-Ex-

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  Reason  

 空には気の早い太陽が顔を出していた。
 まだ日の角度は浅く、植えられた並木の影が長く落ちている。歩道の端に幾つかベンチが並んでいる一角で、レンは足を止めてザイルを振り向いた。
 陽光を透かして照り光る赤髪をさらりと梳きながら、口を開く。
「暫くは時間をあげるわ。私の眠気と機嫌で長くなったり短くなったりするけれど」
 感謝しなさいよ、と顔が言っているのが見て取れる。ザイルは揚げ足を取ってからかってやりたくなる気持ちを抑え、ひょいと肩を竦めた。
「言っとくが、ご機嫌伺いは苦手だぜ」
 ベンチに近づいてゆっくりと座った。陽光が葉を透かし、今日は快晴になるだろうと告げている。レンが音もなくザイルの横に座った。人一人分の隙間は、彼女が引いた境界線なのかもしれない。
 ザイルはいつもの癖でポケットを探ってから、煙草を切らしたことを思い出してため息をついた。スラムじゃそこかしこで売っているが、この大層なビルの中には多分自動販売機はないだろうし、一度ビルの中に戻ろうにもレンが甲斐甲斐しくついてくる保障もなかった。
 ザイルは諦めてベンチの背もたれに身を預けると、ぼんやりと口を開いた。
「……ササハラっていったか、おまえの名前」
 呼び方に迷い、確かめるように聞く。レンはベンチに座ったまま一度伸びをすると、かみ殺したあくびで濡れた目元を擦った。猫のようだ、となんとなく思う。
「そう。笹原憐……レンでいいわ。コルブラント……だったわね、あなたの名前」
「ザイル=コルブラント。俺もザイルでいい」
 ザイルは軽く声を返し、レンが口を開く前に何気なく問いかけた。
「……さっきも聞いたことだが、さっきまであれだけつんけんしてたってのに、何でいきなり俺を外に連れて出る気になったんだ?」
 ぶつけた問いにレンは暫く考えるようなそぶりを見せたが、やがてぽつりと呟いた。
「思い出したから、っていうのが大きいかしら。あとは個人的な興味ね」
 並存する二つの言葉に、ザイルは眼を瞬いた。
「……思わせぶりだな。俺は何から聞き返せばいい? 何を思い出したのか、さっきまであれだけ尖った態度を取ってたおまえが急にこっちに意識を向けた理由か、その興味の向かう先か……」
 話題を撒くのがうまいな、と付け足して肩を竦めてやると、レンは軽く肩を竦めた。
「斜に構えてれば格好いいと思っているうちは子供よ。少しは素直に聞き返せないの?」
 軽い流し目をくれながら棘のある言葉を言う。ザイルは片眉を上げ反駁するための言葉を捜し始めるが、皮肉のマシンガンが火を噴く前にレンは軽く肩を竦めた。それを前置きにするようにして、続ける。
「……まあ、いいけれど。思い出したからっていうのは、私が、あなたたちと同じようにここに連れてこられたときのことをよ」
 レンは歌うように言って、ビルの周りを埋める広い敷地の果てに視線を飛ばした。空色の瞳が遠くを眺めて固定される。
「その時に――すごく嬉しいことがあってね、どうしても外を見たい、、、、、って駄々をこねたの。あなたと同じように、さっきの守衛さんに頼み込んだわ。あの人――三竹さんって言うんだけどね。困った顔をして、出してあげたいけど出してあげられないって言うの。私がガラス越しの景色で我慢しようかって思い始めたとき、後ろからセレイアさんが来てくれたのよ。手を引いて、あの人は私を外へ連れ出してくれた」
 遠い過去を見ている様子のレンの視線が敷地を流れ、コンクリートの路面に縁取られた芝生の上を滑る。言葉が少しの間途切れる。レンの瞳は今ではない別の時間を見ているかのようだった。時折視線は一点に止まり、また流れ出す。その日の二人が、彼女の瞳には映っているのだろうか。
 放っておけばそのまま思い出の中に沈んでいきそうだと感じて、ザイルは口を開いた。
