-Ex-

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 ――やがて煙は晴れ、海風と潮騒だけが残った。戦いの跡の中心で、少女はげんなりと言葉を吐く。
「……さいってー。あれだけでかい口叩いて期待させておいて、負けそうになったらトンズラってわけ? 冗談きついわよホント。あー追いかけてって一発ぶん殴ってやろうかしら」
「やめておけ。やつの頭が消えかねん。レンから言い含められたことを忘れたか」
 たしなめるように答えるのは、顔を覆うバイザーとメットを取り外した男。赤銅色の豊かな髪が露になる。
「はいはい、『可能な限り原理侵食フィジカル・ハックを使わず、なるべく長く実力を見る。逃げ始めたら追いかけず、それとできれば殺さない』でしょ? 前の二つはともかく、後ろの二つは守ってやったわよ。ご不満?」
 少女――三番機イクス・スリー春哉空ハルヤ・ソラは目を細めて男の方を睨んだ。男は事もなげに返す。
「それは後でレンに聞け。おれが評価すべきところではない。……やはり原理侵食は使わざるを得なかったか」
「こんな重っ苦しいハリボテ着せてあのレベルの相手に原理侵食を使うなってどんな拷問よ。せめていつもの防弾衣よこしなさいよ。あー疲れただるい帰ってパフェ食べたいレン作ってくれるかなぁ」
「それも後でレンに聞け」
 呆れたように空に視線を注ぐ男――五番機イクス・ファイブ嶽蔵巌真タケクラ・ガンマは、重いだけのバイザーとヘルメットを小脇に抱えてため息をついた。
「相当な手練だった。攻撃の本質をすぐに捉え、機械的に防ぎ続け、反撃のチャンスを伺う……粘り強さのある男だったな。自分の刀に対する負荷は分散させ、逆に相手の刀に対しては負荷を一箇所に集中させる……言葉にすれば簡単だが、それを実践できる人間など、そうはいまい」
「へえ、褒めるじゃない。仲間にしてもいいレベルってこと?」
「同じ志を持てるのであれば、背中を預けるに不満はない。あれに原理侵食がつけば、恐らくは随一の切り込み刀になるだろう」
 ガンマは瞑目すると、リューグ=ムーンフリークと名乗った少年の太刀筋を思い出した。刀身を満遍なく使ってこちらの攻撃を受ける。しかも、相手の刀の一点を目掛けて受ける。疲労を蓄積させて刀身に刃毀れを生み出し、そこを隠し玉の超振動剣で攻撃し、刀を破壊する。
 言葉にすればこれだけだ。だが、それがいかほどの神業か、実際に刀を持って振るってみればすぐに判る。……それだけに解せない。
「……お前ではないが、おれも少し気になることがある。そちらがどうだったかは知らないが、こちらは終盤にそれなりの隙を見せてやった。食いついてくるだろうと思ったのだが……そこで奴らは尻尾を巻いた。解せんな。収まりの悪い話だ」
「逃げたのには事情があったって言いたいわけ? まあ、あんだけ実力のある連中だったら、擁護してやりたくなる気持ちもわかるけどさ」
 首を傾げるソラに、ガンマは相変わらずの重苦しい口調で切り出した。
「恐らく、あれは納得ずくの逃走ではなかったのだろう。おれの勘だがな。お前はどう思う、空」
「……うーん。言われてみればそんな気もするけど……いいわよ、もう、そんなの。あいつらを仲間にするかどうかを決めるのはセレイアたちの仕事よ。あたしたちには関係ないわ。データリンクして、今日のお仕事はお終い。二人と合流して帰りましょ。シャワー浴びたいし」
 終わったことには興味がないとばかり、少女はくるりと身を翻して、長い髪をさらりと梳いた。ガンマはそんな少女の様子にため息をつくと、へし折れたチタン・ブレードを放り捨て、その後に続く。
 最後にもう一度だけ、二人の少年が消えていったほうを見た。その先には、暗い闇と街灯の点々とした明かりだけがある。抱えたメットを弄び、ガンマはゆっくりとその場を後にした。


 ――スラムの外れ。鬱陶しく吹きすさぶ生ぬるい風に顔を顰めながら、ネル=エイレースはため息をついた。車から離れてコンクリート壁に背中を預け、難しそうな顔をしてブローチ型の通信機を覗き込む。
 途中からこの通信機はうんともすんとも言わなくなった。銃声と喧騒が聞こえたのが最後で、それ以降は人懐っこい通信士の声も、雑音も、一切が聞こえてこない。
