の目の前で叫んだんだ。ベイオネットに、片腕を吹っ飛ばされた瞬間に。明らかに激昂して」
 シキの表情は硬い。それはリューグとザイルにも言えることだった。減らず口を挟む余地はない。
「伝えておきたいことは、それだけだ。二人には今後の身の振り方を考えてほしかった。どういう結論を出しても、僕は君達を恨まない」
 ――ここは岐路だ。
 ザイルは思う。アリカが何者なのかという疑問に片がついたのと同時に、新たな問題が浮上した。かつてのアリカの同僚が、アリカを狙ってやってきた。アリカと自分たちがそれを退けたということは、確実に自分たちは、企業を敵に回そうとしている。
 いや、アリカとシキに関しては、恐らく既に手遅れだろう。シキは『逃げた』と言った。
 逃げ帰ったフィジカライザーの報告があれば、ソリッドボウルも本腰を入れてくる。顔を見られたシキには、そして狙われる対象たるアリカには、言い逃れの余地はあるまい。
 対して、自分とリューグはまだ顔を見られていない。ザイルはそれを判っていた。ガナック=ジャードは単純に、キラーハウスの面子を守るためにここに来たはずだ。ソリッドボウルに必要以上に肩入れはしていないはず。希望的観測ではあったが、殺しあった相手に対する奇妙な信頼のようなものがそう思わせる。あの男はそういう事をする性質ではないと。
 逃げるべきか。
 ザイルの中に損得勘定で弾き出された結論が浮かび上がる。その時、リューグが静かに口を開いた。
「僕と組んで四年ですね、シキ」
 唐突な言葉に、シキが面食らったように瞬きをする。シキが答える前に、リューグは続けた。
「長いようで短い時間です。ですが互いを把握するには十分な時間でしょう。ならば僕の答えは、あなたが思っている通りのものです。心配せずともね」
 リューグは親友の頭にぽん、と手を載せて、刀を持ち上げて医務室の出口へ歩いた。細身の背はしかし揺らがず、彼の確固たる意思を表しているよう。
「あなたは僕の頭脳。僕はあなたの刀です。この手に刃金ハガネがある限り、その契約は保たれる。先にトレーラーに向かいますよ」
 ひらり、と手を振ると、リューグは医務室を出て行った。
 ドアが閉まる。
 シキが呆然としたように、リューグが消えていったドアを眺めている。
 ザイルはそれを眺めていて、なんだか馬鹿らしくなってしまった。
 ――リューグの下した結論は、どうしようもないものだ。企業を敵に回したヤツを、たった四年の付き合いと、そこに付随する情動の類だけで助けようとする。バカだ。救いようもないバカだ。喩えそれが連れ添った夫婦であろうと見捨てるような現状を、理解していないとしか思えない。
 ザイルはリューグに対して冷静に評価を下した。アイツはバカだ。俺はもっと賢い。
 そう思った。
 ザイルはシキの横をすり抜ける。彼の肩が震えているのが見えた。ザイルは、それを見ないようにしながら、ドアの前まで歩いた。
 エアの漏れる音。ドアがスライドする。開かれた扉を前に、ザイルは冷たい口調で言った。
「シキ。そのままでいい。おまえは何も言わなくていい。野郎の曇った声なんて、耳に毒以外の何者でもないからな、聞きたくもねえ」
 シキは沈黙したままだ。それが言った言葉に応じてのことかは判らなかったが、構わずザイルは続ける。
「さっき言った事を撤回するぜ。あのな、あのサーマルガン、とんでもなく高かったんだ。しかも一品ものでな、研究所から出てきた試作品を横からかっぱらったってシロモノで、代わりなんて滅多に見つからねえ。それをおまえはぶっ壊した。俺がまだ一発も撃ってなかったってのに!」
 ザイルは半ば本当に悔しさを込めて言った。ああ、一発でいいから仕事でぶっ放してみたかった。本気でそう思った。
 シキは答えない。ぐず、と鼻を啜る音が聞こえた。
 ザイルは情け容赦なく続ける。
「加えて言うならコートもずたずたになったし、腕もボロボロで、とてもじゃあないがやってられねえ。雇用主のおまえは、俺の精神的および財産的損失に対して補填を行う義務がある。具体的には金でだ。金があれば新しいサーマルガンが買えるし、いい酒を買ってきて飲むこともできる。判るだろ? ――つまりだ。俺が言いたいのは」
 言葉を切り、ザイルはドアの向こうへ踏み出した。
「とっととまた稼げる場所に行って、俺の分け前を上げやがれ、ってことだよ」
 背中でドアが閉まる。ザイルは歩きだした。格納庫の方向へだ。
 ドアの閉まる瞬間に、本日三度目のありがとうが聞こえたような気がした。
 ――大安売りだ。しゃべるなって言ってるのに、聞きやしねえ。
 廊下を歩く。前方右で、無事なドアが開いた。訓練室兼、軽火器の保管庫だ。中からバカが顔を出す。
「……どちらへ?」
「地獄まで」
 回答に満足したように、リューグは新しい鞘に収めた超振動剣ヴァイブロブレードを腰のベルトに差した。
「酔狂ですね」
「金のためだよ。それ以上でもそれ以下でもねえ」
 ぶっきらぼうに返しても、なぜだかリューグの微笑はそのままだった。ザイルは不機嫌そうに、リューグが顔を出した部屋へと入る。
 指先の僅かな動きを破壊の咆哮に変える武器が、壁にずらりと揃っている。
「――何かご入用ですか?」
「新しいコートと、とりあえずシャツ。武器は自分で見繕う。おまえに選ばせると、デザートイーグルみたいなゲテモノを出されそうだからな」
「賢明な判断です。今、用意しますよ」
 リューグの気配が背中から消え、ドアが閉まった。


 ザイルは溜息をついた。
 ――バカってのは、感染する病気らしい。


 十五分後。
 刀を下げたバカと黒コートを着たバカが、二人で引き返せぬ道を、格納庫へと歩いていった。
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