-Ex-

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  誰も知らない、小さな部屋で  

「──最後の一人の名前はザイル=コルブラント。そちらの資料の通り、先の二名、シキ=ハセガワとリューグ=ムーンフリーク、及びソリッドボウルの手に落ちたアリカ=イツカノと結託していた銃使いガンスリンガーです」
 セレイアが話し始める頃には、男はすでに資料を手にとって中程までをめくっていた。
「武器は──拳銃、それも二挺一対か。古臭いスタイルだね」
 二挺の拳銃を同時に操る。言葉にすればそれだけだが、実行するのは困難を極める。
 刹那的な火力だけはアドバンテージになり得るが、片手で一丁の銃を支えるために安定性に欠け、必然、精度も落ちる。二挺同時の連射で精度を保つなど、神業に近い。
 そして静止目標ならいざ知らず、戦場では敵も動く。
 二挺同時に射撃し、動き回る目標に的確に命中させるには、照準器サイトを覗かずとも弾道を脳裏に描ける素質と、敵が動く先を読む先見性、敵との距離を測る空間把握能力が必要になる。
 スラムで二挺の拳銃を持って粋がるなど、自殺行為に過ぎない。少々練習した程度の二挺拳銃で生きていけるほど、この街は優しくはないのだ。
 ──しかし、この少年は。
「彼は自ら進んで二挺の拳銃を使っています。武装に選択の幅があるときでも、拳銃ないし片手で保持できる銃器を二挺一組で選ぶ傾向にあります。──そしてその殺傷能力は折り紙付き。ソラに原理侵食を使わせるだけのスピードと技量は、伊達ではないということでしょう。事実、彼はスラムの星を一つ沈めているのです」
 紙面から目を上げ、男が問うよう眼を向けてくる。セレイアは淀みなく答えた。
「先刻もお話しました通り、彼らはキラーハウスとソリッドボウルの一部隊を退けています。……その際、ガナック=ジャードを撃退したのが彼なのです。それも、彼はソラと戦ったあとでした。体力の消耗も、並々ならぬものだったでしょうに」
 キラーハウス、という名には覚えがあるのだろう。男は紙面を撫でていた指先を持ち上げ、再三両の手を組み合わせた。
 凋落したとはいえ、一時は凍京の暗部を大きく占めた組織の名だ。
「ふむ」
「スラムではキラーハウスの残党を狩り、その資財を奪おうとする動きが見られます。アンダーグラウンド・サイトの情報網では、すでに当たり前に取り沙汰されているようです」
「……」
 男は、幾度か紙面を指先でなぞり、考えるように顎に手を当てる。
 傍らのコンピュータを操作し、男はデータベースの中から、ガナック=ジャードのデータを引き出した。軽く眼を細める。
 詳細な来歴から性格、体格、戦闘方法、思想、果ては総合的に見た場合の脅威度までもが記載された記録を眺めつつ、男は軽く息を吐いた。
「ザイル=コルブラントがサイボーグとして極めて優秀だというのは理解できたよ。しかし、持って回るのはこのあたりにしようか」
 机に広げた資料を閉じ、男はデータベースのコンソールを画面の端に押し込めて、身を乗り出した。
「聞こうか。彼のイメージを」
「イエス、マスター」
 一つ頷き、自分の奥に潜る。最奥にほど近い位置に厳重に管理した記憶領域の扉を開く。
 脳裏に広がるのは、戦火揺らめく戦場だった。そこかしこに顔のない死体が転がり、銃の残骸と兵器の成れの果てが煤煙に埋もれている。血が大地を濡らし、今もそこかしこでくすぶり続ける炎に舐められてなお赤く光っていた。
 酸鼻を極める、凄惨な光景。
 しかし、セレイアはそれに驚愕したのではない。
「──形容しがたい世界です」
 呟き、その光景を目に焼き付ける。
 戦場は、そのイメージに没入したセレイアを取り囲むように、三六〇度に広がっている。しかし、それは果てなく続いているわけではなかった。
 セレイアは正面に視線を据えた。距離二〇メートルを置いて、その先を見つめる。
 ずきん、とこめかみに頭痛。
 ──いけない。
 セレイアは一度強くその映像を脳裏に焼き付け、集中を解いた。
 ゆっくりと目を開き、見たものをそのまま口に出す。
「彼のイメージは、戦場跡。それも、たった今まで争っていたのだと思わせる、真に迫った生々しいイメージでした。地面に転がった人間の死体、兵器の残骸と散らばった武器。呪いのようにそこかしこでくすぶる炎と、地面を濡らすおびただしい量の血、そして惨状をさらに陰惨に見せる煤煙。棚引く煙と炎以外には動くものはない、死んだ世界でした。……それだけでも、鮮明すぎて異常だと思えるのに、彼はの抱くイメージにはもう一つ、特殊な部分があります」
