-Ex-

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  Door  

 セレイアの話は、まずこの凍京を取り巻くシンプルな構図から始まった。
「この街――凍京が、二社による競争状態によって成立していることは知っているかしら?」
「今日びその質問をぶつけられて首を横に振るやつがいたら見てみたいね。九十のジジイに訊こうが、ボケを忘れて首を縦に振るだろうさ」
 レンがむっとするのを無視して、ザイルはからかうように返した。表面だけでもつくろえるようにはなっているようだと、自分で認識する。
 この凍京は、国家権力が自由に行動できない唯一の街だ。街の治安と秩序は二つの企業と、形だけの中央警察セントラルポリスによってのみ守られる。仮に小競り合いを起こして治安が破られようとも、それは治安維持区ソサエティには及ばないスラムでの戦闘行動に過ぎない。そういった小さな火種は表沙汰になる前に揉み消されるのが常だ。
 自由に動けないのは国家権力ばかりではない。旧時代には蛇蝎のごとく民衆に嫌われたマスコミさえ、この凍京で大っぴらに動くことは出来ない。この街を取材したルポタージュのデータディスクが闇に葬られた数は、よく星の数と比べられて物笑いの種になる。ソリッドボウルとメルトマテリアルはそれぞれが放送局を有し、この狭い街のメディアを一手に取り仕切っていた。
 この街に情報を持ち込むことは禁じられていないが、持ち出すことは――それが企業にとって都合が悪いものであればなおさら――許されない。その原則を侵してこの街の砂塵の一粒となった人間も数多いという。
 かといって、この二社が共同歩調を取っているなどと言うことはもちろんない。外敵の排除に関してまれに協力することもあれど、この二つの企業は、生まれたときから睨みあっていたようなものなのだ。かつてソリッドボウルが市場を支配し、栄華を極めた独占時代があった。その最中、複数の企業が寄り集まる動きが生まれる。ソリッドボウルにまとめて甘い汁を奪われた彼らは、利益ばかりを吸い上げる上層部に反感を持つソリッドボウルの末端を懐柔し、決起した。それがメルトマテリアルである。このような過程をたどれば、友好関係など夢物語に過ぎない。以来、二つの企業は明につけ暗につけ大小の摩擦を繰り返し、この閉じた街でしのぎを削りあっている。
 ザイルが自分の持っている知識の中からいくつかを引き出して、前述のようにまとめてみせると、セレイアは「おおよそ正解ね」と花の咲くような笑顔を浮かべてみせた。その傍らでは面白くなさそうな顔をしたレンがこちらを射殺しそうな――いや、燃やしそうな、、、、、、目をして睨んでいる。
 そのおっかないのを少し他所へやってくれ、とザイルが口を挟む前に、セレイアは涼しげに続けた。
「そう、知っての通り我が社はもう随分と前からソリッドボウルと敵対関係にあるわ。凍京外にはあまり知られていないらしいけれど、メルトマテリアルとソリッドボウルの軋轢は、ここに住まうものなら誰でも知っているはずよ、今貴方が語った通りにね。……攻撃をどちらが先に始めたか、それはもうどうでもいい話なの。押さえなくてはいけないのは、今この瞬間も彼らとの睨み合いは続いていて、小競り合いが繰り返されているということ。
 この膠着が続くことを良しとしなかった当社上層部は、莫大な資金を投じて新型の開発プロジェクトを推し進めた。提示された条件はいくつもあったわ。アーマノイドほど大型ではなく、隠密性があり、なおかつ機敏であること。そしてアーマノイドに対してでも単独で戦闘行動を行うポテンシャルがあり、さらにこれを容易に撃滅しうること。……そして、ソリッドボウル社が開発を始めたという最新型の強化人間に対抗しうること」
