-Ex-

| next | index

  新天地  

 それなりに広いトレーニングルームに、激しい足音が響き渡る。
 ザイルは相手の動きを注意深く見ながら防戦に回っていた。繰り出される拳、立て続けに三連打。脇腹に襲い掛かってくる左フックをガードした瞬間、すぐさま右のストレートが顔面目掛けて飛んでくる。左腕で払い除けるように弾く。返す刀で今度はテンプルに左フック。右腕を相手の内腕に叩きつけるようにして受け止め、相手の顎目掛けて掌底を繰り出した。
 だが相手もさるもの、信じられないほど柔軟な動きで上体を反らして一撃を避ける。そのまま後ろに反り、バック転と同時に爪先で顎を狙ってくる。ザイルは地面を蹴った。バックステップして辛うじて回避する。
 ダンスのステップのような優美な音を立てて着地したのも一瞬、相手は静止することなく低姿勢で突撃してきた。間合いが詰まるまで刹那の間すらない。
 腹に突き出された貫手を受け止めようとして、やめた。確か一度このパターンでやられている。
 近接戦闘で重要なのは駆け引きだ。その極意は本物の殺意がどこにあるかを読み合い、いかに相手の殺意を潰して自分の殺意を叩きつけるかに集約される。
 直感が告げる。右だ。ザイルは、相手の殺意を掴み取った。貫手はブラフ、本物はこちら。腕をへし折りかねない勢いで繰り出されたミドルキックを右手で受け止める。
 相手が驚いたように目を見開いた。ザイルは掴んだ足を離さないまま敵に向かって足払いをかける。
 しかし、今度はこちらが驚かされる番だった。
 足払いが空振る。相手は足を掴まれたまま跳んでいた。その顔に、驚きの色は既にない。相手の変則的な回し蹴りが唸りを上げて襲い掛かる。
 反射的にガードを上げるが、全て後の祭りだった。ガードごと脳が激しく揺さぶられ、腰が砕けるのを感じた瞬間、ザイルは通算三十八回目の連続ダウンを覚悟した。
 ――否、覚悟する前に倒れていたのかもしれない。とにかく、彼の意識は根底から刈り取られていた。

 煙草を摘んで、寝転がったまま咥える。味気のないターボライターで先端を炙り、深く吸い込んで吐き出した。頭が、ズキズキと痛む。
 煙草が麻酔になればいいと思った。そんな事はあるわけがないけれど。
「……理不尽だ」
「何がです?」
「てめえと俺が、同じ土俵で勝負するってことがだ」
 ザイルは煙を吸い込みながら、気だるさをむき出しにして呟いた。寝転がったまま目線を左に流せば、軽いストレッチをするリューグがいた。
 限界に近い運動をしたあと、微弱な刺激を与える続けることで、修復を司るナノマシンに筋肉の使用状況と最適な形状を教えていく――。メルトマテリアル製の第四世代人工筋肉繊維マッスルパッケージに共通な機能だ。
「あの医師の所で同等の強化処置は受けているはずです。然るに僕に勝てないというのは、あなた自身の研鑽不足に他ならないのでは?」
「いちいちうるさい野郎だ。素手ゴロと二挺拳銃じゃあ勝手が違う。刀持って息が触れるような距離で殺し合いをするイカレ野郎にはわからないかも知れんがな」
 溜息混じりに呟くと、横倒しの視界の中でリューグが人差し指を立てた。
「殺し合いに、武器など関係ありませんよ。素手でも、道具を使っても、およそ武器には見えないものを使ってでも、人は殺せます。全てにおいて共通するのは、用いるツールに乗る殺意だけです。だからこうして、死なない範囲で殺意のぶつけ合いをして感覚を磨くんです。まあ、少々僕に有利なルールなのは否定しませんが――」
 リューグは目線をそらすと、隣の部屋にあるシューティングレンジの方を向いた。追って首の向きを変える。
 ガラスの向こうに見える壁にはワイヤーと南京錠で固定された銃がずらりと並んでいた。その下には、一振りの刀が立てかけられている。ただでさえ殺風景な壁に、人を殺すための凶器がずらり、だ。ザイルはこの眺めが気に入っていた――が、置いてある刀を見てうんざりとした。ミスマッチすぎる。
