-Ex-

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  侵攻  

「さあて、と」
 銀色の両腕を持つショートボブの少女――ナユタノカナタは、自分の両腕が正常に動くのを確認した後で、足元に臥した死体を蹴り転がした。力なく横たわるのは、カナタといくらも年の変わらない、緋色の瞳をした少年である。その胸には、まるで杭を打たれたかのような穴が空いていた。目に光はなく、死んでいるのは確実だった。
「第一目標は制圧。ボクはこれから単独行動に入るよ。うちの部隊の兵士はガナックの爺ちゃんに預けるからね。因縁の対決、頑張ってよ」
「……言われるまでもない。連中には借りを返してやらねばならんからな」
 声をかけられて応じたのは、筋肉の塊のような壮齢の男であった。真っ白な髪をやや伸ばし、ひっ詰めて後ろで一括りにしている。身長は二メートルを優に超え、着崩したスーツの上からでもはっきりと筋肉の隆起が見て取れた。双方の拳が鈍いクローム・メタリックに輝く。しかし、それはカナタが使用するような洗練されたサイバーウェアではない。ただ劣悪な精度で手の機能を模倣するだけの、金属の塊であった。関節を軋ませながら、壮齢の男は手を握って開き、ごくゆっくりと自分の髪を撫で付ける。
「精々利用させてもらうとしよう。ではな、ソリッドボウルの尖兵。精々火傷せんようにすることだ」
「その台詞、そのまま返すよ。それじゃあね」
 カナタはスキップするような足取りで管制室を出て行った。すぐに、降りた隔壁をぶち破る音が響き始める。彼女の『腕』は、ガナックが装備している人工上肢アーティフィシャルアームよりも数ランク上の、最新鋭の代物だ。
 しかし、とガナックは拳を握り締める。古いものが新しいものに必ずしも劣るわけではない。堅牢さ、信頼性、そして何より長く扱ってきた経験――それらがあれば、旧型の人工上肢を使って戦闘することは難しいことではない。
 この鈍色の腕で、幾人の敵を粉砕してきたことだろうか。キラーハウスを作ったその時から、宿命付けられたように、立ちふさがる敵をことごとく殺してきた。窮地に陥ったときも敵を圧倒したときも、常にこの腕を使って切り抜けてきた。その自負が、旧式と新型の性能差を埋めるのだと、ガナックは固く信じている。
 銀色の拳を握り固めたまま、しばし黙考した後、壮年は静かに切り出した。
「私はA-2区画の通路で待機する。六名、入口で待機。帰還してくる二人のうち、どちらかでいい、足止めをしろ。もう片方は素直に通せ。……二名、ここに残って隔壁を開放し、私のいる区画へ敵を誘導。かかれ」
 ガナックが下した簡潔な命令を果たすべく、兵士たちは無言で役割を分担し、素早く動き出す。彼らはサイバーウェアを埋め込んだ様子は見られなかったが、その練度は相当なものだった。少なくとも、烏合の衆に過ぎない今のキラーハウスのメンバーでは太刀打ちできないことは明らかだ。
 ――最早、退路はない。
 心のうちで呟く。理想を追いかけて、同じ志を持つものが集まり、燃え上がったその瞬間の輝きは確かにすさまじいものだ。しかし、それがいつまでも同じ光を、同じ熱を湛えていることなどありはしない。人が老いれば炎は細り、人が増えれば熱意は均質化され、やがて冷めていく。
 引き際を間違えたのかもしれないと、ガナックは思う。三十年余りの昔に作り出した我が子のようなこの組織キラーハウスは、今や病魔に侵されて進退窮まっているような状態だ。見守り、導いていける人間は最早自分一人しかいない。その自分も、今こうして死地にいる。
 後悔するには、何もかもが遅すぎた。
 前を見るには、待つ結末が惨すぎた。
 それでも、自分は最後までこの拳を握り、組織のトップとしての責任を果たさなければならない。与えられた力で、目の前の敵を駆逐しなければならない。
 ガナックは、すでに死んでいる緋色の瞳の少年を幾秒か見つめた後で、残った二名の兵士に「ここを任せる」と告げて、ゆっくりと歩き出した。力強い足取りで、悲壮感を拭うように。


 ――七枚目の隔壁をぶち破ったとき、カナタは背筋に這い登る戦いの予感に打ち震えた。
 D4区画に差し掛かった瞬間のことだ。カナタが手を止めても、隔壁を破る音が止まなくなる。ある種の悲壮感を伴って、音は徐々に大きくなっていく。