「それで、今になってあの女の真似でもしてみたくなったのか?」
 止まった会話を動かすための皮肉に、レンの瞳がこちらに焦点を結ぶ。
「……いちいち噛み付くみたいな言い方をするのね。もう中に戻りたい?」
「話を先に進めようってんだよ。おまえが戻れってんならそうするがね。せめて蒔いた話の種の始末くらい、きっちりつけてくれ」
 軽い口調で続けると、レンは顔をしかめた。言い返すための言葉を探すような間のあと、ザイルを横目で睨んで呟く。
「性格が悪いってよく言われないかしら」
「今更気付いたんだとしたら、おまえは見込み違いのボンクラだよ、レン。知ってることの確認は後でもいいだろ?」
 肩を竦めて、ザイルは軽薄な語調で重ねた。応じるレンの機嫌は傾きっぱなしのようだったが、さりとてすぐに席を立つつもりはないようであった。
 風が吹く。
 長く赤い髪が吹く風にさらわれ、棚引くひとふさがザイルの頬をくすぐった。
「判ってるわよ。話を切り出したのはこっちが先だものね」
 回り道をする話のことにか、頬を掠めた髪のことにか、ごめんなさいと一言つぶやき、レンは流れる髪を軽く押さえて話し始めた。
「……セレイアさんは、あの時、お礼を言った私にこう答えたのよ。感謝の気持ちがあるなら、それはあなたの後進に向けなさい。そうして組織は回っていくものよ、って。……だからまずは、それが理由のひとつ。もう一つはさっきも言ったけれど、個人的な興味よ」
 一瞬の沈黙。言葉を捻じ込むには短すぎる時間を挟み、レンはゆっくりとザイルへと向き直った。空色の瞳を瞬き、レンは資料を読み上げるように唇を動かした。
「ザイル=コルブラント。十六歳。父親はダグラス=コルブラント。ダグラスの内縁の妻、ジュディス=マクダネルとの子として出生。八歳のころ、母と死別。異母兄弟にラーク=コルブラントとアイリーン=コルブラント。十三歳当時、父親が他殺体で発見されるのと同時に失踪。ラーク=コルブラントの通報によって事件が発覚したが、この事件は当事者がスラムに潜伏していると見られること、加えてスラムの低所得者が納税を怠り、庇護を受けるに値しないとのセントラルポリス上層の判断により早々に調査が打ち切られた。調査の手が緩み始めたころ、スラムを取り仕切るストリートチルドレンのチームからスカウトを受け、彼らの走狗となって殺人代行業を始める――」
 よどみなく滑り出る言葉が、自分の人生を語っているのだと気付き、ザイルは片眉を上げて顔をしかめた。……調査報告書にでも書いてあったのだろうか。飛び切り最悪の三流映画のあらすじを聞かされている気分になる。これが自分の人生でなければ、その最低具合に肩を竦めて憐憫の言葉をくれてやるところだが、生憎と全部自分が通ってきた道だった。
「随分とお詳しいじゃねえか。俺のオフロード・ライフを端から端まで知ってるって口ぶりだ」
 口を挟んで三白眼でにらみつけるザイルの目を一瞥し、しかしレンは続けた。
「しかし報酬の件で意見の相違があったことから、ここでも諍いを起こし、四名を殺害してまた行方を晦ませた。この時期に神経鞘増設型の神経加速手術ニューロブーストの術暦が一回。フリーランスの殺し屋ジョブキラーとして、スラムの中ならば報酬次第で誰でも狙うという評判を持つ殺し屋の一人として認められるようになる。……そして一ヶ月前、確認できる中では二度目の神経加速手術と強化筋肉繊維挿入手術マッスルパッケージング、強化チタンによる骨組織置換手術ボーンレイジングの施術を受けている。施術日から一週間後――恐らくは意識の覚醒と同時に活動を再開、その日のうちに長谷川四季らが起こした殺人屋組合キラーハウスとの諍いに参加し、十六名を殺害。その後、長谷川四季らと結託して犯罪行為を営むようになる。そして今日に至るまでまた屍を積み重ねてきた」
 レンは資料を読み上げるような語調を、そこで初めて緩めた。長広舌の後で軽く一呼吸おき、ゆるく腕を組む。
