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  日常  

 共用スペースに着いた三人を出迎えたのは、潰れた金属製の古い鍋と、それを不満げな顔で踏みつけるアリカの姿だった。鍋と言ってももう原形をとどめていない。打ちっ放しのコンクリート床にめり込む形でひしゃげている。
 金属はああいう風に破れたりくしゃくしゃに潰れたりするものだっただろうか。ザイルは溜息をつきたくなった。
「アリカ、そのくらいにしておいてね」
 シキはマイペースに笑うと、真新しい鍋を手に持ったままキッチンに消える。
「うん、わかった」
 両目を弧にして微笑むアリカ。鍋のことなどすでに記憶から消去したといわんばかりに浮いた足取りでくるくるとテーブルに舞い戻り、着席する。
 リューグはそれを目にして、普段から細い目をなお細めた。視線の先には床と同化した鍋がある。
「煙草の吸い殻なんざ可愛いもんだと思わないか?」
「それとこれとは話が別です。……ザイル、放火は犯人をどうにかすれば未然に防げますが、自然現象は相手にしてもしょうがない。これはそういう規模の話ですよ」
 自然現象に喩えられた女は、相も変わらず戦闘用義肢――イーヴィル・アームの爪を擦り合わせて金属音を立てていた。我関せずと言わんばかりである。
 それを横目に見ながら、ザイルはポケットに突っ込んでいた手を抜き、席につく。四人掛けのテーブルの斜向かいにアリカがいる格好だ。リューグが隣の席に滑り込む。キッチンから最後の大皿を持って現われたシキが、ザイルの正面――つまりはアリカの隣に腰掛ける。
 いつもの食卓だった。そして、食事の量もいつも通りだった。
「……いつも思うんだが、作るのは手間じゃないのか」
「んーん。趣味みたいなもんだしね。ちょっと手は込んでるけど、作業順序を考えれば大した時間は掛からないよ」
 こともなげに言うシキに少し呆れながら、ザイルは食卓を見回す。
 チキンフライに色鮮やかな野菜のサラダ、鮭のムニエルと付け合せのポテトフライ。ビーフシチューにハンバーグ、クラゲをあしらった中華風の和え物にチンジャオロース。それに各人に供されたパンと米飯。グラスにはミネラルウォーターが注いである。
 栄養バランスなど知ったことかと言わんばかりに並べられた品々が湯気を立てている。ついでに言えば統一感もまるでない。今立っているのがどこの国かを忘れそうになるラインナップだ。
「今度の家はキッチンが広いからさ。ついつい張り切っちゃうんだよね」
「『ついつい張り切った』結果がこれか」
「まあ、いいではないですか。美味しい食事は明日への活力ですよ。ではシキ、頂きます」
「はい、おあがりなさい。じゃあアリカ、食べよっか」
「うん」
 横でリューグが手を合わせ、食事を口に運び始めるのを見て、ザイルもまたチキンフライをフォークで突き刺して齧った。いつもながら、美味い。小ぶりなチキンフライの中には二種類のアクセントが挟みこんである。一つ目は紫蘇で、和風の味わい。二つ目にはチーズが仕込まれていて、まだ揚げたてのせいか噛み千切ると糸を引く。口の中を火傷しそうになって、ザイルは慌てて空気を吸い込み、舌の上でフライの欠片を遊ばせた。
「慌てて食べなくてもいいのに。山ほどあるよ?」
「……うるさい」
 シキがいつもと同じにこやかな笑顔で見つめてくる。ばつが悪くなって、咀嚼するのもそこそこにミネラルウォーターでフライを流し込んだ。
「彼ががっつくのも無理はありませんよ、シキ。こんな豪華な食事には滅多にありつけませんからね。市街のレストランに行けば話は別でしょうが」
 チンジャオロースを箸で器用につまみながら、リューグが食卓をぐるりと見回す。
 ザイルは糸目で笑う仲間に目の端でにらみを利かせた。
「誰ががっついてるって?」
「あなたです。餌のとり方を覚えたばかりの若い鳥のようですね」
「……」
 首ごと視線をリューグに向けるが、上品に食べる所作には隙が見出せない。チキンフライもナイフとフォークで切り分けて食べている。フォークで突き刺して噛み千切るような食べ方をしているザイルとは、優雅さで大人と子供ほどの違いがあった。
 反論ができない。押し黙りつつ、ビーフシチューの器を引き寄せてスプーンを差し入れる。
「あはは、食べっぷりがいいのは僕としては嬉しいな。合成モノじゃないのを使ってる甲斐があるよ」
「……やっぱり今日も天然モノか。美味いと思った。値が張るんじゃないのか?」
 ザイルが聞くと、シキは軽く首を振って答える。
「安い所を知ってるんだ。合成モノはアリカの身体に悪いしね……食料については譲れないよ」