 背筋に伝わるぞくぞくとした感覚が頂点に達したとき、五メートル先の隔壁――シャッターから、銀色の腕が生えた。同時に腕は耳障りな音を立てながらシャッターを歪め、動き始める。じゃりじゃりと擦れる爪がシャッターに掛かる。次の瞬間、合金製の隔壁が紙のように切り裂かれた。もう一本の腕がこじ入れられ、力任せにシャッターが引き裂かれていく。
 ピンク色の髪、漆黒のボディスーツ、露出した長い銀色の腕――TYPE-07-EAイーヴィル・アーム。カナタは同系機の姿を認めた瞬間、唇をゆがめて、嬉しそうに笑った。
「久しぶりだね、アリカ」
「……?」
 ピンク色の髪の女――イツカノアリカは、警戒するように立ち止まった。その顔には焦燥の色が濃い。行かなければならないところがあるのに、足止めを食っているような……そんな顔だ。
「あなた、誰」
「酷いなあ、ボクのこと忘れちゃったの? 一緒にフィジカライザーになって……『プラス』の座を目指した仲じゃないのさ」
 素気無いアリカの反応に、からかうように返す。しかしアリカの顔色は変わらない。
「……何を言ってるかわからないし、あなたなんて知らない。わたしはシキのところに行くの。邪魔しないで」
 その返事を聞いて、カナタは不快そうに表情をゆがめた。記憶に混濁が見られるらしい、と上司――古賀隼人コガ・ハヤトは言っていたが、ここまでとは思わなかった。
「なにそれ。何もかも忘れてのうのうと生きてたわけ? ボクに散々差をつけて勝っておいて、いざプラスになる段になって逃げて……何も覚えてないなんて、勝ち逃げの見本みたい」
 カナタは訓練でも、実戦でも、目の前の女に勝ったことがない。アリカはいつも涼しげな顔をして、カナタの一段上の成果を出してきた。負け続けて、妬みの炎に炙られ、性根が歪むのは必定だったのかもしれないとカナタは思う。けれどここまでくれば、それもどうでもいいことだ。
「何度も言ってる。わたし、あなたなんて知らない。次はないわ。どいて」
「……ああそう、この期に及んでボクなんて眼中にないって顔をするんだ、アリカは。じゃあいいこと教えてあげる。そのシキっていうのが、緋色の目をした男の子だったら、キミが走る意味はないよ」
「――」
 アリカが目を瞬く。意味を推し量るような一瞬の沈黙を縫って、カナタは笑って囁いた。
「だって、その男の子、ボクが殺しちゃったもの」
 風が吹いた。
 次の瞬間、狭い廊下を金属音が席巻する。どんな鈍器よりも重く、どんな刃物よりも鋭い、アリカのイーヴィル・アームが、カナタの金属腕と交錯していた。記憶の中の動きよりも、アリカはずっと速かった。けれど自分とて今までの時間を無為に過ごしたわけではない。カナタは笑う。
「あは、アリカがムキになるの、初めて見たかも」
「もう言うことなんかない」
 アリカの眼には鬼気迫るものがあった。もしも鬼神がいたならば、それは恐らくこのような目をしているのだろう。イーヴィル・アームの五指をめきめきと広げ、殺人姫は迷いなく、慈悲なく、唸るように言葉を発した。
「――そこを、どけェェッ!!」
 今までに聞いた事のないような声。声に力があったならば、あたり一面を引き裂いているであろう、そう思わせる叫びだ。しかして、それを聞いてカナタは笑う。遊ぶ約束をしていた相手を改札の向こうに見つけたような、そんな快活な表情で。
「出来るものならやってみなよ。さあ――始めよう! あの日の続きを戦おう!!」
 戦いの号砲に似た金属音と同時に、二人の人工義肢が火花を上げて弾けた。互いが二メートルの後退を強いられる。しかしそれも刹那のこと、まるで互いに引き寄せられるように、二つの影がぶつかり合う。
 振り下ろされる巨大な『悪魔の腕』を見上げ、それに向かって自らの拳を叩きつけながら、カナタはそのスペックを回想した。
 イツカノアリカが用いる義腕は、TYPE-07-EA『イーヴィル・アーム』。その乾燥重量は一本辺り四二・二キログラムに及び、前腕部には超伝導モーターによる高振動モジュールを内蔵している。このモジュールが発する振動により、彼女の腕はあらゆるものを粉砕し、また引き裂くことが可能だ。ただそれだけ、、、、、、の武装だが、第三期強化人間フィジカライザーが持つ義肢の中では、最も高い攻撃力を持つとされる。
