-Ex-

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  誰も知らない、小さな部屋で  

 薄い暗闇の中に、ディスプレイの明かりが光っている。時刻は午前二時、凍京もそろそろ眠り始める頃合いだ。
 辺りを見回せば、ビーカーとフラスコの詰まった棚に、シャーレが乱雑に放置された机、目まぐるしく表示が移り変わるディスプレイと、音もなく計算を行うコンピュータの類がずらりと並んでいる。
 消毒役の匂いと、生ぬるい空気。セレイア=アイオーンは疲れをおくびにも出さず、淡々と唇を動かした。
 いついかなる時も傍で『彼』を護るために、彼女は今日もそこにいる。
「──以上がトライアル三位通過の四名の詳細です。互いが高いプライドを持ち、裏切りや逃亡を死よりも重く見ると、彼らは口を揃えて言います」
「なるほど。──想像焼結センス・イメージの結果は?」
 セレイアと相対する男が、ディスプレイの光彩を受けて青白く光る金髪を指先で巻いた。
 年の頃ならば二十代中頃、セレイアと二人で並び立てばさぞ映えるであろう長身に、細面。セレイアは時々、彼の美貌を、神が作り与えたものと信じられなくなる。
 青銀の瞳が促すようにセレイアに向いた。動揺を隠しながら、早口で問いに答える。
類稀たぐいまれ、というわけではありません。各々が得意とする武器に、光や炎、氷などといった具体的な現象フェノメノンが付随する形でした」
「オーソドックスだね。彼らが力を手にすればシンプルだが強力な原理侵食が出来上がるだろう」
 誉めるような内容の言葉だったが、抑揚の少なさから、セレイアはその言葉の裏にあるものを読みとることができた。
 ──すなわち、それだけでは足りないのだということ。
 果たして、男はセレイアの推測を肯定するように口を開いた。
「意外性に──否、異常性に欠けるね」
 平凡さを嫌っているかのような言葉が、泡沫のように浮かぶ。
「現在のガーディアン・シリーズは、君を除く全員が特異なイメージを持って生まれている」
 目の前の男──ドクター≠ヘ、呟くような声で続ける。
「すべてが燃え尽き果て、生木さえも炎を上げて枯渇する世界を描いた笹原憐。触れたあらゆるものを分解≠キるイメージを抱いた春哉空。折れた翼と収縮する領域を夢想したロン=シュバルツハルト。果てに至る剣閃だけをなによりも愚直に信じた嶽蔵厳真──」
 現在、生きて存在するガーディアン・シリーズのメンバーとそのイメージが並ぶ。
 そう、彼らはいずれも、覗き込んだセレイアが一瞬目を見張るほどに凄惨かつ特異な自分の世界を持っていた。
「今のところは彼らに匹敵するイメージを持つ者は数人程度、と言ったところかな。不作というわけではない、十分な成果と満足するべきか」
 椅子にもたれかかりながら、ドクター≠ヘ言った。
「そう、ですね。今のところは」
 セレイアは薄く笑い、男の台詞を繰り返すように言うと、薄くなった資料の山から最後の三部を取り、恭しく男へ差し出した。
「──おや、珍しい。君が含みのあることを言うとは」
 探るような男の目を、くすぐったそうな笑みでかわして、セレイアは説明を始めた。
「この三名は、正確にはトライアルをクリアしたわけではありません」
「ほう?」
 男の眉が、かすかに跳ねる。
「彼らはトライアルの最中、他方からの攻撃に遭い、やむなく撤退を選びました。──敵手はスラムの殺人組合の長、ガナック=ジャードと、強化人間フィジカライザーを含むソリッドボウルの強襲小隊アサルトチーム。彼らはこれを殺害、及び戦闘不能に追い込み退けました」
「民生のサイボーグがフィジカライザーを倒したと?」
 珍品を見た古物商のような表情で資料を覗き込む男に、セレイアは首を左右に振る。
「彼らのリーダー──ハセガワシキに対する聴取に拠れば、フィジカライザーを撃退したのは彼らの一派に所属していた別のフィジカライザーとのことです。生産番号シリアルナンバーEA-02-1、アリカ=イツカノ。情報の裏付けは取れています」
「……それは少し残念だな。フィジカライザーを圧倒する民生品となれば、その戦闘力だけでも取り立てる価値があるのだが」
 うまく進まないゲームを睨むような視線で資料に目を落とす男に、セレイアは説明を続ける。
「敵手を撃退した後、彼らはこの凍京から逃亡しようとしました。企業を敵に回せば、この街で生きる道はない──そう感じたのでしょう。その過程で、彼らはソリッドボウルの特別攻撃部隊と遭遇します。内訳は──プラス≠ェ三体」
 言葉を黙って聞いていた男が、おお、とパズルが解けたときのような声を上げた。
「──あの一昨日の騒動か」
「その通りです、マスター」
 男の所作に目元を和ませ、セレイアは微笑とともに答える。
「こうしてみると前線は君に任せきりだな、セレイア。苦労をかけて済まない」
