-Ex-

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「チェックメイト」
 こつん、と盤上にクイーンが置かれた。
 男は、頭を掻く。参ったとでも言いたげに、盤上の趨勢を見た。
 碁盤目の上に踊る白と黒のコマが、仮想的な戦場を演じている。白と黒との軍勢のぶつかり合いはしかし、黒が圧倒的に優勢を保っていた。白はといえば幾許かの戦力と震えるキングしか残っていない。見れば見るほど絶望的な戦況だ。
 男は考え込む素振りをしながら、窓の外を見つめた。ソリッドボウル本社ビル二十二階から臨む夜景は、地に落ちた星屑を散らしたような眺めだった。暗い背景に、自分の姿が映りこむ。注視すると、スーツを着崩して青いサングラスを掛けた細身の青年が、冴えない顔で見つめ返してきた。後ろ髪が若干長く、尻尾のように垂れているのを飾り気のない黒い紐で括っている。濃い青のせいで目まで見通すことが出来ない。
 こつこつ、と爪で盤上を叩く音が聞こえた。
「女をあまり待たせるものではないわ?」
 目を正面に戻すと、卓を挟んだ向こう側でブロンドの女性が艶やかに微笑んでいる。
「あなたの番よ、ショウ」
「参りました」
 素直すぎるくらいの早さで頭を下げると、ぶっ、と噴出す声。横合いのテーブルに腰掛けて脚を揺らしていた少女が、雑誌から顔を上げた。
「早ァ!! こらえ性ないッ!? 早いと嫌われますよショウにーさん!!」
「何の話ですか」
 名前を呼ばれ、男は肩を竦める。淡白な反応に食いつくように、少女は口元に手を当てて「むふふ」とわざとらしいにやけ笑いを作った。
「んー? なになに、興味がおあり? 私と実践してみますー?」
「生憎と幼児体型には興味が」
「……潰しますよ」
「お構いなく」
 少女が半眼で青年を睨みつける。男は飄々と視線をかわしながら、少女の格好を盗み見た。
 黒いレースのついたいわゆるゴシックロリータ調の衣服を身に纏った、ショートボブの少女だ。ふわふわとした茶髪を指に巻きつけ、大きく丸い茶色の瞳をこれ以上ないほどに細めている。身体の起伏はといえば、なるほど、幼児体型と揶揄されたとおりで、メリハリに乏しいようではあった。
「……ロッサさん、お構いなくってゆーのはやっちゃってくださいってことでいいっすよね?」
「ここで暴れるのはダメよ、マイ。休憩室を使わせてもらえなくなってしまうわ」
 ロッサと呼ばれた女性が、肩ほどまでのブロンドをやわらかく梳いた。真っ直ぐな髪が指の間から抵抗もなくこぼれていく。アイスブルーの瞳が緩やかな弧を描いた。スリムなスーツに女性らしい丸みを帯びた身体を包んでいる。少女と呼ばれても差し支えのない年齢であるはずなのに、どこか大人びた余裕を漂わせていた。
 ロッサの言葉に、ショウは苦笑交じりで頷く。
「前科がありますからね、僕たちには。あまり波風を立てずはしゃがず、今までどおり静かにつつましく行きましょう」
「やっと日陰から出られたのにこの上つつましくなんて冗談じゃないっ! 来る日も来る日も訓練訓練、お休みもらえるようになったのだって最近だし、外出許可が下りたのだってついこのあいだっすよ!? 十五の女の子に対する仕打ちがこれかー!!」
「……街で最初に騒ぎを起こしたのが誰だかしっかり思い出してから今の台詞をどうぞ」
 青年――ショウが、頭痛をこらえるように額に人差し指を当てた。青いサングラスで光を照り返し、マイへと視線を注ぐ。
 舞がロボットのような首の動きであさっての方向へ視線を逸らすのを確認してから、ショウはつらつらと言葉を並べ始めた。
「あれはいつのことでしたっけ? 外泊許可と同時に外部へ脱走、ウィンドウショッピングの傍ら絡んできた少年グループ計五名を拳で撲殺し、財布を奪って逃走。力の限り飲む食べる遊ぶを繰り返し、郊外で再び少年グループに包囲されて正面突破。挙句の果てにスラムに迷い込んで本社に連絡、僕とリョウゴを駆り出してまで救援要請。現場についてみれば昼の少年グループ残党たべのこしと大喧嘩中。それに僕らを巻き込んで――」