 セレイアは、コルブラントが抱くその破壊的なイメージの果てを思い浮かべた。
 そう。地の果てまで続くかに思えるその戦場跡は、途中で固まっている。
「イメージに没入した私の主観ですが、距離二十メートルほど前方から、突然、切り替わったように景色が様変わりしていました」
「どのように?」
 間髪入れず跳ね返ってくる男の声に頷き、セレイアは続けた。 
「景色の色が消え、すべてがモノクロになっているんです。そして棚引く煙も、炎も、その景色の中では決して、動かない、、、、
「ほう──」
 男は感嘆の息を吐き、目を伏せて黙考した。時間にして五秒、セレイアまでもが息を止めるような沈黙の後、男は食事の隠し味を訊くような、楽しげな口調で問いを投げた。
「君はどう思ったのかね、セレイア?」
「どう……とは?」
「彼が抱くイメージから思い浮かぶ、彼が手にするであろう能力の内容さ」
 セレイアは予想しなかった問いに眉を下げ、頬に手を当てた。
「当て推量でよければお答えできますが……目の前で答案を採点される生徒のような気分になります」
 眉をハの字にしたセレイアに、男は小さく声を上げて笑った。
「私が口にすることも正解とは限らんさ。すべては、彼が能力を発現させたときに明らかになるのだから」
 答えを催促するように、男が緩く首を傾げて机を指で叩く。規則的なリズムに急かされるように、セレイアは頭の中で考えをまとめ、おそるおそると口にした。
「至極単純に彼のイメージを解釈するのなら、彼の能力は敵対象の行動を阻害するものになると思います。それがどんな理由付けの元に発生するものかは、分かりませんが」
 敵の動きを封じ、一切の反撃を許さず撃滅する。それが実現できるとあれば、彼は極めて優秀な駒になるだろうとセレイアは思う。
 セレイアの推測に、男は小さく頷いた。
「私の考えと骨子の部分では同じだね。しかし、少々違う。君の考えた『停止』は、敵に対して影響を直接与える、絶対的なものだ」
 結論を述べず、互いの論が擦れ合うのを楽しむように、男は言葉を転がした。
「……では、マスターはどのように思われるのですか?」
 急くように問いかけるセレイアに、男は小さく息を吸って、机の上で指を揃え、手を組んだ。
「そうだね。私はこう考えるよ。彼の行動阻害は相対的なものだと」
「相対的……?」
「整理して話をしよう」
 男は金の髪を撫でつけてから、資料を手挟さんで席を立った。ホワイトボードへ歩き、マーカーを手に取る。蓋のはずれる音から二秒もせず、ホワイトボードに伏せた碗のような半球が描かれた。
 続けざまに半球の底面を横断する線を描き、線で分かたれた半球の片面を、薄くマーカーで塗りつぶす。そこで初めて、男はセレイアに向き直った。
「この底面の線が、景色がモノクロになり始める瞬間だ。私はこれを境界≠ニ見る」
「境界……ですか?」
 男は戸惑うようなセレイアの声に、深く頷いた。
「君は向こうの景色がモノクロだったと言ったね」
 端的な確認にセレイアは顎を引くように頷いた。それを見てから、男は言葉を続ける。
「境界で分かたれた二つの領域がなにを意味するかは、それだけでは類推しがたい。しかしイメージをトレースした君の視点──つまりは、彼自身の視点がどちらか片側にあったのなら、意味は極限まで単純化できる。すなわち、こちら側≠ニ向こう側≠フ二つにね」
 男はマーカーのキャップを付け直すと、くるくると指先で弄び、長い指で挟んで止めた。
「この場合のこちら≠ニ向こう≠ニいうのは、彼が現時点で踏み込めない地点があることを意味しているのだと私は思う。彼は今、自分がモノクロの世界に行くことが出来ないと自ずと悟っているのだろうね。故に彼は渇望している。届かない、その世界を」
 男は楽しげに、流暢な口調で声を紡ぐ。手に持ったマーカーが空を切る様子は、指揮者の所作に似ていた。
「炎と煤煙が停止していたことから、君が彼の能力を動きを止める≠烽フだと推測したのは決して間違いではない。しかし、それは前述したように絶対的ではなく相対的で、直接的ではなく間接的だ。ただ動きを止めるというイメージをするのなら、その風景がモノクロである必要はない。君がそのモノクロの世界に異常性を感じたというのならば、本当の意味は別にあるのさ、セレイア」
 台本があっても、ここまで饒舌に話せまい。セレイアがその様子に戸惑いを隠せずにいるのをよそに、男は高揚した調子で続けた。