 その労いの言葉の、なんと甘いことか。セレイアは喜びに高くなりそうになる声を、自制心で必死に押し留めた。
「──いいえ、責務ですから。どうかマスターはご自分の研究に集中なさってください。……続きをよろしいですか?」
「ああ、そうだったね」
 男は不意に手をあげ、セレイアに伸ばそうとして、途中で何かに気づいたようにゆるりと降ろした。
「……続けてくれたまえ」
 その折、彼の唇に苦笑とも取れるかすかにゆがんだ笑みが張り付いているのを見て、セレイアは内心で唇を尖らせる。
 ──撫でて下さればいいのに。
 一昔前、セレイアが誕生して間もない頃は、男は何かにつけ彼女の頭を撫でたものだった。その度に誇らしさと沸き立つような気持ちを抱き続けてきたのに、最近はもう、ずっとあの手に触れられていない気がする──
「セレイア?」
「……はい、すぐに」
 詮方ないことだと分かってはいた。思考回路は成熟し、精神的な余裕も持つことができるようになっている。
 ──子供扱いは似つかわしくないと、マスターは思っていらっしゃるのでしょうね。
 一般論で言えば正しい選択だろう。
 けれどもセレイアにとっては、それが少しだけ寂しいのだった。あの長くて細い指が、髪の間を通り抜けていく感覚が、少しの寂寞とともに彼女の思考を吹き抜ける。
 振り払うように、セレイアは翠緑の目を男へと向けた。
「プラスの目的は、フィジカライザーイツカノアリカ≠フ奪取、およびハセガワの殺害と見られます。トレーラーを防衛する過程で、コルブラントはプラス・ナンバーシックスと、ムーンフリークはプラス・ナンバーセブンと交戦し、いずれも敗北しています。両名敗退の後、ハセガワがアーマノイドを持ち出しましたが、これもプラス・ナンバーファイブの攻撃により撃滅されました」
 セレイアは長い言葉を切り、確認するような一拍の間を置く。主が鷹揚に頷くのを待ってから、彼女は言葉を続けた。
「しかしながら、彼らはプラス相手に戦闘を演じることができた。ハセガワに至っては、プラス・ナンバーファイブ──ロッサ=リエータに対して手傷を負わせています。この傷に関してはロンが持ち帰った戦闘観測データで閲覧可能です」
 セレイアが言うが早いか、男はシキ=ハセガワに関する資料の末尾に触れ、ページを余人にあらざる速度で手繰る。それは電子紙エレクトロ・ペーパーでも何でもない、アナログな紙媒体の資料だ。重要な資料を彼に提出する場合は、すべて紙媒体で行うというのが彼の部下一同の暗黙の了解となっていた。
侵食閾値ブレイクゾーングラフのベロシティを信じるならば、敵の解放状態は第一段階。それでも意志障壁ウィルシールドは健在のはずだ。少なくとも歩兵の持つ兵器程度では傷すら付けられまい。……アーマノイドを使ったとはいえ、ここまでできる人間はそうはいないだろうね」
「はい。コルブラントとムーンフリークに関しても、それぞれ戦闘をする、という体裁だけは保っていたようです。これらのことと、トライアルを担当したソラとガンマのレポートを勘案すると、彼らにはトライアルを通過する程度の実力は十分に備わっているものと考えられます」
「なるほど──筋は通っているね」
 男はそう前置きをして、デスクに肘をついた。口元に被るくらいの高さで両手を浅く組むと、
「でも、それだけかい?」
 と続けた。興が乗ってきた、とでも言いたげに体を前に浅く傾け、デスクに体重を預けているのが見て取れる。
 セレイアは、予想していた問いが帰ってきたことに破顔一笑し、用意しておいた説明を並べた。
「──彼らは、互いにあまり相似性がありません。思想的な面でも、戦闘方法でも、容姿、体格、性格、全ての面でまとまりに欠けます。しかし、彼らをグルーピングする同類項を、私は見つけました」
 一度言葉を切り、瞬きを一つ。微かな溜めをはさむと、男の指が促すように机上を叩いた。一つ頷いてから、彼女は事実を唇に乗せる。
「異常に低い侵食閾値ブレイクゾーンに、今までに見たことのないタイプのイメージ。彼らはその二つを、兼ね備えているのです」
 セレイアが言った台詞に、ドクターが片眉を上げた。
「興味深いね。君がそこまで言うとは」
 男は椅子に深く身を沈め、目を伏せた。考えるような間を置く。暫くしてからその青みがかった灰の目をセレイアに向けて、彼はゆっくりと言葉を発した。
「センス・イメージの結果を聞こう。まずはシキ=ハセガワの分からだ。彼はどのようなイメージを?」
「少々お待ちください」
 セレイアは自分の意識を外界から内面へと向けなおす。見たものを決して忘れず、精細に語ることの出来る彼女の記憶領域のその最奥に、そのイメージはあった。
 そこにいるのは――
「――獣」
 眼を開き、セレイアは呟いた。脳裏にこびりつくように残るイメージを評するには、その言葉がもっとも端的で正しいように思える。