「その最新型の強化人間ってのは――」
「プラス≠セよ。ザイルと呼んでも?」
 打てば響くようにロンが答える。返答に混ざった質問に、ザイルは軽く顎を引くように頷いた。
プラス≠ノ対抗でき、アーマノイドより小回りが利き、隠密性と静音性を兼ね備えた兵器……ザイルは、知らず目を横へずらした。セレイアの左腕に寄り添うように座る赤い髪の少女……
 あの細腕が、脚が、瞳が、殺戮のための武器になるところを、ザイルは確かに見ていた。
「繋がるでしょう?」
 セレイアはザイルの思考を促すように言う。
「ザイル君、貴方が目の当たりにしたのは全て現実の光景よ。種も仕掛けもあるけれど、誰にでも真似が出来るわけではない、選ばれた存在のためにある現実」
 セレイアがちらりと右へ視線を寄せる。目を向けられたロンが、足を組みなおしてザイルに声をかけた。
「彼女の動きを見ただろう?」
 彼女とは言わずもがな、レンのことだ。すぐに頷きを返す。
「ああ」
 思い出す。赤い髪を散らし、それ以上に紅く燃える拳と足で息もつかせぬ乱打を見舞い、マイを叩きのめしたレンの姿を。
 あの光景を見れば、誰もがゲームのワンシーンだと思い込むことだろう。極限まで現実に似せた虚構だと思い込みたくなるほど、あの動きは流水のように美しく、烈火のごとく苛烈で、そして悪夢のように鋭かった。
「俺はあのガキに死ぬほどボコボコにされて血を吐いたんだぜ。横で口から魂出してるこの細目も大体同じような目に遭ったはずだ。喋らねえけどさ。……あの連中と互角以上に戦ってんのを見て、忘れろってのが酷な話だ」
 ザイルの言に、セレイアが頷く。
「プラスは超常的な能力を持っているわ。その内訳を話したら、貴方はきっと笑うでしょうね。聞くかしら?」
「あんたと両脇のお友達でトリオ漫談でもやらない限り、親の葬式みたいな神妙な面を保っててやるよ。あれだけの以上を突きつけられて、今更信じるも信じないもねえって話さ。言ってみなよ」
 ザイルは唇をなめて湿らせ、皮肉っぽく吐き出した。
 応じてセレイアが語りだす。
「プラスが強力無比な兵器である理由は幾つかあるわ。彼らはフィジカライザーレベルの素体能力に加えて、最強の盾と矛を持っている。意思障壁ウィルシールド原理侵食フィジカル・ハックがそれよ」
 一息挟んだセレイアの後を継ぎ、ロンがゆっくりとした口調で話し始める。
「ウィルシールドとは、名の通り攻撃を拒絶する意思によって、体表面に強固な障壁を発生する力だ。プラスはこの力によって、既存の兵器による攻撃をほぼ無効化する。戦車砲クラスの衝撃ならば或いは傷を与えることも出来るかもしれないがね。ロッサは血を流していただろう?」
 ロッサ――あのブロンドの女だ。ザイルは頷いた。確かに彼女は傷を負っていた。シキのアーマノイドによる苛烈な攻撃を思い出す。自分もあれを影から見ていた。
「受け止めきれる限度こそあれ、彼らを通常兵器で倒すのは困難だ。ウィルシールドを無効化するパルスの存在は確認されているが、そのパルス放射器も持って歩ける大きさのものではない。つまり、彼らは限りなく傷つきにくい存在というわけさ」
「ご大層な話だ。それが盾だってんなら、剣――フィジカル・ハックってのは何なんだ?」
 問いを受け、セレイアがちらりと左を向く。視線を向けられたレンは急に話を振られて戸惑うような顔を見せてから、しぶしぶと語りだした。
「フィジカル・ハック――原理侵食というのは、物理事象の歪曲を行う能力。簡単に言うならこの世では起こりえないはずの現象を、無理やりに引き起こす力よ。今日出会ったあの三人のうち、貴方がまともに視認できたのは恐らくロッサ=リエータの荊牢獄プリズン・スパイク≠フみ。見たかしら?」
「……シキをやったあの鞭のことか?」
「正確にはあの鞭を媒介して、破裂音クラップノイズ