 任務放棄の可能性を疑ったが、あのままもう数十秒も経てば現場に撤退命令を下せる状態になっていたはずだ。会話を聞く限り特に危機的状況でもなかったし、意図して仕事を放棄するメリットなどどこにもない。十中八九、これは彼らにとっては不本意な仕事の中断だったのだろう。
 こつ、こつ、と靴音が聞こえ、ネルは現実に引き戻された。足音の方へ視線を向ける。
「悩み事かな、ミズ・エイレース」
 微笑を口元に引っ掛け煙草を咥えた、くすんだブロンドの男が歩み寄ってきた。色の薄いサングラスを外すと、アイスブルーの瞳が露になる。ひいき目抜きで美男子だと言っていいだろう。その微笑で何人の女を惑わしたか、一度聞いてみたいものだとネルはよく思う。
「……小芝居は終わりです。それともまだフェンリルと呼んで欲しいんですか?」
 男は軽く肩を竦めると、懐から安っぽいライターを取り出した。
「いや、君の悪女ぶりがあまりに板についていたものでね。……しかし、本当に十六には見えないな、レン。今の君をどこぞの組織の女ボスだと言って、何人がそれに反駁するか試してみたいものだ」
 ネル――否、二番機イクス・ツー笹原憐ササハラ・レンの頭から爪先までを何度か見て、男は薄く笑った。
「女は口紅の色の数だけ違う自分になれるんです。……それより、勤務時間中ですよ、ロン」
 レンが釘をさすと、男は口元を薄くゆがめた。名をロン=シュバルツハルトという。四番機イクス・フォーの座を頂く男は、じっとりと睨むレンの視線を微笑みで受け流した。
「役作りの一環ということで頼むよ。……まあ、君の言うとおり、芝居は終わってしまったがね」
 言うと、安物のライターのホイールを擦る。時代遅れのライターはなかなか気難しいらしく、火が生まれてもすぐに消えてしまう。諦めようとしないロンの口元、煙草の先を、レンは呆れたように見つめた。
「……半分だけです。それ以上は帰ってからにしてください」
 レンが呟いた瞬間、煙草の前半分が赤熱し、一秒たたずに燃え尽きた。焦げ臭い匂いが広がる。レンがゆっくりと視線を前に戻す。ロンはしばらく無言で随分短くなった煙草をふかしていたが、深く吸い込んで吐き出すと、疲れたような声を出した。
「二つほど苦情をいいかね、レン」
「なんなりと」
「一つ、前髪が焦げた」
「また生えてきます」
「二つ、煙草にはフィルターと言うものがある。前からきっちり半分を燃やすと吸える部分は三分の一ほども残らない」
「では早く吸い終わってください。早く戻ってセレイアさんと今後の方針を協議したいので」
「……容赦がないな、君は」
 ロンがぼやく横で、レンは再び思考の海へ意識を沈める。
 実力で言うならば、能力を限定した上でとはいえガンマとソラに拮抗しうる力がある彼らの存在は確かに魅力的だ。だが、彼らはトラブルがあったとはいえ中途で任務を投げ出した。この点はマイナスだろう。
 他にもこの『トライアル』――要は実力を測るための、依頼の形をした出来レースだ――に参加した荒くれどもはいた。及第点を出したチームもいくつかある。とはいえ、今日の二人ほど善戦した例は他にない。この点をどう見るかは、自分が口を出すところではない。イクスの開発主任である『ドクター』と、その右腕である一番機イクス・ワン――セレイア=アイオーンが決めるべきところだ。
 横でロンが煙草を弾いて捨てる。地面で火の粉を散らして転がる吸殻を眺めて、レンはビル壁から背を浮かせた。
「新しい仲間が信頼に足るものであるように祈りたいところだがね。今日の二人だが――レン、君はどう見る?」
「実力的に見れば今まででトップでしょうね。けれど――」
 脳裏に浮かぶのは無口で無愛想で、他人への配慮をこのスラムのどこかに置き忘れてきたような少年の顔だった。レンは言葉に溜息を混ぜ、車へ一歩踏み出す。
「あんなに性格の悪い子供と、上手くやっていけるかどうかは、また別問題です」
「年齢もそうは違うまいに。……話してみれば案外とうまく行くものだよ、ああいう連中とはね」
「あり得ません」
 達観した口調でいうロンの言葉をぴしゃりと跳ね除けると、レンはコートからバレッタを取り出して、髪をまとめた。颯爽とした足取りで車へと向かう。
「気難しいお姫様だ」
 ロンが皮肉っぽく呟くのが聞こえたが、それに言葉を返すことはない。埃っぽいスラムの空気から逃げるように、レンは運転手つきの高級車に滑り込んだ。
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