-Ex-

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  接敵  

 凍京郊外、スラム街のそのまた外れ。街灯の光もまばらな乾いたビルの森を、二つの陰が駆け抜けていく。影の片割れ、ザイルは銃を握ったまま周囲の状況を確認した。飛ぶように走るその歩幅を緩めぬままに口を開く。
「ここ最近で俺たちはどこと諍いを起こした?」
「クズ麻薬の売人グループとストリートチルドレンのグループ。……後は三週間前になりますがキラーハウス、ですか」
 ザイルの左方から声が返る。抜き身の白刃をぶら下げた少年――リューグだ。駆けながら会話を交わす二人に、息の乱れは見られない。
「前の二つにこうまでできる戦力はないだろう。とすれば殺し屋組合の連中か? アーマノイドを潰した恨みとくれば妥当な反撃だが――それにしたって、あそこをこんなに早く嗅ぎ付けて、その上でセキュリティを突破できるような連中か? この間のアレを見るかぎり、烏合の衆そのものだったろ」
「何かしらの支援があれば不可能な話でもないでしょう。そう推測するに難くないだけの恨みは買っていますからね。方々から、平等に」
「恩は売らないのにな」
「購入専門ですので」
 軽口が一段落したあたりで、目的のビルが――帰るべき場所が目に入った。
 その瞬間になって初めて、ザイルはようやくこの緊急事態が、冗談でもなんでもなく実に差し迫った危機なのだと実感する。
 どこにでもあるような雑居ビルは、外見こそしょぼくれているが、その中は最新テクノロジーを集めた彼らの要塞足りえる場所のはずだった。その入口が、まるで建物破壊用の鉄球でも喰らったように陥没しているのだ。ドアが耐えかねたように内側にひしゃげて、黒々とした室内を覗かせていた。
「とにかく――俺たちを殺したくてたまらない奴らが、喧嘩を吹っかけてきたらしいってのは、どうやら間違いない事実って訳だ」
 ザイルが呟くと同時、リューグが細い目を更に尖らせた。
「そのようですね。そして面倒な事に……」
 白刃一閃、空中に散る火花、同時に急激なブレーキング。アスファルトの上で踏みにじられた砂利が悲鳴を上げ、地面に引っかき傷を残す。
 ザイルが急激なリューグの行動の意味を悟ったのは、その一瞬後だった。リューグが振るった刀が黒塗りのナイフを打ち落としたのだ。しかも数本、同時である。明らかに殺意を込めて投擲されたと判る。ザイルもまた制動をかけ、リューグの背中を守るように立つ。
「囲まれています」
「らしいな。よほど俺たちを帰らせたくないらしい」
 夜の闇に目を凝らす。感覚を研ぎ澄ませ、ザイルは物陰に目を走らせた。空気が凍っているかのように硬い。その沈黙が初手の必殺を逃した動揺からくるものか、それとも冷静に次の手を思案しているからなのか、判別がつかない。
 殺気は四方八方から迫ってくる。しかし、その具体的な位置と数を判じあぐねる。
 ザイルが判断を迷った瞬間、背中から確かな声が聞こえた。
「ここは僕にお任せを」
 リューグが事も無げに刀を正眼に構える。この闇夜の中、高速で動く敵手に、正確な狙いでナイフを一息に数本も投擲するような人間など、通常では考えられない。十中八九、サイバーウェアを搭載し、何らかの訓練を積んだサイボーグだ。それが数体、夜の闇に身を溶かし、動揺を誘いながら包囲網を形成している。
 一人でその相手をするなど、正気の沙汰ではない。
 だが、ザイルは知っている。正気を維持したものが殺人狂などと呼ばれるわけがないのだと。気だるそうな声を吐き出し、確認を取る。
「一人でやるつもりか?」
「あの程度、物の数にも入りません」
 回答は鷹揚そのもの。思案を挟むまでもなく、ザイルは頷いた。
「譲ってやる。その代わり一人も残すなよ」
「承知の上です。ではまた後で」