「うわあああああん人の傷口ほじくりまわしてきやがりましたよこの腐れメガネ! ロッサさんたーすーけーてー!!」
「でもおおむね事実よね」
「孤立無援ー!?」
 青年と女性は無言の笑顔を浮かべた。けれど目はあまり笑っていない。視線が少女に突き刺さる。たじろぐように少女は口をぱくぱくとさせると、そのうち諦めたように座ったテーブルから降りた。
「それはそのー、まー、その節はご迷惑をかけましたけどもー」
「今後はそういった事のないようにしていただきたいですね。まあ、そのトラブルメーカー振りを含めて貴女がいるわけなので、僕もあまり強いことは言いませんが」
「そうね。マイの陽気さに救われることも多いもの。――私達は、生きているだけで罪になるんじゃないかと思わされるくらい、この世の暗い場所を見つめてきたから」
 ロッサが、秀麗な眉目を儚げな笑みに染めて呟いた。その言葉にショウは思う。
 ――それは確かなことだ。僕たちは殺すためにここにいる。恐らくは、これからはもっともっと多くの人間を、サイボーグを、殺していくことだろう。
 ショウは自分の手のひらを見下ろした。その手のひらは、普通の人間のものとなんら差異がない。年相応の男性として――とはいえまだ十七歳だったが――温かく、ほんの少しかさついた手のひらがそこにある。
 しかし、この手は武器を握る。そしてその武器を、他のあらゆるものに真似の出来ないほど上手く操る。華麗に、鋭く、激しく、迅く。
 自分たちは、プラスというただ一言の符号で表される存在だ。ソリッドボウル・インダストリーが誇る、外敵排除用の最終兵器である。
 プラス・ナンバーファイブ茨棘ノーブルスパイク<鴻bサ=リエータ。
 プラス・ナンバーシックス殺戮領域キリングフィールド霧崎舞キリサキ・マイ
 そしてプラス・ナンバーセブン殺人凶バッドマーダー=A相沢翔アイザワ・ショウ
 メルトマテリアルに対する切り札であり、彼らの擁するExイクスと唯一、対等に戦える存在――それが、プラスであった。
 しばしの沈黙の後、マイが頭を掻きながら呟く。
「あー、あんまり湿っぽいのはナシにしませんかー」
 少女は屈託なく笑い、言葉を続けた。
「私たちはとっくに人間じゃないんすよ。それを今更四の五の言ったって変わりませんし、人を殺したくないって言ったところで多分無理っす。罪があるのはもとからで、私たちはそれぞれ行き場をなくして、心のどこかにある異常性を買われてここに来たんだから。……それならそれで、いいじゃないっすか」
 何も考えていないような言葉の裏側には、若干の寂寥と後には引けないという覚悟がある。マイはほんの少し真面目な顔を作って、言葉を続けた。
「ここには、自分と同じ存在がいる。それだけで、十分っす。誰にも認められない悲しみも、孤独も、もう感じなくて済むんだから」
 ね、という風に彼女が首を傾げるのを見て、ショウはゆっくりと頷いた。ロッサもまた、ふわりとした微笑を見せて、頷く。戻れない寂しさは拭えない。けれどここには、元いた場所にはいなかった仲間がいる。
 それで十分だと、ショウが考えたその時――入口のエア・ロックが開いた。ドアがスライドし、休憩室に踏み込んでくる影がある。
「おや、ちょうどいいのが三人。まるであつらえたようだな」
 背の高い女性だ。百七十センチメートルほどの背丈を、軍服めいたスーツで包んでいる。黒く長い髪は背中と胸の前に豊富に垂れている。マイがいつも羨むプロポーションを持っており、スーツの前を強調するような胸のふくらみが、垂れた黒髪の一部を支えて、先端を宙ぶらりんにしていた。皮肉っぽい目には隙がなく、切れ長で鋭い。年齢は二十歳を少々回った辺り、といったところだろうか。
 凛とした女性将校のような身なりだが、男性陣はいつも彼女と話をするとき、目のやりどころに困るという。ショウは些かその意見には賛成できなかったが。
 ――だって目を見て話をすれば同じじゃないか。
「こんばんは、アカネ。食後の読書はいいの?」