「…………公式に確認されている被害者の人数は総計で約一〇三名。歴史上の殺人鬼が裸足で逃げ出すわね」
「結局最後まで語って綺麗にまとめやがった。信じられねえ。……どうせならその葬列にもう一人だけ足しといてくれ。えらく強えジジイを一人な」
 ザイルは投げやりに、レンの言葉に最新の戦績を付け足した。煙草が欲しいと切に願いながら、けだるさをこれでもかと込めた視線をレンに送る。
「そこまで知ってるんなら、この上俺から聞き出すことなんてないに等しいと思うがね。いったい何が聞きたいってんだ」
「理由よ」
 レンは間髪いれずに答えた。跳ね返るように飛んできた言葉をキャッチし損ねたように、ザイルはやや逡巡してから、目の焦点を相手の目に絞る。
 限りなく空の色に近いブルーが、湖畔のような静謐な輝きをたたえ、見つめ返してきた。
「今喋ったのはほんのあらましだけれど、諜報部がまとめた資料にはあなたの境遇が載っていたわ。それこそ詳細にね。けれど、そこに記してあるのは起こった事実だけ」
 言葉を切り、レンは一度瞬きをした。徹夜明けの疲れをいささかも感じさせない、揺らがぬ視線が注いでくる。
「私は、人殺しが好きじゃない。命令があっても、時々、未だに割り切れない事だってある。……だから、あなたのことを知ったとき、私はあなたみたいな人間がいるっていうのが理解できなかったわ。知りたいのよ、あなたがそうなった理由を。ほかの何からでもなく、あなた自身の心情を添えて、あなたの口から」
 ゆっくりとした口調で言うと、レンは言葉を待つように黙ってザイルに視線を注ぐ。一陣の風が、あたりを吹き抜けていった。木々のざわめきに目を向ければ、夏の青々とした緑が陽光に輝いている。実に穏やかな光景だったが、向けられたテーマは太陽の下で論じたくなるような話ではなかった。
 ザイルは少しの間だけ目を閉じ、レンから視線をそらした。目線は真っ直ぐ正面、遠く彼方の敷地の塀を見やる。
「おまえ、家族は?」
 向けた問いに、レンがかすかに身じろぎする。ザイルはそれを横目で捉えながら、返答を待った。
「……いないわ。誰も」
 声のトーンは低く、静かだ。沈黙のあとに返ってきた言葉に、ザイルは軽く髪を掻き上げ、唇を動かした。
「それでも昔はいたはずだろ。それとも、ガラスの子宮の出か?」
 体外受精の後、培養槽で胎児の成育を行う技術がある。相手は要らないが子供が欲しいという物好きで金持ちな女や、道楽で子供を買いたいという富裕層の老人などがよく使う手だった。
 レンは顔を顰めながらザイルを睨む。
「話の筋が見えない。私には父も母もいたし、二人とも私のことをすごく大切にしてくれた。今だって忘れられないくらいにね。……勝手な邪推は止めて」
 ガラスの子宮に包まれた胎児シリンダー・ベイビーに恨みでもあるかのように、レンは強い否定の言葉を発する。
 ザイルは軽く肩を竦めて、応じるように言った。
「まあ、聞けば判るさ。おまえは親に望まれたガキだったらしいからな。……この世に生まれてくる連中は大概がそうだ。そうでない連中は、大方が生まれてくる前に殺されて排出されちまう」
 ザイルは自分の手を見下ろしながら、静かに言った。
 今でも思い出せる。父親の首を刺し貫いたアイスピックの手応えを。あの瞬間ほど鮮烈に、人の命を奪ったと実感したことはない。脱力する身体と、弛緩する筋肉。漏れ出す汚物の悪臭と、生の名残としての痙攣。一瞬前まで生きていたものが、自分の手によって終焉を迎えたという実感があった。もしかしたら鮮烈過ぎるあの実感が、自分の脳のどこか大切な部分のネジを緩めて取り去ってしまったのかもしれないと、ザイルは時々考える。
 唇は勝手に動いた。あのときのことを思い出すかのように。
「俺と親父の間に何があったかはあらかた知ってるだろうけどな、おまえらの所にある資料には、俺がただ『虐待されていた』くらいの記述しかなかったはずだ。そうだろ?」