 ――しかし。威力が高いということが、必ずしも強いということではない。
 最優と最強が、常に等号で結ばれることがないように。
 旋風が吹く。アリカが横に右腕を薙ぎ払う。大雑把過ぎる攻撃、しかし圧倒的に速い。狙いをつける必要がないのだ。当たれば相手は確実に死ぬ。
 ――それが普通の人間ならば。
 カナタは口元を歪めながら、振るわれるイーヴィル・アームを右腕で撫でるように受け流した。そうしてさえ火花が散り、金属を掻き毟る悲鳴のような音が響く。
「速いね。今までのいつよりずっと。でもねアリカ、それで終わり?」
「黙れェッ!!」
 アリカは完全に理性を喪ったように、野獣じみた咆哮を上げて腕を振り下ろした。カナタは床を撓むほどに蹴りつけ、後退した。同時に拳をゆっくりと握り締める。空振りした悪魔の腕が、床をまるで木板のように叩き砕いた。コンクリートの破片舞うその中で、カナタは唇を湿らせる。
銃掌ガン=ナック起動エンゲージ。……噛み殺せ、ウロボロス=v
 流線型の装甲に覆われたカナタの両腕、その前腕部側面の装甲が開き、排気口が露出する。握り固めた拳が縦二つに割れ、内部構造を自律的に組み替えながらその形を変じた。外見的なイメージは三本の猛禽じみた爪を供えた、堅牢な"砲≠セ。そして実際、それは近距離で敵に叩き付け、あるいは敵を爪で捕らえ、発する力で破壊するためのものである。
 この腕――ウロボロスとイーヴィル・アームとでは重量も、発揮できる単純出力もまるで違う。それは大人と子供ほどの差だ。このまま打撃で打ち合えばそれこそ五合ともつまい。――こうして、戦闘形態へと移行しなければ。
「アアアアアアアアアアアアアッ!!」
 慟哭じみた叫びを上げ、アリカが右腕を突き出す。それに合わせるようにカナタは左手を繰り出した。互いの銀腕が交錯した瞬間、金属の軋む音が上がり、今までと同様に二人の腕が弾け合う。
 唯一つ今までと違っていたのは――
「……?!」
 たたらを踏んだのはアリカのほうだということだった。
「戦い方、下手になったんじゃない?」
 カナタは粘つくような笑みを浮かべる。姿勢を崩したアリカの元へ、圧倒的な瞬発力で飛び込んだ。言葉なく、アリカが左手を振るう。横殴り、壁に叩きつける様に振るわれた一撃、その更に下をカナタは潜り抜けた。伸び上がるような動きに連れられて、カナタの腕が上向きの弧を描く。地を這うようなコースからのアッパーが、アリカの鳩尾に突き刺さった。
 アリカの目の焦点がぶれる。カナタは喜悦を堪えられないとでも言うように、唇の端を吊り上げた。そして、発砲、、。岩のように重いはずのアリカの体が、吹っ飛ぶように浮いた。その唇から血反吐がこぼれる。着地に失敗して倒れ込み、無様に背中から滑るアリカを見て、カナタは嘲るように囁いた。
「……弱く見えるよぉ、アリカ。キミってそんなものだったっけ? それとも、遭わないうちにボクが強くなりすぎたのかな?」
「ッか、げほっ、うッ……ェ、ぐ……!」
 アリカが、信じられないものを見る目で見上げてくる。その視線に喩えようもない喜悦を感じた。かつては逆だったと、カナタは己の記憶を掘り返す。――あの視線は、いつも、自分がアリカに向けていたのと同じものだ。
 アリカがふらふらと立ち上がる。その瞳には、実力差への戸惑いに薄められたものの、まだ濃密な殺意が残っている。
 そうでなくては、と思う。
 そうでなくては、面白くない。今まで負けに負けて舐めてきた辛酸を返すには、この程度では到底足りない。カナタは歪んだ笑みを浮かべたまま、だらりと、鉤爪のついた異形の腕先を持ち上げた。
「ねえ、アリカ? あの男の子が死んだ時の話をしてあげようか。最後まで仲間の名前を呼んでたよ、勿論、キミの名前もねぇ――」
「それ以上ッ……」
 力の差を恐れる戸惑いが、一瞬で怒りに塗りつぶされる。再燃した怒気に身を任せるように、リノリウムをコンクリートごと穿って、アリカは踏み込んできた。
「喋るなァァァッッ!!」
 しかしその機動はまたも直線的――カナタはその激情を嘲笑し、泰然と迎撃の構えを取った。
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