「白と灰が色彩を支配する色の凍えた風景は、世界そのものの凍結を意味している」
「世界の、凍結?」
 男に押され、言葉少なになりながらも答えると、男は資料をひらつかせた。
「彼には神経加速ニューロブーストの術歴があったね。それも二度。現在施術が確認できているのは強化筋肉繊維の挿入マッスルパッケージング骨組織置換ボーンレイジング、そして神経加速のみ。近距離で戦闘を行うというのに皮下装甲ダーマル・プレートを積む気がないかのようだ」
 セレイアは顎を引くようにうなずきながら、男の手元を見た。彼が、手にした資料を捲った気配はない。この会話中の短時間で、あの資料にまとめられたデータを、彼は全て頭に刻み込んでいるのだ。
 ともすればセレイアにさえ勝る、驚嘆すべき記憶力。
 男は事も無げに続ける。
「彼は誰よりもはやく動くことを願い続けているのだと思う。彼の戦闘スタイルは、二丁の拳銃という軽快な武装を手にして、速度で他を圧倒し、反撃を寄せ付けぬまま敵を撃滅するものだ。速度が、何にも勝る武器になると彼は信じている」
 言葉を切り、男はマーカーをイレーサーの横に置いた。再び椅子に腰掛け、机に肘を預ける。
「では、その彼がイメージする停止とは何だろう。煙や炎の揺らぎまでも停止するというのは、単純な束縛ではなし得ないことだ。それこそ、時間でも止めない限りは、、、、、、、、、、、
「……!」
 セレイアが驚いたように目を見開くのとほぼ同時、男は澄ました顔で「しかしながら」と前置き一つ、資料を机の上に滑らせる。
「時間を止める原理侵食など存在しない。今後発生するかもしれないが、可能性は限りなく低いだろう。相手はこの世の法則の根幹だからね。ねじ曲げるには、Exと言えど荷が勝ちすぎる。だとするならば、彼が思い描く静止した世界モノクロームが意味するものは、彼以外のすべての存在の停止ではない。彼が出来るのは、全てを停止していると認識するおきざりにすることだけだ」
 男が一度言葉を切る。そこまで聞けば、セレイアにも男の言わんとすることが理解できた。つまり、ザイル=コルブラントの能力は、複雑な概念操作でも何でもない。
「理解したようだね」
 セレイアの表情を見て、彼は出来のいい生徒を見るような目をした。
 解説が続く。
「以上のことから推測される結論を言おう。彼の能力は主観的認識速度の増加による外界事象の遅延。彼が限りなく速く認識し、動くがゆえ、周りのすべてが止まって見える、、、、、、、、ということ。疑似的な時間凍結と言える」
 子供のような理屈だがね、と呟くと、机に乗りかかるように立てていた肘を引き、彼はいすの背もたれに背中を戻した。
「確かにこれは理屈と呼べるほどの理屈もない、シンプルな能力だと思う。しかし問題は規模だ。もしこの推論が的中していて、将来の彼が何よりも速く動くとするのなら──」
 一呼吸置き、男の目がセレイアの視線を捉える。
「彼の速度は全てを超え、あらゆる者の認識速度の埒外に至る。極論、誰も彼を殺せなくなるだろう」
 口にした男の顔には、新しい玩具を手に入れた子供のような笑みが浮かんでいた。
 その笑みが、小さな棘のようにセレイアの胸に刺さった。ザイル=コルブラントを見い出した誇らしさはすでに消え、胸中にはざわめくような不安だけが残る。
「──それには反論します。私の力なら、加速される前に回避しようのない状態を作り出すこともできるはずです」
 どのような目を向けていいかわからなくなって、歯噛みをしながら言い募った。
 反射的に飛び出した空論は、想像以上に嘘寒い。続けられる言葉もなく、セレイアは下唇を噛んだ。自然、視線が下に落ちる。
 一番機イクス・ワンとは、ただ最初に生まれたから戴いた名ではないのだ。
 その名を名乗る以上は、最高にして最強でなくてはならないセレイアは信じ、そしてそうあり続けた。
「……そんな顔をされると困ってしまうな」
 伏し目がちだった目線が、声に引き上げられる。
「重ねて言うがこれは飽くまで推論だよ、セレイア。そう慌てるようなことではない」
 男は諫めるように言いながら、再度席を立った。天板の縁に人差し指を滑らせながら、デスクを回り込み、セレイアの前で止まる。
 顎を持ち上げるように、セレイアは男を見上げた。自覚できるほどに、縋るような目をしてしまう。
 男はすらりとした体を屈めて、セレイアの肩に手をかける。
「君が最強たることを否定しようというわけではないんだよ、セレイア。ただ、少しだけ気持ちが浮き立ってしまってね」