 慇懃に笑うリューグの表情が見えるようだった。軽いやり取り一つを交えた瞬間、ザイルは再び地面を抉りながら低姿勢で駆け始める。その背後で、朗々たる声。
「聞いての通りです。始めましょう」
 直後、火花咲く絢爛な金属音が響き始めた。
 ザイルは振り向かない。信用――否、信頼するとはそういうことだ。リューグの刀と敵手の刃が奏でる金属音すら追い抜くように、夜の闇を跳ねるように駆け抜ける。
 すぐに音が遠ざかり、代わりに隠れ家の進入口が近づいてくる。破壊された入口へ風より速く滑り込み、ザイルはアジトへと帰還を果たした。
 非常灯がぼんやりと点る、その明かりを頼りに、ザイルは地下への階段に繋がるドアへ向かう。そのドアもまた、同じようにひしゃげている。
 ――ここを押し通ったヤツは、熊でも連れていたのか。
 否。熊でもここまでの破壊は引き起こせまい。扉には払い下げられたアーマノイド用の装甲板金を使っていたはずだ。少しでも金属に関する知識があれば、蝶番の破壊から試みるであろう分厚いそれが、いともあっさりとひしゃげている。それこそ、アリカでもなければこんな真似はできないだろう。
「……あの女みたいなのが相手方にいるってことか。寒気がするぜ」
 呟きもそこそこに、ザイルは飛び降りるようにして地下への階段に身を躍らせた。二階層分ほど降りた先に、電子ロックの掛かった鉄扉がある――いや、あった、、、
 既に過去形だ。スライド式の鉄扉は叩き抜かれて反対側に倒れこんでいる。電子ロックのコンソールはスパークすらあげられないほどに潰されていた。
 その念の入った破壊ぶりにザイルは溜息をついた。続いた指紋認証と網膜認証を求めるドアも、まったく同様に破壊され、こじ開けられている。
「クソッたれ。このドア一枚で俺たちが何日働かなきゃならないか、まるで判っちゃいねえ」
 ザイルは拳銃の安全装置を確認――勿論外れているかどうかのだ――し、
「……教育してやらなきゃならないらしいな」
 獰猛な表情を浮かべ、奥へと走る。


 ガナック=ジャードは、入口から程近いホールに仁王立ちしていた。瞑目し、空調以外の音が存在しない地下の空気に身を浸している。
 だらりと下げた両腕は、もっとも頑丈でもっとも単純だと謳われた、"ガンドッグ・アームズ℃ミの初期ラインナップにあった最高級腕、"暴君タイラント≠ナある。今やこの腕を作った企業は存在せず、スペアのパーツは次々と尽きている。部品を新たに製造することも考えたが、そうして永らえようと現状維持にしがみつくよりは、この腕と共に朽ちるべきなのかもしれないとも思う。
 今自分がここにいるのは、終止符を打つためなのかもしれない。ここで敵を駆逐しても、自らが死んでも、後に待つのはきっと破滅だけだ。キラーハウスは既に傾いている。自分以外の幹部は面子と命が何より大事な臆病者だらけで、その下に育った部下たちもまた同じだ。
 自分の時代は終わった。
 何より輝いていた、自分と同じ仲間たちがいたあの頃は、もう二度と戻ってこない。それがほんの少しだけ悲しい。ガナックはゆっくりと右腕を持ち上げ、拳を握り、開いて、また握った。いちいちうるさいくらいのアクチュエータの音が、静寂の中に響き渡る。
 自分が立てる音だけが耳につく空間の中に、やがて、遠くからの足音が混ざりだした。ガナックは、まどろみから覚めるように目を開く。待った時間はそう長くない。薄暗い通路の奥から矢のような勢いで駆け出た影が、急激に制動する。靴裏のゴムが焦げる匂いを伴って、少年が現れた。
 若い。多く見積もっても十七か八といったところだ。髪、コート、ズボン、グローブは勿論ブーツまで漆黒で、闇夜の中に彼を置けば顔だけが浮かび上がるであろう、そんな黒尽くめの少年である。すらりと背が高く、仏頂面に目を取られがちだが、顔もそれなりに整っている。鋭い目つきは、それだけで人を殺せそうだった。