「ネットワーク環境と兵器管理と情報機器についても、だろう。おまえには『譲れないもの』が多すぎるんだよ。……しかし、合成モノの食事に戻れなくなりそうだな」
 ザイルは溜息をついた。合成タンパク質を使ったビーフ(風)ジャーキーや、エビカツ(もどき)サンドを夜食にたらふく食べていた一ヶ月前が懐かしい。
 本当に豪華な食事だった。大皿に乗ったチンジャオロース一皿に掛かった金で、前まで常食していた合成食料が三日分は買い込めるだろう。
「ザイルが来てくれたおかげでお金の巡りがよくなってるしね。そのお礼も兼ねてってことで。作るのは苦にならないし、みんなが美味しそうに食べるのを見てると嬉しいんだよ」
 言いながら、シキはハンバーグを切り分けて、アリカの口に運んだ。先ほどから自分は食べていない。
 アリカは嬉しげにハンバーグに齧りつき、幸せそのものといった表情をしながら飲み込む。喉元がこくりと動いたか動かないかのうちに、イーヴィルアームの指先が大皿に乗ったチンジャオロースを示した。
「シキ、次その炒め物、ちょうだい」
「はいはい」
 甲斐甲斐しくアリカの世話を焼く様子には、まるで作為的なものがない。
 生きるためには他人を踏み台にするのが当たり前のこのスラムで、当たり前の人間性を保っているハセガワシキと言う少年が、ザイルには眩しく見えて仕方がなかった。
「食べる手が止まっているようですが、どうかしましたか?」
「いや。親鳥と雛鳥を見てるみたいだと思ってな」
 率直な感想を述べるてやると、リューグは笑いながらビーフシチューの最後の一口を口にした。ゆっくりと咀嚼して牛肉を嚥下し、口元をナプキンで拭う。
「そろそろ慣れた頃かと思っていましたが」
「慣れはしたさ。ただ、未だに面白いだけだ」
 会話を打ち切り、手と口を動かす。山と盛られた料理に取り掛かって三十分の時間が流れる頃、ザイルは三杯目の米飯の最後の一口を口に押し込み、やや辟易とした溜息をついた。
「……健全な成人男子の食える量を明らかにオーバーしてる。明日仕事で動かないと、これはそのまま脂肪になって残るぞ」
「ならその分働いてください。明日はあなたと僕のツーマンセルで護衛の任務が入っています。荒事になるようであれば銃を抜けばよし、そうでなければ静観して終了のお仕事です。我々の運が向いていることを祈りましょう」
「どっち側に向いてることを祈るんだよ」
「新しい武器を手に入れましてね」
 その一言が、答えのようなものだ。彼は他でもない、殺人狂である。
 人間など殺してしまえば、蛋白質と肉の塊に過ぎない。後は腐って異臭を発するだけの有機物が持っていたものは、そのままそっくり殺した人間の手の内側に転がり込む。銃を使う人間がシキ程度しかいなかった彼らのアジトに銃が数多くあるのは、そういう理由だった。
 ザイルが銃器の由来を思い出す間にも、陶然とした目の色でリューグは続ける。
「アーセナル・システムズ社の新型、白兵戦用の日本刀サムライ・アイアンです。型式番号ASSA-132-SS、銘は『音遠ねおん』。『ソニック・シフト』機能を搭載したシリーズのファーストモデルだそうですよ」
「ああ、おととい買ったやつか。随分前から欲しがってたもんね。テストではアーマノイドの装甲板も斬れたんだっけ」
 シキが応じる。彼は兵器の事情に詳しい。リューグやザイルが使った武器の整備は、常に彼が行なっている。
 アーセナル・システムズ――通称AS社は、メーカーに頓着しないザイルでさえ、その存在を意識せずにはいられない兵器生産メーカーの一つで、ソリッドボウルと技術提携を結んでいる企業である。本社はドイツにあり、確実に凍京内でのシェアを伸ばしていた。
 凍京近郊の仕事でクライアントから支給される武器は大抵の場合AS社製であったため、使うことがあれば不足なく扱えるようには訓練している。
 それにしても、ナイフならまだしも、完全に白兵戦用のメイン・ウェポンの開発を始めるとは、また大胆な思い切りだなとザイルは思う。今日びそんな長物を振り回すのは、命知らずのバカか強化人間程度しかいるまい。
 右隣で目を輝かせている殺人狂がどちらか、それを問うのは愚問に等しかったが。
「ええ、ぞくぞくしますね。今は僕の部屋でバッテリーをチャージしているところです」
 リューグはやや視線をザイルから逸らし、その刀に思いを馳せるかのように中空を見上げた。恋する乙女が星空に想い人の姿を描くときのような仕草だ。大仰に手指を組んでいる。
「やめろ気色悪い」
 切って捨てると、リューグは絡めた両手を解き、天井に手のひらを向けて肩を竦めた。
「ユーモアは重要ですよ。そこでひとつ気の効いた応答を返せるかどうかで僕があなたに下す評価がまた変わってきます」
「愉快な通信簿だな。願い下げだ」