「それとも、実際に武器を持って戦ってみますか?」
「力いっぱい遠慮する」
 背中から掛かった黄泉への誘いを脊髄反射で断り、ザイルは首をひねって天井を見上げた。煙草の灰が崩れ落ちて顔に当たり、飛び起きる羽目になった。無表情をいかめしく歪め、顔を拭う。
「……もう一戦やるぞ。次は叩きのめす」
「なんだかんだで諦めが悪いですね。よろしい、四十連勝の大台まであと一歩ですし、もう少しだけ運動を続けましょうか」
「……」
 四十連敗寸前という厳然たる事実を前に、ザイルは何も言えないまま押し黙った。
 リューグ=ムーンフリークは十六歳の少年である。栗色の髪と明るい茶の瞳、整った顔に常に笑みを浮かべている。一見するとどこにでもいそうな優男だが、その実、スラムにおける荒事師マーシナリーの一人であり、殺人狂の異名を取るほどの殺し屋だ。銃火器が主流を占める戦場において、今なお実体剣を武器とする稀有な男でもある。
 対弾体術バレット・シールドなる特殊技能を持ち、ミドルレンジからクロスレンジまでの対銃器戦闘に特化している。ガラクタみたいな強化ステンレスチープメタルの刀で銃弾を弾いて、人を豆腐でも切るみたいに真っ二つにする、ザイルと同レベルの異常者だ。
 ついでに言うと、ケーイケンだかジークンドーだかカンフーだかの心得もあるらしい。言っていることの意味はわからなかったが、実際に殴り合ってみれば、素手でのケンカにも滅法強いということだけはよくよくわかった。確か一戦目は殴り合いにすらならなかった気がする。掌打(ハッケイの一種だのとほざいていた)で、文字通り張り倒されておしまいだった。
 出会って三週間。ザイルが知りえたリューグ=ムーンフリークの人物像は、おおよそそんなところである。まったくもって、うんざりするほど隙がない。格闘訓練ではやられっ放しの負け通しである。そろそろ、プライドも擦り切れてどこぞへと失せてしまいそうだった。
「……死にたくなるぜ」
「お手伝いしましょうか?」
「力いっぱい、遠慮する」
 再度、断固として断ると、煙草を揉み消し、部屋の隅へと弾いて捨てる。リューグは肩を竦めて、吸い殻のほうへと歩き、拾い上げてゴミ箱に入れた。
「……いつも言うことですが、吸い殻はしかるべき所に捨ててください」
「いいだろ。どうせ薄汚れた中古物件だ。キラーハウスの連中が押しかけてきたら、また新しい家を探すことになるさ」
「僕が言いたいのは、住処を綺麗に保つ努力をしましょう、ということです。大体、ザイル、あなたは吸いすぎなんですよ。一日にラッキーストライクを二箱? 馬鹿げた話です」
 リューグは人差し指を立てて、いつも通り喫煙が体に及ぼす悪影響と周囲の人々に及ぼす害、ひいてはモラルの問題がどうのと、禁煙作法本に書いてあるような説教を始めた。
 ――こいつはアホか。まあ、部屋は綺麗にしましょう、という説教までなら受け取ってやってもいいが。
 骨組織置換ボーンレイジで内骨をチタンに置き換え、筋肉の数割を人工筋肉繊維マッスルパッケージに付け替え、神経線維に無理やり神経鞘を増設して伝達速度強化ニューロブーストまでしてるようなキワモノのサイボーグが、煙草の一箱や二箱でガタガタ抜かすのは滑稽だ。ザイルはそう思う。
「であるからして、ニコチンの依存作用と神経に対する毒性は、ただでさえニューロブーストで過敏になっている我々の神経に対してこの上ない悪影響を」
「ああわかった、もうわかった、だから始めよう。こいつはいつも思うことだが、おまえの長話は他人の煙草の煙よりずっと鬱陶しい」
「……誰のために長話をしているのか、少しは理解していただきたいものですね」
 リューグが笑顔の中にふつふつと怒りを込めるのを見て取る事が出来た。