「彼の内側には獣が見えます。檻に閉じ込められた、二足の獣。シルエットだけならば人間にも見えますが、その細部は異質の一言でした。一目で人を凍りつかせることが出来るような真っ赤な目に、口蓋をはみ出た鋭い牙。黒い金属糸を纏っているような黒光りする毛並みに、ねじくれた角。そして――銀色の前肢」
「銀色?」
 問い返す声に、セレイアは頷く。
「はい。確かに獣だけならば、イメージとしては有り触れたものです。ですが、彼のイメージははっきりと銀色の腕を持っていました。体躯に不釣り合いなほどに長く、鋭い爪を持つ前肢です」
「ふむ──」
 男は手元の資料を最初から手繰りなおし、ハセガワシキに関する情報を俯瞰して、口元に手を当てながら呟く。
「資料によるなら、ハセガワシキは仲間に対して情は厚いが、外敵には冷酷だったとあるね。獣というのは、二面性の現れだろう。彼は内側に獣を飼っているのだろうね。恐らくは、本人も気づかぬうちに。誰しも二面性は持ちえるし、それが獣の形を取ってイメージとなることも珍しくはない。だが、そこまで具体的に人型を取る例は多くは聞かないし、それに何より――その腕のイメージには、彼の強い意志が伺える」
 男がセレイアに向かって資料を差し出す。開かれたページをセレイアが覗き込むと、そこにはハセガワシキと、彼らの元から奪い去られたイツカノアリカに関する文面が綴ってあった。画質は荒いが、カラーの画像もつけられている。
「その銀の腕というのは、彼がそのフィジカライザーに対して抱いた執着を表しているのだろう。彼は恐らく、彼女をもう離れないような場所に繋ぎとめておきたかったのさ。……そして、戦闘能力で劣る自分が、彼女を守るために何が出来るかと彼は常に考えていたはずだ。自分に、そのアリカ≠ニ同じほどの力があれば、彼女を守ってあげられるはずなのにと、そう祈り続けていたに違いない」
 男が見てきたかのように話すのを聞いて、セレイアは畏敬の念を覚える。生まれてから、彼が間違ったことを口にしたのを見たことがないのだ。彼がそうなると言えば、全てのことはその通りに進んでいく。
「動機のある人間は強い。どのように転んでも、、、、、、、、、彼はソリッドボウルを許すまい。それはそのまま、原理侵食フィジカル・ハックの強さに繋がる。有望だね。──続けてくれ」
 軽く手を差し向けて言う。
 セレイアは答えるように、リューグ=ムーンフリークのイメージを引き出した。
「リューグ=ムーンフリークですが……彼のイメージは、ひどく説明しがたいものでした」
「無理に言葉をつなげようとはしなくていいよ、セレイア。断片的でも、見えた物をそのまま語ればいい。下手に虚飾しても、真実は濁るだけだ」
「──了解しました」
 一つ頷くと、セレイアは頭から引き出したイメージを言葉に換えるためにしばらくの間沈黙した。
 やがて、静かに切り出す。
「彼の中に見えたのは、光……でした。正確には、闇と、それを走る光です。光はひどく細くて、闇を削っては彼方へ消えていくんです。けれど削られた闇は、決して元のように埋まりはしない……走る光の数は徐々に増えて、闇が削れてひび割れていく。彼に関して見えたものは、それだけでした」
 セレイアは、思い出す度になぜか背筋の冷たくなるイメージを心の中に写しながら、その有様を描写した。
 男は顎元に手を当て、数秒の間考えるような間を挟む。資料を捲りながら、応じるように一言。
「彼はカタナを使うらしいが?」
「はい、その通りです。カタナだけではなく、人の手でホールドしうる棒状の物体ならば、何でも武器にするといいます。スラムでは屈指の使い手として慣らしたとか」
 セレイアの解説に、男は吐息に混ぜてなるほど、と呟いた。
 直後、夕飯のメニューを呟くような調子で、彼は続けた。
「Exになるとすれば、彼は純粋な格闘型の原理侵食を持つだろう」
 虚を突かれたセレイアが眉を上げると、男は資料を机に置き、手を腰の前で組んで背もたれに深く身を預けた。
「生まれた間隙は切断を意味する。二度とは元通りに繋がらない領域を生み出すことが、切断の原義だ。徐々に加速して行く様は、彼が自分の速度に対して、より速くあれと願うことの現れだろう。その原理侵食の結実の仕方までは分からないが」
 机の上で広がった資料に目をやりながら、男は興味深そうに笑った。
「得意なことは人を斬ること、とはよく言ったものだ。調べがつく限りの半生が血の歴史とはね。──だが、面白い。実に興味深いよ」
 一度言葉を切り、男はセレイアに目を向けた。底の知れない、冬の湖面のような光の宿る瞳が、セレイアを映した。
「最後も楽しませてくれるのだろうね、セレイア?」
「イエス、マスター」
 即答する。
 前に挙げた二人も異常性に関しては群を抜いている。しかし最後の一人に関しては、類型化できない特異なものを感じるのだ。
 セレイアは最後のイメージを心の中に映し出しながら、その持ち主について語り始めた。
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