「ずっと前から一緒にいるみたいな雰囲気だね、二人とも」
 シキが口を挟む。ザイルは肩を竦め、口の中に切り分けたハンバーグを放り込んだ。
「不覚にもな。一所にいて気疲れしないのは久しぶりだ」
「素直に認めるではありませんか。殊勝なことです」
 うるせえ、と一言返しながら、並んだ料理から視線を外し、ザイルは正面に目を戻した。
 肘をついて頬を緩めるシキの横で、アリカがうつらうつらと舟を漕いでいる。仲間になってから知ったことだが、彼女は平均して一日の三分の二は眠っているそうだ。まるで小動物である。
 詳しい理由は判らないが、シキとリューグはイーヴィル・アームのせいだと断定している。そのことで彼女を追及したりは、絶対にしなかったが。
 シキの名を呼び、眠り姫を指差してやると、シキは「しょうがないなあ」と呟いて立ち上がった。母親を思わせる語調が微笑ましい。夢の中に片足を突っ込んでいるアリカを促し、どうにか肩を貸して立ち上がらせる。
 余談だが、彼女は眠っているときでも潜在的に周囲に気を配っているらしく、順次殺害機能ターミネートモードを起動していない場合であっても、シキ以外の人間が触れようとすればすぐさま銀の腕を振り回し始めるという。
「物騒な眠り姫だな」
「聞こえてるわ」
 目を細く開け、ザイルのほうを睨むアリカ。漏れた本音が聞かれたことにも焦らず、ザイルは前髪を弄りながらもう片手を追い払うような仕草で振った。
「狸寝入りか。作戦を邪魔したみたいで悪かったな。売り言葉に買い言葉の癖、少し直せ」
「……あ」
 アリカはぽかんと口を開けて、シキとザイルを交互に見る。シキはお見通しだったと言いたげに、チェシャ猫のような笑いを漏らす。そのまま間近で彼女の瞳を見つめ返した。
 ほどなくしてアリカは視線の往復をやめて、シキしか見なくなった。言葉は要らない、と言わんばかりだ。
 顔見知りのラブシーンほど見ていて気まずいものもない。二人の距離が縮む前に、ザイルは空に近いグラスを指で弾いて高い音を出す。
「アイコンタクトはいいからとっとと寝床に行け。それでおまえはさっさと寝ろ。シキはおまえに食わせてばっかりでろくに食ってねえんだからよ」
「むー……」
「あれ、心配してくれるの? ザイル」
 唸って押し黙るアリカの横で、シキが明るい声を出す。再び軽く追い払うように手を振りながら、ザイルは呟いた。
「おまえに倒れられても面白くないんでな。おまえが倒れると飯がまずくなりアリカの世話をする人間がいなくなりクライアントとの折衝が疎かになり武器のメンテが投げやりになりファイアウォールに穴が開き……」
「つまり僕たちが、チームとして活動し得ない状態に追い込まれる、ということです。というわけで、彼女を早めに寝かしつけて、あなたも食事をしてください。明日の仕事の話は、そのときに伺いますから」
 リューグが自然な調子でザイルのあとを継いで言葉を紡ぐ。
 それを聞いたか、アリカが頬を膨らませた。
「わたしがシキをいじめてるみたいなことばっかり言うのね、二人して」
「言ってない。疲れてないか、おまえ」
「そういう時は眠るのが一番です」
「……なんでそんなに息が合ってるの」
「別に」
「他意はありません」
 アリカの反論をことごとく封殺する仏頂面とアルカイックスマイル。
 多勢に無勢と悟ったか、アリカは前髪をシキの首筋に埋めるように擦り寄った。目だけが非難がましくザイルとリューグを睨んでいる。
「あはは、怖いねー。部屋にいこうね、ザイルもリューグも追いかけてこないからねー」
 緋色の目をアーチのようにして、シキは猫を相手にするように甘声で喋る。
 甘やかしすぎだ、と思うのだが、言っても無駄なことは大分前に悟っていた。
「頼む。それをやるならせめて俺に聞こえないくらい遠くでやってくれ。蕁麻疹じんましんが出る」
 再度追い払うように手を振ってやると、シキはくすくすと笑いながらアリカと連れ立って共用スペースを出ていった。沈黙が落ちる。テーブルの上の山盛りの料理は、控え目に見てもあと半分は残っている。減らす努力を放棄して、ザイルはフォークを放り出した。
「さすがにもう食べられませんか」
「四人で食う量じゃねえ。十人集めて宴会をやる量だ。違うか?」
「同意しますよ」
 リューグはナプキンで口元を拭うと、笑いながら携帯端末を取り出した。ディスプレイに向けて操作し、端末の内容をディスプレイに表示する。
「シキが戻ってくるまでに、明日の仕事の大まかな内容を確認しておきましょうか」
 ザイルが頷くと、リューグはゆっくりと話し始めた。
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