 これは僅かな進歩だ、とザイルは思う。年がら年中頭に花の咲いたバカのようにニコニコと笑っているこの少年の顔の裏にも、人並みの情動は確かにある。それがわかるようになった分だけ、仲間として理解が進んだということだ。
「よろしい、そこまで聞く耳持たないというのなら身体に教えて差し上げましょう。手始めに、あなたの黒星を三桁まで増やすところからいってみましょうか」
「上等だぜ。おまえのやり口がそろそろわかりかけてきたところだ。毎度同じような手段で俺を倒せると思うなよ」
 ザイルは先ほど顔に掛かった灰を気にするようにもう一度袖口で顔を拭って、軽くステップを踏んだ。
 それに合わせるようにリューグもゆっくりと構えを取った。一体いくつバリエーションを持っているのか、戦うたびにリューグの構えは変わる。そしてそのどれもが、必殺のパターンを持っている。
 こと格闘のセンスでは、この先どれだけ研鑽を積んでもこいつには勝てない、とザイルは感じていた。掛けた時間の分、自分の実力を伸ばせたとしても、リューグもまた同じだけ伸びているとするなら、後は今までに掛けた研鑽の時間、その絶対量が物を言う。
 同じ土俵では勝てるまい。
 それが判っていても、ザイルはこの格闘訓練をやめはしなかった。リューグの戦闘理念は、ザイルのそれと通じる部分が多い。それでいて、ザイルにはない視点からの――つまりは近接戦闘ならではのアプローチを行うこともある。学ぶべきことは多かった。
「では、行きます」
「いつでも来い」
 ザイルが爪先に体重を乗せた瞬間のことである。
 鳴り響いたのは、戦いのゴングではなく、けたたましい鐘のような音だった。それも、何度も。だんだんと大きくなりながら近づいてくる。
 がん、がん、がん、がん、がんがん、がんがん、がんがんがんがん、がんがんがんがん、ばあんっ!
 いっそ愉快なほどの勢いで、トレーニングルームのドアが蹴り開けられた。古い蝶番が壊滅的な音を立てた。また半年分は寿命が縮まっただろう。
「二人とも、ご飯できたよ。一緒に食べよう」
 顔を出したのは緋色の目をした少年であった。エプロン姿で厚手の鍋をお玉で打ち鳴らしている。リーダー、兼、情報処理係、兼、対外折衝係、兼、兵器整備係、兼……コック、という奇妙な役割を持った、このグループの実質的なブレイン、ハセガワシキだった。その他にも運転技術に医療技術、ピッキングからハッキングにクラッキングなど、様々な専門技術を有する何でも屋でもある。
 人懐こい笑みを浮かべるシキを一瞥すると、ザイルはリューグに向き直った。そのままぶっきらぼうに言い放つ。
「あと一戦だけやらせろ。今度こそこいつの顔にドロつけてやる」
「あなたの顔の泥が増えるだけだと思いますが、ね」
「言ってろ」
 リューグの皮肉に肩を竦めてから、戦闘を行うに足るだけの集中力を練り始める。
 シキが困ったような声を上げた。
「……アリカがおなかすかせて待ってるんだけどなあ」
 がしゃーん、と、遠くで何かが壊れる音がした。
 ガラスが割れたような軽い音ではない。何か、金属で金属を叩き潰したような音だった。
 リューグが口を波型チルダのようにして目を細めた。そそくさと歩き出す。多分俺も同じような顔をしているんだろうと考えながら、ザイルもまたその後に続く。
 実に素早い動作だった。そして実に賢明だと、ザイルは自分で思う。腹を空かせた逸彼在処は、フル武装のアーマノイドより怖いのだ。
「最初からそのくらい素直だったらいいのに」
 壊れたらしい何かに対する心配もよそに、シキは楽しげに笑った。
 ――うるせえ。
 への字の口からは、そんな簡単な一言さえも出てきそうになかった。
| next | index
Copyright (c) 2007 TAKA All rights reserved.