を上げると同時に衝撃波を伝播する能力よ。表層装甲の硬さはお構いなし、衝撃は敵対象の深部に届いて炸裂する。あの鞭自体に脅威があるわけではないわ。ロッサがあれを振るうことで、あの鞭は命を得る。プラスは全員、自分の最も扱いやすい武器を発生させ、それによって原理侵食を行使する。その攻撃力は貴方が見ていたとおり」
 アーマノイドが手も足も出ずに破壊される光景は、文字通り悪夢のようなものだった。これもまた、暫くはまぶたの裏側に張り付いて離れるまい。今夜は、忘れられないことが増えすぎた。
「……ヤツらの強さはわかった。まともな連中じゃ、歯が立たないってことも。話を戻そうぜ。メルトマテリアルはあいつらに比肩する性能の兵器を開発したんだろ?」
 ザイルはレンに目を向けて言った。空色の瞳を細めて、彼女は言葉を紡ぐ。
「そうね。初めて戦線に投入されたプラスは、その戦闘で多大な被害を生み出した。上層部は驚いていたらしいわ。けれどただ竦んでいただけでもなかった。後手には回ったけれど、こちらの新型もまた、そのときには完成しつつあったのよ」
 レンは目をかすかに落として語ると、後を任せるようにセレイアを見つめた。セレイアは微笑を唇に浮かべたまま、柔らかい声でレンの言葉を引き継ぐ。
「プラスと同様、ウィルシールドとフィジカル・ハックを備え、全個体が例外なく高い戦闘能力を持つ新型……そう、人にして人にあらず、化け物と呼ばれど化け物にあらず。超えてはならない一点を超えた存在という意味で、私たちはこう呼ばれているわ。―― Exイクス≠ニ」
 ほんの少しだけ困ったように笑うと、セレイアはその表情を払拭するように目元を和ませ、ザイルを見つめた。透き通ったエメラルドの瞳は、警戒を忘れさせるような慈愛に満ちている。
 居心地が悪くなってザイルは目を逸らした。セレイアが鈴を転がしたような笑いを零す。
「改めて自己紹介をするわね。私はイクスの最初の一体、一番機イクス・ワン――セレイア=アイオーン。メルトマテリアル護衛特務部隊ガーディアン・シリーズ≠フ隊長を勤めているわ」
 セレイアの名乗りを受け、ロンがゆっくりとソファーに沈めた身を起こす。ゆるく手を組んで、男はかすかに唇の端を吊り上げた。
「同部隊四番機イクス・フォー、ロン=シュヴァルツハルト」
 最後に、レンがバレッタで髪をまとめ直して、静かに名乗った。
「同部隊二番機イクス・ツー……笹原憐。セレイアさんの副官を勤めているわ」
 次々と名乗る彼らに、ザイルは目を瞬いてから、煙草の煙を乗せてため息をついた。短くなったキャビンを灰皿に捻じ込み、太腿に肘をついて手を組んで顎を乗せる。
「あんたたちがそのイクスとかいう新兵器だってのは理解したが、肝心の説明は全然終わっちゃいない。背景の問題の説明は確かに興味深かったがね、未だに一等大切な問題が解決してねえ。どうして俺たちをここに呼んだ? 残念だが俺たちはおまえらみたいなスーパーマンじゃないし、あんたたちに利益をもたらせるとは到底思えない。見てたろ、プラスに完膚なきまでにやられてるところを。そこの二人が来なきゃ、今頃俺はシキが殺されるのを見過ごせずに飛び出して死んでただろう。シキは今も寝てるし、リューグは話を聞いてるのかも判らない。敗残兵≠チてタイトルの枠の中に、今の俺たちをそのままはめ込めば素敵なアートが出来上がるだろうよ。……そんな連中に、こんな話をして何になる?」
 ザイルの問いかけに、セレイアは「もっともな質問ね」と軽く首肯し、途切れた話を再開した。
「端的に言うとね、私たちは数でプラスに劣っているのよ。正面から全力でぶつかれば、先に息切れするのはこちらの方。現在までにプラスは七体が確認されており、向こうに送り込んだ間諜からは、八体目を準備する計画があるとの情報が送られてきたわ。……対してこちらは五名。真っ向勝負なんて起こりはしないでしょうけれど、切れるカードが少ない状態が続くのは本位ではないの」
 だから、と前置き一つ、セレイアは腕を組み替えた。簡素なドレスの胸が腕の上にのり、強調されている。ザイルは煙草をもう一本引き抜き、ライターで火をつけながら目を閉じた。
 闇に閉ざしたはずの視界の裏に、かすかな光が写ったように見える。
 それが届かぬ幻想なのか、はたまた掴みうる希望なのかはまだ見えなかったが。
「……今回、貴方たちが受けた依頼は、私たちが行った『選別試験トライアル』だったの。私たちはこの試験を、何度か凍京で行ったわ。国外でも数箇所。試験で試されるのは、『危機的状況における、戦闘力を含んだ対応能力』。敵役は一貫して能力を制限した三番機と五番機が担当したわ。……ザイル君は確か、彼女の顔を見ているはずね?」
「……あのソラとかいう女だろ。あいつもイクスだったってのか」
「ええ。能力はほぼ最低限に抑えて戦ってもらったけれど、民生のサイボーグなら容易に圧倒できるだけの実力はあるわ。それを抑えた貴方の実力は確かなものだったということ」
「慰めにしか聞こえねえ」
「そう聞こえるのは慰めてもらいたいからよ」
 レンの放った棘のある言葉に、ザイルが顔をしかめる。とりなすようにロンが間に入る。
「喧嘩をしにきてもらったわけではないよ、ザイル。済まないね。これが本題だ。この話をすれば、横の――そう、リューグも、少しは反応してくれるだろう」
 五指を確かめるように擦り合わせて、ロンは自分の煙草を取るためにザイルの手元から箱を引き寄せた。
 それとほぼ違わないタイミングで、セレイアが組んだ腕をゆったりと膝に下ろす。数度の呼吸を置いて、彼女は天使のような――或いは狡猾な悪魔のように、笑った。

「力が欲しくはないかしら?」

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