 男はセレイアの額に、こつりと自らの額を押し当てた。距離が近い。互いの吐息が肌に跳ね返り、自分の産毛を揺らすほど。
 先ほどとは別の意味で、言葉が出ない。頬に朱が差すのを禁じ得ずにいると、とどめを刺すように男は微かに額を離して囁いた。
「君を不安にさせたのなら謝ろう。君は私がゼロから作った──一番機イクス・ワンだ。後続のExに、君を越えるものなど現れはしないよ」
 自信に満ちた言葉が胸に染み通り、心の奥の棘を抜き去っていく。
 赤みの引かない頬を緩く握った拳で隠しながら、セレイアは内心で嘆息した。
 彼を前にすると、自分はいつもこうだ。本来なら誰の前でも毅然としていられるはずなのに。
 完璧なところを見せたい人の前でだけは、どうしても完璧でいられない。皮肉を感じながら、セレイアは細い声で謝罪の言葉を紡いだ。
「……申し訳ありません、マスター」
「気にすることじゃない。ただ、忘れないでいてくれたまえ。私が君を軽んじようと思ったことなど、一度もないことだけは」
「はい」
 男の手のひらの熱を華奢な両肩に受けながら、後少しだけ近づければな、とセレイアは思った。
 上司と部下の関係と言うには、この距離は少し近すぎる。さりとて、恋人のように背中を抱くには少しだけ遠い。それがいつも、少しだけ寂しいのだった。
「さて、これで全員の解説が終わったね。これから食事でもしようと思うが、君はもう済ませてしまったかな?」
 男の手が肩から離れていく。熱の失せた肩は外気に触れて、少しだけ冷たい。その寂しさを表に出さないようにしながら、セレイアは首を横に振った。
「いえ。もしよろしければご一緒させていただきたいです」
「無論だよ。……では行こうか」
 男が部屋の出口に向かって歩き出す。セレイアは所作も軽く立ち上がり、彼の三歩後ろについて部屋を出た。
 彼の背中を見ながら、彼女は何十度したかもわからない誓いを立てる。
 この身が果て、崩れてしまおうとも、彼のことを護り続けようと。
 それこそが自分の存在理由なのだ。彼がいないこの世界に、何の価値があるだろうか。この感情が喩え、彼による作成時の刷り込みだったとしても、最早構わない。今この場にいる自分がそう思っているのなら、それで十分すぎる。
「マスター」
「ん?」
 肩越しに振り返る彼の目を見て、真っ直ぐに言う。
「……私は貴方のお傍におります。何が起きようとも、ずっと」
「なんだい、急に」
「改めて口にしておきたかったんです。私には、マスターしかいませんので」
 視線の位置を彼の目に保ったまま言葉を口にするのは難しかったが、セレイアはできる限りそれを実行したつもりだった。朱がさした頬は、未だに治まる気配がない。階下に移動する前に収まってくれるかどうかは、五分といったところだった。
「……そう言われるとなんだか気恥ずかしいな……」
 男は頬を掻き、金髪を手で撫で付けた。
 ゆっくりと視線を前に戻しながら、彼は言う。
「けれども、嬉しいものだね。君の産みの親としては。――セレイア」
「はい」
 呼び声に応じると、彼は歩調を緩めてセレイアと並び立った。歩きながら、流し目をくれる。
「君はよくやってくれているよ。……これからも私を助けて欲しい。君の言うように、出来ればずっと……ね」
 その言葉だけで、セレイアは食堂に着くまでに頬の赤みを取ることを諦めた。飛び跳ねて嬉しさを表現したくなるほど。言葉だけで甘く酔えてしまう。
 セレイアは内心の喜びを爆発させないように慎重に、口を開いた。
「はい――」
 胸に手を当てる。彼の作った心臓が鼓動している。彼に貰った命、彼のための身体。
 身体も心も言葉さえも、全ては彼のためにある。
「……はい、アレス様。ずっと、貴方のお傍に」
 名を呼ばれた男――Ex♀J発主任技術者、ドクター≠アとアレス=ロウは目を丸くして、それから微笑んだ。
 手が伸びて、そっとセレイアの肘を絡め取る。自然につながれた手を、セレイアはガラス細工を持つような力で握り返した。
 エレベータに乗り込んで下に降りるまでの僅かの間だけ、こうして触れ合っていることが出来る。それはたった数分の、短すぎる逢瀬――
 けれど、セレイア=アイオーンは十分すぎるほどに幸せだった。

Ex≠ヘ揃いつつある。
 彼の求めた、最強の戦闘部隊が、完成しつつあった。
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