「こんばんはロッサ。うん、残念だがどうやら後回しにしなければいけないようだ。これから私は管制活動に入らなければならないようなのでね。余暇を楽しんでいるところ済まないが、キミたち三人にも助力してほしい」
 男性的な口調で語りながら、控えめなピンクのルージュを引いた唇を皮肉っぽく歪ませる。ショウは嫌な予感を抱いた。それは予感というよりは、確信に近いものだったが。
「えー?! 私これから食堂に行って余り物あさる予定だったのにー!!」
「さもしい事を言うと胸の成長が止まるぞ、舞。後で豊胸体操を教えてやるから、今はとりあえず出撃準備を頼むよ」
「む、む、胸のことは言うなー!! ああんもうなんなんすかこの職場、男も女もデリカシーどっかに置き忘れた連中ばっかりー!!」
 マイがどんどんとテーブルを叩く(大分加減してはいるようだったが)のを横目にしながら、ショウはアカネ――プラス・ナンバーツー電脳神ドミナス=A神原茜カンバラ・アカネに問いを投げかけた。
「僕らに声がかかるというのは、尋常な事態ではないように思いますが」
「その通りだよ相沢翔。逆に言えばキミたちなら危険を冒さずこの任務を完遂できるということだ。敵は三体ほどの野良サイボーグと、元フィジカライザーが一体」
 さらりと髪を払いながら、アカネはこともなげに告げる。ロッサが目を眇め、マイが不思議そうな顔をした。
「どういうことっすか? それなら、フィジカライザーを何体かやれば済むような話だと思いますけど」
「説明は司令室で行う。――蒔いておいた種が実った、と我らが開発者ドクターは言っていたがね。とにかく、至急準備をしてくれたまえ。諸君の貴重な時間を奪うことは心苦しいが、話が長くなった分だけ多く時間を削ることになるのも事実だからね」
「……なら、悠長に話しているのは時間の無駄ね」
 椅子をそっと引き、音もなくロッサが立ち上がる。ショウもそれに続いて立ち上がった。
「理解が早くて助かるよ。それと、マイはその服のままで出撃してもいい。特例が認められた」
 テーブルに突っ伏していたマイがその瞬間、がばりと起き上がって目を輝かせた。
「えー!? マジっすか?! うっわあ言った甲斐ありましたねーこれは! アカネねーさん頼りになるっ、抱きしめていいっすか!?」
「後でな。――だが次からは、技術部門が開発したスーツを着るように。デザインはキミの意見も取り入れるようだから、おいおいその話もすることにしよう」
「もちろんっすよー、いやったー!」
 踊るような足取りで、マイは地面を蹴立ててドアの外へ飛び出していった。テンションが上がったマイを止められるものはこの世に数人といるまいと、ショウは思う。ブリーフィングルームのあるほうへと走り出していく後姿を見ながら、青い眼鏡を押し上げた。
 ブルーに染まった世界の中で、閉まるドアを背にアカネが微笑んでいる。
「腑に落ちないという顔をしているな」
「……ええ、まあ。これだけの情報では判断しかねますから」
 言葉を選んだショウに、アカネは数度頷いた。
「そうだろうとも。キミは慎重な男だからな。まあ、ひどい無茶を申し付けるつもりはないし、力に制限を掛けるようなこともしないつもりだ。質問は司令室で受け付ける。二人とも、なるべく早急に来てくれたまえ」
「了解よ」
「了解、です」
「結構。それではまた後で」
 ひらりと手を振ると、軍服まがいのスーツの裾を翻し、アカネは部屋の外へと出ていった。ドアの閉まる音が妙に空々しい。
「災難ね。早く済ませましょう、ゆっくりシャワーを浴びたいし」
 ロッサが悪戯っぽく笑って、チェス盤の上のキングを指で倒した。こつんと小さな音が鳴る。
「そうですね。考え込んでいても、始まらない」
 ショウは頷いて、チェス盤に背中を向けた。歩き出すその背中にロッサが続く。
 無人の休憩室に、二つのキングが倒れた状態のチェス盤だけが残された。
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