 少年は走ったせいで乱れた髪を、手にした大型拳銃の銃身で器用に撫でつけて口を開く。気だるそうな声が空気を震わせた。
「……ドアの請求書はどこにつければいいか、教えてくれるか?」
 鋭い瞳にへの字の唇、そしてやる気のない冷めた声。滲む倦怠感とは裏腹に、薄雲のような殺気を身に纏っている。その態度、外見、話し言葉……どれ一つをとっても知らないはずなのに、ガナックはその少年にデジャヴを感じた。
 ――それは。
 かつて彼が失った、いつかの殺人鬼たちの相似形。
 ガナックは嬉しそうに笑い、持ち上がる唇をこらえようともせずに少年へ言葉を返した。
「自惚れではないが、私の首はあのドア三枚分の価値はあろう」
「そいつは驚いた。どこで買い取ってくれるんだ?」
「人伝に中央警察セントラルポリスにでも突き出すがいいよ。……私はガナック=ジャード。あの世に行く前に土産話を作っておこうと思ってな、ここへ来た」
 ガナックが事も無げに言った言葉に、少年が言葉を失う。しかし、それも刹那のことだ。刺すような殺気が感じられる。今まで彼の周りにわだかまっていただけのものが、こちらへの指向性を持ったと、一瞬で判る。
「……あの名前負けしてる負け犬どもキラーハウスの親玉か。どんなチキン野郎かと思ったら、そこそこガッツありそうな顔してるじゃねえか」
「褒め言葉と受け取っておこう。……この老骨にも、部下の尻拭いくらいは出来る。非礼を詫びて、この拳で今度こそ語ろう。あの負け犬どもを擁した組織の、その原初の生き様を」
 ガナックはゆらりと構えを取った。拳をゆるく上げ、身体の致命的な部位だけを守る。
「名を名乗れ、少年。私が名乗ったのだ、貴様が名乗らない道理はあるまい」
 自分は彼の名前を知っている――しかし、それでも聞いた。名を名乗るというのは、すなわち誇りを掛けるということだ。
「へえ」
 少年は興が乗った、とでも言いたげな顔をした。トントン、とリズムを取るように跳び、軽くステップして身体を左右に振る。
「……なるほど、骨がありそうだ。俺はザイル。ザイル=コルブラント……ここに住んでる連中とつるんでる、野良犬の一匹さ」
 少年は名前を名乗ると、懐から煙草を一本取り出し、唇に咥えた。先端をもったいぶってライターで炙り、深く煙を吸い込んで吐き出す。
「子供に煙草の味が判るのか?」
「これと酒のない人生を考えたくないって、大人がよく言うだろ。……その心境が理解できる程度には、俺はこいつが好きなのさ」
 ガナックの問いかけに皮肉っぽく回答すると、少年――ザイル=コルブラントは煙草を大きく吸った。肺活量の成せる業か、煙草は早回しのように燃え尽きていく。煙を糸のように吐き出して、半分ほど残った煙草を咥えたまま、彼は銃口を持ち上げた。
「さて、一服つけたところで言うが、先を急いでるんだ。おとなしく退いちゃあくれないか?」
「それを承服できるなら、最初から貴様らを避けて通るとも」
 構えを取ったガナックは、ゆっくりと殺気を尖らせ、目の前の少年に集中させる。少年は唇を舐め、拳銃を持ち上げて煙草を吐き捨てた。
「――だろうな。じゃあ、死体になって、そこを退け」
「やれるものならやってみろ、若造。キラーハウスのトップを甘く見るなよ」
 ガナックは腕を上げ、指先で不器用にザイルを挑発する。アクチュエータの軋み音が響き、指が招くように動く。
 ザイルはステップをやめて――軽く膝を曲げた。刹那の後、彼の姿が掻き消える。一瞬でホールの中央から端にまで、弾け飛ぶような機動を見せる。壁に足をつき、またも跳躍する。それは壁と天井すら床と同じに扱うような、三次元的な挙動だ。初動が見えないほどの圧倒的な速度で動き始めた少年を前に、ガナックは矜持をかけて右腕を持ち上げる。
 ――そして、銃声を皮切りに、戦闘が始まった。
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