 自分の心の温度が下がるのを、感じた気がする。レンが訝りながら頷くのを見て、低く、かすれた声で、ザイルは続けた。
「どんなことを考えて、感じれば、簡単に人が殺せるようになるのかとおまえは聞いた。簡単なことさ。殺さなきゃ死ぬと思えばいいんだ。実際、俺があの時クソ親父の脳味噌をアイスピックで掻き回してやらなけりゃ、今頃俺は生きていなかった。暴力は日増しに強くなる一方だったよ。お袋がいなくなってからは特にな。お袋も大概な女だったが、それでも親父よりはマシだった。俺の乳歯は残らず全部、親父の拳に叩き折られてる。ガキのころに殺しておいて助かったよ、差し歯なんて格好が付かないからな。……口って言えば、そうだな。銃身を口の中に突っ込まれて、トリガーを引かれた事がある。何回も、何回も。弾は入ってなかったがね。直前に家具に一発ぶち込んで、威力を示すってオマケつきだ。この遊びは親父のお気に入りだったよ。焼けた銃身が、俺の舌と唇を焦がすんだ。終わった後にはいつも、ニトロセルロースのきな臭い匂いと、舌の火傷の痛みが、俺が生きていることを教えてくれた」
 暗い記憶。ザイルは久しく思い出すこともなかった記憶を取り出して、呟くように語った。レンが気圧されたようにやや顔を引き、密やかに息を呑む。
「今日は弾丸が入っているかもしれない。トリガーを引かれた後は、明日もやられるかもしれない。そしてそのときにこそ、弾丸が入っているかもしれない。そんなことばかりが頭にちらつくようになった。恐怖に背中を追いかけられながら毎日を過ごしたよ。違う女の腹から生まれた弟と妹と並べて寒くて仕方のない部屋に押し込められて、一日一個か二個の小さなパンで飢えをしのいでた。ここで、そのガキどもと並んで絆を深めながら生きる道を探した、ってならまだ美談だが、そのころも今も、俺は泣き叫ぶ子供が死ぬほど嫌いだ。俺も物のわからない時分には随分泣いたもんだがね、泣いた方が多く殴られると気付いた時から声も涙も出さなくなった。奴らがそれに気付かないから、俺まで余計に殴られた。一緒にお涙頂戴の展開を演じる気には、どうやったってなれなかったのさ」
 皮肉っぽく語るザイルを見て、レンは悼むような、しかし怒っているような、奇妙な表情を見せた。
「……そのひねくれた根性の出所が、少しわかってきた気がするわ」
 唇からつむぎ出される声には、嫌悪と等量の憐憫が滲んでいる。ザイルは憐憫だけを綺麗に払いのけるように、嘲るような笑いをこぼした。
「そいつは良かった。まあ、理解されたいってんじゃあねえよ。おまえが聞きたがったことを話してるだけで、俺を理解しろなんて言ってねえ。判ってもらいたいなんて思っちゃあいないんだよ。判った気になられるのも御免だ。……リューグもシキも、アリカも、俺が過去に何をしてきたのかは聞かなかった。あいつらは判ってるのさ。自分にも相手にも触れられない部分があるってな。それは暗い、宇宙の果てみたいな闇で、誰にも理解されない領域なんだ」
 そこまで呟いてから、ザイルは今更のように、彼らと自分の歯車がぴたりと噛み合った理由の一つを見つけた気がした。彼らは誰一人として自分のことを否定しなかった。深く深く入り込もうとはしないで、ただ寄り添うように傍にいた。
 積極的に理解しあおうとはしなかったけれど、互いの能力で互いを助けることだけはよく考えた。それがこの一ヶ月弱。仲間というものを持った初めての一ヶ月だった。……終わり方を除けば、恐らくは今までの人生で最良の期間だと思える。
 ――あいつらはここに残るだろう。
 リューグもシキも、古くからの仲間を、そして恋人を失った。奴らには命を懸ける理由があるし、苦痛に耐えるための確たるバックボーンがある。

 ……なら、俺は?
 俺はどうすればいい?
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